2012年11月29日木曜日

神保町の街角で


神保町を歩くのが好き。
地下鉄A6出口を出て、落ち着いた雰囲気の白山通りを歩いて行く。
古本屋の老舗が並んでいるし、こどもの絵本の店もあって。
よせばいいのに古本や新刊本を誘惑にかられて何冊か買ってしまい、
珈琲店の大テーブルにむかって買ったばかりの本を読み始める、それが楽しい。
時々、本のページから眼をはなして、なにか食べながら珈琲を飲む若者を見たり、
仕事の打ち合わせをしている人たちを見たり。

母や従姉夫婦がこの街の出版社で働いていたから、愛着があるのかしら。
むかし読んだ童話のお祖母さんのように、古いアパートで独居生活をするとしたら、
などとふらふら考えるのがまた楽しいのだ・・・。
その空想の部屋にはまず見え隠れする魔法みたいな小人がひとり、
本棚からは本があふれだし、少ない家具はオンボロがいい。
窓の手摺(てすり)は鉄のレース模様、
カーテンは色あせた青灰色の上等のビロード。
窓から見下ろす光景はジャン・ジャック・サンペの、私はもちろん行ったことがないけど、
愛すべきサンペが描くマンガのような巴里、じゃなくて神保町。

きのう御茶ノ水から歩いたとき、娘がかよっていた大学があった。
明治大学は本の街のなかに位置していたのだとあらためて思う。
大学と劇団とアルバイトでいそがしく、心配のない子だったから放っておいた。
娘はこんな文化的な場所にいたのかと、今になって気がついたことに胸が痛んだ。
音楽も聴ける、本は洪水のようにある、安くておいしそうな食堂も、文士的山の上ホテルも。
無いのはおかねだけ、だったにちがいない。
でもこの街は親の代わりに、あの娘の情緒を育てもしてくれたのではないか。
そんなことを思うとすこしさびしさが薄れてうれしい気がした。

駿河台下まで歩いて、白山通りに行き、そこでまた本を買ってしまった。
美しい装丁に気を惹かれて。
210円だった。
三浦哲郎著 「木馬の旗手」。
子どもをあつかった短編が12編まとめてある。
貧しい農民の子どもの呆然、これほどの悲哀と不運を、なんと美しい方言でもって、
三浦さんは書いたことであろう。
装丁は司 修。本のハコも表紙も本編をしかと護ってすばらしい。
「木馬の旗手」を覆う茶色く変色したパラフィン蝋紙を、
装丁をながめていたくて、私はぺりぺりと家に帰ってから破いて捨てた。



2012年11月28日水曜日

都知事を選ぶって


昨日の夜、がたがた震えながら日比谷野外音楽堂へ出かけた。
寒いっ。
「いい会でしたよね」「ほんと、いい会でした」とまあ言いつつ、
終わって、がたがた震えながら、見知らぬ人と地下鉄をめざして早足で歩いた。
「宇都宮健治さんと 東京から脱原発を!大集会」
そういう集会があるときいてむりやり参加したのだ。

五時半から七時までの集会。こんなの無理だ。
たいていの若い人は職場で働いている。
ヒマ?な老人は来たらカラダを悪くするだろう。
こどもがいる主婦ならいちばん複雑で忙しい時間。
なんでこういう時間設定をしたのか、大集会と書いてあったけど、無理でしょうよ。
責めるわけじゃないけど、ばかげていると思う。
「小集会」と名乗るともっともっと参加者が減るのかしら。

まあ寒くって、舞台に出てくる人出てくる人みんなが、寒いでしょ、という。
そりゃ、寒い。どうしてか、よくわかんないけど冷風がふ、吹きおろしてくる。
でもなんだかいい会だった。みんなにこにこして。

思いがけなくも、驚くほどいろいろな党派の人が話したのである。
宇都宮さんって、見たとこ小柄で穏やかそうだけど、
けっこう強靭な政治力の持ち主なのだろう。
日本弁護士連合会の会長だったのだ、あたりまえか。

だからまず弁護士が話す。宇都宮さんの東大時代からの先輩。東大卓球部だったとか.
共産党の議員が演説。なぜだか志位さんじゃなくてホッとする。
社民党の福島瑞穂さんも登場。小柄でびっくり。
宇都宮さんも小柄だけれど、もっと小柄。威圧感がなくてトクかな。
民主党都議会議員もきたから、びっくり。
都議会民主党としては、都知事候補を特定せず、と決めたんだって。
したがって彼女、美人の大河原さんは宇都宮さんを推すのである。
脱原発。格差是正。反石原慎太郎。
引き止められたけど民主党を離れてみどりの党へ入りましたという元衆議院議員も、
脱原発をかかげ宇都宮さんを都知事に、と語った。
作家広瀬 隆さんが傑作。
共産党になぜだか嫌われている広瀬 隆ですという。
こないだなんか地方の講演会に出かけたら、共産党のクルマが迎えに来た、
乗っていいのかなーと考えちゃいました、などという。
共産党員がいっぱいそうな夜なのに、会場爆笑。
広瀬さんは自分は「脱原発ではない反原発です」と断言。
ピリリっとした人である。そうよねー。私も自分は「反原発」という感じ。
ルポライターの鎌田 慧さんは怒っている。
「なんで石原慎太郎が後継者を指名するのか、余計なお世話じゃないか。」
勝手連のお母さんは、主婦らしくて、みんなの共感を呼んだし。
その他その他で一時間半の集会は、寒いのにけっこう早くすぎてしまった。

宇都宮健治都知事候補の
「人にやさしい東京をつくる会」の会長は上原公子さんだという。
国立市長だった人である。うまい人選。
多摩市で講演をきいたことがあるけれど、賢くて強い自由人という印象の女の人だった。
こういう民主的な元市長に都庁で活躍してもらえたら、と思う。

作家の発言に、
政治の方向をえらび、政治家をえらぶのは、権力者やマスコミではない、
政党でもない、都民であり国民である、人々が選ぶのである、
そこをまちがえちゃいけないというのがあった。
けっこう大変でむずかしい指摘である。
そのせいかどうか、
宇都宮健治さんは、今回政党の公認を廃す、受けないという立場らしかった。





2012年11月27日火曜日

「新版・チェルノブイリ診療記」400円


福島原発事故への黙示という副題がついている文庫本。
この「新版・チェルノブイリ診療記」を私は出版されてすぐ買ったらしい。
2011年の7月に再発行されてすぐ、苦しまぎれに買いはしたけれど、
本棚にツンドクだけで、読まないままだったのだ。

2011年3月11日、未曾有の天災と人災。
幼稚園の園長だった私の日常は、さまざまな対応におわれて、
もちろん関連の書類や書籍を読むことは読んだけれど、
いろいろ買った本のなかにはそのまま忘れて、今ごろ読むものも多い。

園長としての私は、原発事故以後の一部保育について職員と対立、
苦慮したあげく辞職願をだしたが、経営陣に賛同受理され任期なかばで退職となった。
子どもにも親御さんたちにも挨拶ができない「別れ」である。

退職が6月半ばのことだから、7月なんかくたびれてなんにもできない。
園内の各種職員会議で論議をくりかえしたのだし、内外の信頼する人々に相談もしたから、
自分勝手な独断専行の結果とはまったく思わないが、
自分がした決断が正しかったのかどうか、失職後もすごく悩んだ。

私にとって原発事故が以後に及ぼす影響は、ある程度予測のつくことだった。

事故を終わらせることは簡単にはできない。
政府は事実を隠す。マスコミはいい加減なことばかり伝える。
だから、どうしたらいいかを自分たちで考えるしかない。
日常のルールを、病気にならないように用心して変えるべきだ。
事実から眼をそむけたら、
自分たちの子どもの健康も安全も絶対に守れはしない。

そう思うことが異常だろうか?
2011年3月11日にそう思ったということが?
私はそれまでに原発を批判する一般的な本も読んでいたし、
チェルノブイリの原発事故の様子をテレビで見もした。
友人たちが気をつけてくれたので、映画も観たし講演を聴きにも出かけた。
強烈な活動家にならなくてもうしわけなかったけれど、私の孫の父親はいう。
「かあさんは原発に反対してたし、ぼくたちが子どものころから、
デモにも映画会にも連れて行ってた。ぼくも本気をださなくてホントウに悪かったけど」
恐ろしいことがついに起こった、と思うのは当然ではなかろうか?

なんでこんなことを書いたかというと、菅谷先生の本を読んでビックリしたからだ。
「職を賭して」と考えたつもりの私でさえ、考え疲れていい加減のん気になっている!
この本をなんとかして読んでほしい。
本書は新潮社文庫で400円である。
菅谷先生は親しみやすく、良い人だ。明るくて、希望を失わない。

この本を読んで胸をうたれるのは、
原発が事故をおこした場合、子どもたちがどうなるかよくわかることである。
どうしてかって、
この本を書いた人は、甲状腺の専門医であり、優秀な外科医として、
事故直後チェルノブイリの風下となったベラルーシの国立甲状腺ガンセンターで、
5年間も病気の子どもたちの体にメスを入れていた人だからである。
先生はいま、二期目の市長さん(松本市)で行政の責任者でもある。
お書きになった本が読みやすいのは当然かもしれない。

私は思う。
選挙で私たちは半月後に投票する。
そのまえにこの本を読んで、よく考えて、棄権しないでほしい。
つい先日ブログにのせた童話のことだけど、
「100万回いきたねこ」は「キライ」ということが多かった。
あのとらねこは、「みんなキライ」、なのだった。
いま、政治家の離合集散、労働組合の腐敗、マスコミの嘘にとりかこまれて、
私たちは、ふてくされたとらねこ状態である。

みんなキライは、とらねことガキのセリフだ。
いい人は、さがせばいる。
だれもいないはずがない。
どうしてもいなければ白紙投票で(そんな場合じゃないとおもうけど)、
自分たちの投票の権利だけでも高くかかげよう。


2012年11月24日土曜日

朗読・「100万回生きたねこ」


家で朗読の会をする場合、ポストに何日かまえ文章が投げ込まれる。
公園の木がいっぱい見えるせいか、これが私には童話的できごとに思われて
いつも楽しい。枯葉の秋なら、なおさらである。

今回は「100万回生きたねこ」と「異人たちとの夏」「すてきな三にんぐみ」そして、
小6の教科書から西研(にし けん)の「ぼくの世界、きみの世界」が入っていた。
「100万回生きたねこ」については手紙もあって、
それがまた森の動物のだれかから届いたみたいなおもしろい手紙。

手紙
『 今回この本を選んだのは 
「ブームになっている」「図書館に行くとどこでも必ず飾られている」 からです。
自分も昔購入して10年くらいになりますが、とってもわかりやすいので、
子どもも老人も みんな 好きになるような、それでいて
内容が他にない、深そうなひきつける魅力があり、
自分にはそこがよくわからないので、ぜひ久保さんの解釈を
お聞きしたいのが、やっぱり選んだ 大きな理由 です。』

よく書けた手紙だと思う。魅力的。
こんがらかり方がおもしろい。
朗読をするには、こういう疑問のもちかたがだいじである。

さて私の考え
この絵本はひとつの物語が半分にわかれている。
りっぱなとらねこが100万回死んだ話と、そのとらがもう一回だけ生きて死んだ話。
はじめの半分は「きらい」ということばと「死んだ」のくりかえし。
あと半分は一応ふつうの物語、100万回も死んだ主人公のりっぱなとらが、
ふつうに生きてふつうに死ぬのである。

まず絵本を開いて、私たちおとながひたすら、すらすら読むと、
つまり、どうなっているかとあらすじだけをたどったりすると、
絵本は、後半、急に頼んでもいない月並みな回答を与えはじめるのだ。
愛のホンシツはとか、愛されるだけでは人(ねこ)はホントウの満足はとか、
きいたふうな物語が展開するのである。
前半分のヒネクレ方からすると、後半分がみょうにスナオで落ち着けない。
正しすぎるし、哲学てき、みんなが気に入りそうすぎる。
そこが、どうもなんだかわかるようで、よくわからないところなんだろうと思う。

しかし、である。
作者佐野洋子の日本人ばなれしたものすごさは、そこなのだ。
「100万回生きた猫」は、独立、ということをわかりやすく話した絵本なのだ。
個性とか独立とか自立とか、とにかく個体ということについて。
個であることは、極限まで圧しまくると、
「気にいらん」
つまり「きらい」ということなのかもしれない、のではないか。
めったなことで私たちは「きらい」じゃない人間にめぐりあわないのかもしれない。
100万回死んで、だれかにあいたくて100万回生きなおしたとしても。
・・・生きとし生けるものが、そういう存在だと、絵本にまぎれこませて語る絵本・・・。

孤独であること、独特であること、個性的であること、自分らしくあることを、
感じがわるいとか、ヒネクレてるとか、反体制的だとか、えらぶっているとか、
そう考えずに朗読しないと、そこをよく考えないと、工夫しないと
子どもたちは、
このとらねこさんをちょっとキライになっちゃうかもしれませんよね。


「異人たちとの夏」(山田太一・新潮社)ですが、
なにはともあれ以前この映画を観た人がいて、朗読をききながらもうずーっと、
きいてるあいだじゅう、思い出しては泣くのですね、ははは。
そんないい映画なら観ればよかったなー。
ビデオを借りに行こうと決心しました。


2012年11月23日金曜日

光りほのか


光りほのか、とはアンネ・フランクの日記につけられたタイトルだった。

菅谷 昭先生の「チェルノブイリ診療記」をもう一度読んでみたら、
・・・・まさに、自国の政府を信用できないくらい惨めなことはない・・・・とあった。

菅谷さんは甲状腺専門の医学博士だ。
1996年から5年半、ベラルーシに単身滞在。
首都ミンスクの国立甲状腺ガンセンターと、ゴメリ市の州立ガンセンターで、
甲状腺ガンにかかった子どもたちの治療にあたっていた。
大学病院をやめた退職金をロシアでボランティアしてつかってしまい、
帰国後胃がんを手術、手術直後の2004年、わが国の松本市長になった人である。

惨め、と読んで惨めかと思い、私たちはどのくらい惨めなんだろうかなあ、と思う。
昨日、鳩山由紀夫氏が政界引退を表明した。
こういう人はもう外国に逃げて行くのかしら。
失礼ながらそう思う。

世界には、大きなことと小さなことがある。
こういう時、ほのかな光って、けっこう温かいものだ。

このあいだ、私はビデオ屋さんの駐車場で接触事故をおこした。
ゴンッと鈍い音がして、じぶんがよそのクルマにぶつけたとわかった。
私たちはそれぞれクルマから降り、おたがいに謝罪しあい、
車を調べ、住所を交換。警察をよび、保険会社に連絡してわかれた。
私がぶつけてしまった車は大きく、乗っていた人はわかくて優しい人だった。
ほんとうにあたたかい人で、あやまる私の心配をしてくれたのだ。
事故は申し訳ないことだったけれど、こんなときにはめずらしく、
私の心にはキズができず、うれしい気持ちだけがのこった。

きのうは、私のわかい従妹が、自由律の短歌を送ってきてくれた。
若い従妹で、私は彼女に手紙を書くとき、美しい菜っぱちゃんへと書く。
美菜子という名まえなのである。
美しい菜っぱちゃんは昔から身体が弱かったし、年齢は私の子どもとおなじぐらい。
小さい時から、この菜っ葉の感受性には端倪すべからざるものがあって、
それがこんどの短歌になったのかと、知ってはいたつもりでも、とてもおどろいた。

    緑がうねる黒 南風のなか意識する秘密 薄日が射した
    この寂しさを一生抱えていくのだろうか 緑は雨にしっとりけむる
    身近な人の笑顔のために頑張ろうと思った体調不良の朝
    公園の珊瑚樹が色づき始めている 秋によろこべるだろうか
    幸せすぎて気づかなかったこと 例えば母が疲れ易くなった

たいへんな表現方法だと思わずにはいられない。
自然とそして心の秘密にそっと踏み込むような。
私たちの惨めな世界、惨めな心には、
静謐な領域がゆたかに残されていると思えて、私は得がたい体験をしたのである。
ほのかな光を喜ぼう。そう生きたいと思う。



2012年11月17日土曜日

松元ヒロ ソロライブ立川・11/16


・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・。

「私、コロッケと松元ヒロと比べると、松本ヒロがすきなの」
会場で私がそう言ったら若いお母さんが心底びっくりした。
「えーっ、ホントですかあ!!」
彼女はヒロさん初めて。
もちろんコロッケは誰もが知っているビッグな有名人だ。
いま流行の言い方をすれば国民的芸人、とそう言える。
私だってコロッケは好き。公演に出かけて、天才だこれはと思ったぐらい。
でも、比べるわけじゃないけど、ムリに比べると、
私は松元ヒロのファンなんである。

なんでこんなことから「ソロライブ」の感想文をはじめたか。

じつのところ、なにかが気になっちゃって、
なにを言いたいのか三日もわからなくって。
冒頭の ・・・・・・ ・・・・・ は私の悩みなんである。
ところが今日になってなんとかそれがわかった。
どうやったら短く言えるものだか、見当がつきませんが。

NHKのアナウンサーが逮捕された。11/15 だったかしら。
私はテレビを見ないから知らないが、だれでも知っているような人だという。
容疑は電車の中での痴漢行為である。
本人は泥酔していて、記憶がない、と言っているんだとか。
「こういう人が痴漢だといって逮捕されると、ホントかなーと反射的に思っちゃう」
友人にそう言われて私はすごくびっくりした。
彼はNHKではわりと自由に話すタイプのアナウンサーで、
権力の側から見ればこまったヒトかも、というのである。
「あなたは、これがデッチ上げだと言うの!?」
もちろん今の段階ではまだなにもわからない。

でも、そういう時代かも。

そういえば「ニッポンの嘘」という映画だ。
90才のカメラマン福島菊次郎さんのドキュメンタリーを観ると、
福島さんが自衛隊基地の撮影禁止区域を写し、それを公表するや、
ヤクザに襲撃され、家は放火で全焼。
娘さんがお父さんのフィルムをとっさに持ち出さなかったら、
福島さんの撮りだめしたすべての記録は消失したはずだった。

今日、松元ヒロはマルセ太郎の面影とともに、「ニッポンの嘘」を
コント仕立ての大笑いにして再現、まことごもっともの批判や諷刺をして見せた。
批判だけするのではない、いつだったか、
パントマイムとともに中原中也の「幻 影」を朗読したあのおもしろさ、
廃校になりそうな小学校の校舎の建築美を、校舎になって!やって見せたこと、
山口の画家香月泰男の美術をまるごとコントに仕立てたこと・・・。
松元ヒロってスゴイ。
ヒロさんのライブに行くたび「松元ヒロに代わりに言ってもらってる」と私は思う。
なんかこう、無意識のシバリが溶けるんだけど、
この無意識のシバリとは、言論の不自由だろう。
気がつけば、言論の自由からひどく遠いところに自分はいるとわかって、
まー笑いこけちゃうんだけど、
いつもはずかしいような気に私はなる。

大笑いしながら辛らつな諷刺や批判とむきあうことって、
ものすごくだいじな私たちの娯楽でしょ。
基本的人権の砦(とりで)のひとつだし。

ソ連邦がガタガタして、ペレストロイカということばが日本に入ってきたころ、
ロシア製のオペラを見た。オペラだから高額チケット。
ソ連は極貧状態だとかで、『装置はぜんぶゴミ集積場・夢の島でひろった本物のゴミだ』と、
ものすごく立派なプログラムに書いてあった。
演出家も歌手もプロデューサーもみんな亡命先からソ連に復帰した超一流のロシア人。
技術は世界最高、たしかにすばらしい水準の作品だった。
私が見た日は「ウラジミル・イリイチ・レーニン」がオペラに登場。
もう本物みたいにソックリな歌手が主役で。
忘れられない。
オペラのレーニンは縞のパンツだけ、ネクタイを裸体の首にまき、ホモということだった。
私は、ふかふかの国立劇場の座席に凍り付いて腰かけていた・・・・。

休憩時間がきて、化粧室に行き、鏡にうつった自分の顔をながめた。
ショックで本気にこわばっちゃっている私。
「スターリンならともかくレーニンまでこんなふうに言っちゃうの!?」
私はマキシム・ゴーリキーの書いたレーニンを思い、
エー・ヤー・ドラプキナの名作「冬の峠」に描かれたレーニンを思った。
若きコムソモールたちと話す人類の理想のようなレーニン。
私はそういう、権力から自由なレーニンが少女のころから好きだった。

それはずーっと、ながい時間をかけて、考えずにはいられないことだった。

けっきょく私はこう思った。
どんな指導者も、左翼だろうと右翼だろうと、
権力をもてば、告発や諷刺の洗礼を避けては通れない。
諷刺や批判を権力や暴力でつぶさないこと、それが民主主義なんだ。
それがいい政治なんだ、理想の社会はそうなんだ。

今、生きる毎日のくらしがつらくて、潰れる寸前みたいな自分の代わりに、
「お笑い」を磨きにみがいて、人間の自由を描く人。
松元ヒロはめずらしくも稀有なる芸人である。
立川市民会館でのソロライブからの帰宅途中、ヒロさんってたぶん、
脅迫されたり、それはイロイロあるにちがいない、とみんなが言った。
そう考えてみると、自民党の国会議員だった立川談志が、
最後までヒロさんをヒイキして後ろ盾になっていたということは、
実際問題としても、たいしたことだったのかもしれない。
ヒロさんが放火されたり、冤罪の被害者になったり、狙われて殴られたり、
そういうことがどうかどうか始まりませんように。
もうホントウにそれが心配だ。

「新宿公演のときとネタが重なってと、ヒロさんが心配してました」
立川市民会館の出口のところで、子ども劇場の若い人が言ってた。
「だいじょうぶですよねえ?」
もちろん大丈夫である。二回の公演がまったく同じだってとても楽しいと思う。
まー、私なんか、新宿であんまり笑ったから、こんどは十人で立川に来たのだ。

大丈夫じゃないのは、今やもっと別のことだと思うのである。


2012年11月14日水曜日

メタセコイヤ通りの秋


メタセコイヤ通りに面した土手のうえに
私の家がある
赤いポストがあるメタセコイヤ通り
手紙をだそうと歩くと
今日の昼間
空はすっきりと群青色だ
風がふけばザザーッと
公園で大木の葉がざわめき
たくさんたくさんの木の葉が
枝を離れ
ワーッと渦巻き
ああ、いともかるがる空へと飛んでいく
遊んでいるみたいに
あんなふうに幸福そうに
命が
わたしから離れていくのだったら、
どんなにいいだろう
どんなに楽しいだろう
そんな風の秋の日

あとすこし
あともうすこし時間がたつと
メタセコイヤの樹は
ゆかいな黄色からあたたかい煉瓦色になる
この通り全体が燃えるような色になる
そうなったら私の毎日は
「幸福のお隣さん」ということね

それだけだってとってもいいことね



2012年11月12日月曜日

 11月11日のデモ


百万人規模のデモになるべきだと思っていた。

警視庁の発表では八千人だった。
警視庁は六十年安保の昔からウソをつく、だから八千人ということはないだろうけど、
三倍としても二万人。五倍としても四万人。
私の感じでは国会周辺に、五時前後だと流動的ではあるが五万人はいた、
というより参加したろうと思う。
なにしろ雨が降り出して、それがだんだんびしゃびしゃになり、
傘をさしてもレインコートを着ても濡れてしまう。
濡れてもいいと思ってる人も大勢いる、見れば警察官だってみんな濡れて、みんなが
やっぱり放射能をあびているのである。このすごい人ごみと混雑のなかで。
デモは制限された歩道をズルズルと前方へ進む。
国会を取りまいて。権力者の横暴と原発再稼動に反対して。
なんという悲劇だろう。

二日前、主催団体の都合だとかで恒例の金曜デモはお休みだった。
それを知らなくて、ふらっと一人で国会議事堂前駅で降りたら、
黄色い袈裟がけのお坊さんたちが太鼓をたたいて、
見たら反原発の垂れ幕をよこに拡げている。
時間がはやすぎるのかなとこまっちゃって、石垣に腰掛けていたら、
だんだんに人がふえてきた。
それでも、その日集まった人数は少なかった。
ある金曜日には二〇万人をこえる人たちが国会を囲んでいたのに、
おとといは警官と装甲車ばかりが目についた。

一度でもがんばって金曜日のデモに参加した人たちが、
今日デモに参加しないからといって、考えを変えたはずもない。
今日ここにいなくたって、彼らはデモの仲間である。
どうしてかって、行けばわかることだけど、
金曜日のデモはいろいろなことを私たちに教えるのだ。
そこには自分にけっこうよく似た、ひとり参加の人がいる。
そういう人が大勢いる。連帯ってこれだと感じる。
勇気のある人があっちこっちからきてマイクの前で話すけれど、
考えていることはあんがい自分とおなじで、
原発の事故というものがいかに恐ろしいか、事故の収束についての悩みが、
疑う余地のないギリギリの恐怖と悩みなんだと、みんなの悩みなんだと、
そのことが具体的にわかる。
さまざまな地方からやって来た人の口から、直接きく、驚くようなニュース。
反原発意識は、自分の家にもどって一人になったからといって、変るもんじゃないのだ。

それでも、
百万人のデモが実現しなかったことがすごく残念だ。
権力のやりたい放題は、百万人があつまらなければストップしないだろうと思うから。

なんで東京都庁は
11/11日比谷公会堂を貸さず、反原発集会を妨害したのだろう?!

追記
12日東京新聞夕刊によれば、デモの参加人数
主催者側発表だと100、000人。

3時からと5時からと。だいたいこんな数字になるかと思う。

2012年11月11日日曜日

『菜摘子』展・第4回


小田急線狛江駅の泉の森会館(駅から2分)で、11月13日まで、
『菜摘子』展があるとご案内をいただいて、出かけた。

お茶を飲むまんなかのテーブル。こしかけて、ぼーっと全作品を見ていると、
なっちゃんの心の幸せが見える。
万葉集からとって、菜を摘む子と名づけた母親の暁子さんが護った心の幸せだ。
やわらかく無心な、純粋な幸せを、絵というものにできるなんて。
そこがすごく不思議。
その不思議はヒトというものの不思議さだなあと思う。

まっすぐなまま。それがかたちをつくる、なんの技巧にもじゃまされない絵。
私たちはふつうならば紆余曲折の果て表現に達するのだが、
岩崎菜摘子はまっすぐにそこへ行く。
そしてあるがままかどうかはわからないことだけれど、
温かい、きれいな、やわらかい心が、私たちに届けられるのだ。
人間というものの元素に、こういう美しい感覚が備わっているということは、
なんて安心で、なんて嬉しいことだろう。

はじめて会うのに懐かしいような人たちと、
ゆっくり、ゆっくり、『菜摘子』展の、時間が流れる。
盛会だった。