2012年4月30日月曜日

おいしい珈琲を飲むには


やっとのことで訪ねて行くと、
ドアをあけるなり、珈琲の新鮮な香りがして、
専門店ってステキなものだ、やっぱり。
小さくて新しくて、スカッと凝ったつくりの、珈琲豆を販売する店。
ここの女主人は、珈琲をきわめるために外国までいったのだとか。
まだ若い人である。一人を幸いその人にきく。

「おいしいコーヒーを飲みたいなと思ったら、どの珈琲豆を買えばよいかしら。
私は特別に好みがあるわけじゃないんですが」
ええと。いつもはどういう銘柄を飲まれるんですか?
「それが行き当たりばったり、なにを飲んでるんだか、おぼえてないの」
わからない? そうですか、でも珈琲はお好きなんですよね?
「好きだとは思う、まあふつうの人とおなじぐらい飲みはしますね」
うーん、なにがいいかしら、こまったなあ。
このまえうちにいらっしゃった時、なにをお持ちになりました?
「キャラメルの香りがした、そうだ、そこにあるクレオパトラだ、あれはいやなの」
ああクレオパトラって、たしかにキャラメルの香りがしますね。
じゃあブラジル系・・・。どういう感じのものがお好みなんでしょうねえ。
「あのね。珈琲らしいのがいいの」
ええっ!
「いや、あの、そりゃ珈琲なんだからぜんぶが珈琲らしいにきまってるんだけども」
珈琲らしい、ですかあ・・・、ええとぉ、どんなんだろう?
もうちょっと説明していただけません?
「飲むでしょ。そうするとふわあっと、ああ珈琲だなあって、
いいなあってホッとするようなのよ、そういうのがいいの。」
エーッ、どんなんだろう、それ?!
こまったなあ、これは!

彼女は試飲のための珈琲を、話ながら私のためにたて、すっと出してくれる。
疲労気味の私は、ありがとうといってなにげなくそれを飲む。
「あー、これだあ。 ああ珈琲を飲んだ、ああいいなあってホッとするわよ、これ!」
そうですかあ、こんなもんでいいんですか、と彼女は笑った。
これ、なんのこともない、ふつうの珈琲豆をつかってるんですけどね。

そうなんだけど、と言って、あらためて教えてくれた。
(1)ヒトが入れてくれた珈琲って、やっぱりおいしいものなんですよ。
(2)ぐらぐら煮え立ったお湯をつかうと、おいしくならないんです。
湯冷ましをして、日本茶をいれるような加減がいいですね、珈琲にはね。
(3)それからやっぱりお豆を古くしないことです。真夏はともかく、
ふつうの気候のときは、容器に密封し常温で保存、が豆にはいい。

さて、あの人ほど、おいしく珈琲をたてられるわけがないけれど、
それでも楽しむことが、私も少しはできるようになった。
ゆっくり、落ち着いて、とそれもコツなのでしょうね、きっと。
それで挽いてもらった珈琲豆の名まえは、モカイルガチェフ。
いかにも、という名まえでしょう。
カンの蓋をあけるとふわーっといい香りです。



2012年4月28日土曜日

絵を買ってしまった


What did you do last week ?
英語の宿題である。
あなたは先週なにをしましたか。
私は絵を買ったのである。
衝動買いのことをimpulse buying っていうのですって。
絵を買ったのはこれで三度目、とくに美術好きでもないのに、
私ときたらビンボーな時にかぎって、魅入られて?絵を買うのである。

初めての買い物は、十九世紀、オノレ・ドーミエの石版画。
岡山。二十代である。
劇団民藝の旅公演の途中のことだった。

ドーミエ展の、石版画ばかり並ぶせまい画廊の壁の途中に、
腕組みをした老婆がバルコニーに立っている絵があった。
スカーフであたまをかくし、げっそり中空を眺めている部屋着姿。
まるで北林谷栄と細川ちか子を足して二で割ったようなこの人物!
私はたちまち、劇団を代表する大女優ふたりの、ヘンテコリンで奇妙奇天烈、
洒落てチャーミングな舞台および日常の姿かたちを思いうかべ、
うわあドラマティックとはこのことじゃないかと、その絵を眺めた。
そのころの私の日々は、舞台に朝から晩までかかわる下っ端生活。
絵を見るにも、神経が劇状態になっていて、舞台を見るように眺めたのだろう。
19世紀の人間だからといってなんだろう。
フランスは巴里のクソ婆あだからって、どうだろう。
私は年がら年中、舞台の上の「外国」や「外国人」を呼吸し、
舞台上の過去や未来の「人生」と、若い自分の人生とを、
あらゆる手段でつなごうとしていた。

ふらりと一人で入った画廊であったのに、
ご主人が親切にも、お金はともかくお買いなさい、と絵を渡してくれ、
うわぁっうれしいと宿屋にドーミエを抱えて戻ると、
「旅先で借金をしちゃいかーん!」
演出家の宇野重吉先生がコワい顔になり、
絵を見てあきれて、オレが払っといてやるからと、代金をもたせてくれた。
「いいか、劇団の会計に毎月、千円でも五百円でもいいから返せよ!」
買ったけど、
四千五百円が俳優教室の生徒たる私の月給だったので、
借金を払い終わるまでがものすごく大変だった。


二度目の買い物は、大山郁夫夫人、大山柳子の「静物」。
画家九十才、ソコヒの手術が終わった直後、最初に描いたという作品だった。
しかし絵は買っても、自宅がモルタル・アパートの六畳、
部屋に距離がないと、絵なんか壁に懸けても観賞できないわけで。
油絵って遠目で見なくちゃ見えないのかー、みたいな生活の柄。
でも、その生活の柄が苦しいから買っちゃったというのが、私の複雑というか。
貧乏が苦しく、三人の子どもがどう育つかもよく判らず、
アルバイトみたいなことばっかりし、童話を書いてもあとが続かず、
ルポルタージュも誰かの代筆も、生活を支えるところまでいかない。
あの不定期収入のヤマサカは思い出してもコワイようだ。

でも、この「静物」を描いた人は九十才。
眼の手術をしたのだ。なんて勇気があるお祖母さんなのだろう。
いまから五十年もたったとして、私は、眼の手術をしようと思うかしら。
栗や、柿や、梨、木の枝や葉っぱなんかを、こんな心で受とめるなんて。
いったいどうすれば、私もすこしはマシな人になれるのだろうか。
こんなにもあたたかく大喜びして自然を思う人間に?
こんなにもすっきりと子どものようにいきいきとした人に?
・・・ダメだ、私はいい人間じゃない。自然なんかにどうしても興味がもてない。
無限につづく、おそらくものを書く上での、つまづき。
お先マックラで苦しいばかりの私は、なんというか、
未来の人格を保証してくれるもののように、「静物」を買ったわけである。
二冊目の聖書でも買うように。


「月」は、わかい友達、私の息子の友人が描いた絵で、
それを私は coolies creek とかいう高輪白金の、レストランで見た。
クーリーときいて苦力という文字が頭にうかび、ああ日雇い人夫の入り江か、
それにしても、白金なんてお洒落なところで。
ちょっと地理が難しそうで電話をすると、そこはインドネシア料理の店だった。
cool はクールなのであるから、まちがえる私がヘンだけど、
そういう個展会場の設定、仕様のすべてが、
私の知っている、絵描きの箕浦建太郎、らしくも思われた。
その日、三階建てのどの階の壁にも懸けられていた彼の絵は、
いかにもそのレストランと渾然一体、調和するように配置されていた。
雨がなかなか降り止まない、昼間から暗い、静かな日だった。
それらの絵を、簡素なcoolies creek の雰囲気とケンカしないように置いた彼は、
どこどこまでも画家であり、
絶対感覚において、自分に不当なほど厳しい人間なのだろうという気がした。

・・・ぼくの頭は水をいっぱいにくみ上げたつるべとおなじでした。
ちょっと首をかたむけただけで、なみだの水がこぼれるのです・・・。
ー「海のコウモリ」 山下明生作 理論社ー
そんな緊迫感にみちみちて美しい「月」という絵は、
描かれた絵の子どもが、私のよく知っている若い母親たちの、
記憶の底の底に沈んでしまっている「沈黙のようなもの」とそっくりで、
しかも幸運なことにその絵はまだ売れていなかった。

ワタシ、ビンボー二ナッタ、サイフハ、クウキョデス、
英語で、宿題なんだから、そう言うと、エドワード先生はプッと笑い、
インパルスバイイング ね。ショッドガーイ のことね、と解説した。
とんでもないことをしたので落ち込んでしまったけどよい買い物ではありました。
と、すらすら英語で言えないのがホントにこまる。
いつもそう。 

2012年4月24日火曜日

ばんざーい 32万筆!


今日の朝刊に書いてあった。
32万筆 署名有効(34万5491筆のうち93・5%が有効)
「原発都民投票」条例制定請求へ。ー東京都選挙管理委員会発表ー

市民グループ 「みんなで決めよう『原発』国民投票」 が必死の大運動を展開。
石原知事に条例制定を請求できることになった。
知事さんは請求文書に意見書をつけ、
たとえばですね、「わずか2%が言うことだろ聴くに及ばんよ」、みたいな。
でも、日本はいくらどうでも法治国家なんだから、ルールは健在。
知事なら請求にこたえて条例案を都議会に提出、そこで論議しなければならない。
ばんざーい!
市民グループの今井一事務局長は言っている。
「誰が原発の再稼動を決めるのか、誰が責任を取るのか、
本質的な議論をするチャンス。
都議会には堂々とした議論を期待したい。」

そうよね。これは素晴らしいチャンスだ。
署名数だってね、34万筆5千なんとかだけれど、
みなさんのなかには、どこでどうやってるかわからなくって署名しそこなった、
という人も多いでしょう。
私なんかも、手遅れ寸前になってから署名簿にお目にかかる始末。
ろくにお手伝いもできないうちに締め切りになっちゃって残念だった。
でも、そんなふうでも、東京都民32万5491人が有効署名をしたのである。
今からでもいい、署名を続けられたら、どんなにいいだろう。
32万筆。なんだこんなものと言う暴言を聞きたくなくて。

しかし、都議会に堂々とした議論を期待したい、と言うんだけど。
都議会議員に議論をまかせるなんて。期待も悪いけどなんだか。
そういう感じ・・・・でふわふわするのが自分としてもこまりものだ。

どうせ数で負けるし。
党利党略の伏魔殿なんだろうし。
もとから政治がイヤだしキライだし。
頼れそうな議員なんかいるのかい、こわいみたいだ。
こういうダメなことを考えちゃう。

その通りだとして、どうするのかということである。

私たちはまず自分自身が、たとえ「堂々と」じゃなくてもいいから、
一度ぐらいギロンしてみる必要があるのではないか。
だれとでもいい、話してみて、自分で自分の考えをシッカリさせる。
議員に議論してもらうまえに、自分の気持ちをまずハッキリさせるのだ。
それぐらいはするもんだと思う。
だって、そこをサボると、せっかくの期待がモヤモヤ下がってしまう。
自分の考えがきまらないのに、いったいどうやってなにを「期待」するのだ。
離婚したいか離婚したくないか、自分の気持ちを自分に隠して、
無表情なまま、裁判所にどうにか決めてもらおうとしたって、
スカッとした答えが返ってくるはずもない。
自分の考えや気持ちをハッキリさせることが、今こそとてもだいじだと私は思う。
期待し、支持する自分が、目的を支える人になるのである。
議員じゃないんだから、理路整然としゃべれなくたっていい。
人前で発表しなくたっていい。ドアの中にいたっていい。
でも考えることをサボるのはよくない。

本質的な議論とは、なんだろうか。
福島原発の事故に関して。
責任は野田首相の言うように、「国民全員」の連帯責任なのか。
それとも政府および東京電力の責任なのか。
責任者はなんのためにいるのか。誰だったのか。
原発の再稼動を、今の政府に決めてもらっていいのかどうか、

これは、いのちにかかわることなのだ。



2012年4月22日日曜日

引き裂かれる判断 ー続き


3月28日の東京新聞朝刊、第一面の見出しはこうだった。
福島2号機
格納容器内7万2900ミリシーベルト 6分で人死ぬ量
東京電力が、3月27日、そう発表したのだという。


こう書いてあった。
「この値の場所に六分ほどいるだけで人間は100%死亡する。炉心溶蝕(メルト
ダウン)した核燃料が原子炉を壊し格納容器にまで溶け落ちていることが、高線
量の原因。これほどの値だと、ロボットでも長時間の作業は難しい。廃炉に向け、
さらなる対策が必要になりそうだ。」

事故を起した原子炉。
7万2900ミリシーベルトの放射能。毎時。
ロボットになんとかしてもらおうにも、
ロボットを動かす肝心の電子回路などなどなどが放射線で壊れ、
現状を調べるための「内視鏡」だって、半日ちょっとで壊れてしまう。
東電によれば、
「高線量に耐えられる機器を開発する必要がある」。
東京新聞の記者の質問に
東電の松本純一原子力・立地本部長代理がそう答えているのだ。

手がつけられない、ということだろう。
13日には、4月12日、今度は福島第一原発4号機が冷却不能となって、という報道。
この場合、1,2,3号機はOK、というわけではない。
もし制御不能の原子炉がここでふたたび爆発したら。
東京など半径250キロ圏内は即座に避難すべき土地ということになる。

ではどうするのか。
ふたつの方法がある。
真実と正面から向き合う。または真実を見ない。

私自身は、現実逃避は悩みをふやすだけ、という結論である。
経験上そう思う。
訳もわからず、いらいらびくびく、が一番よろしくない。
第一このトシになって、なんにも知らないカンケーねえ、は通らない。
なんのために大学教育を受けさせてもらったのか、
なんのために三人の子どもを育てさせてもらったのか、
なんのために結婚をし、離婚をしたのか。
なんのためにびんぼー、ビンボー、貧乏をくりかえしたのか。
なんだか、どうしてもまとまらない私の一生で、
劇団に所属し、物語を書き、学習塾で教え、企業に雇われ、ちいさな会をたくさんやって、
朗読を教え、幼稚園で働かせてもらい、息子たちのロック・バンドのライブをながめ、
たくさん本を読み、たくさんの人に会い・・・。
要領のわるい迷走人生で、たいした人間じゃないが、
原発の事故ってどういうことなの判りません、なんてことは自分としてはナシである。
どんなに頭が悪いか知らないが、そんな権利はアンタにはないよ、と私は自分に言う。

ではどうするのか。
死ぬまでは、生きる、希望をさがして。
希望をもって工夫しながら、自分としては新しく生きよう。
生きのびるための工夫と相談を、みんなとしよう。

子どものとき、子ども用の「人間の歴史」という本が、家の本棚にはあった。
地球にもしもう一度氷河期がきたら、という心配に対して、
しかし、原始人でさえ氷のなかで生きのびたではないか!
そう書いてあったなあと、思い出す。
それはワクワクするほど楽天性にみちた歴史の本だった。
ー理論社版 「人間の歩み」全3巻  イリイン/セガール著ー  

いま、私はワクワク しにくいし、人並みにユーツであるが、
しかし年齢相応の自尊心をもちたいと思う。
そういう考え方が自分としては新しい。
原子炉が例えどうでも、
ウツになったりヒステリーを起こしたりして、弱い者に当たるのはサイテーかもと思う。
自分と自分の身内の心配しかしない、というのもダメだ。
行きづまる、煮つまる、というのも私としては沽券にかかわる、と考えたい。
なんとか相談しながらでも切り抜けるのが、21世紀の人間ではないか。
原始人が氷河期と戦うのと、原子人が原爆期と戦うのと、
どっちがいったい?!

学ぶことだ。
つきあいを拡げることだ。
どうしようもなかったら相談して。
私にとって、誇りとか勇気とかは、そういうことである。

もしも、よく考えて東京から早めに避難しようと思えば、それがいい。
放射能の濃度が低い地域に子どもを疎開させなければならない。
それはどうしても必要なことである。
しかし、ヒトは「健康な肉体」のみで延命できるものではない。
移動が不幸をともなうなら、よくよく検討した結果、それが実行不可能なら、
西へ西へと逃げても、延命になるかどうかわからない。
なにしろ、三年に一度、日露戦争をしているようなもの(加賀乙彦)、
自殺者があとを絶たないのがわが国である。
だいじなことは、真実とむきあって、よく考えて、
人間的な決心を自分の力で見つけだすことだと私は思う。

東京でくらし続けるなら、子どもを生かすために、
おとなは、なんらかの方法で、
原子力発電の再稼動を停める行動にかかわるべきである。
私たちは、「なんらかの方法で」という新しい方法を、
自分でたくさん発見しなければならない。
工夫しなければならない。
そう思う。



2012年4月14日土曜日

渋谷、クアトロ、赤い疑惑


「赤い疑惑」がイースタン・ユースに呼ばれた。
渋谷クアトロでライブ。
すごいすごいと、みんなが喜んだわけが、クアトロに着いたらわかった。
クアトロ×イースタンユース。しかもソールド・アウト。

ここは、こだま和文さんのトランペットを聴いた場所だった・・・。
ライブハウスに慣れないころで、椅子をさがしてこわごわ満員のホールを歩き、
やっと見つけた背の高いスツールにむりやり腰掛けると、こだまさんのお母さん
がそこにはいて、昔はこんなもんじゃなかったですよ、と嘆くようであった。
こんな超満員の盛況なのに?
こだまさんのバンド「MUTE BEAT」1982-1990 の栄光がどれほどすごい
ものだったのだろうかと、想像せずにいられなかった。
・・・こだま和文さんが、その日、とても素晴らしかったのはもちろんだ・・・。

さて「赤い疑惑」である。
私は作家 ーというとおかしいが、彼はまだ作家ではないからー の、
アクセル長尾に前から、好感も好意も好奇心も、もっていた。
昨夜クアトロには、そんな若い人たちが大勢いたのではないか。

「赤い疑惑」のファーストアルバム 《フリーターブリーダー》が好きだった、
大傑作だと今も思って彼らのライブがあれば出かけたい、
参加すればわるいけど無意識にも あの頃 を、ついさがす・・・。
なんであれ、デビュー第一作目を越える作品を創ることは至難のワザだ。
才能があればあるほど、
そこに彼らがこれから創る作品のあらゆる種子が横たわっているからである。

しかし、だからなんだと言うのか。
捨てる神もいるだろうけど拾う神もたくさんいるのだ。
「赤い疑惑」の主催するライブは大したことにいつも人を集める。
演奏の完成度だとか立派だとか凄いとかだけがライブの成功とは思わない。

あの頃の彼らが、たまたま表現することができたもの。
虚しい労働。純粋な生活観、シャープな思想、えんりょがちな希望、ムリもない夢、
愚痴と悲しみと悔しさ。その皮肉。粋で陽気な居直り。にじみだす怒り。
私たちが好きなのは、表現された曲の根底にあるアクセル長尾の知性である。
なかなかほかでは出会えない彼のセンスと、感受性のありようなのである。
時代を生きる自分たちとイコールであるような。
等身大の。しかもすぐれて下品じゃない若者。

そこが、アクセル長尾たちのスタートラインだろう、と私は言いたい。

ファーストを越える作品を、「赤い疑惑」はなかなかつくれないでいると
私は思うが、傑作《フリーターブリーダー》 がもう存在しているのだから、
いつか、かならず第一作を凌駕するものは生れるだろう。

思うに、きのうのライブは残念なライブだった。
イースタンユースは、「赤い疑惑」をかるくヒネッてしまった。
ああいう大物(なんでしょ)と対抗するには、「赤い疑惑」そのもので戦うことだ。
イースタンユースって体育会系だなあーと、
なんだかそう思ったのは、「赤い疑惑」の演奏が先行したせいだろうか。
そうだとしたら、それこそ「赤い疑惑」の個性が届いた結果、ということだろう。

ステージとは生きもので、とりわけロックバンドのライブはそこが厳しい。
私は、昨夜の「赤い疑惑」は、自分たちのファン(政治なら支持者というところか)より、
自分たちを呼んでくれたイースタンユースの眼力を意識の上においたと思う。
したがって構成が分裂。生粋のファンがのりきれないで終わってしまったと残念だ。
位負けとはこのことで、無理もないけど、くやしいじゃないの。
舞台の上は下克上、数のたたかいなら、勝てる芽もあったのに。

ガンバルぞー、とアクセルは言った。
生きなきゃならないから、と。
ああ、いくらなんでも残酷無残なこの日本という国で、
私だってそう言いたいしみんなもそう言いたい、解放されたくてここに来る、
「赤い疑惑」の成功に友達が大喜びし、感情移入までもするのである。

昨年の3・11以来、
どんな作品もそれまでの価値を失い瀕死の憂き目をみていると思うが、
《フリーターブリーダー》は生き残っている。
ほかの時ならともかく、昨夜のようないわゆる極東最前線では、
美空ひばりの《悲しい酒》のように、「赤い疑惑」もオハコで戦ってほしかった、
と思うけれどどうでしょう?

最後に、「赤い疑惑」を呼んだイースタンユースの眼力を讃えたい。


2012年4月12日木曜日

天変地異ー引き裂かれる判断


こどもを二人づつ連れて、若い母親が訪ねてきてくれた。
ひとりは家族と放射能をさけて、遠くへ引っ越すのである。
もうひとりは東京にのこって、ここで生きていくのである。
この運命の裂け目をまえにして、なにを言えよう?
どうすることがよいと?

私にはこどもが三人いる。
ひとりは東京から逃げたほうが、と迷い、
ひとりはもう何年もまえから外国でくらし、
ひとりは幸福は自分の場合、東京にしかないと迷う。

私は、
沈黙も、よくわからないという振りも、
おとながしないものであると思いたい。

DVDでドキュメンタリー映画を観る。
「オーシャンズ」前編。フランス。
副題をー海に生きる生命たち-という。
ジャック・ぺランが制作し、監督し、ナレーターも、俳優だったぺランだろう。
この映画の「解説」を借りて、なんとか考えてみたいと思う。

・・・陸の生物より三十億年もまえから海には生物がいて、
・・・原始、海は生命にあふれていたと、映画は語りおこす。
生命にあふれているということが、どんなに解放感をもたらすものか。
どんなに気持ちがよく、どんなに幸福で、どんなに自由か、
ああ、どんなに、そういう人生が充実して美しいものであるか、
これほどよくわかる映画もめずらしい。

ナレーターが語っている。
「ひとしずくの海の水も世界中を旅してまわる。海の流れが
海水を表層から深層へと運び、北や南へと送り、冷水を暖
水とまぜる。その流れを知らない海の生き物は、大海原を
生き抜くことができない」

この映画はすこし前に作られた。いや例えそれが2011/3・11当日完成したとしても、
この科学的現実を、まちがいだと言うことなどできはしない。
したがって、私たちの国が、海に放水した大量の放射性物質は、世界中を旅してまわ
るのだろう。アメリカも、ロシアも、フランスも中国も、おなじようなことをやっているじゃ
ないかといったところで、3・11の原発事故が、地球に対する致命的な犯罪行為であ
ることにかわりはない。
東京をはなれて、北海道へ行こうと九州へ行こうと沖縄に逃げようと、時間差が多少
あるだけ、解決にならないのではと私は想像する。
世界の広さというものがよくわからないにしても・・・・ひとしずくどころではない膨大な
量の汚染海水が、日本列島はむろんのこと、世界中を旅してまわるのだ。

日本政府は、放射能まみれの瓦礫を日本列島各地に「配布処理」する方針である。
4月3日は暴風大しけ大雨が各地を襲って日本中を引っかき混ぜたが、
なんとかスポットはどうなったろう?

3・11以前はどうか。
今ほど目立たなかっただけ。
海は、原発がうみだす汚染水の捨て場にされてきた。
原子力を使う発電をせめて即刻停止するべきである。
全生物の存続にとって待ったなしの危険だからである。
原発は暴走する。手がつけられない。

海岸からはるか離れた外洋にいるシロナガスクジラをカメラが写しだす。
そうだ、シロナガスクジラというものを私は絵本で知ったのだった。この絵本を朗読し
たのは障害のあるこどもの若い母親だった。彼女が、いちばん好きな本はこれです、
とみんなに話したのをおぼえている。だから、画面のシロナガスクジラを私は親しみを
もって、眺めるわけである。

地球最大の動物であるこのクジラは、30メートル、120トン。
心臓は600キロ。
舌がゾウ一匹の重さ。
ヒレは小型の飛行機ほど。
もういなくなってしまった恐竜のような。

シロナガスクジラはひっきりなしに主食の栄養源をさがしている、と映画は言う。
むりもない。いったいどれほどの分量を捕食すればよいのか? 
そこでオキアミが登場する。
シロナガスクジラは一日に4000万匹のオキアミを食べるのである。
それでもいなくならないのだ、オキアミって。

映画のオキアミであるが。
オキアミのあかい群れを見て思い出すのは、レオ・レオー二の絵本「スイミー」だ。
このあいだ、むかし幼稚園を卒園しておとなになった女の子が、渋谷文化村のおみや
げに、ステキな「スイミー」のカードをプレゼントしてくれた。
その女の子のお母さんが、朗読を教えて以来の私の友達だからである。
レオー二は、もしかしたらこの映画を観て、絵本を描いたのかしら?
太陽の光をさえぎるほどのオキアミの密集・・・・オキアミは敵から逃げようと、群れの真
ん中に逃げ込み、ふしぎな形をつくりだし・・・・シロナガスクジラのほうははもちろんこの
群れをひと呑み・・・・。私はレオー二の絵本の、一匹だけちがうオキアミのチビを思い浮
かべる。群れまいとするただ一匹のチビを・・・。
群れないチビと、逃げおくれたチビと、大群のなかに身をかくすチビと。
この大海原にあって、どのオキアミが生き残るかを、しかし誰が知ろう?
それはオキアミの場合、運命がきめることなのである。

いったい人間も、そうなのだろうか?
原発の爆発を前にしても?
オキアミのチビのように、逃げ切る者もいるのだろうか?
むかし三十万頭もいたというシロナガスクジラは、
人間の乱獲によって絶滅寸前だけれども。

三十万頭という数を三十万人になおすと、
加賀乙彦さんの「不幸な国の幸福論」2009年 の数字を思い出す。
日本人の三十五万七千八百五十四人が(2008年までの)十年間で自殺。
加賀さんは書いている。
「日露戦争の戦没者数は約八万八千人。
日本は六十数年一度も戦争をしていない平和な国だと誇ってきたけれど、
これでは三年に一度、日露戦争をやってるようなものでしょう。」

日本の民は、いつも、戦争がなくても苦しい。
苦しくて、早く命を捨て、可能性を葬るひとがあとをたたない。
しかし、である。


2012年4月9日月曜日

突発性ウツのヘン


きのうはなぜだか
ものすごく憂鬱になった
このまま死ぬのかなーと思うほど
この発作?はなんだろう
悪いことしか考えられない

なにかあったわけじゃない
引き金ナシの墜落で
やみ雲にきりもなく
白波のように
憂鬱が襲いかかる

さきゆきの不安
自己嫌悪
際限もない反省
理由のない孤独感
取り返しのつかない心の痛み

だれでもみんなが
こんなふうなのだろう
苦しい時代だから
多かれ少なかれみんなこうなんだ
そう思ってもそう思っても

いつもなら逃げ込む手当ても
ぜんぶがダメで
努力ができず横にもなれずで
用事なんかも
何キロも何キロもむこうにあるようで

これは病的
これは発作
これはクセ
これは気分
これにはなんの重大な意味もない

と考えたい地球の上に夜がくる
あしたはこんなじゃないかもしれない
いいからそれをためしてみようじゃないの
と思い余って今朝が来たから
おそるおそるどうかとのぞくと

理由もないのにきのうときょうは
なんだかスンナリとてもちがうのであーる!


2012年4月5日木曜日

ことばの働き・団地の総会


総会に出席。

はなっから「高齢者対策」という五文字の氾濫で、
しょうがないのか言われちゃってもと、
おとなしく耳を傾けるうち、
あのねえ、対策、対策って、高齢者対策って。
考えてみるとイヤな熟語なんだなあと思うようになった。

だって、みんなトシはとるのでしょう?
あきれたというか。
トシってとっちゃいけないの・・・本気でそう言ってるの?

人類って、この私って、みんなも、トシをとるとただ劣等になるのみ?
ひがんでるんじゃない。ふんがいしているのだ。
私はこれでもこの団地の戸主の一人なんだけど、
その程度じゃ、もう高齢者で対策されちゃうの?
戸主になる、戸主をやる、
さんざん努力をしてきた。今だって努力はしている。
信じないかもしれないけど、
私は若い時の私より今のほうがまだマシ、まだ利口。
トシをとるって、そういうところもあるでしょう?

女性が極端に少数だから、つい言っちゃうのですが、
見たとこ、人品骨柄、けっこう立派な男の人の集まりなのに、
なんでおめおめ自分で自分を
「高齢者対策」という失礼言語のワクの中にいれるのだ?
わっからなーい!


「高齢者対策」とは、
役所の上意下達・鈍感部創作の、失礼言語である。
オモテッツラだけ有能な、ナサケ知らずたちが使う役所用語である。
若い人のそういう言動も失礼だと言いたいが、
なんで老人戸主が自分たち用にその言葉を採用するのだ。
自分でそんなこと言っちゃいけない。
人間のチカラはなにも体力と記憶力だけじゃないんである。
ここは会社でも役所の会議でもない。自分たちの終の住処の相談会だ。
みんながとしをとったのに、「それならそれなりに」という考えが、
総会進行の論理のなかに多少でもうかがえないなんて、
ヘンじゃないですか。

ジャパン アズ ナンバーワン!

たぶんそういうウカツな人は、
若いころからバリバリ有能、役人まがいの効率主義、
ぼやぼやしている若者や、オンナ子ども、老人を、「対策」してきたのだろう、
だからみんなウッカリ、老人になって自分のこともそう形容しちゃうのだ。

ぼやぼやしている人は人間的でやさしいのに。

あーあ。
なんだかガッカリしてきて、
うしろのほうから、ざっと何人が老人かしらと見渡す。
97世帯60人出席の、なんだ、ほとんどの人が老人なのよね。
うちの団地って老人の天下!
「資産価値」「資産価値」と言いさえしなければ、
とてもおめでたいことである。
だってそうでしょう?
初代入居でここが気に入って30年。 私などは途中入居なのですが。
40代でここを買い求めた人たちが、
無事もちこたえて70とか80の坂を越えたのだ。
いまさら、もう売らないし引越しもしたくない、というのがふつうでしょう? 
だから、まずお祝いから始めればいいのにね、総会もね。

だれかが高齢者対策、高齢者対策って「錦の御旗」をたてるな、と言ってくれて、
そういう人が複数いる、それこそが私たちの世代のいいところだ、と思ったのですが。