2012年5月31日木曜日

朗読 -文学のみなもと


今回の朗読の会は、各自の用意した作品が浮気の物語へと展開した。
意外や意外。
だって、これを朗読します、とみんながもってきたのが、
人生訓、天台宗発行のブックレット、小学校の国語の教科書、
そして私が用意したのがまた「教育基本法の精神」なのである。
どう考えたって、話は「浮気」のウの字にもならないはずなのに、それなのに。
ははは。

朗読したのは、障害をもつ子どものお母さんたちと、それからみッちゃんだった。
「本間美智子」という人に、できればもう一度会いたいと思う人は多い。
それは、彼女があらゆる意味で特別な人だからだろう。
私には、五年ほどまえに一人の母親から教わったことばが、
けっきょくのところ、みっちゃんの説明としては一番ぴったりだという気がする。
「あなたは、障害から代表に選ばれた子どもです」
この日は、わが子にそう言ったという母親の天才がヨコに腰かけていたのだ。
いかにも朗読が苦手という、内気な顔で。

そうだ、考えてみれば
たしかに本間美智子は、脊椎カリエスが「代表」に選んだ人間というかんじ、
個人としてのあり方が、すばらしい魅力を見せている人である。
障害がもたらすあらゆる苦労をおさえこんで、
みっちゃんが現在表現している美は、さりげなく自然に見えるけれども、
子どもだった彼女にあったものとは、またちがう個性、固有性だ。
すがすがしく気持ちのよい上品さ。
弱者を支えようという意志。
なんといえばいいのか難攻不落の強気と向学心。
笑いだすとのぞいて見えるけど、きれいでおかしなお人よし。
そしてなによりも、
第一級の弱者である、ということ。

これらは大人の魅力である。だってこうなるのってけっこう難しいから。

さて、そのみっちゃんが今回朗読したのが、
剃刀の刃のごとき味わいの、ある檀家さんがお寺にしたコワい相談。
浮気の顛末、タイトルは「病めるいのち」であった。
耳からきくだけの話が、
ききやすい低音と、生活に密着したことばの拾い方に助けられて、
身につまされ、顔をみあわせてしまうような、読後感を生んだ。
優れた朗読はまた、あなどれない話を呼ぶものであって、
浮気をされた妻女の怒りが浮き彫りになるにつれ、
参加した人たちみんなが、まるで数学の問題を解くように、
激しい怒りと恨みがいつまでも燻り続けるのはどうしてか、それを考え始める。

・・・たぶんこういう日を「文学的」というのだと、私は思うのである。


2012年5月23日水曜日

教育学者 大槻 健先生の精神


大学時代の友達が、労働旬報社のブックレットを送ってくれた。
私はおなじものをいつだったか記念に(!)買って、本棚にツンドクこと十数年。
タイトルが「教育基本法の精神」(1997年)。
著者はというと、大田 尭、大槻 健、丸木政臣、三大先生のそろい踏み。
読みやすい小冊子で、手にとるとすごくなつかしい。

というのも、私って中学の時は丸木先生に社会科を習い、大学は大槻ゼミ、
子どもの親になってからは大田先生になんどか講演をお願いしたという、
まあこの人たちの、生粋でもないけど、ジカの生徒だったのである。

ブックレットを手にとると、大槻先生の声が、耳に聴こえる。
先生はご自分の著書を私にくださる時、ニヤニヤして、
「読まなくていい、今度の本は君には難しくてわからんよ」
とおっしゃって。ははは。
私が講演をお願いすると、きてくださって、どこかの赤ん坊といつまでも遊んでいた。
先生には子どもがいなかったのだ。

大槻先生が亡くなるすこし前のこと・・・。
退院のお迎えに行くと、帰るまえに病院の喫茶室に行きたい、と言われた。
それで、混雑しすぎの病院の廊下をゆっくり、ゆっくり歩き、
喫茶室のなかの空きテーブルをやっと見つけて、こしかけた。
退院の手続きをたのむとおっしゃるので、お財布をあずかり、
事務手続きをすませてもどって行くと、みんなが、にこにこしている。
どうしたのかしらと思ったら、
「君の註文したものを僕が度忘れして、どうしても思い出せないんだ、
そうしたらとなりのテーブルの方々が、たしかジンジャーエールとみつ豆って
そう言ってましたよ、と助けてくださってね。いや、ありがたかったよ」
もう先生は、食べることも飲むこともそんなにできない時だった。
先生が註文なさったものは、けっきょく私が代りに食べたのだ。
そんなに長くすわっていたら疲れてしまうと思い、
先生、そろそろ帰りましょうか、とおそるおそるたずねたら、
その時は素直に、あまり素直じゃない人なんだけど、立ちあがり、
支払いをなさって、それから見送りにきた喫茶室の店長にこう言われた。

「ここに入院しているあいだ、君たちには僕は本当に慰めらた。
いつ来ても、親切で気持ちよく応対してくれて、僕は、実に感心していたんだ。
今度、いつここに来られるかどうか、それはわからないし、
来られないにこしたことは無いわけだが、
僕は、君たちに心から御礼を言ってから、家に帰りたかったんだ。
本当にお世話になった、有難うございました。」

とても古典的な光景で、忘れられない。
思い出すとうれしい。


2012年5月22日火曜日

ゴルキの「MIA」ー私的解説


娘がつくったテープのなかで、
私はゴルキというベルギーのバンドの「MIA」がとてもすきで、ブログに。
興味をもたれた方は前日の頁をごらんください。

ベルギーの首都ブリュッセルには、
欧州連合(EU)の本部と北大西洋条約機構(NATO)の本部がある。
だから小さい国だけれど、ヨーロッパ文化はベルギーで交流する。
学校がきらいでも、勉強がいやでも、国家権力をきらっても、
ここの子どもたちは、
バイリンガルなこの街で、世界市民的なセンスをもって成長するのだろう。
ブリュッセルの公用語はオランダ語とフランス語だし、英語を話す人だって多い。

歴史も政治も芸術も、空気のようにふつうの魂に影響する。
お金がない人にだって。

ブリュッセルに行ったとき、
魅せられたようになったのは、ホテルの前の光景だった。
私には、ごちゃ混ぜを好む傾向がある。
「見てよ、遥、見て、見て!」
私は窓からのりだして、娘に、
「見てよ、あの人、これからどこへ連れて行かれるの?」
ホテルはブリュッセル中央警察署のまん前にあって、逮捕された男が
手錠をかけられてパトカーに乗せられる瞬間だった。
ホテルの側の角、警察の前だけど、そこにはゲイバーがあって、
さっき、ものすごい美人が立っていて男たちがとりまいていたけど、遥が、
「お母さん、あれは、男よ」
それにしても、な、なんだって中央警察署の前にゲイバーが?!
さっぱりわからないことに、ゲイバーは夜になると大盛況になるのだし、
かならず悶着をおこして、大騒動になり、
警察のご厄介になりそうでならないんだかどうか、そこいらへんがわからない。
パトカーがなんの目的かたくさん待機はしている。
中央警察署と有名中央ゲイバーって、考えてみるといい組み合わせか。
こんなに警官だらけじゃ、殺人事件に発展することはないだろうし。
ゲイバーの横に、たえまなく口から水を落とす神話的な男の石の顔があって、
昼間見たら、石像がこころなしか疲労しているような気がしたのもヨーロッパだ。
禁止だとか否定だとかを、そんなにカンタンにやらない体制。
懐が深いというべきか、厚顔というべきか。

さてゴルキというバンドの名前は、
ロシアの作家、マキシム・ゴーリキーのゴルキだそう。
ゴーリキーは大作家で、革命後ロシアに作家会議をつくった人である。
ロックとゴーリキー。東西と新旧が交流している。

2012年5月21日月曜日

MIA ーゴルキ・ベルギーのバンド

私としては優雅な散歩


散歩をして一日を過ごす。。
5月5日の子どもの日に「ここはいいな」と思った都営三田線の芝公園。
デモのために集まった場所だけれど、周辺が好きである。

原発反対の集会がつまらないだろうと予想、
つまるとかつまらないとかは度外視するべきだというのが私の道徳だけど、
しかし主催者にやはり言いたい。
そういう私なんかの道徳は古いしヘンだしダメなんじゃないの。
たくさんの人がその集会のために、万障繰り合わせてやっと集まるのだ。
こどもまで連れて。次の日はきっと朝もはよから働くわけなのに。
原発に反対しよう、意思表示しよう、つまらなくてもそれは言うまい、
とにかくあの日はそう考えて参加したけど、予想通りにつまらないってありか。
集まった人たちに見合う「論点」を真剣にさがした形跡が見当たらない。
すでにみんなが知っている、判っていることばかりをマイクで叫ぶ。
わるいけどウンザリだった。
さそった人にもうしわけないようで、
デモ行進のあと、芝公園の周辺をあらためて歩きなおしたのだ。
・・・寒い春で、5月5日、薔薇園の花は開花していなかった。
薔薇が咲いたらぜひもう一度、とあの日友人が言った。

プリンスホテルでランチ。窓際の仄明るい席で珈琲を飲む。
とてもしずか。
地下のショッピング・アーケードを散歩、も楽しいけれど、
今日は増上寺の裏道をぬけて、ホテルの?薔薇園に行く。
薔薇園は、東京タワーのそばにあり、
フランス庭園みたいなふうじゃなく、
ばらばらーんと各種の薔薇たちが風にそよいでいる風情が好きである。
薔薇の香りと形と色彩が、完全じゃなくてホッとするのだ。
・・・ながめながら歩くうちに、いつか夕方のほうへと、時が寄ってゆく。
私たちは、増上寺へと来た道をもどり、
お寺のりっぱな本堂に入り、並べられた椅子にこしかける。
座し給う黄金が黒ずんでみえる阿弥陀如来の仏像を遠くにながめながら、
音吐朗々の読経を、ロウソクの灯りとともに、黙ってきくのである。
空間と音響と。道具立ての風格。

それにしてもどうもおかしいのは東京タワーであって、
増上寺の厳粛そのものの屋根瓦の横にビョーンと
赤白だんだらに突き出して聳えてしまっている。
これが建てられた当時は、実にシャクにさわる眺めだったと思うが、
業平橋(なりひらばし)という美しい名の駅がスカイツリー駅となるような昨今だ、
もうなんでもいい、景観なんか風情なんか、日本的ということなんか。
今じゃ東京タワーのほうも風化して、哀愁とともに詩情をさそう。
東京駅だってわからないわよ。
大改装が終わったら、東京シティセントラル駅とか言われちゃうかもだ。
そう、東京タワー、プリンスホテル、増上寺の三点セット・・・・。

あのデモンストレーションの、
集会の魅力のなさは、どこからくるのか。
先日ランキンタクシーのライブに出かけて、その原因がよくわかる気がした。
同じ原発反対を語るにしても、
ランキンタクシーという人は、表現に「タブー」を設けない。
集会で行われるインテリの発言は、よく考えると「タブー」だらけだ。
芸術家ランキンタクシーの規範は、人々にも権力にも弱者にも媚びない規範なのだ。
おどろくほど開放的。表現の自由そのもの。インテリと一線を画す平等感。
たいへんな勇気。ウソがない幸福。
ランキンタクシーのレゲエ音楽って、命がけなんだと改めて考えた・・・。

2012年5月20日日曜日

Life is Water -music video

http://www.youtube.com/watch?v=0o61uIrz2j8&feature=g-

「昼へ」です。
下線の部分をクリックして下さい。

ー姉から弟へ、プレゼント。




2012年5月19日土曜日

おーい、オランダの遥さん


弟の誕生祝いにつくってくれた、あのなんというの、デモテープ?を
ありがとう。ムードがいいなと思って。
ブログで公開したいけど、やりかたがよくわからない。
コピーして貼りつけるんでしょ・・・・? 

これをおぼえると、私のブログも楽しくなるのでしょうが、なかなか。
またケーズデンキへもちこんで、というのも心苦しくって。
もう店員が私をおぼえたと思う、あんまり無知なので。
貼り付けの仕方を教えて。

そういう人が多いからと、団地のパソコンの神様みたいな人たちが、
そのうち幼稚園なみの教室をひらいてくれるって。
老人の集まりって、ほんとにいい、助かる。
この国で自助努力がいちばん可能な人の集まり。
だから安心してね。私はその鶴三会のなかにいるんだから。
いまや災害に備えて水が問題と、
井戸をここの団地の敷地内に掘る相談をしてるのよ。
水脈はここと、ここと、・・・ふんふん、そうだ、あそこかと。
すごくない?そういう話が何人かですぐできる人たちよ、ここの老人って。
でもね、あたまが良すぎるのがおもしろくないので、
それで俳句の達人もいるわけだから(!)、
できてもできなくても俳句を会の始めに披露することにしたの。
ギムで。みんなが。
放っておくと国会議員の集まりみたいになっちゃうから。
そうだなーははは、となるのがまた感じがいいでしょ。
ところで、俳句は 5、7、5 でしたっけね、と。


2012年5月18日金曜日

母の日・今年・


アマゾンから宅急便が。
なんのことかと開いたら、ダンボールの中央に銀色がかったブルーの布袋。
紺色のリボンに可愛い白いカードが結んである。
ロマンティック。
「お母さん
物騒だけど、母の日の贈り物です。
みんなで使ってみてね。」
オランダの長女からだった。ぶっそうってなんなのと思ったら、
・・・放射能測定器RD1706・・・。そういう日本。
いつも、すてきできれいなものを選んでは送ってくれる娘だけど、
考えて、今年はこういうものを買ったのだろう。
なんてことだろう。

5月11日は青山5丁目のCayへ。
これは別なイミでちょっとコワい気がした二男の「母の日」プレゼント。
レゲエ・ミュージックの王様、ランキンタクシーのライブに一緒に行く!
前からきいてた話がスゴイ、タイトルもド派手。
「実の娘をナンパ!! 10周年記念ライブ!!」
いくら原発反対大集会のとき、一番気に入ったからといっても、
どんなものかよくわからない、渋谷から歩きながらなんとなくこわくって。
でも、あんなに楽しかったコンサートもなかった。
幸福。愉快。大騒ぎ。洒落てる。大人だ、ランキンタクシーともなると!
もう、のびのび。スカッと元気がでた。

それから別の日、「母の日」がすむと、
ことし幼稚園を卒園した子どものハハたちが訪ねてきてくれた。
懐かしい顔ばかりが6人。なんでこんなに懐かしいのかしら。
苦しんでいたからか、親切だったからか、ウソがなく正直な人だったからか、
よかったなあ私はやっぱり働いて。
元気で、泣いたり笑ったり怒ったり、少しおとなになったけどみんな今もいそがしい。
思い出すとおかしいようだが、私はこの6人全員と「個人面談」をしていたのだ!
あのころは、それが、役に立ったり立たなかったり・・・・。
それでも幼稚園のなかで私の職責を介して、個人的に話しあうことができたのは、
なんてよかったんだろう。
「きまり」っていうのは、安心できる人間関係をつくるためにある。
ずっと前から、今日という日はプレゼントされていたのだと思った。
すごく、うれしい日だった。


2012年5月15日火曜日

「母の日」


「母の日」に、なんのひっかかりもないのが長男で。

自分の不始末の帳尻合わせに、4才の子をよこして、自分は夜中の一時に来る。
母親は前からの用事でこられないから、この子は初めてひとりで来たのである。
いい子でいようといっしょうけんめい。
でも、元気で健康、ふざけちゃって笑いだして、少しもじっとしていられない。
ところが、リンドグレーンの絵本≪赤い目のドラゴン≫を読んでやると、
はるか夕陽のかなたにちいさなドラゴンが去っていってしまうという物語を、
虫歯がいたむというような、哀愁の街に霧がふるのだというような、
なんとも沈痛、哀れがわかる顔をして、チーンときいているのである。
朝の六時には、おそくもどったオトウサンを起こさず、階段にこしかけてガサゴソ、
比較的だけど、静かに静かに、ひとりであそんで待っている。
音が気になってオトウサンの弟が部屋のドアをあけると、まだ4才はもうびっくり仰天、
おどろいた顔で、背中をぴーんとまっすぐにして立ちあがってしまい、
それから外へと、うれしくて飛んで出て行くのである、オトウサンの弟とふたりで。
しばらくもどってこないから、やれやれと思っていたら、公園から傷だらけになって
帰ってきた。泣かなかったとしきりに言うけど、小山の斜面から全速力で駆けおりて、
とめるまもなくひっくり返ってころがり落ちたのだ。
でも、こどもは絆創膏がだいすき、ひとしきりあっちやこっちの擦り傷をたのしむ。
長男が起きてくると、椅子にのぼりまるっこい腕をオトウサンの首にまきつけ、
くねくねごろごろ。冗談にキャーッと何回でも笑って、おおさわぎだ。
裏の小山に今度は父親がダンボールをもって連れていったけど、アッというまに
気の毒なぐらい早く、もどってきた。
「オトウサン、おなかがいたくなったんだって」
二日酔いかしら。
長男は、朝から晩まで、晩から朝まで働きどうしという商売、タイヘンなのだろう、
外気のなかで遊んでやろうとしたら、モロモロっと気分が悪くなって、
吸血鬼じゃあるまいし、
「太陽がいけなかったみたいだ」
とかいってうちの床にノビてしまった。

どんなにふざけたオヤジか全国公開しろとオトウサンの弟はいうけれど、
まー、しょーがないわよねー。疲れてるんだろうし。

2012年5月14日月曜日

「町かどのジム」ー陽だまり門で


ジムは町かどのポストのそばにいる。
ミカン箱にすわって。朝も晩も、夏も冬も、いつだって。
そして走ってジムのそばに行くデリーに、かわいい滑稽なホラ話をきかせるのである。
「町かどのジム」 松岡享子訳 童話館出版

このお話が好きなのは、不幸な人がひとりも出てこないからかしら。

幼稚園で働いていたころ、
私の朝は職員会議のすぐあと、門のところで子ども達を待っていることだった。
まあ、陽だまり門の私、というところかな。
私はそれこそ、夏も冬も、門のところで子どもとお母さんを待って、
ホラ話というわけにはいかなかったけど、一日でいちばんおもしろい時間をすごした。
陽だまり門は石畳の坂の途中にあり、前は小学校の校庭だった。
目の前にプラタナスみたいな木があって、秋もすぎると黄色や茶色の葉っぱが落ちる。
学校の金網のむこうの潅木やいろいろな木も、そのときどきに小さい花を咲かせたり、
葉っぱなんかも自然のつごうで、深紅に色を変えたりした。
私はたいくつすると、きれいな葉っぱや花をつんで空にかざして見たりした。
空には、白い雲が陽気に輝く日もあり、飛行機がすぐ近くを通るときもあった。
ただもう真っ青で、ワスレナグサのようだという空もあった。
雨の日、傘をくるくるまわすと雨の粒がばらばらと飛んではねる。
門の前に行くのが早すぎると、こどもたちがなかなか来ない。
こまってしまう。
陽だまり門は外なので、考えごとってしにくいものなのだ。

石がすごく好きな坊やがいて、ふたごの一人なんだけど、
朝、陽だまり門にやって来ると、だいじそうに小石を私にくれる。
好意がうれしくて、うわあ、ありがとう、だいじにするわね、と私は言った。
どうやってだいじにするのと職員室まできたので、赤い筆箱を見せる。
ここにしまっておく、この赤い色いいでしょ、筆箱よ、あなたもおぼえててね?
「ずーっと? ずーっとそこにしまっておくの?」
そう、ずっとよ。この石、私のお守りにするからね。
「いっしょう?」
一生というわけにはいかないかもしれない、一生はながいもん。
でもここに入れておく。なくさない。
「これはすごくいい石なんだよ、せんせい。だいじにしまってよ」
うん、だいじにしまった、ほら、ここよ。
「ちがうよ、名まえ書くんだよ。」
名まえ、あなたの名まえ?
「ちがうよ、つぎこっていうんでしょ、せんせいの名まえ書かなきゃだめじゃないか」

三日間に小石は三つ、そのたび亜子、tsugiko、つぎこと書いたけど、
四日目に四つ目をくれようとするし、とまりそうもないから、
これ筆箱で石箱じゃないんだから、私、石はもういらないと言うと、
ほそくて白い首をがっくりうなだれて、
「じゃあ、じゃあ、なんだったらせんせいはいいの?」
しおれた細い身体と声があんまり親切でいっぱいなので、
いろいろ、いろいろ考える。
この子はおじいちゃんとおばあちゃんにすごく可愛がってもらっているのだろう、
家族もどこかうっかりほわんと、子どもにとって自然な家族なのだ、
そうでもなければ、こんなかわいい声の男の子にはならないものだ。
やせっぽちで、身体が弱そうだけど、
このめったにないような親切と愛情深さで、
ちゃんと世渡りができてしまうにちがいない。
くるしいことも悲しいことも、ニンゲンだからあるだろうけれど、
おそらくきっと大丈夫なのだ。
まだ四才なのに、今からもう、おまもりみたいなヒトなんだし。

五日ぐらいして、小石のかわりに道端でつんだらしいお花をくれた。
お花がいいな、と言ったので。
どんなにがんばっても、その花束は枯れる、ざんねんでも・・・。
「町かどのジム」はデリーに物語と愛をくれたが、
あの子と私の場合、あっちのほうがジムみたいだったなと、
赤い筆箱のなかの小さい石を、私はぽろんぽろんと、ながめるのである。

2012年5月10日木曜日

鶯に会う初夏


鶯が、ほーほけきょ、と、
桜なのか欅なのか楓なのか椎の木なのか、
若葉いっぱいのどこかでほがらかそうに啼く。
頭上の空が青みをまして、ツーンと遠ざかる。
毎年、どこにいるどこにいると、私はついさがしちゃって、
ある時、樹木から離れて、鶯らしくもなく電線にとまって
ほーほけきょ、ほーほけきょと、明智探偵になったみたいに啼いたから、
さあ、もう今度こそちゃんと見たと思ったけれど・・・・、
この小鳥は夕暮れの空に溶けて、目をこらしても影でしかないのだ。
なぜだか、
私にとって鶯は、
言ってみればヒタキ科のメボソムシクイ、
抹茶みたいな色した早春の鳥のはずなんだけれど。

鶯って、みどり、でしょ。

むかし、絵本をみながら、ひとりでカンちがいをしたのか、
現実のウグイスは、
目をこらしても目をこらしても、
見たことにはならない茶色の地味な小鳥。
ほんとに雀(すずめ)たちのほうが、まだ個性的だ。

樹を一生懸命見上げて、鶯の姿をさがしている女の人が微笑む。
そうなんですよねえ。
あんなにきれいに啼くんですけどねえ。
残念そうな声の、あたたかいやさしさ。
なついてくれない親類の子どものことでも言うように。
なかなか見つかりませんし。
ああ、飛んでいっってしまいましたねえ。
どこにいるのかしら、わからないのよねえ。
少しはなれて立って、
日よけの白い帽子の知らない人と、
ちいさな影が飛んでいって、どこかに消えるのを見送る、
そんなこともある陽光新緑の日。
ウグイスって!


2012年5月8日火曜日

春の終わりのとりとめのない日


忘れたころに
忘れた場所に
ひとりで立って咲く淡いムラサキ色の
きれいなシラー・カンパニュラ―タ
町田市と多摩市のあいだの
ほこりっぽくて田舎っぽい
どうしようもない道端に咲いていたというのに、
生れたのはスペインかポルトガルなのね

ケシの花は
アスファルトの割れ目に幾つも葉をのばしていたから
盗ってもいいかとおととし庭に植えたものだ
考えてもいない方角の植木鉢の中なんかに
今年はぽーん、ぽーんと、咲いている
ヒナゲシ、ヒナゲシ
茎や葉にあらい毛があればヒナゲシと
図鑑はそういうけれど
とげとげは茎にはアリ葉にはナシで

今朝という日は朝食を作り、
柿の若葉の影で草をとったり花ガラを摘んだり
鈴蘭が静かに香りをよこす
病院へ行ったあとは
図書館へ
おじいちゃんの休暇という子どもの本を借り
公民館の食堂で
泣き泣き(!)・・・・
ちゃんとご飯も食べるんだけど
そのフランスはブルターニュの童話を読む
なんてカンドウの物語りでしょう

お掃除もしたし
洗濯もしたし、たたんで、しまいもした
夕食もつくるのである
ユメを踏んで歩いてるのか
なんにもしてないような気のする一日
郵便ポストを開けてみたら
空色の手紙が入っていた
はるか北海道の友が、ピース・ボートに乗り込み
今朝、横浜港から世界へと出発 
いやはや
とりとめのない私の夕方が
点のように思われて
春のおわりって、お手上げだ


2012年5月5日土曜日

こどもの日


五月五日。
こどもの日。
雨もやんで、久しぶりに雲ひとつない青空を仰いだ。
あっというまに若緑の葉をびっしり、ぴーんとはりつめて大きくした木々。
じゃんじゃん、あっちにもこっちにも咲きはじめた花。
なんてきれいな季節。

新聞をポストから取ってきた。
大見出しにぎくっとしたけど、大丈夫。
原発ゼロ時代に挑む
 運転42年全50基が停止

政府は関西電力大飯原3,4号機(福井県おおい町)の再稼動を目指すが、
安全面への不安から反対が強く、全国で電力需要が増える夏を初めて原発ゼロの
まま迎える可能性も出てきた、というのが東京新聞一面トップの記事である。


私は思う。
安全面への不安から反対が強く、という「反対が強く」の文言を支えるのは、
どんな動きだろうか、と。
それは日本各地で行われている、私たちにはあんまりよく見えない、しかし強い怒り
の行動なのだ。報道されない連日のデモ。都や市に対し「原発稼動は国民が決める」
と迫る何万、何十万という署名の累積。
事故責任者に刑事罰を、という相次ぐ訴訟の開始。
無数の参加者で満杯の勉強会や講演会。
たぶん私がなんとなく知っているよりよっぽど、
国民の反対は強く、じつは、反対が強力多数派なのである。

こどもの日を、こどもの未来を建設するための日に。
きょうは芝公園で大集会があると聞いた。
こいのぼりを手に歩くデモンストレーションだとか。

一時からコンサート。
一時半から演説(というのかしら)。澤地久枝、落合恵子、鎌田 慧各氏
二時半からパレードが出発

歩くつもり。芝公園に行くつもり。



2012年5月3日木曜日

ノスタルジイ


「フイチンさん」という漫画があって、なんかい読んでもあきない。

作者の上田トシコさんはとっくに故人だし、
物語は20世紀はじめの頃のハルビン、
中国は黒竜江省、松花江すなわちスンがリー南岸の商業、交通の中心地。
フイチンというのは、ハルビン第一の大富豪リュウタイ家の門番の子で、
リィチュウ坊ちゃまの子守り、これはむかしのハルビンの子どもの話である。
古い本だけど、復刻版が図書館にあったのを息子が見つけてくれて、うれしくて、
もうなんどでも読む。三巻を朝昼晩、朝昼晩とくりかえし読んじゃうぐらいだ。
あんまり熱中するので、「おもしろいの?」とみっちゃんが息子にきいている。
「どういうところがおもしろいの?」
彼がいくつか答えた中に、ノスタルジー、があった。

ノスタルジイ。

ノスタルジーはどこからやってくる? 不思議。
「フイチンさん」は、雑誌「少女クラブ」で小学生の私が読んだ漫画なので、
私が懐かしいというのは、ふつうでしょ。
それに、まちがいなくいま読んでも楽しく、復刻版がでるほどの名作だ。

・・・・あのころを知らない子もノスタルジーと思うのかー。
ノスタルジーとはむかしを想う気持ち、広辞苑をひけば懐旧の念、である。

上田さんは、いわゆる引揚者であった。
むかし、子どもだったころ、「大陸的な」ということばをよく耳にしたけれど、
敗戦の後、中国から引き揚げてきた人たちはどこか大陸的だったろう。
「フイチンさん」の上田トシコさんは、いま思えばその典型のような人で、
漫画がほんとに大陸的。こまかいことにはこだわらず。
作劇だってうらやましいぐらい大ざっぱよ。
楽天的、陽気、おおらか。人間観はいかなる場合も品がいい。
ストーリイの運びだって、時系列だって、いいからいいからみたいに雑なのよ。
あのころ日本の編集者も、おおざっぱOKだったのかなー、いいわよーホントに。

ノスタルジーとは。
私の場合、映画「チャイニーズ・ボックス」1997年 の唄のような感覚。


夢の都が かなたにあるという
道に黄金が敷きつめられた都
それは国境を越えた向こう側のどこか
もしも君が その都をめざすなら
これだけは言っておこう
夢みたよりも失うものの方が多いということを

はかない約束の地に たどりついた時
君のその手から夢がこぼれ落ちても
あともどりするには遅すぎる
あまり遠くまで来てしまったから
そこが君にとっての終わりの地
君はもう、はるか国境を越えたのだから