2012年6月25日月曜日

まくらと落語の関係・柳家小三治


なんでもそうかもしれないけれど、最初がかんじん。
落語はまくらという前置きから始まる。
わけても小三治の噺のまくらは会場の空気が熱をもってふくらむほど、
待ってました、国会で消費税値上げやってるよ、
頼むからなにか言って頂戴!
と言わんばっかり。

座蒲団に正座した小三治は話したくもなさそう、しばし黙然・・・・。
そんなにたくさんのことは言わず、しかし、なんでだまされるんだ悔しいよと。
それから噺は長屋の八五郎さんへと、はらりと、移動する。
・・・なんの話しだろうかと案内を読むんだけど題名が書いてない。
ふつうの話だからべつにいいのかもしれないけれど・・・、
とにかく、長屋の大家さんのところに八五郎が、
「離縁状を二通書いてくれ」
カカアとババアをなにがなんでも離縁すると息まいてやってくるのだ。
絵に描いたような江戸っ子、喧嘩っぱやいのが売りもの、柳家小三治って、
なにかもう啖呵という啖呵が、じいんとカッコウよくってまるで音楽である。
噺が、トントン気分よくすすんじゃって、退屈どころではない。
話芸なんだなあ、ききに来てよかったなあ、とほんとに楽しい。
さて八五郎は大家さんになだめられ、自分のほうからも気みじかに丸め込まれて
人格者のなんとかいう横町のご隠居の家へ。
有難いお説教をそこは素直に、せかせか、せかせかときくのである。
人間に大事なのは柳に風とものごとを受け流す態度であり、
ならぬ堪忍、するが堪忍・・・。
という説教の次第を八五郎は話半分手前勝手に呑み込んで、長屋もどり、
きいたふうなことで、弟分のケンカさわぎの仲栽をするから・・・。

売り上げ税といってたのが消費税になって、それでもって
なんでこうも簡単にコロッと騙されちゃうのかと、嘆いたまくらの気分が、
ご隠居さんの柳に風とやっておいきなさいというお説教、
その人生訓をいい加減なところでホイホイホイと呑み込んじまう八っあん。
八五郎の造型があんまりスカッと格好よすぎるもんだから、
まくらと本題の関係がどうもいまいち・・・。


私がまだこどもだったころ、父に連れられて渋谷で落語をきいた。
一回きりの経験だが、子ども心にも古今亭志ん生がうまいと思い、すばらしいと感じ、
話がおかしくておかしくて大笑い、あんまり笑って椅子から落っこちそうになったら、
高座の志ん生が話をやめ、おかしそうに客席の子ども(私)を見物するのだ。
お客のほうも、その志ん生をおもしろがって笑う、その空気がアットホームというか。
客席もまばら、ふたたび噺が始まるとなにもかもが、またおかしい、
すごく面白がらせてもらったという気持ちだった。



落語・柳家小三治


ものの本を読むと、いま東京の落語家の当代一流は柳家小三治だという。
それならばぜひ見たい聞きたいとおもっても、落語は私の日常からとても遠い。
チケットをとろうと努力してみたけれど、即日完売とかで手がとどかなかった。
やれやれ、すごいことである。
そんな人とは知らないで少しまえから「落語家論」を読んでいた。
十年前の小三治の著作である。
都立青山高校の先輩。論客。こわいみたいにスジを通そうという姿勢。
でも縁が無いせいで私なんかは、こわそう、でおわってしまう。

それでも続きで落語関係の本、古今亭志ん朝関連の本をあれこれ読んだけれど、
それは落語家になる以前の志ん朝のすがたをテレビで見ていたからで、
読めば読むほど、いったいどんなに粋な噺家だったのだろうかと、
生前の落語をきかなかったのが悔やまれた。
古今亭志ん朝は小三治よりたぶんふたつぐらい年上のはずだが、
六十三歳で死んだのだ。

扶桑社から、志ん生・馬生・志ん朝 「三人噺」 という本が出ている。
名人一家の長女・美濃部美津子さんが語った内輪の「噺」である。
落語の本をたくさん読んでるわけじゃないけど、何冊かのなかで、
この「三人噺」と小三治の「落語家論」が、私は好きである。
語り手書き手の存在感がすごい。
かんじがいい。そして人間がきれいなのだ。

母の日があって、それが五月。
私の誕生日が六月始め。
もうしわけないのだけれど、またお祝いを息子がしてくれて、
それが、落語をききに寄席へ行こう、だった。
夕方、道をたずねながら直接寄席へ出かけ、切符を買おうとしたら、
その日の取り(寄席で最後に出演する)が、柳家小三治ではないか !
なんと念願かなって、私たちは柳家小三治にお目にかかれたわけである。

柳家小三治。

五時間も寄席の芸を楽しむのである。
「お中入り」と夜の部に書かれた休憩がおわって、
だんだん落語もほかの芸も重厚になっていく。実力が客席を圧倒しはじめる。
小三治がくる、小三治が出る、師匠はさっき楽屋入りして、等々、
前に出る芸人噺家がまくらに言い始めるから、よっぽど人気なわけなんだとビックリ。
それでやっぱり登場のしっぷり・・・がショックだった。
出てきただけで、空間がキーンと恐ろしいように締まるのである。
剃刀のような目が細くつりあがった顔で、
真っ黒な羽織に白い定紋、変わり羽団扇なんだか罠兎(わなうさぎ)なんだかが、
もう弾丸のように見えちゃう。
非難がましい雰囲気のオーラがピリピリピリーッと客をとりこんでしまうのだ。
完全に場内の空気がゆさぶられ、波立って、
それがまたわくわくと愉しいのだから、実力である。
出てきただけで圧倒的!


2012年6月20日水曜日

吉田健一生誕100年


ちなみに吉田健一とは文士、作家である。宰相吉田 茂の長男である。
私は一人っ子で親の数ばかりが多い育ちだが、
その親のひとりの本棚にあった,
読んだ形跡のない吉田健一全集を形見にもらって、
いつか読もうと思うからもらうことにしたのに、しかしもう十年間、手がでない。
三十巻とちょっと。こんなにたくさん書いたなんて。

私の父は,
私が育つころは経済学者で、若い時分は新聞記者だった。
いわゆるもの書きの生活をした人間である。
彼の父親、私の祖父は浜名湾の旅館の跡取りをきらって英語の教師になった。
祖父が彼の弟にゆずった旅館には由緒があって、
いまでは舞阪町の指定歴史建造物として無料公開されているが、むかし脇本陣。
脇本陣とは大名その他が泊まる場所である。
つまり、私のハイカラ好みみたいなもの、
いつか吉田健一の著作を読んでみたいなあという気分は、
こういうあらすじの中からできあがったという気がする。

ところがめんどうくさくって、全集が読めない。
ひっかかってるのに手がでない。
それだからかどうか、神保町へでかけた折り、岩波書店の出店で、
「吉田健一」生誕100年・最後の文士という、ピカピカ黒くひかる雑誌を見つけた。
2012年とあるから今年のはじめに出た特集である。
これを読めば、なんとかうちにある全集に手がでるかしら。
雑誌が1600円とは私にはつくづく高価でどうかと思ったけれど、買って読み始めた。

金井美恵子×丹生谷貴志・対談があって、
「春の野原」という小説が吉田健一的なものの本質だと思う、
吉田健一の小説を一本選ぶなら、この「春の野原」ですね、と。
あの金井美恵子さんが。
さて、「春の野原」はこの雑誌に掲載されているからそれを読むんだけど。
おなじ対談のなかで、丹生谷さんはこんなふうに (笑)印をくっつけて
言うのだ。
大岡昇平も三島由紀夫も吉田健一を褒めますよね。
しかし、実のところ何が良いのかきちんと論じていません。
たとえば大岡さんだって、面白いと言ったきり何が面白いかを言わない。
みんな吉田健一の何を褒めているのでしょうか。
(笑)

・・・しかしみなさん、そうなのかもしれませんけれど、
それでもって三十巻の全集とはすごい話ではありませんか。(つぎこ)

吉田健一という特権階級の御曹司の在りようの不思議というものは
骨の髄までのハイカラーのおそろしさというか魅惑?だろうか。
大正元年の生まれ。
東京千駄ヶ谷宮内庁官舎に生れ、六歳で青島・済南へ、七歳でパリへ。
パリからロンドンへ転居。十歳になると天津の英国人小学校に通学。
なにしろお父さんが「吉田茂」だったから。
日本人。≪本場仕込み≫の≪稀びと≫である。
父親は首相で、子どもはアウトサイドな生育暦。
昭和六年三月ケンブリッジ大学を中退、帰国。十九歳。
麻布のもと男爵邸であった洋館に住み、その後赤坂台町の武家屋敷へ。
ずっと戦争。日本の敗戦が昭和二十年。

戦争直後は、ヨーロッパ≪本場仕込≫な人なんてめたにいなかったのだし、
今は留学じゃんじゃん、≪稀びと≫というのがいなくなってしまった。
吉田茂の息子は運命的に本格的でもって、
・・・ヨーロッパなんてカタカナでバカみたいにすらっといっちゃいけない、
欧羅巴が正しいそれは斯く斯く、というふうな印象・・・なのかしらん。
なんでもある席で小説家が酔っ払って、毛唐がどうのとわめいて言っちゃったら、
テーブルをひっくり返したという、吉田健一さんが・・・。
人間は、あまりの恐怖を感じると、
その自分に恐怖を与える対象を愛するようになったりするものだ、
文豪トルストイがそう言ってるがねと、べつの話で私の父が言ったけれど、
同時代人としては、それにちかい感覚だったのかしらん。
なにしろ敗戦後の日本人の、それまで戦争ばっかりだったという文化的劣等感。

なかで楽しいのは、殿様を語るような「小川軒」やら「胡椒亭」の主人の思い出話で、
「王子と乞食」を読むようなおもしろさである。

生誕100年・・・。この特集のなかでは、
与謝野文子さんの「これは巴里のバラでございます」が出色であった。
絢爛豪華にしていぶし銀のような佇まいの文章である。
与謝野文子には、吉田健一に対する澄んだ洞察があり、微塵も畏れがない。
それはそうだ、
与謝野文子は詩人にして美術評論家であるばかりか、与謝野家の人である。
遠まきにする必要もないし、敬遠する必要もない。
与謝野鉄幹、晶子の孫であり、イタリア、エジプト大使の娘であり、
パリ大学理学部で学び、外地での生活は幼少のころから。
「これは巴里のバラでございます」は、少年吉田健一の絵葉書の文だけれど、
この絵葉書を素材に語られたみごとな人物像は、
特権的日本人として外国文化になじんでくらした人ならではのものなのだ。


まあ、私もなんとかして二・三冊・・・・・。
全集がうちにある以上は。

2012年6月12日火曜日

なにを読んでも元気がでるものだ


なにを読んでも元気がでるものだ。
選び方がいいのかもしれないさ。

ゆうべは「半分棺桶」という装丁がまことによろしい本を読みはじめた。
公民館で買った古本、200円で山田風太郎。
読むと半分棺桶というんだもの死ぬ話の周りをぐるぐる、
なんとはなしユーモラスで、
生きても死んでもまーしょうがないか、いいんだわいとうららかになる。
読者のこの気持ちを支えてくれるのが、山田風太郎の人品骨柄で、
文章のひょうひょう気楽を上質の博学が支えてくれる、なんといいましょうか、
漱石の引用を読めばよく漱石を知らないのに漱石をもう信用。
ははは、夏目漱石をいまさら信用するなんてないもんでしょうが、
尊敬もするし好きにもなってしまう、これがいい。
信用も、尊敬も、好きということも、ヒトを幸福にしてくれる。

今朝。
あたまのうえの木の枝で、キーギー、ギーと小鳥がさわいだ。
見ればスズメよりちいさいスズメふう、ショウビタキなのかしら。
元気。ピョンピョン飛んで、見つけたのか見つからなかったのか、なにかが。
二羽でさわいで飛んでいってしまう。

「ノアーレ」を手にとって読む。
高い本だったっけこれは。3000円を4冊、無理して買ったっけ。
長男に一冊あげたらとても喜んだ。
彼は野坂昭如さんを心底尊敬しているから。
今になってみるとすごい本。
ノアーレとは野荒れ。野坂昭如78才脳梗塞の今、を表現する一冊。
ー被写体と言葉は野坂昭如 -写真は荒木経惟 -画と文が黒田征太郎。
気迫にうたれ、真っ直ぐさにうたれ、カッコよさにうたれる。
集まって、連帯し、仕事ができると、サッと散っていく。
その仕事っぷりがまたシッカリキッチリ上等、写真の野坂さんを見て元気がでるのだ。
人間ひとりじゃないとみんなにわかるし。


2012年6月8日金曜日

「サニー」韓国711万人以上動員の映画


渋谷は文化村にて。

映画はどんなに混んでいるのかと思ったけれどそうでもなかった。
渋谷、bunnkamura    のカフェでお茶をのむ。
なーにがカフェだと言わないでほしい。bunnkamura  なのよそこがね。
映画を観て、地下の書店に行く。書店というより画店・・・絵画的小物的書店。
洒落ているから気をひかれ、洒落ていすぎて、いつもどうしたらいいかわからず。
だれが買うのかしら、その人はどんな人かしら、文化的人種なんだろうかしら。
私は感覚をきたえてもらっているのかもしれないし・・・。
難解なのにつぶれない店っていうことは、たいしたものなのだろう。
洒落た人って、やっぱり都会にはいるもんだなーとその重量を感じる。
おなじ階では、レオナルド・ダヴィンチ展。
こういうところがたくさんあると、それはやっぱり、楽しいものだ。
ダヴィンチも私は正直、苦手だけど、光景としては無ければ寂しいでしょ。

「サニー」がなんで大ヒットするのか。不思議だ。
「友情」をなにがなんでもおしまくるからか。
女の子が見てもうれしくなるような、可愛い女の子の見本を六人そろえたからか。
物語がハートウォーミングに調整してあるからか。
むっちゃくちゃなハッピイエンドがOKなのかしらん。
脚本は月並み、演出は粗雑で荒っぽく、俳優たちの演技に統一感もない。
喜劇仕立てなのに笑えないのは、文化村じゃ観客が少ないせいか。
ああ、それなのに無理やり感動してしまう。後半になると涙の洪水だ。
観客はみんな泣く、懐かしくて! たしかに泣き泣き、楽しい時間が過ぎる。
楽しかったのでまあよかった、となっちゃう! 
つくるほうも安直、みるほうも安直、それなのに。
そんなのってありかと思うけど韓国じゃ711万人をこす人が見たというのね。

≪お話≫
女の子たちの25年後から映画は始まる。
優等生のナミが、死にかけているむかしのグループのリーダーに、病院で行き会う。
25年後の女の子たちが、お定まりのごとくはまりこんでいる現実。
平凡でくだらない日常のなりゆき、そのどうにもならなさ。
強烈な少女の時代の記憶、ノスタルジーがそれを やり直し させるのだ。
「サニー」とは彼女たちのグループ名である。


2012年6月6日水曜日

らくらくと とりあえず俳句


鶴三会が近づくので、なんとか楽しく俳句を詠まなきゃいけない。
けさ、むりに十句つくってみて一番の傑作はこれかと思ったりして。
らくらくと らくらくと春は いねむり 
鉛筆の字で、これ一句をながめると季節感もあってなかなかだ、と思ったけど、
けっきょくのところ、たましいが横着でもって、
それに最後に「だ」をつけないと字足らずになっちゃう。
だ作。詩心もないし。俳句って文句じゃなくて詩なんだったっけ。
らくらくと らくらくと春は いねむりだ
なにいっちゃんてんのか。
出すのはやめよう。いくら参加することに意義があるからといったって。

きのうは英語のクラスの食事会だった。
これも参加することに意義があるとおもって出席したけれど、
本当にそれはそうだった。
ひとりの人が、ヴァイニング夫人に教会の集まりで会ったと言う。
「きれいな人でしたよ」って。
いま杖にたよって英会話のクラスに参加しているこの方は、1945年、15歳。
東京大空襲のとき、文京区にいて逃げ惑ったという話をきかせてもらう。
大空襲の体験者は私の隣の席にも、もうひとりいたのである。

エドワード先生は私のグラスに、赤いワインを注いでくださって、
「ヨクワッカラナイトイウ顔シテマース、ダイジョウブカドーカ、気二ナリマスヨ」
わからなかったら手を上げてききなさい、と言われた。
「ニホンゴデモ、イイデス、カッマワナイ」
日本語がわかってもらえるって知っているけど、
目のいろ青灰色の英語人の顔にむかって英語の時間なのに、
日本語で質問というのがイマイチ。

2012年6月4日月曜日

図書館から本を借りた


なんとなく選んで借りるんだけど、無意識ながらわけってあるもので。

「大きなケストナーの本」 マガジンハウス
エーリッヒ・ケストナーは恩人だ。
子どものころ、涙をかくしたいとケストナーの本の世界に逃げ込んだ。
現実逃避。防波堤。「ふたりのロッテ」とか「飛ぶ教室」とか。
おもしろくておもしろくって、いまいる場所を忘れられる。
そのころは、ケストナーがナチスに本を焼かれた人だなんて知らなかった。
亡命せずドイツのどこかに隠れて、孤独で、自分あてに手紙を書いた人だったなんて。
自分が書いた手紙を投函、自分で受けとって読んだほど孤独だったなんて。

「百人一句」 中公新書
団地の鶴三会のつぎの集まりで、俳句を披露しなきゃなんない。
それで、いったいヒトはどんな俳句を詠むのか、と。
家に帰って、ぱらっと何ページ目かをひらいたら、
・・・・・高熱の鶴青空に漂へり だって。 五、七、五だ。
日野草城という人は結核で、
「高熱の幻想の中で自ら純白の鶴と化して青空を飛翔しているのだろう。」
そう書いてあった!  ・・・・!

「僕は文明をかなしんだ」 弥生書房
山之口 獏の世界を語る本。
おこがましいことだけれど、私もなんだか文明をかなしんでいる気がして
借りちゃった。

「メギー新しい国へ」 岩波少年文庫
ヴァイニング夫人が書いた。著者名がヴァイニング夫人である。
なつかしい。むかしの本。いつ読んだのだろう?
こどもの頃、なんども読んだ。
E・G・Ⅴining は当時の皇太子の家庭教師だった人である。
こんなステキな物語の著者が家庭教師だなんて、
現天皇はやはり並ならぬ運命の人だったのだと思う。


2012年6月3日日曜日

報道ステーションより


国際情勢解説者、田中 宇。
なんという名まえか、そのたび忘れてしまう。
宇宙の宇と書いて、さかい。
たなかさかい。

その人の国際ニュース解説の画面を開いたら、
めずらしくテレビ画面があって。
そこからの転送です。

転送って難しい。できなくてオランダの娘に頼んで。


2012年6月1日金曜日

花を植える


よし、意地でも元気になってやるぞ。
ドドドドッと葉っぱを茂らせた柿の木に抵抗してやる。
おーい、植木屋さん、いいの? 
こうなるのは予定のこと? なんでこんなに今年は、
じゃんじゃんじゃんと葉っぱが茂るの? 
これは柿の木的にはいいこと?
天高くどこまでものびる柿の木が、あなたの理想だった?
まーいいか。
まーしょうがないか。
なにしろうちの庭はハンカチーフなみで庭木一本をもてあますサイズ
柿が育てば、花が咲かなくなるのだ。

花を買いに行った。
日陰を避けて咲いてもらいましょうよと、どうしても思うので。
ヒャクニチソウとマリーゴールドと白いベコニア,
生成りの白とオレンジ色とまっ白がきれい。
みんな、夏がきて秋がくるまで咲く花だし。
地面は水仙やら鈴蘭やらクリスマスローズやらでいっぱいだから、
大きな鉢をたくさんとりだして、サア植えようとホースで水をかけるけど、
水がビョーンと蛇口をはずれて噴水のように飛んだから、
あたまからびしょぬれになった。
あーホント、寒い春が終わっていてたすかった。
ここにひっこしてからだってずいぶんになる、
シャベルだってバケツだってホースだってよっぽど前に古くなった。
でも使える。びしょぬれだってめったにないことでせいせいした。
よかった。
とかなんとかいうふうに、いいや、いいやで日が暮れました。


バス停


ながいことバスのターミナルで、夕暮れを私はながめた
中空が暗くなっていくのを
何台も何台ものバスが轟音をたてて出発する
私の帰る場所には行かないバスだ
ふくらんでつぶれるクラッシュの音が耳にあたると
そのたび泥の風がターミナルを吹きぬける
悲しいことなどなにもないのに
心は茫然と
自分の知らぬ往事をふりかえり
またも戦時下にあるかのような
人々の往来を見つめる

私はながめる
風が女たちのスカートを帆のようにふくらませ
それが薄暗がりに美しくひるがえるさまを
ある老人はアゴにシミがあり
ある老人には白髪があり
ある人は背中をまるめて歩く
あの人はリュックサックをしょってゆっくり
別の人はリュックサックをしょって厳しい顔をして
たまに
幸福そうな少女を見つけると
ミルキーウェイのような子だと嬉しい

このところ風はいつも雨をはらんでいる
初夏とも思えぬ冷気が
ターミナルに滞留する私たちを凍らせる
やがて目当てのバスがきて
残りの乗客を運んでいくのだが
たしかに私も家へと帰っていくのだが
ハタハタはたと音のする風と別れて
ここからむこうへと
今はまだらくらくと移動して
セマイナガラモタノシイワガヤ
バスは、かるがる走っていくのだ
大気の重いマイクロシーベルトを沈黙のままかきわけて