2011年12月31日土曜日

よいお年を!


1931年のことである。リンドバーグ夫妻は空路東洋へとむかい、遭難し、
千島列島の海辺の葦の中から救出された。
当時チャールズ・リンドバーグは、世界初の大西洋横断、単独無着陸飛行(1927)
の達成による、世界的ヒーローであった。
リンドバーグ夫妻は、東京で熱烈な歓迎を受ける・・・。

須賀敦子著。「遠い朝の本たち」 ちくま文庫刊。
須賀さんの精神と文章は、めったにないような感動を読む人に運ぶが、
いまの私には、13才の少女だった須賀さんが手にとった『小国民全集』の、
アン・リンドバーグの遭難に関するエッセイが印象ぶかい。
以下、「遠い朝の本たち」から、ほんの一部を引用してみよう。


(前略) 横浜から出発するというとき、アン・リンドバーグは横浜の埠頭をぎっしり
埋める見送りの人たちが口々に甲高く叫ぶ、さようなら、という言葉の意味を知って、
あたらしい感動につつまれる。

《 サヨウナラ、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、
もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教え
られた。「そうならねばならにのなら」なんという美しいあきらめの表現
だろう。西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺に
いて人々をまもっている。英語のグッドバイは、神がなんじとともにあれ
だろうし、フランス語のアディユも、神のみもとでの再会を期している。
それなのに、この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬの
なら、とあきらめの言葉を口にするのだ。 》
(後略) 」    


一生という感覚は、
たとえそれが子どもの考えることであっても、
重みがあり長く感じられるものだと思うけれど、
われにもあらず、
さようならと、一生こう繰り返したということに、
いま、私は衝撃のようなものを感じている。
生れたときから自分は、呪文のようにくりかえしたのか・・・・・。
「そうならねばならぬのなら」
「そうならねばならぬのなら」

さわやからしく言うなら、べつの表現で、
花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ。
あーあ、ずっとこれでやっちゃったさ、なにも自分のせいじゃないと思うけど。
左様なら。
ああ、この日本人である私の、自分でもナットクできない傾向、感覚、感情は、
いまや、永遠の苦労をまねく呪文のようなものだ。
言語は人間の代理をする。
さようならという言葉は、ほんとうはもう、私たちの言葉じゃないにちがいない。

元気でね。
モトになる自分自身の勇気、激しい気性、陽気、粘り気、「気」こそがだいじ。
これならどうかなーと思うまに、時が2011年を越えはじめる。
こんなに、いろいろあったのに。
よいお年を!
健康でね。気をつけて。またちかくお会いできますように。



2011年12月30日金曜日

仕事おさめ


おーい、Tくん
海へいこうよ
仕事はきのうでおわりでしょ。
お休みは一週間
もうこんな時間
海につくのは午後おそく
いいじゃん、いいじゃん
いそぐ旅でもあるまいし
海のじゃぶんじゃぶんという音をきこうよ

どこかで乾杯しよう
お祝いをしよう
みじめな一年間が
きのうおわったのよ
新年をはさんで
おやすみは一週間
いいじゃんいいじゃん
オンボロぐるまはあるし
レストランでおかねつかっちゃおう

おーい、Tくん
見てよ
地球はきれいよ
あたたかい古着をきて
よもやま話もあって
一年がやっとおわり
海は鏡みたいに光っている
なみは凪いでる
夕陽がみるまに沈んでいく
息をすって吐いているだけでもしあわせよ





2011年12月28日水曜日

映画 未来を生きる君たちへ


「未来を生きる君たちへ」
スサンネ・ビア監督  デンマーク、スウェーデン
本年度アカデミー賞 最優秀外国映画賞、ゴールデン・グローブ賞 最優秀外国賞。

小田急新百合ヶ丘駅のKawasaki/ART/Center アルテリオ。
どうかアルテリオがつぶされませんようにと、私は願う。
企画がいい。居心地がいい。内装が文化的。北欧風というか。
むかし新宿伊勢丹ヨコにあったアート・シアターのモダン川崎版。
川崎えらいぞという感じ。

「Biutiful」と「未来を生きる君たちへ」と。
この二作品の共通点と比較。

MEMO
二作ともに、人間性の根本に迫る大作。
おまえだ、おまえが戦え、おまえがなんとかしろと
ひとりひとりの観客に語りかけるような大画面は、
さわやかにして、すがすがしい後味のものである。

監督は、一方は男であり、もう一方は女である。
それなのに両作品とも、ヒーローは、男性で父親である。
母親、女はただの脇役である。
父親が、素手で人類の絶望の手当てをしている。
しかも、ふたりとも基本が非暴力、暴力ナシの人だ。
私たちがフツウ使えもしない暴力に、ユメを託したりしない映画。

主役それぞれのヒロイズムは、
革命とか改革とか民主国家の与えうる治療方針とか、年金とか保険とかの、
日本人のこの私が未練たらしくこだわっている20世紀的希望の、
みるも無残な崩壊のもとで、発揮される。

良心的で、愛情ぶかく、正確なドキュメント。
しかし、である。
いくら手当てしようが、映画の画面に解決は、ない。
地球と人類は、ストーリイの枠の外側で、沈没の度合いを深めている。
二作品とも。

希望がなければ表現の必要はないものだ。
私たちの小さな身の回りのなんでもがそうではないか。
私のブログ、オランダでくらす娘の仕事、息子たちの演奏する音楽。
膨大な資金調達なしにはできない映画でさえ。

したがって、
二本の映画では、希望 がとにかく描かれる。
家族の存続再生というテーマを通して。
うん? 家族の再生が人類救済に繋がるという結論? 
どうしてだろう? それが現実的な回答なんだろうか?
真実はどこにある。
いっときの癒やしではなく、
確固たる希望に至る「作品の答え」というものは。

スペインとブラジルの「Biutiful」では、
人類が滅びないという希望(子どもの命)は、世にもひ弱な者に託された。
漂泊する移民の若い女と赤ん坊に。
大都会の隅で、もうすぐ死ぬ主人公に拾われた若い母親に。
デンマーク、スウェーデンの「未来を生きる君たちへ」では、
主人公たちが、家族再生という枠組みだけは、自力で取りかえす。
当然といえば当然だ。
教育と国家の保護を獲得している北欧の親子が、主人公だからである。

勇気は、愛から。
愛は絆から。
絆はもともと血から。
できる努力はまずそれ。
そこに未来が見えてくる。
そういうことなんでしょうね・・・・・・。


でもヨオ、なんどでもなんどでも おいらに言ってくれよ
地球が破滅するなんて 嘘ダロオ、ウッソ、ダロオ!?
-RC covers-






2011年12月26日月曜日

自己肯定感について


A さんへ。

年の暮れは忙しいのでしょうに、お手紙をありがとう。
ブログを読んでくださって、とてもうれしくて。
あなたはむかし、「しゃべらない男の子」だったのですって?
そんな感じはいまも残っていて、その女の子がお母さんになって
赤ちゃんを抱っこしているなんてと、微笑ましいです。
リソースルームであの子とすごした一時間ちょっと。
「ぼくの家、難しいパズルがいっぱいあるよ」
ポツリと彼が言いましたっけ。子どもらしい高い声でした。
でも彼はつぎつぎパズルをこなしながら、黙ってもいたのです。
だから、私も、思うことをあの子に言えました。
「あなたは本当にかしこいヒトなのね」
それが、ちゃんと伝えたかった、私の思うことでした。
機会もなくて、あの子と私はそれ以上親しくなることはなかったけれど、
自分は本当は賢い人間であると、苦しいとき彼が考えるかもしれない、
だってそれはホントウなんだから。時々そう思います。
よい思い出です。

似たようなことでお話しをしたいのは「自己肯定感」についてです。
お手紙に、そのことを考えたらドキッとして、急に不安になったとありました。
自分らしさや自信は、家庭ではぐまれた「自己肯定感」の上に育つという、
なにかこう理路整然みたいなホラ話に、あなたみたいな人まで
ヒョロヒョロひっかかってしまうなんて、どうしたのでしょうか。
「自分らしさ」「自信」「自己肯定感」。
一生かかってもつかまえられないウナギみたいなシロモノだと思いませんか?
それともですよ。
自己肯定感って、常時手ごたえあって当然の、人間建築の土台ですか?
それで、親とか教師だとかが建造責任をとるのですか?
本人の許可なしに? 工期を指定して? 
人間は、どこどこまでも人間で、コンクリートじゃないのです。
あなたは私がシッカリ教えたら、一年間でシッカリ自己肯定感をもてますか?
そんなばかな。

むかし、あなたはずーっと黙っていた。小さかったのに。
それは、幼いあなたが自己を肯定し、周囲を否定したからです。
そういうことができる子ども、強くて賢い子どもだったからです。
あなたの子どもは、黙りこくるかわりに、あなたに言いました。
「おかあさんになりたくないな。だって いそがしくて こどもとあそべないでしょ」
子どもと遊ぶことがヒトの最大の希望だと信じて疑わない、幸福なことば。
ひらがなで書いてみると、のーんびりしたひびきの。
あなたのお子さんは、子どもである自分を100パーセント肯定している。
あなたの子育てがとてもよかったので、はっきり不満をことばにできるのです。

「自己肯定感」という単語と、「環境不備」「児童不満」という単語をごっちゃにして、
ありもしない罪を引き受けてはいけません。
混乱をさけ、論理的にべつべつの道筋で考えてもらわなくては。
自己を肯定している子どもは、泣いたりわめいたり、自己表現もいろいろです。
自分がダメだと思いこんでいる子は、とりつくろってばっかりです。
身におぼえがあるでしょう?
ですから、自己肯定感という見たこともないシロモノに関するかぎり、
子どもからいろいろ文句を言われるあなたは、とりあえず安心してよいでしょう。
しかし文句の内容については、まあ謙虚に検討吟味して・・・・・。
きける話と、がまんしてもらう話があるのは当然です。

この人生は、3・11以後とくに、子どもが考えるほど簡単なものじゃないのです。
お母さんが小さいあなたのために戦うならば、子どものがまんだってだいじです。
いただいたお手紙みたいに私の手紙も長くなりました。
そう、冬休みをつかって、こころゆくまでいっしょに外を歩いてあげてください。
よいお年をね。


2011年12月25日日曜日

映画 BIUTIFUL


「BIUTIFUL」
2010年 イニャリトゥ監督。メキシコ、スペイン。

映画を観て何日かが過ぎた。
映画館では感想というものを持つことができなかった。
宗教に無縁なせいか私などはただもう、
画面からあたえられる「世界」をウ呑みにしてしまう。
あふれんばかりの悲惨、苦悩、無力、汚濁、孤独、無能力に見入って逃げられない。
やりきれないのに途中放棄など考えられない。
緊迫感のある映像とキャスティングによって、興味がかきたてられ、
大都会に生きる人々の餓えの恐怖、瀕死の生活にわが身を重ね、
これからいったいどうなるのか、主人公とともに苦しんで絶望するしか。

貧富の差は警察の出現であきらかになる。
警察が介入する時、
貧しい方は必死の動作で逃げまどい、
富めるほうはよけながら見物してしまう、旅行者のように。

スペインのバルセロナ。末期癌で余命二ヶ月と宣告された男。
彼には別れた妻がいる。躁鬱病に呑みこまれた女。
二人の子どもをこの妻からムリに引き離して、彼がくらす大都会。
死者のことばをききとる霊能者ウスバルの生業(なりわい)は、
移民の職業斡旋、まご請けの口入屋である。
彼のみょうな優しさ、彼の枯れることのない愛、彼の手遅れな後悔、
彼の際限のない受容。ちぐはぐな苦しみに満ちた怒り。そして無力の果ての死。

映画は若い、清潔な印象の若い男と、
すばらしく美しい微笑を見せる中年の主人公ウスバルの出会いからスタート、
長時間をかけて現代バルセロナをめぐり、最初の出会いに還っておわる。
男はウスバルが現実では逢わなかった、20歳で死んだ父であり、
父と子は、死の瞬間、いわば精霊の世界でしか交差できはしないので、
したがってこの映画は、
父とはなにか命とはなにか、という人間存在を問うことになる。

しかもウスバルという瀕死の、半端そのものの男を、
驚くべき容貌の俳優が演じているので、
観客はこの映画から二重の暗示を与えられることになる。
ハビエル・バルデムはこの作品で、
カンヌ映画祭主演男優賞、アカデミー主演男優賞に輝いたというが、
最初のワンシーンで、これからその全容を知ることになる悲惨な現代世界へと、
観客を、引きずり込んでしまった。
このキャスティングには驚嘆すべきものがある。

バルデムという俳優は美貌だろうか。
なみならぬ人間そのものの美貌である。
ハビエル・バルデムはルオーのキリスト像のような容貌をしている。

お定まりの垢じみた上下のスポーツ着で、このキリストの顔をもったバルデムは、
大都市バルセロナを右往左往、アフリカ人を強制送還させ中国人を大量死させ、
無力にもそういう破目になってしまう男の、複雑きわまりない悲嘆を演じる。
もしもバルデムという俳優の、仮面といいたいほどの容貌を盾にしなかったならば、
この映画は単なる記録でしかなくなったろう。

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の力量を讃えたい。
ただもうそれだけしか、映画館の椅子の上では。
自分は旅行者のように、よけながら見物、という人生を送ってしまったのだと
それが本当に恥ずかしく思われた。


2011年12月21日水曜日

ア・ページ・オブ・パンク 12/17


真っ暗になった。
「ほら、ヨコ」
シェルターは満員。総立ちである。
入り口ちかくの階段でつつかれてヨコを見たら、
なんとすぐそこの壁に黒いクモ男みたいなものが張り付いているのだ。
「ア・ページ・オブ・パンクのボーカル」
ステージではもう派手な演奏が始まっている。
ここからマイクの前までどうやって行くのか満員なのに。
蜘蛛男は壁にかたまったままガンコにポーズをくずさない。
私があいた口がふさがらないでいると、
目のまわりマッ黒の白い幽霊じみた細身白ひげのサンタクロースが、
パッと振り向き、こっちによってきて階段の手摺をくぐり抜ける。
天井の鉄パイプにぶら下がり、空中を、おどろく喚声にあおられて、
マイク前へ、ステージへとすすんでいく。

たいした気晴らしではないか。思い出すとみょうにおかしくって。

フジロッキュウ、北海道のバンド、ア・ページ・オブ・パンク、GOROGORO、
そしてThe SENSATIONS。
12月17日のシェルターは、The SENSATIONSの主催ライブであり、
彼らのファンで会場がいっぱいだと聞いた。
その通りの光景だった。
混雑密集、立錐の余地もない。スゴイ人気。

「ロックンロールの基本理念は、イヤなことはイヤ ということだ。
思ってることが形を変えずに表現できる。
3分間に言いたいことを詰め込める。複雑なことは言わない。
たまらなく良いわけではないが、他のものよりはいい。
文章は与えられた環境がよければ有効性をもつけど。
だけどロックはパワーがあるから。
わあっと盛り上がれる、共通の基盤で。今の社会で、
目にみえる形でそうやっているのはロックンロールだけではないか。」
質問した私に長男が説明したことだ。まだ二〇世紀というとおかしいが、
初期のア・ページ・オブ・パンクをはじめるよりもっと前、
なんだか鋲だらけのカッコウをし、長靴、頭髪モヒカン風だったころ。
何年たとうが生活がどう変化しようが、この考えは彼の一部なのだろう。

この日のア・ページ・オブ・パンクの、とにかくの陽気。
場内の、いえばコンクリートみたいにかたまった数々の無表情、
まとまらないというかたちに沈殿した熱気。
The SENSATIONSにしか期待しないのだろう圧倒的満員の相手を、
ア・ページはゆさぶり、自分らの空気で、攪拌した。
まがりなりにも「イヤなことはイヤ」を共通基盤にするべく言語化、
ひるんだ場内は一度ばらけて解体するが、それを再度たてなおした。
パンク。参加者との強引な駆け引き。
そんなことができるなんて、どんなにかみんな楽しいだろうね。
終始おかしがらせて正体をくらまし、さっさと切上げてしまう奏法なり。

ついつい笑っってしまった。



2011年12月15日木曜日

しゃべらない男の子


遠く、近寄りがたい子ども。
まるで別の星に住んでいるような彼の寡黙。
しゃべれないわけではなく、しゃべらないのだときいた、ほとんど誰とも。
賢そうな大きな目。冷淡にみえる頬の線。ふっくらした唇をかたく結んで。
病気をしたので入院生活がながく、一年おくれて幼稚園にもどってきたのだ。
知的な人間になる、そういう約束がもう見えるような内省的な表情に、
なにか普通とはちがうものがうかがわれ、私はその子が好きだった。

ある日、クラスのみんなと遠足にいくことを絶対拒否したとかで
「だれもいないので、一時間ぐらい相手をしていただいていいですか」
あの子をよく知るチャンスなので嬉しかったが、不安であった。
私は社交的、相手は極端に非社交的。私は65才、あっちは5才。
ベテランの職員はこの子どもを相手に、いったいどんな時間をすごすのだろう。

・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・。
むろん、部屋のなかには沈黙がたちこめているわけで。
「本を読む?」・・・・・・「じゃ自分で遊ぶ?」・・・・・・・「ええと」・・・・・・・
・・・・・・・・・・。
私はしまいにヤケをおこし、子ども用トランポリンに腹ばいになってしまった。
長い時間がたっていく。
「向こうのパズルのほうがいいと思うわよ」 
「だってさあ、それ、あなたにはカンタンすぎると思うのよ」 
子どもは、かたかた動きまわっている。背の高い子だ。
あれで遊びこれで遊び、あれを出してこれを出して、それをしまってこれもしまって、
私を無視したまま、彼はだんだんに黒板に近づいていく。
ただ見ているのに飽きてきた私は、テーブルのほうへ歩いた。
あーあ、どうしたらよいんでしょ。
彼は絵を描いている。何本もの電信柱だ。上手である。
「ふうん、じょうずだね、電信柱?」
そうしたら不機嫌な声ではじめて口をきいた。
「木だよ!」

われながらいやになっちゃったけど、でも子どもが私のそばにきた。
だまって、大きな瞳をすえて私が難しいほうのパズルをやる手元を見ている。
なんでこうもだまっているのか。
この子は、一日中だまっている。
そんなにだまっているんだから、物音を私より何百倍も聴いているのだろう。
参加せず、聴いているだけの世界って、どんなものだろう?
私は、彼といっしょに黙ることにした。
幼稚園に就職してはじめて、「聴く」という作業に専念したのである。

詩人にして作家である人々、たとえばウィリアム・サロイヤンのような人は、
しばしば沈黙についてものがたる。彼らは、レストランで、病院で,
人生のつらい局面で、騒音が奏でる音楽に注目するのである。
そういえば、この子は、入院していたのだった。
幼い身で、病院がたてるたくさんの複雑怪奇な物音を、
ただもう聴いているしかない長い時間に耐えたのだ。

私の耳と子どもの耳が、おなじ音をきく。
・・・・幼稚園がたてる音は、いろいろだ。
風、砂、お鍋が落ちる音。ブランコの金具の軋み。あしおと。時間を告げるチャイム。
「あーっ、だめー、ごめんそれやめてーっ」
まるでテレビタレントみたいな、安手なさけび声。
こういう音をたてているのだと、ろくに考えないでつい集めてしまったモノの集積。
「幼稚園って、ヘンな音ばっかりする場所なんだね・・・」
だまってとなりで息をしている鋭い目の少年に私は言った。
どう改革することもできないし、今のままを受け入れよということばも持てないで。


2011年12月11日日曜日

滑稽な祈り


滑稽な思い出。

すこしむかし。
団地の集まりから、家にもどる途中のことだった。
無神経、失礼、ナニ様なのかアンタは、等々、等々!
カンカンに怒った私は、路上でバッタリ出会った知りあいの奥様に、
いま、こんな侮辱をうけたウンヌンカンヌンと言いつけ、
「もう頭にきた。あんな人、死んでほしい。ガンかなんかになればいいんだわ!」
この言い回しは、私のふたりの息子の、より激しやすい方が、
時々会話の途中にはさむ捨てゼリフで、彼からの借用である。
奥様は親切な方で、
ふーん、ふーんと大真面目に話を聞いて下さり、
「そうですね、それは本当に失礼だわ、あなたのおっしゃる通りです。
あなたが腹をお立てになるのはホントごもっともですよ。」
この方は私とちがって終始年下の私にも敬語の文体。
問題の解説までしてくださり、最後はにっこり、
しっかりと温かな声音で、次のようにおっしゃったわけである。

「あのですね」
ええ、と私。
「ではね、あなた。わたくしがお祈りをしてさしあげましょうか?」
お祈りって? と私はたずねた。
そういえばこの奥様は熱心なクリスチャンなのであった。
「ですからイエスさまに、あなたのお願いを叶えていただけますようにって。」
私の? お願いをですか?
「そうですよ」
なんておっしゃるの、イエス様に?
「ええ、ですからね、その方がガンになって、死にますようにって」
「!」
「お祈りしてさしあげましょうか?!」

「だって」と私は言った・・・私って無神論なのである。
そんなこと。そんなお祈りをして大丈夫なんですか?
神様やイエス様に、そんなこと頼んじゃってもいいんですか?
第一、きいてくださるかしら?
・・・・・会話はウソみたいに進行、奥様は目をくりくりさせてニッコリし、
「それは、わかりません、お祈りをきいていただけるかどうかは。
なにしろですね、右の頬を打たれたら左の頬を差し出すようにって、
そうおっしゃっるような方々ですからね。なんともわかりません。
でもね、こちらからお願いするのは自由でしょ、ね?」

ユメみたいなことが起こった。
そんな自由が、お祈りにあるなんて知らなかった。
「赤毛のアン」だとか「足ながおじさん」の世界ならともかく、
ここは、夢も希望もないうちの団地の灰色の路上だ、北風が吹いているのだ。
こんなおかしな会話ってあるもんだろうか。
なんだか傑作、笑えてきちゃって、私はこの冗談にノルことにした。
フンガイしていたからである。
「おねがいします!じゃ、お祈りしてください、ガンになって死んでほしい!」
「わかりましたよ!」
奥様は力づよい声でうけあい、私たちは左右に別れた。

「つぎこさーん、つぎこさーん」
家に向かう私を、うしろから誰かが呼ぶ。振り返ると、奥様が走ってくるのである。
彼女は息せき切って私に追いつくと、両腕にあまるほどの量の花束を持たせた。
大輪、深紅色のみごとな薔薇の花束である。
「いい?、これはね、深紅でしょ。あなたの怒りの深紅ですよ。ねっ!」
娘夫婦のために昨日、家の薔薇を伐ったのですけれどと奥様はおっしゃり、
「もう子ども達も帰りましたから。あなたの怒りの記念にさしあげますわね」
にこにこ!

こんなお話をしたところで、誰が信じてくださるものかしらん。
あれから何年もが経過し、ときに、私はお祈りの対象のダンナとすれちがう。
健康!



2011年12月6日火曜日

美術教育粗悪版 東京


家族新聞への投稿記事を読む。

ある日の一年生の図工の授業で。
各々が育てたあさがおを描こうという時、
先生はこう皆に呼びかけます。

「はい、まず画用紙を縦にして三等分に折りましょう。
そしたら、一番下の場所に植木鉢を描きます。
青のクレパスで描きます。
植木鉢から画用紙の上から2センチくらいまで支柱を4本描きます。
支柱ってシチューじゃないのよ。わかるわね?
黄色で描きます。
それが描けたら次はあさがおの花を描きます。
どう描いていいか分からない人は観てください。
黙って描きます。はい、どうぞ。」

出来上がった作品は似たようなもの。
個性が出ちゃった(!)子は、
「先生の話をちゃんと聞いてなかったでしょっ」
と、おこられます。ああ、気の毒。


どこの小学校だかしらないが、子どもにこんなこと。
あーあ・・・・。


2011年12月4日日曜日

わたしが見た美術教育 甲府


最初、甲府へでかけたのは、石部紀子さんにお会いするためだった。
大学時代の友人が、とてもよい美術教育をする人がいる、と案内してくれたのである。
甲府の、歴史のふるいその幼稚園をたずねると、
職員用多目的ホールみたいな場所に、石部さんの大きな絵が懸けられてあった。
やわらかなタッチの、あかるくて、心のひろそうな、自然な・・・・。
美術を担当する専門家として、石部さんは大事にされ、ところを得ているのだ。
それはとても印象的で、気持ちのよい光景であった。

二度目、私は職員をつれて石部さんの美術教育を見学しに出かけた。
進徳幼稚園では、私たちのために、石部さんの美術の全体がよくわかるように、
年少、年中、年長の時間割りを一日に組んでくれていた。
思い出すと、そのたびにうれしい。
教育にかける情熱が、まっすぐ鮮やかに表現されて、けちなところが微塵もないのだ。

さて。
進徳幼稚園の美術の時間のどんなことも、私には新鮮だったけれど、
5才児のクラスで見たことを、伝えたい。
石部さんは小柄で、疲れたような、いかにも主婦らしい人だけれど、
なんだかとても、すばらしかった。
彼女はまずはじめに、子どもたちに、これからなにをするのか説明する。
「みんなはもうじき小学生になるので、今日は筆の使い方をおぼえましょう」
つかう道具もはっきり、道具のつかい方もはっきり。
学校に行ってもこまらないように。
ごたごたしない。複雑にしない。単純なことだと、子どもに思わせるのだ。

子どもの道具の準備がおわると、そこからが芸術である。
そこからが、石部紀子、だ。
「今日、先生は、みんなに地球の色を描いてもらおうと思います」
地球ですって!
地球という私たちが住む惑星のかたち、それは地球儀でわかる。
そこに人間は住んでる。私たち日本人はここに、そしてみんなはいま甲府にいる。
石部さんが保育の小道具として用意した地球儀であるが・・・・。、
それは、めったにないほど繊細で美しかった。文房具であって芸術のような。
しかし、それも単純明快な説明で終わり、いよいよ本題の地球の色である。

「あのね、幼稚園にくる道でね、先生も地球の色を集めてきました。」
石部先生が子どもに見せた最初の地球の色は、あざやかな深紅の落ち葉であり、
「みんなも 《地球の色》 をたくさん知っているでしょう?」と石部さんは言うのだ。
このあいだ描いたけど大根、畑で掘ってきたでしょうさつまいも。
ピーマン、ねぎ、きゃべつ、みかん、犬、牛、トマト、人間も。
それみんな、地球の色なのかー。私は、おどろいちゃった。。
子ども達は、せっかちな子はせっかちに、ゆっくりな子はゆっくり、
《地球の色》を、自分が歩いた世界を振り返りながら、見つけていく。
子どもが、注意ぶかく幼い足どりで歩いてゆく世界は、
そうしてみると、なんて可愛らしく、いきいきとして美しいのだろう。

「さあ、それじゃ、これから自分が見つけた《地球の色》を描いてみて!」

紙は子どもが描きやすいような大きさ。
筆はきまっている。
水は必要に応じて自由に汲みに行っていい。
ポスターカラーが前の方に何色も並んでいる。
自分の地球の色にするには、色をまぜてもいいのだ。
深みにおいて万物を知り、そこに踏み込んでいく。
地球の色って、描けちゃうでしょうね。みんなの数だけいろいろと?


2011年12月2日金曜日

映画「かすかな光へ」 ー大田 堯


幼児教育でカンジンなのは、「きらいにしない」ことである。

たとえば美術、たとえば音楽、たとえば体操。
こういうものがだいっきらい、という子どもの心のなかには、
ニンジンやピーマンがきらいというのとは、ちがうものがある。
劣等感覚、おびえ、消えない心の痛み。
そこからはじまるだいっきらいは、けっこう一生もので、ガンコだ。

おとなになって、独立したとき、
苦手やだいっきらいがたくさんあったら、どうなる?
あとずさりばっかりする若者になっていたら?

そんな結果をまねくなら、可愛がるだけのほうがずっといい。

「かすかな光へ」は、
教育学者の大田 堯(おおた たかし)先生を描いた映画だけれど、
学者という職業のもつすばらしさを、ひさしぶりに思い出した。
先生は、今では93歳になられたのだという。
しかし、こういう方は学問が、
もうなんだか「大田 堯」という人間のかたちになっちゃっているので、
由緒正しいのにユーモラス、
教育学だって、先生の人生そのものなんだから、とてもわかりやすい。
製作者たちが、大田先生の素晴らしさをよく知っているからこその映画である。

人間は、みんなちがう。
人間は、変化する。
人間は、他者と関わることでのびる。
教育という仕事は、それをお手伝いするだけだ。
この原則を現場でどう具体化させるか、という教育学。

先生は立派な人だけど、べつにだれとも似ていない。
先生は、たぶん勉強が大好きだったから、勉強を中心に変化した。
先生は自分とはちがう土壌で生活する人たちに、たえず集まってもらって、
そういう人たちから、人間について学んだことを、学問にもどした。
教育学に。

学問的態度としての心のひろさと探究心。
人をこうだなんてきめつけない好奇心。
講演をきくたび、びっくりさせられたことを思い出す。
幸福そう。90歳をすぎても一生のユメを追って。
映画を見ると、つい自分にもできそうだとサッカクしてしまう・・・・。
でもね、だれにも真似ができないとなると、教育学にならないでしょ?