2012年9月25日火曜日

ザ・バトル・オブ・パンク  9/22


ふたつのバンドがバトル。
ゴロゴロとア・ページ・オブ・パンクが。
リーダー同士の日ごろの言い争いを「演奏バトル」形式に昇華させた試みで、
企画としてはけっこう抜群。主催ア・ページ。いかにもらしい。
何日か前、ゴロゴロのリーダーに行き会ったとき、ツトムを指さし、
「やっつけろ、こんなやつ、こてんぱんにやってしまえ!」
と言ってみたらば、
「そうですよねえ? そうしますっ!!」 
などとユウくんは言い、ツトムくんはニヤニヤした。

高田馬場の音楽館というスタジオ。
ゴロゴロとア・ページ双方の味方がゾロゾロ集まって、その数もカウントされるのだ。
入場者にウマイ棒が配られてお祭り騒ぎ。後方ヨコにバトルの進行表が貼ってある。
拍手の数で勝敗を決めるという。
いっぱいの会場のうしろ壁ぎわで、がたがたする椅子の上に立って見物。
それはもう楽しくておもしろくてエキサイティングな2時間だった。
結果、引き分けというのが会場および司会の判定。
ジャンケンでア・ページが勝った。パンクだからパーを出したとか(!)。
人生というか人間模様というか、
あんなにいろいろが見えたことはない。
小説のようだった。

成功
トライアングル全開。
長期にわたる複雑多様な人間関係の足し算。
こんなふうだといいなあという若いイメージの洗練された実現。
ア・ページ・オブ・パンクとゴロゴロは異質で、双方案外に危なく大人。
喧嘩の組み合わせとしてはすごくいい。
しかも気がつくと、ふたつのバンドの友達が、
バトルに乗る気、すっかりやる気、おもしろがって遊ぶ気だ。
会場はフラット、線引きのあっちとこっちで、床がミシミシ鳴っていた。
スタジオの機材が壊れるんじゃないかというような華やかな大騒動、
勝ち負けに徹底してこだわり、競奏およびリーダー同士のけなし合いで盛り上がり、
そこに各種友人たちの、悪口冗談タメ口とフッ飛んでくる人体が加わる、
興奮と期待と一体感とがわんわん高まって見ているだけでも熱気で汗まみれ。
勝敗を決める拍手も、おまえらどっちに拍手したか見てるぞ仕返しするからな、
などと脅してドッと笑わせるのである。司会もよかった。

失敗
そこで。さあこれからという時に失速が起こり、驚くべきことになる。
1分間づつ3回交互に演奏、気合が入ったところで、
次はいよいよ各10分づつの激闘のクライマックス。
さっきの勝負に僅差で勝ったゴロゴロが先行演奏なのであるが、
これがまたも会場を圧倒するほどエキサイティングな素晴らしい出来。
当然ア・ページは死力を尽くして闘うであろう、サア実力はどっちが上だろう!?
会場の期待と興奮が、絵に描いたみたいに沸騰点に達し、
見たとこア・ページが全力疾走に移ろうと楽器を高々かまえた瞬間、
中央に走り出たぺイぺイちゃんが次の10分間を占領、
ゴロゴロとぺイぺイちゃんが対決するという図式に「バトル」はなった・・・。
ハッキリ言ってこれはないだろう。
しかしそうだからってどうしたらいいのか誰にもわからないのだ。
みんな呆然。必殺効果バツグン。電撃ショック。
悲劇で喜劇。小説。
ま、パンク。

考えてみればパンク・ロックの対決に、
土台パンクとはちがう質のぺイぺイちゃんの加勢をたのむって、
たのんだア・ページの作戦がおかしい。
ゴロゴロの演奏中、「パンクじゃないだろう」とかゴロゴロに難クセつけてなかった?
だったら自分たちも純粋パンクで闘いなさいよ。

残念
ア・ページ・オブ・パンクのチアキは登場の瞬間から相変わらずのドラマティックさ、
戸を破りの天井ぶらさがりの人の頭を伝いの目がさめるような出場、ゴロゴロ演奏中も
ユウくんのヴォーカルを侮る模写パントマイムがおしゃれで秀逸、
本日はア・ページがゴロゴロを制覇するだろうと予感させた。
一方のゴロゴロがまた、彼らの音楽性や舞台センスがバトルで挑発されたかして、
極限までの爆発的展開、元来スマートなふうのユウくんの人柄に加うるに、
反射反発力の強靭さを見せつけて、けっきょくは彼らが勝ったかもしれなかった。

もったいなかったんだよねー。

発見
注目すべきはその興奮の失速をたてなおそうとした気分とやり方だ。
ア・ページがぺイぺイちゃんの10分間を「ア・ページ」と認知、演奏はゴロゴロへ。
決定したとたん司会に演奏をかぶせ、たちまちライブは次の5分間バトルへと移行。
迷走をたてなおす方策が鮮やかに見えた一瞬だった。
ゴロゴロのカッコいいセンス力量である。
それに友達、バンド仲間って、おもしろいもので。まー、浪花節の世界といいますか、
むかしの木場とかやっちゃ場、男の世界ってこういう感じだったか。
若いのに親切。いわくいいがたい共感があるらしく、終わったあとの雰囲気もまたシブい。
勝敗を決める最後の拍手だって、互角、だもんねー。
ツトムくんは幸せな人である。

パンク・ロックは小説とはまったくちがうジャンルの芸術だ。
スカッとたためばいい。
あの日はあの日、今日は今日だ。
そしてどうするか。
演劇の世界ではアントン・パヴロヴィッチ・チェーホフの台詞が有名である。
「一度目は悲劇、二度目は喜劇」
どんな憂愁にみちた悲恋もこういう運命をたどるという警告だよ。
ライブもそうよ。気をつけてね。


2012年9月19日水曜日

松元ヒロ ライブ 9/18


素晴らしいライブ。
なにから、話せばよいのか、見当がつかない。
私はヒロさんのファンで、ライブを見るたびいつも大笑いしてきた。
でも昨日ほど解放されて、のびのび爆笑したことはない。
なぜだろう、こんなに不幸なのに。
今日もふたたび日本に不幸な朝がきた。
だけど、目がさめたら元気だった。
アイロンなんか掛けちゃった。

笑う門には福来たる。

会場が揺れるほど笑って、目はなみだでいっぱい、泣いたりもしたんだけど、
いったいなにを見聞きしたのか、よくは思い出せない。
茫然とし、スカッとし、あんまりおかしくて、笑っちゃって、
それなのに思い出せない。
「どうせあんたはつぎの瞬間パッと忘れてしまう」
松元ヒロのたびたびの老人向けギャグがおかしい。
私もそのとおりでこまったもんだけど、
幸福感はそのままだからやっぱり、幸福。

東電と政治家の悪口をつい期待したけど、そんなもんはそこそこ。
考えてみれば、それは巷(ちまた)に充満しているから、まあいいか。

昨日はライブ千秋楽の日。
松元ヒロさんはいつにもまして熱演だ。
鹿児島から東京をめざし今日に至るまでの「自伝」と、
映画「ニッポンの嘘」ー九十才のカメラマンのドキュメンタリーを全篇再現。
この伝記大作二本が柱なのである。だったわよね?
この二本立てがまた、縦横無尽、諷刺てんこ盛り。
体育運動、学生運動、芸能芸術にまつわるエピソード、
17万人デモの日、ドイツ人とのプチ会議、領土問題、「憲法のはなし」、etc・・・。
あっちへ飛びこっちへ飛びして、すごく爽快。
パントマイムつきコメディアンの「自伝」だから、オーッ、なんと、
大野一雄や、土方、エーと撰のテヘンがないやつ、そうだ土方 巽(たつみ)、
つまり暗黒舞踏の神々までもが、幽鬼のごとき如何にもの出現、ケッサクである。
永六輔、立川談志もモチロン模写としておもしろいが、
しかしながら一番おかしくてクール?!なのは松元ヒロ本人であって、
世相とともに浮き沈みする自分の人生を、ヒロさんは喜劇的奇天烈でもって戯画化、
私たち観客の昭和はこうしたものだったと、なんかこう思わせるのだ・・・。

その語り口は、私たちの気持ちをラクにする。

ヒロさんを通して私たちは自分のこともついでに笑っちゃって、
おかしくて笑うんだから、それは反省というより自己肯定であって、
たとえなにがなんだかきっちり思いだせなくても、
今も、心が温まっているわけである。


2012年9月14日金曜日

映画「内部被爆を生き抜く」を観に


映画と講演会。
鎌仲ひとみ監督の最新作「内部被爆を生き抜く」を観に行く。

講演会も終わってホールに出ると、女の人がひとり、貧血を起こして倒れ、
誰かがホールのソファに助けて座らせたところだった。
痩せて、拒食が始まっているのかもしれないと思うような人だった。
こわばってさびしい表情に、・・・とりあえず、ということを考えてしまう。
脳貧血って、ふつう、日々の過度緊張がひきおこした血行不良の結果だから、
そのヒトに必要なのは、血行をほぐしてくれるだれかの手であり、
思いつめた気持ちをきいてくれるだれかの温かみだと思う。

「内部被爆を生き抜く」は、生き抜く、それがテーマ。
どうせなら、なんとかして、
ほがらかに、希望を失わず、面白がって、生き抜きたい。
親切に、温かく、大笑いして、元気に。
頭を、じゃんじゃん、働かせて。

現実がホラーじみて、閉塞状況が深刻なので、
笑いこける相手でもいないと、私たちは思いつめてしまう。
不幸の果てしない底に、どんどん堕ちてしまう。
そんなことはダメだ。
自滅は敗北である。

9/13  鎌仲ひとみ監督と会場の人たちの質疑応答は、
私たちの国が、変化せざるを得なかった事情を如実に示していた。
それを「おんな革命」と鎌仲さんは表現する。
この事態を動かすのはいまや女であると。

映画と講演の夕べに参加し、会場で手を上げて質問する人の多くは、
内部被爆におびえる、若い母親である。
・・・2004年だったか、
鎌仲さんの映画「ヒバクシャ ー世界の終わりに」を観に行った。
あのころは、原子力の危険を警告する映画や講演の会場に、
若い人の姿など、数えるほどしかなかった。

昨日、鎌仲さんはこう話した。
「自分だけよく判っててもダメなんですよ。
家庭を変える、夫を変えることがまずは出発点です。
それができないと、子どもを守る国に日本はなっていかないと思いますよ。
だって、子どもはふたりの子どもでしょう?
パパは原発賛成、ママだけ反対。そんなことでどうするの。
そういうタイプの人がすごく多いんですよ、いまの日本って。」

ふるい企業戦士というイメージにしがみついている夫を変えないとダメって、
日本の構造は2004年とほぼ変らないというのかしら。
原発が三度メルトダウンしたというのに!?
金曜日の25万人を、11月11日、100万人のデモにするには、
その壁をなんとかして越えなければならないわけか。
鎌仲ひとみ監督は、原発反対の映画を引っさげて、日本全国を歩いている。
その彼女の実感がこうだとは、おそろしい。

貧血を起こした人が自動販売機のほうへ行く。
何度コインを入れなおしても、珈琲もジュースもお茶もガシャンと落ちてこない。
そういう時ってあるよねー。自動販売機にまでバカにされる苦しいとき・・・。
彼女はひっきりなしに片手で、自分で自分の身体をマッサージしている、
ふだんもよく具合がわるくなって、整体に行ったりするヒトなのだろう。
私なんだけど、タイミングが悪くて、どうしても声をかけられない。
指圧だってできるのに。
「ありがとうございます、でも、もう大丈夫ですから」
彼女は先刻助けてくれた人にくりかえしそう言ったにちがいない。
あの様子ではたぶん私にもそう言うだろう・・・。
そう思う自分をくだらないと感じる。
単純なことがすばやくできる人は、なんでもできる人だ。
いま考えても、よくなかったなーと心のこり。

颯爽とした鎌仲ひとみさんの、
監督のトークつきの上映会にぜひ参加してみてください。おススメです。

2012年9月12日水曜日

夏バテか?


イヤそうじゃなくて、老化の廊下に乗ったのかな。
朝、目が覚めると、起きたくない、となる。
本を読んじゃう。
ごはんがまずい。
とちゅうで食べるのをやめる。
でもなんだか太る。
薬をのまなきゃ、と思う。
一メートル先においてあるのに、
取ろうとすると、
ナイアガラの滝を見物に行くほどの決心がいる。
やめた、のまない。
立ち上がって、なにかをするのが、もうイヤだ。

で、また、本を読んじゃう。

ときどき、ものすごく悲しい。
たとえば、「津軽・斜陽の家」を読むと。
太宰 治の生家の、帝政露西亜の貴族にも匹敵する、
「よそごとのやうに読むことができなかった」(太宰 治)暮らしぶりについて、
読めば読むほど、もの悲しくなる。
そこで生きた人々の不幸もそうだが,
西日に輝くようなものであったとしても、
津軽の文化が、あとかたもなく沈没したのが、悲しい。
見たこともない日本の歴史・・・。
個人としての郷愁の行き場がないのが、悲しい。

二十日に劇団民藝の今野鶏三さんにおいでいただいて、
団地の管理事務所で、朗読をきく会を、鶴三会が行う。
ポスターに色をつけるのに、二週間もかかった。
ものごとを必要な順からサボる。
事務、がダメ。

老化とは、個人における突発性ストライキのことかも。

               「津軽・斜陽の家」  鎌田 慧著  詳伝社


2012年9月7日金曜日

熊本に移住したAさんへ


Aさんへ

お元気ですか?!
南阿蘇の緑の公園の灰色化した木のベンチ、
牡丹みたいなあかい色したTシャツ姿で、くっついて笑っている
可愛いふたりの女の子。
写真つき暑中お見舞いのハガキ、ありがとう。
「首都圏、関東からの移住家族とたくさん知り合いました」と書いてあって。
ああ、どうにか無事なんだと安心して、
この小さなふたりのために、放射能を避けて熊本に移住したその後の、
あなたの日々の明暗を、あらためてハガキを手に考えました。
さんざん悩み、調べ、ご両親と言い争いにもなり、苦しんで、万難を排して、
そういうあなたといっしょに、根こそぎ生活を動かし仕事場を変えた、
あなたの夫君のお人柄が、写真のむこう側に見えるような気もしたのです。

今年の5月、考えたとおり引っ越して。
九州地方は前代未聞の集中豪雨に見舞われ、
なれない土地でさらに酷暑の夏をむかえ、
引越しというのはたださえ疲れるものなのに、
利権国家日本は、原発再稼動を決め、瓦礫の拡散を方針にする。
せまい汚染列島のどこに逃げても、放射能は追いかけてくる。
自分たちの選択は正しかったのか、これはもしかしたらまちがったかもしれないと、
あなたはどんなに不安だったでしょうか。

なにか、フツウであれば考えもしない「大事」と正面衝突?したあと、
私たちは、なんども迷うのですよね。
よかったとも思うし、失敗だったのかなとも思うのです。
それで、どう考えても、なにが正しいのかきめられないのです。
少数意見は、どこまでいっても少数で、よって立つ地盤も常にぐらぐら。
よかったと思い失敗したと思い、たして、ひいて、
しょうがなくあなたのそばにとどまったボロボロな残りが、
「結論」ということなのでしょう。

Aさん
このごろは、空をながめると、入道雲ばかりが眼について、
それだけで地殻変動がどうのこうのと想像し、ガックリ疲れちゃうような私なので、
未来を予測して語るなんてことはできないけれど、
でも私はあなたに、こんなこともある、と言いたい気がするのです。
あなたたちが熊本に移住したとき、
あなたの勇気や、決断や、周囲との軋轢、バクハツしそうなまでの論理の堂々めぐり、
それからふたりの子どもたちの様子だとか、
東京に残るみんなとのあなたの話し方だとか、喧嘩とか、後悔とか。
私はみんな、好きだった。だって、賢そうで、人間らしくて。
欠点も、決断力もりょうほう立派に備わっているみたいだし?!
「行った先がダメなら、安全をさがしてまた移っていく人間になりたいです」
そう言って笑ってみせた態度だってね、あっぱれじゃないですか。

スウェーデンの世界的ベストセラー「ミレニアム」の作者スティーグ・ラーソンは、
友情は信頼と敬意に基づくものだと、たびたび主人公に語らせています。
信頼と敬意がなければ、友情は成立せず、それでは助け合うことはできないと。
信頼と敬意なんてもの、それはいったいどこから生まれるのかしら。

考えて決めたことを実行しようとする一連の行為を見て。

そう、私は思うのですが、どうでしょう。
友情はそうやって得られるものではないでしょうか。
あなたは一連の行為によって、私を友達にしたと思うのです。
友情とはなんだか馴じまない言いまわし、泡ぶくのよう、はかなく消えてしまう虹みたい。
でも私は、私の友情って、あなたの人格を保証している、と思うのです。
あなたは移住して多くを失い、失う行為によって、新しい多くを獲得した。
「首都圏、関東からの移住家族とたくさん知り合いになりました」
それが信頼と敬意に基づいた関係に、どうか進化していきますように。
立場がおなじであっても、友達じゃなければ助け合うことはできないよ、と
スティーグ・ラーソンならば言うでしょう。
ジャーナリストであったラーソンは、一生を社会運動につかい、雑誌EXPОを主催、
人種差別に反対し、極右を論じた著書を発行し、50年の一生は貧乏で、
だからこそ、友情についてはリアリストだったでしょう。
「君は僕を信頼しているのかな、どうなの?」
それはいつも、どこにいても、一連の行為をよく見ることで、決まるのでしょうね。

長くなりました。
ヘンな手紙で、、まったくもう、こまりました。
これ、もう三日もかけて、書こうとしてるけど、うまくゆきません。
手紙を書いていると、あなたのご両親のことを思うので、とても不思議です。
こんな娘さんを育てた方々に、敬意をささげたい気持ちでいっぱい。
くれぐれも、よろしくお伝えください。

元気でね。


2012年9月6日木曜日

メモ -情熱


いったい、”情熱的”とはどういうことなのであろうか。情熱(Pasion=Passion)とは、第一義的
には”受難、苦難”を意味し、これが複数になり大文字になれば、キリストの受難を意味する。
受難、苦難から発して激情、激怒、熱情とまで来れば、それらはすべて受身な、暗い感情で
あることがおのずと明らかになるのではなかろうか。”明るく情熱的”ということは、ことば自体
として矛盾しているであろう。哲学者スピノザならば言うであろう・・・・。
「受け身の感情(情熱)は、われわれがそれについて明晰な観念を形成するや否や、たちまち
受け身であることを解消する。受け身な感情は、混乱せる観念である。」と。
情熱的な人間とは、これはあまり名誉ある呼ばれ方ではないであろう。受け身な、暗い感情
の持ち主とは、誇り高いスペイン人達にとって耐え難い呼称であろう。

         堀田善衛 著「ゴヤ」  朝日文芸文庫

旅に出た


短い旅をする。
山あいを夜になって自動車でハラハラしながら通る。崖から落ちたら困る。
「おかしいな前がよく見えない、・・・霧がでているのかな・・・」
運転しながら息子がそう言うのがこわい。霧なんか出てないわよ。

話がまたいやだ。
「さっきね、露天風呂にバッタがいた。溺れてたから助けた」
そう言ったら、
「たぶん、今夜の夢に巨大なバッタがお礼に出てくるだろうね」
想像すると、助けたんだからこわくはないがイヤである。
「あんたはだれも助けなかったの?」
「クモがいた」
「助けなかったの?」
「助けたけど死んでた」
なりゆきで、
救助が遅すぎると蜘蛛が恨んで出てくる図を考えてしまう。

やっと山あいを抜けて、道路が平坦になり、自動車道になる。
でも左右に黒々とした山が待ちかまえていた。
「うわっ、すげえ。いやな月が見える」
「えっ?」
なるほど、凄みのある、月ともいえないような月がダラッと前方にいる。
低いところで待ちかまえているようなのがこわい。
いやなオレンジ色だ。大きくて欠けて傾いて、尋常とも思えない。
天変地異である。
「あれ、本当に月?」
山の横にひっかかってこっちを見ているようだ。
「月以外のなにものでもないでしょう、あんなの」
「雲のせいよ、こういうとき、ああいう形になるのって」
自動車もたてこんできたし、あんまり話しかけるとよくないけど、
「見てよ、あのどろりとした・・・」
この私の、どろりと、という言葉が一生忘れないぐらいイヤな形容だと息子が言う。
オバケ屋敷用語だしオトがすごい、と言うのだ。
そんなかしら。
どろりと、が?
月が相手じゃなければこわくないのよね、たとえばメリケン粉がどろりなら。

やがて暗黒の山はなくなり、ビルディングが林立しはじめた。
そうなればなるほど、どうしてだか月はスッキリさわやかになり、
欠けてはいても、ウサギがいて、怪奇な色もわずかとなったのである。


2012年9月4日火曜日

追いかけてくる芳香


まず緑の枝のむこうを黒いカラスが横切って飛んだ。
するとちいさな庭に黒揚羽がひらひら。
うれしいなとおもっていたら、セミががさがさ、網戸にとまる。
セミもきたし、スズメもやってきた。

こんなきれいな日ってあるかしら。

郵便やさんがやってきて、外国から小包ですという。
オランダの娘からだった。
郵便やさんが手渡してくれるまえから、なんの花か香る。
なんとなく不吉というか。
香水壜がわれたのかなと、小包と格闘。
だってなかなか、テープもはがれず、箱もひらかず。
はるかー、なんでこんなにシッカリ荷造りするのよ。
それにしても、なんだろうか、こ、こ、この芳香 ?
小さい包みがいっぱいあって、全部ひっぱったり破いたりするんだけど、
そのあいだにも、芳香は殺人的にひろがる、どれがそれなんだかわからない。
帽子がでてきて、コースターがでてきて、カード、来年用の卓上カレンダー、ペンダント、
ええとこれ。これは、それは、香水壜を入れた箱かと思うほど大きな石鹸だった。
250グラム。ОLCE ⅤIVERE そういう名まえの石鹸なのね。
読めない。脅迫的な fine natural soap 。
どこの。なんの? こんなに強烈でも fine で natural なの?
ひっくりかえして、さがして読んだら、イタリヤの石鹸。
なんでオランダにいるのに、これを選んで送ってくるのー、もらったの?
ぼやぼやしてたら、家中に、香りがひろがって、
ねえ、遥、助けてよ、言うけどロッテルダムのあんたのところでも、
これ使ってるんでしょうね、と思うし、なんですって?イタリア語のほかにエイゴがあって、
rose water  & marine liliy のクラシックなハーモニーだって。うそつけと思うし。

すごい日になった。
刺激的よね、とにかく!


2012年9月3日月曜日

無名人


在田さんと池田さんが一年ぶりにたずねてきてくれた。

足りないものがあって、朝、買い物に出てもどったら、
うちの前にクルマがとまって、はや在田さんがいる。
「池田さんは?」ときいたら、「もう、中に入って待っている」という返事。
彼らって警視庁みたいに時間厳守な人たちなのだ。
在田さんだけ、見張りみたいに外で待っている、というのも律儀である。

池田さんは足がよくないらしい。でも、にこにこしてソファに腰掛けていた。
ラッキョウとお茶と、お赤飯にバナナケーキに薄荷のケーキなんかのおみやげが、
どんとテーブルに載せてあった。手作りなり。
お赤飯があるなら、お昼ごはんは、素麺をやめておかずだけ作ろう。

話をする。
彼らふたりは、修理や掃除や介護のプロだ。当然迫力がある。
私なんか夕べは床に無公害だとかいうワックスまでかけちゃった。
寡黙な人たち。どんな話もどっちかがすごくよくわかるというのが興味ぶかい。
おもしろい組み合わせだなあと、私はいつも思う。
在田さんと私はかつて同じ市に住み、同じような住民運動にかかわっていた。
それぞれの運命およびカルマによって家族はバラバラ、生活も変わった。
都市生活者というのは、みんなこうかしら。
変わらないのは、私たちが「カネにならない生き方」の見本だ、ということかなー。
永 六輔いうところの無名人。

話しながら池田さんは着物をほどいてくれる。
在田さんはふらりと立って食器戸棚のゆがみをコツコツ、
「ダメだこりゃ、どうにもならんな」とか、言う。
私は一年前に書いた文章をさがした。
ふたりはそれを読み、おたがいに文章を交換し、それから黙って私に返した。
「なんでもアリタさん」と、池田さんについて書いた「秋風や」である。
能力の交換とでもいうか。

ふたりが帰るとき、玄関でよくよく眺めたら、
在田さんは、鳥打帽子に紗の濃紺の作務衣、それに運動靴である。
「なによー、どういう格好なの、大正時代じゃないの、まるで!」
おかしくなってそう言ったら、
「これでニッカーボッカーならばってか?」
在田さんはニヤリとし、池田さんとふたり、紗で丈夫だし涼しいのだと強調した。
これさえあれば、仕事でもなんでもやれる、どこへでも行けるし、と言うのである。

在田さんってパンクだな、と私の長男なら言うかしら。

2012年9月1日土曜日

週刊文春の吊り広告


電車に乗ると、吊り広告をけっこうヒマつぶしに読む。
きのうは週刊文春の広告に、「韓国・中国を屈服させる方法」とあった。
私はギョッとして自問自答した。自分はどうか。
韓国や中国を「屈服」させたいと思っているだろうか?
屈服で国交安定? 屈服させて友情? コワイ考え方だ。
ライブハウスにいたイギリス人にきいたら、彼はなんて答えるのかしら。
この世は日本人だけでデキているわけではない。
文春の記者は、外人記者クラブに行って、おなじ意見を堂々と表明してみてはどうか。

こんなことも思う。
いつのころからか、電車に乗ると、韓国語の案内が目立つようになった。
DVDを借りに行くと、韓流コーナーができ、そこには大量の作品が並んでいる。
レストランやカフェには、たどたどしい日本語をあやつって一生懸命働いている
韓国人や中国人がいる。在日韓国人も多い。
多いからこそ電車の表示にハングルが登場するのだ。
大勢の彼ら彼女らが交通費をはらって電車に乗ってくれていることを、どう思うか。
京王線は? JRは?
その人たちが「韓国・中国を屈服させる方法」というデカ見出しを読むなんて?
学校に通う在日の子どもたちの心細さや恐怖ってどんなだろう?

こうも思う。
韓流ドラマが大流行だというのに、
私たち庶民は、竹島問題が起こると、即座に手の平を返すのか。
韓国の屋台料理をほめ、イケメンに血道をあげ、
スターがくると空港まで迎えにいき、歌手の公演チケットは完売。
韓流スターが自殺すると泣いて葬儀に300人が直接参加、
ありがとう、あたたかい心を教えてくれて!と叫ぶ。
平和があって、そんな熱い気持ちがせっかくあったのに、
相手国家を屈服させようといわれるとスンナリ無関心、そうねとなっちゃうの。
ちょっと待ってよく考えてみたい、と少しは思ってみるのが自然なんじゃないの。

そこに人間の存在があるかぎり、
いつも、気持ちはあたたかくなくちゃ、と思う。