2012年3月22日木曜日

「息もできない」韓国映画の秀作


秀作である。私はDVDで観た。

映画を観ているあいだ中、主人公サンフン(チンピラ)を演じた俳優を
どうやって監督が見つけたのだろうか、と不思議でならなかった。

これはドキュメンタリーではない、劇映画だ。
現実の記録ではなく、物語っているドラマだ。
全画面をウロつく主人公サンフンを、ホンマのチンピラに演じられるわけがない。
この映画の延々たるクソ暴力とクソ暴言の連続に、見ている側が耐えられるのは、
高度で、天才的ともいえる俳優の技術が存在しているせいである。

あとで知ったことだけれど、ヤン・イクチュンという脇役俳優35才が、
脚本も主演も監督も編集も製作もした自主制作作品なのである。
それが本国では映画館に14万人を動員。
100万人の観客を動員しないとヒットじゃないんだとかいうが、
そうやってつぶすなんてくだらないでしょ。

日本人でこの役がやれるのは、と見ながらついつい考えてしまう。
寅次郎になる以前の、肺結核手術前後の「噂の渥美 清」だけかな。

「家庭・内外・暴力」。恐ろしいばかりのヴァイオレンス映画。
しかし、不思議でならないことに、
凄まじさのなかに、かろうじてほんの一分の、微妙きわまりないスキマがあって。
そこでひと息つけるからこそ私たち観客は、
このたまらなくイヤミなチンピラにくっついて歩いてしまう。
見るに耐えない場面の連続に最後までつきあい、なりゆきを見届けてしまう。
なにか目には見えない糸が、観客と画面をつないでいる。
そのナゾが、天才ヤン・イクチュンだったのだ。

素晴らしいと思うのは、映画が物語るなりゆきの果てに
有無を言わせぬ人間解剖の論理が待っているせいだ。
それは、人間の暴力は連鎖するどうしても、という悲鳴と理解である。

脚本は会話で進行するものだけれど、サンフンの姉親子の場合を除いて、
この映画に習慣的罵詈雑言以外の会話はない。
生れた時から暴力語しか知らない環境。
罵倒で話しかけ罵倒で返答。セリフといえば相手への否定、攻撃、脅迫、嫌味。
その結果は当然ほんまの暴力。
コミュニケーションなど期待も存在も許されない、無いものは描けないのだ。
もともとのタイトルは「糞バエ」だそうだが、糞バエの生活は、ブンブンブンブン、
罵詈罵倒以外なんの表現の余地もないのである。

私は数日まえに読んだフランス人アンヌ・フィリップの文章を思う。
対極にあるものとして。
・・・それは世界をこんなふうに描写している。


「 金持ちが幸福をつくるものはお金ではないといい、怠け者がどんな行動も
時間の浪費だといい,無学な者が教育で人間ができるのではないといい、
不感症の女が肉欲を超越したと誇り、不能者がプラトニックな愛情が最も
美しいなどというのを、わたくしたちはいくたび聴いたことか? 混乱を招く
故意の巧妙な偽りである。 たしかに金銭は幸福を作らず、行動は逃避で
あるかもしれず、教育ある人間がより立派であるとは限らず、愛が肉体的
なものだけでないということは真実であるが。 」


金銭、行動、教育、愛。そして真実。人間の関心を例えばこんなふうにくくるとして、
映画「息もできない」の人生には、金銭と暴力という名の行動しか残っていない。
教育も、愛も、真実もうばわれてしまえば、人間はこうなる。
アンヌ・フィリップの知的20世紀は、私たちの21世紀に移行して、
私たちは暴力の連鎖にだれもが思い当たるような世界に生きている
という思いに直面する映画・・・。

「息もできない」は少しでも叙情的であるか?
私たちは、それがないとほめることもできないのだが。
この作品が数々の映画祭で受賞し、世界的に評価されたのは、
叙情的な、つまるところ人間肯定に、制作意図があるからだろうか?

ちがうのかも。

こんなことも考える。
おなじ大地に、「朱蒙ーチュモン」と「糞バエ」。
目が覚めるほどの対比で、われに返るとビックリだ。
日本であれば、「笛吹き童子」と「キューポラのある街」ということになるのか。
私は「朱蒙-チュモン」の説明報告劇画形式がメンドウだったけれど、
そういうところが私の、致命的な欠点なのだろう。
おなじ時代劇であっても、韓国の作劇術だと王様の決定通告の前には、
スタンプみたいにテーブルと椅子、たとえ上意下達ではあってもミーティングの場面。
およばずながら視聴者を交えた議論でナットク、という形式が動かずにある。

日本の大衆大ヒット時代劇って、秀作はべつとして、娯楽作品だとどうか。
無想無念、沈思黙考、次の場面は大広間だ。こんなところでなにが言えよう?
上様の面前では切腹を覚悟しなければ反論はできない。論理は切腹を伴うのである。
ミーティング無き土壌。個人的判断に終始する人生。
もしこれが歴史的真実なら徳川幕府は三百年も続いただろうか、こんなことで?

人類の行いのどこに着目して作劇するかは、けっこうだいじなことであって、
民族の気質のちがいがそこで拡大し、改めてつくられ、意図的に再生もされ、
一見そうとわからないところで、案外その国の未来にかかわってくる・・・。

「息もできない」の知的明晰は、韓国の土壌あってのもの、かもしれない。





2012年3月17日土曜日

文字化けの日の顛末


朗読の日。
「あれはいったいなんだったんですか」ときかれた。
私がブログに書いた文字化けのような一日の話である。
きかれると思ったあ。あんなもの読んじゃったら、
いったいなんの試験を受けたのか、
それでアンタは試験に落ちたのか合格したのか、
そこが知りたいと思うのがやっぱり人情だ。
「教育相談委員の試験だったけど落っこちた」
心理学専攻じゃないと応募しちゃいけなかったらしくて。
「あ、応募資格で・・・?」
「そうだと思うのよ、書類選考でパッと最初から落ちたの」
それとも私の論文に呆れたのかしら。
彼女はあははと笑った。笑ってくれてうれしいな。私は自分も笑ってしまった。
「心理療法士か、そうじゃなければ臨床ナントカの証明書が必要なんだって」
「要項に書いてなかったんですか?」
「注意ぶかく読むヒマがなかった、そんなことしてたら書く時間がなくなる」
すすめてくれた人だって、もしかしたら大丈夫かもと言ってたし。

落ちてもいいのだ。みっちゃんと、けっこう愉快な一日だったもん。

二十歳ぐらいのとき、名優の北林谷栄さんから、いろいろな話をたくさんきいた。
初めて劇団の試験を受けた日、俳優になりたい北林さんは、
あんまり試験の内容がくだらないから、
「なんだこんなもの」
と試験用紙を、ビリリと真っ二つに破って帰ってきちゃった、と私に言った。
「こんな問題をだすようなとこなんか入ってやるもんか!」
俳優が騙る、もとい語る話である。迫力満点、私は目をまるくした。
試験をする側が偉くて受験する側は選ばれるだけ、と思い込んでいたので、
ものすごく驚いた。信じられない思いだった。
勉強ができなくて責められっぱなしという身には、こっちも選ぶんだという気概はない。
北林さんは十代にして、すでにその根性というか気概をもっていたのである。
だから芸術家になったんだ・・・・。

私は北林さんみたいな人間ではないのだから、
うらやましくても、気持ちがそんなふうに動いてはくれなのだけれど、
このエピソードはながく心にのこった。
そういう選択肢をまったく持たない自分と、自分同様であろう日本の子どもとが、
なんだか貧相に思えてならなかった・・・。
なぜ自分たちは、こういう自由な、気概のある人間じゃないのだろうか?
教育まみれの頭がいいヒト(たかい方にいる)が決める試験。
これから学ぼうという人間(ひくい方にいる)の純粋無垢なこころざしや、
希望や理想や感受性をくみとる意志など、まるで存在しないかのような強者先行型。
そういうところからスタートする教育って、いいんだろうか?

よくはない。たぶん、おかしいんだとおもう。

それだから、私の朗読の部屋では作品を撰んだ人の、実感の再確認から出発する。
今回は、エーリッヒ・ケストナーの少年小説「飛ぶ教室」
茨木のり子さんの、少女ふたりをうたった詩と
美輪明宏訳詩による仏蘭西のシャンソン「アコー ディオン弾き」・・・。





2012年3月15日木曜日

朱蒙ーチュモン


なにか韓流の面白い続きものを観たい、と言ったら、
「・・・・これかしら」
紹介されたのは、韓国のテレビ時代劇巨編「朱蒙ーチュモン」。
おそるべき長編で、七十話以上あるという。
教えてくれた二人は、私の前途になにが起きるか、ちゃんと予知できるらしく、
顔を見合わせ、あいまいな笑みをうかべ、少々同情するふうでもある。
所持してる分だけでもお貸ししましょうか、と言ってくれたりして、
これはたぶん、麻薬みたいに、すごくおもしろいのだなと思った。
「朱蒙」「朱蒙」「朱蒙」「朱蒙」「朱蒙」「朱蒙」「朱蒙」となるほどすごい数。
私がビデオ屋さんへ行くと、流行はもう終わったらしく、
ありがたいことに全巻ぜんぶが、ズラズラーッと並んでいる。

それで借りてきて観るんだけど、観ても観てもどんなに観ても続くのである。
いそがしいのに困ってしまう。睡眠時間をけずるしかない。

気がつくとこの映画には、テーブルを囲むシーンがおそろしく多い。
王様の部屋にも王妃の部屋にも王子たちの部屋にもテーブルと椅子がある。
側室の部屋も偉い大臣の部屋も、敵国に行ってもテーブルと椅子。
会議室に長いテーブルと椅子があるのは言うまでもない。
常に誰かが誰かを訪ね、偉いほうが「通りなさい」といい「座りなさい」という。
これはなかなか合理的な方法であって、
そこで膨大な歴史的経過が語られ説明され、
その上どのエライさんにも当然のように密偵がいるから、
スリル満点それが暗躍し盗み聞きし報告し、
「朱蒙ーチュモン」はまさに、「説明報告演劇」と言ってよい。
私の場合であるが、三十五話をすぎるころから、さすがに飽きてきちゃって、
もうしわけないけどテーブルをみるとしゃくにさわるようになり、
ついに飛ばし読みならぬ、飛ばし見をするようになった。
韓国では一週間に一度の放映、それならワクワクするばっかりだろうけれど、
連日四話を一日で、となると、テーブルと椅子が文字通りの目のかたき。

でもなんてよく出来た時代劇だろう。
そんなになっても見ずにはいられないのだから、麻薬的である。

子どものころ、東映や大映や松竹の時代劇をたくさん観たけど、
雰囲気とテーマとが、とてもよく似ている。
むかしは、日本の時代劇だってこんなふうだった。
論理にごまかしが少なく、単純明快かつ麗しい。
すがすがしいのである。

民族の統合、大国支配の否定。弱者救済。長幼の序の徹底。
指導者チュモンの言行一致。そしてあらゆる「敵」の言行不一致。
それがこの膨大な娯楽巨編の理念である。

五十年まえ量産されていた日本の時代劇も、こうだったなあと思い出す。
インテリは一歩ひいていた気配、残念なことで注目をするべきだった。
一九六〇年ぐらいまでの数々の映画、なかでも時代劇の爆発的大流行は、
庶民や子どもの精神風土にぴったりであって、
あるがままの気持ちに支えられてまかり通った事件?だったのだ。
私たちは毎週のように、そこらじゅうにある映画館にかよっていた。
毎週新しい映画が封切られていたからである。
テレビはまだなかったが、そんなことはなんのその、という勢い。
粗製乱造おかまいなし、そのなかから、大作・秀作もうまれたのである。

大作・秀作は当然残り、粗製乱造のほうは私たちには行方もわからない。
くりかえして見たいと思うようなものでもなかった。
今にして思えば、
個々の作品の価値とはべつに、いっときあんな粗製乱造に勢いをもたせた、
国民みんなの高揚した気持ちが、じつは尊かったんだなあ、と思う。
「朱蒙ーチュモン」のもつ、すがすがしくも単純明快な精神を、
敗戦後まもなくの日本もこんなことだった、同じだったと
知っている若い人がいないのがとても残念である。



山花さんの平和トーク


山花郁子さんからお手紙をいただいた。
調布市の西部公民館で講演をするそうである。
<西部平和フェスティバル> という市の催しのひとつ。
山花さんは以前、この公民館の館長さんだったこともある。
三弦の演奏を中国人のフェイ・ジェンロンさん。
そのあとが、
「絵本が伝える平和のメッセージ」
山花さんである。

山花さんのお話は、もう、とてもよかった。
精神まったく健康100%、親切素直、興味深々、元気溌剌、スピーディ。
たいくつしているヒマがない。

最近の北朝鮮見聞から語りおこして、戦時下日本の教育宣伝の体験談。
ブック・トークの活動家としては、さまざまな学校活動、子どもとの交流。
それから図書館の話。教育委員会の話。だって教育委員だったんだから。
そして本日のテーマ、平和を伝える世界の絵本の紹介と朗読。
つまらなそうでしょ? 固い話ばっかり。

ところがそれがそうじゃないのだ!

豊富な話題がピョンピョンぴょんぴょん飛んでいく。
なんにもコワイものがなくなっちゃったみたいな、
「とっても自由な人」を見る爽快。
講演、しばしば短い歌唱入り。上手で楽しい。
非凡なんだけど、限りなく平凡にちかい市民的非凡。
感じがいいのだ。
手芸が大好きで、少女っぽい作品もたくさん。
山花さんのファンがいっぱい、と公民館の職員が言ってたけど、
そうだろうなあと思う。
話したいことがあって、それをなんとかしてみんなに伝えたくて。
「でも時間があんまりないんですよね、残念ですよねえ」
とかなんとか、誰を非難するわけでもなく非難がましく言うわけなんだけど、
そのくせサッサと用意の絵本の山を一心にかきわけて明るく、
「それじゃ早口で」
山花さんたら、しまいには絵本を早口で朗読、それだってちゃんと芸になってる。
感動的でおもしろいのだ、かえって効果的なのだ、あはははは。
「あらこまったわ、わかりますかこんな早口。でも、最後に」
とか言いつつ、子どもたちの読書感想文の紹介にあれこれとりかかっちゃう。
「ええと、これだけは」と、また新しく始める。
これとて素直で心が洗われるようなお話、まだまだ聴いていたい。
アラ話してしまいました、そうですね思わず聴いてしまいました、という呼吸である。

しかし、それはそれとして、なのだ。
山花さんが語る素直で活き活きと楽しい人間世界のスケッチには、
山花郁子のスジというものが、底流に、存在する。
明確なゆずらない認識、これがすご味なのである。

私たちは、国家や権力の「刷り込み」にとても弱いのですよ、という指摘。

はればれと明るい話術を縦横につかいながら、
この日、山花さんが私たちにわからせたことは、それだった。
山花さんってすごい人である。

なにしろ、あさってお孫さんといっしょにアンコールワットに出発!


2012年3月13日火曜日

私の夢など


知らない町を歩いた。蕨ーわらびという町である。
ディエゴがタイタイのスタジオで録音する。
私はタイタイのスタジオが見たくてその町までいったんだけど、
思いがけなく、そこで夢のひとつがかなったのである。
私の夢は、ばくぜんとしてとても小さい。
童話や本を読んでひっかっかたモノを見たりしたいのである。
しらべもしないんだけど、
たとえばルバーブという植物、ニワトコの木、わらいカワセミという鳥・・・・。

よく、童話だとか仏蘭西や巴里に留学した人の本に、
「勾配がおそろしく急で、ころがり落ちそうな狭い階段」
というのが出てくる。
そういう本の主人公はみんな貧乏で、屋根裏に住むのである。
でもタイタイは屋根裏ではなく、
色があるようで無い夢で迷い込んだみたいなカフェの、上の二階にいた。
建てた人はそこをバーにするつもりだったのだろう、
タイタイのスタジオには、カウンターがあった。
そして、スタジオに行こうという人はみんな、
勾配がおそろしく急でころがり落ちそうな狭い階段、を昇るのである!

勾配が急でころがり落ちそうな階段は、一段がすごく浅くてしかも狭かった。
仏蘭西とか露西亜なら、たぶんよじ登るという感じなのだろう一段が、
蕨ーわらびというと、こまかく三段になるのかもしれない。
とにかく、のぼる時もおりる時も、落っこちて首の骨をおるかという、
本で読んだ通りの危険を感じたからおかしい。
私はそこで、もってきた本を終日読んでいた。
それは録音という作業にカンケイのない私にピッタリの本だった。


「 わたしの夢は家を建てることでした。映画のお金で家は何軒か建てまし
たが、建築家として作ったのではありません。自分の理想の家を建てるとき
には、エッフェル技師の助けを借りたいと思っていました。まずは鉄骨を組み
塔を建てます。中にエレベーターを通して、天辺には飛行船を係留するのです。
これが、私の考えた家です。飛行船は風向きによって向きをかえますから、
北を向いて眠りについたかと思うと、南に向いて目がさめる。すばらしいでは
ありませんか。残念ながらエッフェル技師はもうこの世にはおらず、理想の家
も夢に終わってしまいました。 」

《マルチェロ・マストロヤンニ自伝》
小学館


エッフェル技師とは巴里のエッフェル塔を建てた人である。
詩とか、音楽とか、録音とか、歌うとか、
そういう作業のわきにいるには、まことに都合のよい本ではないか。

それから私は知らない町をひとりで歩いた。
空気がさわやかでがらんとした町だった。
四角い疲れた駅舎は、背後の空に、そのとき真っ白い原爆型の雲をおき、
そのもっと上空には、エクレアみたいな横長の白雲があった。
パン屋さんの前の原発反対の署名運動。
歩いている人たちは、パラパラと、なんだかちょっと楽しい顔だった。
ところどころに、いかにも入ってみたい酒場が散らばっている町で、
そのひとつに飲むわけじゃないけど、ふらふら入ったら、
赤い幟(のぼり)に赤い炭酸酒の宣伝の言葉、
「空気なんか読まなくていいよ」
カウンターにはあれやこれや芸品曰くありげ?な酒壜がドンと立っていて、
料理も人も、とても親切で、安いのである。



2012年3月10日土曜日

鶴三会始末 もしも大地震が


鶴三会は、私の住む小規模団地の老齢対策ボランティアの会である。
老人相互で「なんとかしましょう」とでもいうような。

そこで三月九日の金曜日「さっそく茶話会」というのを開いた。
もしも大地震が起きたら
テーマはそれ。司会はそれでもいちばん若い私(ははは)なり。
びくびくしてなんにもしない、よりはずっとマシ、なのだ。

 住居は大丈夫か。
参加者各自と小林さん(わが団地のモト公団関係者)との質疑応答により
参加者の家の欠点および長所が、具体的にはっきりした。
対策のメドもどうやら明らかに。おなじような家に住んでいる強みである。
お互いによくわかってしまうのが、ラクだし、おかしいようだし、安心だ。
震度6または7の大地震であっても、
まあ、鶴三はだいじょうぶ、持ちこたえるかもと安心。

② いつ地震がくるか?(傑作でしょ、わかりっこない)
私は笑ったが、しかしバカにしてはいけない。
深夜なのか、早朝か昼間か夕方かで事情はずいぶんちがう。
とにかく懐中電灯必携
昼は停電のまま夜に移行する。マックラになるのである。
ガラスの散乱にそなえて、かならず寝室に厚底の履物を。
帰宅困難者になった場合は、その場に留まる。二次被害の危険に備えて。

 一番危険なのは台所
デンキによる火事(二次被害)を避けるため、できればブレーカーを落とす。 

 安否確認の方法
地震がおさまったら、かならず団地集会所前に集合。
ブロックの各代表者が安否確認を。九十七世帯。
弱者とはだれか。
高齢者、病人、外国人。あとは幼児と赤ちゃんでしょうね。
とくに心配なヒトについては、だれにきけば判るかを決めなくては。

⑤ 公的機関はいつから利用できるか。
避難所とかトムハウスとか。学校、役所、公民館とか。病院も。
 二日後と考えたほうが現実的。
うちの団地の場合は自宅で待機がよい。
なぜヒトは避難所へ殺到するか。情報が知りたいからだ。
その場合、空白二日間の情報収集、伝達の仕組みがぜひとも必要となる。
それは管理組合理事会にお願いする。

⑥個人としては水、トイレ、食料常備薬。最低三日分。
必須事項については小林さんから、
「現在のところ、これが最もわかりやすくて、適当だ」という一覧表が配られ、
「ぜんぶある」 
「家にあるけど、ひとまとめにはしてない」
「なんにも無い、ぜんぶあるヒトのところへ,借りに行こうと思う」
とかなんとか、いろいろわかれたけれど、あとは各個人の責任だわよね。
必要品はこれだと、それぞれ、よく頭に入りはした。

基本的な問題があらいだされ、
備えあれば憂いなし、は本当のことだというのが結論。
話がちゃんとできただけでもと、ほっとして解散。
二時間の茶話会でした。

2012年3月6日火曜日

花篭のチューリップ


花駕篭に入れる花々。

ブルースターをさいしょにえらんだ。
青い星のような小花をいっぱい。
チューリップはあわいピンクのかすむ白。
それから黄色に緑のまざる、あの人みたいに印象的な蘭の花。
百合をいれましょう、と花屋さんが言った。
・・・白いストック、白いラナンキュラス、それからかすみ草、
花屋さんは白い小手鞠の枝を折っては花々の彩りを整えている。
春めいたやさしい花駕篭。

パチンパチンと花鋏の音がする。
ボーボーとブルースターの花の茎をガスの火が焼いている。
水の落ちる音。
セロファンもぱりぱり。
濃緑の和紙もばりばり。

見送る花だ。
この世から向こうへ旅立つ人のおわった時間を、
無力なまま、ただもうすこし、すこしばかり飾るだけの。

チューリップは、と
花やさんが笑顔で私に、ことわりを言う。
今はまだ蕾みがひらいていないんですが、
あしたかあさってか、チューリップって花がひらく時、
また成長して、丈がすこしのびるんですね。
そうです、これぐらいに、でしょうか。

チューリップは、
伐られて、そのあとも背丈がのびる、成長する。
これからも大きくなって、そうして咲くのだ。
死んで子どもにかえったのかもしれないあのヒトが、
三途の川を元気よく無心に渡っていく、
そのあわいピンクの白い花のような可愛いすがたが、
見えるような気がした。

・・・・・気がすんだのである。



2012年3月4日日曜日

英語の劇の優勝


幼稚園をやめたらヒマになった。考えて多摩市国際交流センター(TIC)の
の英会話クラスに入れてもらう。学期の途中だから中級にしか空席が
なかった。まあいいかーと、例によって入学してしまう。
初級程度の実力だから、なにごともなく済むはずがない。
英語の「会話」のクラスなのに、会話できない、しゃべれない。

そのうち、国際交流を目的とするイヴェントなんかがあって、
クラスのためにポスターをつくってもらえませんか、とたのまれる。
「いいですよ。つくります、つくります。」
英会話ができないから、私の相手になった人は全然ベンキョーにならない。
ポスターぐらいステキなのを作らないといたたまれない。
幼稚園にいてよかった、ポスター作るの楽しいし。

一方、私の英会話パニックは亢進するばかり。
いやでイヤでいやで、もう登校拒否寸前である。
クラスの人たちはいい人ばっかり、親切だしなぐさめてくれるし。
講師は繊細内気なブルガリア人のキリルカさんで大好き。
あーでもいやだいやだ、出来ないっ、やめたいっ。

入学したのが後期だったので、それでもアッという間に年があけ、
修了式というおわりの式がせまって来た。
修了式は「成果発表」である。
それが TIC の恒例だそうで、
タイ語、韓国語、中国語、英語、どのクラスも発表しなくちゃいけない。
そうしたらなりゆきで、中級英会話の私のクラスの人たちが、
台本をこしらえて、演出もしてちょうだい、と言いだした。
できることはみんなでなんでも協力するからと。

英語のできない中途編入の私が英語劇の構成。台本を作って、演出。

「いいです、やります、だけどいいんですか・・・」
オー・マイ・ゴッド!とでも言うべきか。
英語じゃなくて、日本語でみんなに英語の朗読を教え?るのだ。
外人のキリルカ先生にまで、私がニホンゴ英語で指導?するのである。
一週間に一度なんだけど、こんなにいばってよいもんだろうか?
しかも、こうなると英語がどんなにイヤでも、
劇の練習があって、授業からにげることも出来ないのである。

そのうち時間の余裕がなくなって、私も本気になったというか。
練習を日本語の朗読をする時の方法に切り替える。
どうせやるなら、遠慮はダメだ。
私が割り切ったとたんに、みんなも俄然のびのび、
工夫はしてくれる、上手になる、いきいきとした表現がなかなかだ。
まっ、いいかあ、とクラスの人たちの笑顔と協力がはげみである。
「学芸会なんて何十年ぶりじゃない?」「ほんとほんと!」
マザー・グースが土台の単純なパフォーマンスなので、
猫になったりアヒルになったり、教室は鳴り物入りの大騒ぎだ。
修了式の日には、会場の参加者全員が投票(自分のクラスに投票してはいけない)
一位にのみ賞品が与えられるという話。
《WE WILL WIN!》
カッチマッショウ、とキリルカ先生がニコニコしている。

先生は修了式の朝、私たちみんなに、ブルガリアではこうすると言って、
毛糸の紅白のお守りを作ってきて渡してくださった。
このやわらかい腕輪はかわいいビーズでとめるのである。
それで、
私たちのクラス「英会話中級Ⅱ」の成果発表が、一位になった。
優勝したのである。
( 私は英語はできないまんま、修了証をもらってしまいました)
ばんざーい!