2011年8月28日日曜日

そして「毎日が夏休み」

「毎日が夏休み」は1994年の映画だった。
私が住んでいる団地が、主人公たちの生活空間としてふんだんに使われている。
大島弓子原作のロマンティックコミックの映画化に、ちょうどよかったのね。
絵空事で綿菓子みたいなふわふわとした映画なんだけど、
住宅全体と遊歩道から裏の小山までが映る、その上なんでもかんでも今より新しい。
私が引っ越してくる七年もまえ。当然、木から芝生からベンチまで新鮮である。
でも、これじゃ撮影中は、大規模修繕の時みたいに鬱陶しかっただろうなー。

風景がむかし新しくって今はその頃より重厚。変ってない。嬉しいことだと思う。

2011年8月27日土曜日

ユウシュウ

八月がはじまり、八月がおわろうとしている。

歯の治療。クーラーの清掃。車検。配水管清掃の日。その他その他。
避けられぬトラブルを乗り越えた開放感があるわけだが、
ヒトを選び、技術をえらび、失礼のないように応対し、高額を日々支払い、
鎧(よろい)を脱げないというか、義務教育が一生続くような、コワイ感覚。

団地の掲示板に、雨にあたって色あせた「お知らせ」が画鋲でとめてある。
「毎日が夏休み」
明日の夜、BSテレビジョンで放映される映画の題名で、
私たちの居住区域が舞台につかわれている、という。

スケジュール闘争、一生成長、毎日達成感。ゆりかごから墓場まで。


2011年8月25日木曜日

弟くんのママ、おーい

「ふしぎなバイオリン」という単純な絵本がある。
絵も文もイギリスのクェンティン ブレイク。
私はそれを、山花さんの山荘の本棚で見つけて真夜中に読んだ。
ひらがなばかりの小さな本。

たのしげな彩色のへんてこなページのなか、
気のよさそうな太陽を背に、パトリックというわかものが、
バイオリンを買いにいく。
パトリックがあるいていくのんきな通りは、
とくべつきれいでも、きたなくもないんだけど、わさわさとにぎやか。
そのまんま童話のせかいの町なのである。
で、パトリックはすんなり、バイオリンを買っちゃう。
やせていて、しろい紙のかお色のウスバカゲロウみたいなパトリック。
買ったバイオリンのホコリをフッとふいたら、そのホコリはふわわんとホコリっぽく金色。
池のほとりの草にすわってひくと、へんてこりんなことに、
魚たちがいっぴき、またいっぴきと、空中をとびまわりだす。
その魚たちが、まるで幼稚園の子どもみたい。
ああ、子どもってこんなだったんだ。
で、つぎのページにいくと、男の子と女の子が登場する、カスとミックである。
このふたりもまた、私がしっていた子どもたちにそっくりである。
どこが? 
ああ、幸福になり方が、かなあ。

幼稚園のひだまり門であう人たちのなかに、
どことなくブレイクの描く絵に似たレインボウカラーの母子がいた。
5才の女の子と2才の男の子。
毎朝ふたりは長身のママにつれられてやってくる。
私はオハヨウと言い、弟の小さな手をとって握手しようとする。
かならず坊やが私にあいさつしようと騒ぐからだ。
ママは重い彼を片腕で抱っこし、黙って笑っている。
大きめな2才。歩く時もあれば、ダッコダッコと泣きわめく時もある。
ある日のこと、めずらしく女の子がママとふたりだけで登園してきた。
ええと、名まえがわからなくって、
「弟くんは? どうしたの?」
なにかを思う目をして女の子が、
「かぜひいて熱がでた、だから、おばあちゃんがみてる」
家においてくる時タイヘンだったろうと私は想像したが、
「うん、だいじょうぶだったの」
ママのほうは私たちの話しがおわるまでヨコで待っている、寡黙なのである。
以後、
「弟くん、今日こなかった、うちでおるすばん」
女の子は思いだしたみたいに、ときどき私に報告した。

ながい髪をおくれ毛いっぱい、頭のてっぺんでぐるぐる巻いてとめている。
ママとそっくり系の、胸から肩がむきだしになりそうなTシャツ。
フニャフニャの上着は首から背中のへんまでタレておっこちそうだ。
半ズボンで、というのが幼稚園の方針なんであるが、いつもタイツ。
タイツの上にだらだらんとファッションパンツ。
園庭で走ったら、ころんじゃうよー。
およそ私なんかにはよくわかんない姿かたちでママと出現するけど、でも。
よく見ると、こんがり日焼けして、くったくなさそう、じょうぶそう。
たとえドッところんだところで、ちょっと泣いたら立ち上がるはずの子どもだ。
弟くんにママを取られっぱなしだろうに、気にしてるふうもない。
基本が健康。
そう、これはもしかしたらたいしたことなんじゃないか、と思う。

まだよく舌のまわらない二才が、毎朝、私にオハヨウと言いたいのだって、
考えてみれば、内気で寡黙な母親の、心の奥にあるなにかが始まりのはずなのだ。
好意というものがなければ、オハヨウはない。

ドレイクが描いた子どもの世界には、塀もなければ、規則もない。
子どもや若い親をしばるいいわけは、いつだって、どこにだってたくさんある。
規則と塀のほうから、リクツを出発させたらおしまいなのに。

なんだか、弟くんのママ、おーいという気持ち。


                          ふしぎなバイオリン
                          文・絵 クェンティン・ブレイク
                           訳   たにかわ しゅんたろう
                          岩波の子どもの本

2011年8月24日水曜日

秋風や

在田さんは池田さんといっしょに来てくれる。
池田さんがはこんできたお土産の中に、葡萄もあった。
知り合いの家に沢山なったという葡萄。

        秋風にふくみてあまき葡萄かな   万太郎
                      
クーラーの清掃が終わってから素麺で昼食。お茶を飲み葡萄を食べる。
きのうは涼しくて風のいい日だった。
ああ、いい風だ、蝉がこんなに鳴くなんていいですね、
何度となく池田さんがいう。
私の家は土手の上だから、下から上から湧き上がるように蝉が鳴く。
ありがたいことに今年もそうだ。
だまって耳をすませば、じんじんじんじんと、力強いことである。

2011年8月23日火曜日

なんでもアリタさん

在田さんが来てくれてクーラーの清掃。
例によって徹底的である。
子どもが幼児だったころからの、ふるいつきあい。
継母が死んだ時も、施設から夜明けに電話をかけ葬儀の前仕度をたのんだ。
うちに帰ると、通路から庭や家の中まで、たのんだ通りの準備がぴしっとできていた。
ほとんどなんにも言えなかったのに。
思えば胸にせまることだった。

子どもに数学を教えてもらったこともあったっけ。
めったに会わないのに、家族のようなかんじ。
特別仲がいいわけじゃなくても、在田さんはあてにでき信頼ができる。
それも絶対にだ。
クセがあってガンコで古風。、頭脳明晰がすぎたのだろう、会社で差別されて、
あげく病気になり、挫折のなかで離婚し、かたくなな生き方を貫くものだから、
つきあいにくいことおびただしいサムライではある。

「なんでもアリタ という仕事をしたら? なんだって出来る人なんだもの」
失業してるんだよと苦笑いするからすすめたら、驚くべし彼はそれを完璧な仕事にした。
いま在田さんは飄々となかば自由に生きている。
私は彼と同い年で、おなじ時代を生きた。
可愛くないけど事実本来的に信頼できる、
そういう人格の男が育つ土壌が戦後日本にもあったのである。


2011年8月22日月曜日

聖高原納涼花火大会

花火大会って、うれしいものだ。
それはそうと。
よくわかんないけど、湖畔で配布されたチラシのタイトルが
「第47回 聖高原納涼煙火大会」
煙火大会だって。
花火を煙火なんて、聖(ひじり)湖の人たちってストイックなのね。
 ?
この字だと煙草大会だな、と読んで私の想像はふくらみ、
全国喫煙者悲憤大会をひらいたりしたら、とさらに想像はふくらみ、
その大会の酋長には宮崎 駿氏こそがふさわしい、と想像がふくらむ。
タバコというと、アメリカに行ったときの宮崎さんの憎まれ口を思いだすからだ。
なんでもアメリカという国家は、当時、禁煙禁煙とうるさくて、
アメリカが原爆つくるのやめたら僕も煙草やめます、と切り返したんだとか。

さてさて。
麻績村観光協会は大型花火を50本も用意。
雨がパラパラきそうなので、休憩なしで、ボンボン打ち上げる方針である。
アナウンスはしっかりしていて、ゆっくりていねい。
「33番、大スターマイン、スペースファンタジー、34番、四寸五発早打ち、
清流のきらめき」
ドカーン、ドッカーン
スターマインに、スペースファンタジーか。よくわかんないけど、
夜空に華やかにして大輪の火の花がつぎつぎ開く。そして五十本目が、
「超特大スターマイン ナイヤガラ大瀑布、がんばろう!日本」
ていねい且つ、けなげである。
「宇宙への旅」「ときめきの時」「湖畔のそよ風」「魅力の華芝居」「絆の輝き」
「夏空のオアシス」「なでしこの躍動」「天体観測」 等々、等々。

見ていると、
四寸一発という、くりかえして出現する花火っていかにも山花郁子的。
こういう花火があると、大会はさらに楽しい。
湖面ちかく、なんども打ち上げられて、じゃんじゃか中空を飾る四寸1発は、
「空中の花園」「清流のきらめき」「無限の夜空へ」
同じ花火なんだけど名まえが陽気に変化する。 こだわらないところが山花的である。
火花の先はニジの七色、こども用の絣(かすり)みたいで可愛らしいし風情がいい。

終盤になって、とうとう雨が降り出す。
「母が亡くなったトシ(100才!)を考えると、私なんかあと二十年ぐらいしかないのね。
こうしてはいられないなと思うんですけどね」
さっと髪を一振り、山花さんは湖畔の観光協会とかいう建物の方へ。
明日の帰京にそなえて、タクシー会社の電話番号を調べる気なのだ。
超特大スターマイン、ナイヤガラ大瀑布にふりかかる雨もなんのその、
「いやがらせしてるのよねっ」
夜空雨雲にしたお天気にむかって、ぎゅっと一声。
すてきな山花さんは、だれに言われなくても、もとから、がんばろう!日本である。



              「大好きなおばけちゃん」いくこさんの老々介護
                   山花郁子著   日本評論社 2002年

2011年8月21日日曜日

雨の日曜日

みっちゃんのスケールの大きい母上を訪ねる日。

六〇年も前の小学校の入学式。
この人は記念写真撮影の時、 横にきた小さな子どもに、
カリエスからやっと回復した瀕死のみっちゃんをグイとおしつけて頼んだ。
「みちこです、なかよくしてして。おねがいね。」
必死のお願いは命令にちかく、ビックリしてこわくて、「ウン」 と私は言った。
いま思えば、
あの時、あの必死の母親は、まだとても若い人だったのだ。

ブログ熱中症

オランダに住んでいる娘が、
毎日投稿してくれると有難い、と言う。
それでお母さんが無事かどうかわかるからと。
短いのを書けたほうがいいよ、と息子も言う。
「長いのも、短いのも作れるほうがいいよ。」

短いじゃんか。
と思うのは自分だけらしい。
ブログは短文が、電報とか短歌とかの字数のほうがいいらしい。
短文をできれば毎日。

そういえば、
ブログを開けたのが嬉しくて、毎日パソコンに向かい、
ある日など、ご飯も食べずお茶も飲まない、七時間半もブログ。
次の日、朝から目がまわって、すごく気持ちが悪くなった。
病院に行くと、
「屋内熱中症ですね」
日射病に、部屋の中で、かかったのである。
そのうえ元来パソコン不理解、 機能操作でつまずくから空白十数日間。
「そうするとブログを読んでくれる人がいなくなるのよ、お母さん」 
娘に言わせると、
なんでも人はブログを習慣のように開いて閉じるのだとか。

短文をスッキリ。
それが私の課題、と。
今日のこれだって、ブログ的に考えれば、また長文なのね。

2011年8月18日木曜日

山荘で夏休み

山花郁子さんの山荘は聖(ひじり)高原の林の中にあった。

水の流れのあとを残す黄土色の小道に、風が吹く。
水音を隠す草の斜面、
蕗(ふき)や、こごみ、秋には小さな栗の実が落ちるという低木、
家の裏手のどこかには、たらの芽が取れる木もあるという。
なんてすがたのいい雑木林なんだろう。
春に咲きだす山の花も、今は、緑のくらい影にうもれている。
小鳥が手を貸したらしい実生まじりの木々が、
ぐるっとこの小さな山荘をかこんでいる。

聖湖畔の花火大会。
バスが別荘に住む人たちを迎えに来る。
林を出て少し歩くと、
パイプ椅子や飲み物を抱えたおなじみらしい人たちに会った。
山花さんが、挨拶をしている。
「霧がねえ、出ないでくれるといいんですけれど」
「おととしかな、あの時は花火がまるで見えなかったですもんねえ、霧で」
見上げれば空模様をかくす木の枝に、
ついさっきまでの稲光と落雷と豪雨のあとがある。
樹木の上から金色の光がにさしこんで、
不意に強い雨がやんでくれたのだ。
「なんだか意地悪するのよね」
「ホント、じらすんだよなあ」
ここでは、お天気さんは「ある人物」という感じ。

バスが山道をぐるぐる降りて湖に着くと、パトカーが見えた。
あらあら。
よその県の乗用車が、坂道から転落したのだとか。
警官が二、三人。なにもできていない様子。
道路はゾロゾロ雑踏だが、緊迫もしていない。
倉庫の前庭の石の階段のわきに、車がドスンと無事に落ちていた。
脱出したのか、横で若い人が子どもを抱いてあやしている。
小さい湖の、うっかり事故。ぶじでよかったー。
落ちた場所は坂道なしの石段のみ。車は階段をヨジ登れない。処置なしだ。
お巡りさんだって手をこまねいているしかないわけである。
でもよかったとホッとして、のんびり。
「あした、クレーン車だなあ」
花火大会の開始がせまっているので、
人の群れは花火見物の場所取りへと、進んで行く。

どこに陣取りをしてもこれだと花火はよく見える。
小さな湖。人出もなかなかで、ほどよく賑やかなのだ。
たこ焼き、焼きそば、お好み焼きにトウモロコシ。人気はやっぱり焼き鳥。
どの屋台にも行列ができている。
打ち上げ開始は七時だから、あと十五分。
さむいぐらいの風に吹かれて、ゆっくりのんびり、しかもワクワク。
私たちは、バスから遠からぬ湖の縁に、持ってきたシートを敷く。
湖からやってくるブイブイした風。
雲はないけど、星も見えない空。
霧は向こうの林のてっぺんにひっかかって、ここまではこない。
なんとはなし、お天気にいじわるされそうな雲行きである。
バスのそばにいたほうが安全である。

ドッカーン!!


花火大会が始まった。


2011年8月1日月曜日

幼なともだちと絨毯

オービュッソン
   仏蘭西中部の町。絨毯製造で有名。

エイキンの童話のなかでも「おとなりさんは魔女」がおもしろいと思うけれど、
そのお話のひとつに、オービュッソン製のじゅうたん、というのが出てきた。
えっ、あれっ、これをもしかしたら私、持ってるかも?
それはみっちゃんのお母さんがフランスで買い、ずっと壁に懸けていたもので、
何年か前、それこそ魔法みたいにビューンと、私のところに飛んできたのである。
秋がくるとダイニングの壁に私はそれを懸ける。
紅葉しはじめた秋の森林の鹿の群れ。

みっちゃんというのは私の小学校一年生の時のクラスメイトで、
苗字で呼ぶのもヘンだから、今も、みっちゃんみっちゃんと私は言う。
幼稚園の若い母親たちなんかも、つられてしまい、
彼女の講演の時、控え室での接待や、講演中の質問に、
すみませんすみません、みっちゃんなんて呼んじゃって、
そうあやまりながら、
「あの、みっちゃん、お砂糖は使われます? 」
「あの、これでいいですか、みっちゃんは?」
ちょっと憧れるような表情でみっちゃんをだいじにする。
お話ができてよかった、またお会いしたい、とあとあとになっても敬語である。
この私の友達は、
内面からほーっと光り輝くような、きれいな笑顔のヒトである。
はがね(鋼)のような意志力をもちながら、話し方は慎重でやさしい。
みっちゃんは純粋だし、努力のヒトなのだ。
幼児のとき重病を患い脊椎カリエスだったから、障害が身体に残った。
でもそのことが彼女をすばらしくチャーミングな人間にした、と私は思っている。
ずっと友達だったし仲間だったし、だからそんなふうに考えるのかもしれないが。
しかし、このことと絨毯の話とは関係がない。

みっちゃんの家は天井の高い、冬になると暖まりにくい大きな家である。
シャンデリアがあるのかないのか、気をつけて見たことがないから思い出せないけど、
どこかにシャンデリアがあるはずだという仕様の家。
住んでる家族は、それを降ろすのも仕舞うのも、さりとて磨いてキラキラさせるのも
メンドーと言いそうな働く一家で、「社宅」などとこの邸宅を呼ぶ。
なんせ家の南側バルコニーに、「反核家族」と大書した布を張り出しているのだ。
センスなんかナミのありようとはひと味もふた味もちがう。
私はこの家に行くたび、玄関から二階のマホガニー色の木製手摺を見上げ、
手摺に懸けられている貴重な大絨毯をながめたものである。
「なんとも芸術的な絨毯ねえ、、どういうものなの?」
「ああ、あれ? 母のお土産。重くってさあ」
「いい絨毯ねえ」
「うん、いいもんだって、母が」
みっちゃんは「母」のたび重なる世界旅行にも、お土産物産の山にも
そのお土産のスケールの大きさにもマヒしている。
「お茶にしよう、玄関寒くてごめんね、早くスリッパはいて」
みたいなもんなのだ。
だからその絨毯は何年も何年も手摺に懸けられて、色あせたのだかなんなのか、
大きな家の玄関の品位を、ただ沈黙のうちに、高めていたのである。
そのけなげな絨毯を、である。
ある年、大掃除をする気をおこしたみッちゃん一家が捨てたのだ。
「す、捨てた!? とめるヒトはひとりもいなかったの? こどもたちも!」
私はもう、意気消沈して、
「この家で一番いいのはあの絨毯だと思ってたのにー」
「アラー気に入ってたの? そりゃ申し訳なかったよなあ。」
みッちゃん夫婦は、じぶんちの絨毯なのに、うしろめたそうにニヤニヤし、
「ひとこと言っといてくれれば、差し上げたのになあ」
そんな悔やみ方をするのである。
ズレてる!

そしてまた月日は流れ、何年かが過ぎた。
この家族には、お母さんの膨大な家具調度品等々を整理始末すべき時があった。
そうしたら、どういう具合でか、
みっちゃんは優しくも親切な夫に、がみがみ、
「こんどこそ絨毯は捨てないで取っておいてよ! あげるんだから!」
なんでよ? ちがうでしょ? 
私がほめたのはあの、アンタ達がゴミに出しちゃったやつよ!
絨毯ならぜんぶスキって言ってないわよ!
なんだか思いだすとひとりでも笑っちゃうけれど、
とにかく、そんなわけで、
長い長い時間を経たあげく、
みっちゃんのスケールの大きなお母さんの
べつの絨毯が、ビューンと私の家に飛んできて、
仏蘭西中部の町、かの有名なるオービュッソンのモノだと、
今ごろになってのーんびり出自をあきらかにしたのである。
さすがにたいした話ではないか。


                         とんでもない月曜日
                         ジョーン・エイキン作 猪熊葉子訳
                         岩波少年文庫