2012年12月25日火曜日

かぶきちょうの子やくざ


ピカソが少年時代に書いた絵とか、習作のあとかたを眺めると、
10才でも13才でも14才でも、15才で描いた「初聖体拝受」など特に、
生まれた時からもう画家として完成していた、
そう断定されるわけだと思う。

老年のピカソを写真家が写すと、私が気になるのは目玉だ。
縞のかんたんなTシャツに短パン。
カメラのレンズを、大きな目玉が、ピカソが、なんの気負いもなく眺めている。
こんなドンピシャリの強い視線を、自分は対象にむかって当てたことがない。

ピカソの目玉。思うにそれは、自信というやつ。
自分の目でそのまま世界を眺めることを、自他共に許した目玉なのだ。
いいもわるいもなく、ということである。
そういうことが、日本の子どもたちにゆるされたら、どんなにいいだろう。
いいもわるいもなく、あるがままを自分の目で見るということが。

今日みたいな空気の冷たい、枯れ枝を陽光がキラキラくるむ日、
ひとりの子どもが私の思い出のなかを出たり入ったりする。
幼稚園で働いていたころ出会った、凶暴な顔した坊やで、
4才ぐらいなのにそれはもう迫力満点。
「かぶきちょうの子やくざ」というあだ名をつけたぐらいだった。
歌舞伎町の子ヤクザ、ですよ、すごいでしょう。
生まれて4年しかたってないのに、なんでこんなけわしい顔付きになったか、
私どもは親のせいにし、親は幼稚園のせいにする。
したがっていまのところは解決不可能、お手上げなのであった。

かぶきちょうの子やくざは凶暴で暴れ放題、
私など、担任が平然と対処する姿を遠目に見ては、よく平気ねとビクビクしていた。
それなのにある日、おさだまりの手が足りない朝がきて、
「園長先生、おねがいします、ちょっと15分だけ見てていただけますかっ」
そんなことできないと思っても、立場上逃げるなんて論外で、
「あっ、ちょうどいいところに来たじゃない」
紙の長剣をにぎりしめて、今にも私をブッ叩きそうな顔にむかって、私はにっこり、
かたわらの紙の山を見せ、
「運がいいわよあなたって。見てごらん、素晴らしいと思わないこの紙?」
私はゲームがきらい、保育もだめだ。
テキが長剣を持っていれば、私の話題はあわれ長剣に限定されてしまう。
ビビッているせいで気のきいたことなどなんにも思いつけない。
「これでそういう剣をつくったら?」
つくってそれで刺されたらどうする、などと思いつつすすめると、
子ヤクザのほうはギロリと表紙の山を睨んで問答無用の形相、
しかしイヤだとは言わない。
いいのかしら。

「ほら絵本のカヴァーよ。見てよピカピカでしょ、剥がしたばっかりなのよ」
幼稚園では新刊本のカヴァーは、もったいないけど全部剥がして捨てる。
彼はイヤそうに椅子にこしかけ、不満げに紙の山をながめ、
子ヤクザにふさわしいしゃがれ声でポツリと、
「あスイミー」
そうか、幼稚園でせんせいが絵本を読むときは、どこかできいているのか。
「知ってるの?」
「うん、うちにある」
インテリやくざというか、たどたどしいけど4才にして字も読めてる。すばらしい。
どろだらけ凶暴という見てくれと、文化的教養のアンバランスが絶妙なのだ。
思い出した、まだ4才だった。かわいいのだ。
「どの色がいいか選びなさい、何枚でもいいわよ、あげる」
カヴァーは50冊分ぐらいあった。本屋から着いたばかりの新品である。
子やくざはぶっちょうづらのまま、だまりこくったまま、
きれいでロマンティックな青だとか黄色だとかピンクの絵本のカヴァーを、ゆびさす。
「ふーん? あなたっていう人は、色彩感覚がいいんだ?」
「しきしゃいこんかく、なんだそれ?」
彼はホントにいちばんステキな表紙を選ぶわけで、
しかも必要な分だけ受け取ると、もういらないと首をふるのだ。
よくばりじゃない。おくゆかしいところがある。
親御さんのことはウワサでしか知らなかったけれど、
これはきっと、子どもをだいじにしている人たちなんだろう、とまあ想像した。
「じゃ、それで剣をつくればいいじゃない?」

二日後。
かぶきちょうの子やくざが、いつものごとく泣く子をしつっこく追い回し、園内騒然。
恐ろしい形相で紙の剣を振り上げ、ギャーッとなったすごい瞬間、
職員室から飛び出した私がこの子とバッタリ鉢合わせしてしまったのである。
どうなるか、双方息をのんで立ち往生、
なんてまあ恐ろしい形相だろうかと、私は仁王立ちの凶暴子やくざをながめる。
捨てるには惜しい記憶があったと残念、私だって、この子だって。

その時のことである。

子やくざは、すばやく表情をフツウにもどし、
私のあたまを長剣の先でチョンチョンと、挨拶のように、二度叩いた。
それから、猛然だんぜん凶暴やくざ顔にもどったかと思うと、
逃げだした子を追いかけ、わーっと園庭を飛んでいってしまった!!
こんなことは、こんなような変身は、子どもにしかできない。
りょうほうともが自分なんでしょ。
ハスキイな声で「えんちょうせんせい」と言ってたっけ。
私が園長だからと、加減したのだろうか。
幼い彼の文化のなかに、そういう気遣いのようなものがあると思って、
またも私は親御さんの姿をすこし想像したのである。
私たちの幼稚園とこの坊やの親御さんとはどうしても折り合えず、
申し訳なくもついに転園されてしまったけれど、
いつ思い出してもかわいらしく懐かしい。

世界の人々がピカソをそのまま認めるのは天才だからだろうか。
子どもはみんな、どこか天才ふうのものである。
なんとかして、あるがまんまのそのまんま、みとめられたらと思う・・・。
・・・だってねー、くっきり、はっきり、すごい子どもだったんだわよねー。
ピカソみたいに坊主あたまで。

2012年12月20日木曜日

選挙こそ巨大で偉大な意識調査だ


五日まえの私は今日の私と、それほど変らない。
選挙前の日本人も選挙後の日本人も、おなじヒトだ。
べつに。

選挙の前,われわれは、
胡散臭い「意識調査の結果」をきかされる。
私は思う。
選挙こそは、巨大で偉大な意識調査だと。
今回の選挙は、「意識調査しただけじゃないの」と言いたいぐらいの惨状だ。
こんな貧相な選挙で、憲法や原発の未来を決定されてはたまらない。
じょうだんじゃないでしょ。
投票率59・32%。
40%もの人が投票所に足を運ばなかった選挙!
そのうえ投票した中でも白票が異常に多い。無効投票戦後最多。
朝日新聞を読んだらそう書いてあった。
それだけの国民が、どこにも(自民党にも)票を入れなかったのである。

しかも、
投票率が議席数に反映しない。
それはもう憲法違反なほどに。
「この選挙はしたがって無効である。」
そういう訴訟をはやくも弁護士たちが起こしたそうだ。

すがすがしくない、子どもに顔向けできない、日本のズルイおとな。
原発OKかNOか。
「国民の命と国土」の喪失・被爆するから住めない場所化する・をどう防ぐか。
そういう選挙だったのに。
投票所に行かないのってよくないよー。
だから当然みたいに、ついでみたいに憲法まで変えようとされるのだ。

「圧勝」という文字を無頓着につかうマスコミは、
原子ムラの住民で軍国主義者だ。そう思われたって仕方がないでしょ。

自民党に投票しなかった人は多い。
全有権者(投票権をもつ人)ということで計算すれば、
小選挙区で24・67%、
比例代表なんか15・99%
それしか自民党は票を獲得しなかった。
自民党支持者って少数なのである。
なにが「圧勝」だ。

議席はマジックでとったかもしれないが、
民意はべつのところにある。

「圧勝」「原発続投」「憲法を今こそ変えよう」
自民党とマスコミは鬼の首でもとったような顔でそう言う。
しかし、べつに巨大な民意を反映してるわけじゃない、数が合わない。
新聞だってそう書いている。
新聞って、読みきれないほど記事が載っているけど、
おなじ新聞紙上でべつべつのことを書いたりして。

選挙戦という。
「戦」に負けたのは実害もあるし、よろしくないが、
実数でいうと、原発絶対反対は多数派である。
私たちが選挙まえと変らなければいいのだ。
ずーっとデモを続け、識者の知恵をもらい、頭脳をみがき、工夫もして。
なんとかしてがんばろう。
子どもたちの健康のために、若い母親たちのために。

2012年12月19日水曜日

選挙のあとでライブの話


天にたいして
やや ななめ
地にたいして
ややななめ

この巨大なシャクトリムシの
口の先から
ぎんの糸が一本
まっすぐに
地球の中心までとどいている

風に鳴る鳴る
銀の糸

   
まど・みちおさんのこの詩を読んだら、
選挙のせいでがっかりし痛んでいた心が、まあまあ、と少しおさまった・・・。
ななめ、ということばで想うのは、ウラジーミル・マヤコフスキーの詩句だ。
ずーっとむかし、エレンブルグの本でみつけたのである。

     私は自分の国に理解されたい、しかし、私は理解されないだろう。
     よろしい、私ははすかいにふる雨のように、故国の端を通っていこう。

よろしい、と少数派なら、幾度も思うことはあるだろう。
はすかいにふる雨のように故国の端を通るのだ、と。

そして私は、さがしていた歌い手をみつけたことを思い出した。
金曜日の夜、ピン・ポン・パンクのアサくんのライブで、やっと彼に会えたのである。
西村卓也の弾き語りが「よくわかる気がする」人は多いはずで、
Life is water と組み合わせて、私もライブを主催してみたい。
ロックをすこしばかり私の友人たちのほうに近づけて。

三月か四月にとおねがいしたら、よろこんでと言ってもらえた。
風に鳴る鳴る
銀の糸

そういうことを魂の糧に、めげたりしないぞという生き方だってある。

2012年12月18日火曜日

選挙が終わって


選挙がおわって、
私が感動をもっておもいだすのは、
12月14日、荻窪駅頭で、山本太郎を応援して、歌手の沢田研二が行った演説だ。
    12月14日、荻窪、山本太郎、沢田研二 と検索し、
    ぜひとも直接、このふたりの選挙演説を動画で見てほしい。
    すがすがしく、て優秀なメッセージである。
    やっと新しい人間が登場しはじめたんだと思う。
    いいじゃないですか、こんな邪悪な選挙にはじめて負けたって。 
    
気分がよかったことは、ほかにもある。
12月14日の金曜日。
私は国会デモに出かけ、そのあと、
早稲田のゾーンBで行われたピンポンパンクの、
アサくん主催のライブに出かけた。  
まあ一晩に両方掛け持ちしたのだから面白い経験である。

国会周辺はその日、小沢一郎がデモ隊の前で演説するそうで、
よそ目にもピシッとしまった雰囲気、けっこうな人出でもあったけれど、
ゾーンBのアサくんのライブだってなかなかのもの。
ステージをふた手にわけて、
弾き語りみたいなのと、絶叫型と、
好きなようにみんなが階段をのぼったり降りたり、あっちこっちする形式、
主催者は気をつかって大変だったろうけれど、これが「自由」でよかったのである。

さっきの国会での原発反対のシュプレヒコールが耳に残るまま、
weddinngs の演奏を私はきいたけれど、この草っぱらのキンポウゲみたいな
二人組のちょっとヒトをくったジョークが、みょうに革命的に思えたからあーら不思議だ。
選挙にあしたは行きましょうよと、なにか演奏しながら乱雑敬語で言ったりする、
FourTomorrow やら Life is Water やら。
会場の空気にそのまま通用しているらしいのがめずらしい。
ロックだからって、まえはもっと月並み保守的、サラリーマンふうに見えたものだ。
国会と、ここ。
反原発だとか、憲法を護れだとか断固として言いたい場合、
(そういう若い人ばっかりじゃないのがビックリだが)
どっちが有効かというと、国会よりこっちかなーもしかして、と思う。

だってねー、わからないわよ。
小沢一郎の演説より、山本太郎の演説のほうがずっといいと思うから。
直接、見たり聴いたり読んだりしなきゃ、権威主義では夢も希望もないのだ。
ケンイ主義ってどういうことか。
信用できそうな感じの意見をもうすぐ信用して採用することでしょ。
それじゃ足りない。
国会周辺でだって、ライブハウスでだって。
自分でさがして、新しい考え方と生きる方法を見つけなければと、そう思う。
滅亡したくなければ、
いま我々は待ったなしで、本気になって、自分の方法で学ぶしかないのである。


2012年12月13日木曜日

多摩市民塾・地震の日


多摩市民塾の私のクラスでは、いよいよみんなが、
自分で選んだ作品を朗読する段階となった。

味わいの深い面白い練習。
提出された作家の文章を、予習するとき、
ああ、私たちは同じ時代を生きたのだなあと、つくづく思う。
どう朗読するべきか、どんなに頭をヒネってもいい知恵が浮かばないもの、
(友人たちに朗読してもらいディスカッションもしたりして備える)
私がついつい敬遠していた作家の格調の高い立派な文章や、
うわあ、よくこれを見つけたものだと嬉しいような名文、
いずれも高齢者の多い市民塾ならではのゆたかさだと思う。

今回は、
高村光太郎の迫力気力度胸満点の詩、「冬が来た」の朗読があって、
朗読者は弱々しげな白髪のほっそりとした婦人だったから、
詩と朗読する人の印象のちがいにおどろいて、
茨木のり子作の、詩人の評伝があったっけと思い、
「うたの心に生きた人々」を家にもどってから読んでみた。
なるほどねえ。高村光太郎ってやっぱり大詩人だったんだ。
あらためてそう思うことは、うれしいことだった。
この小さな本には、光太郎のほかに与謝野晶子、山之口獏、金子光晴の肖像が、
きっぱり、いきいき、あざやかに、元気よく浮き彫りにされ、修められている。
ーちくま文庫(1994年)

おなじ日、「私が一番きれいだったとき」を朗読した人がいる。
詩人茨木のり子の作品である。
この有名な青春の詩を朗読したのは男性であった。
病気の人で、病気だということをちっとも隠さない人で、
彼の朗読をきくと、いつも私は「努力」というものの優しさを思う。
・・・日々の、おだやかな、素直そのものの、不屈の・・・。
私の不備なレッスンを理解しようするこの人の親切に、私はいつもおどろく。

「茨木さんはいきいきと反抗的な魂をもつ人だったでしょう、
ですから、元気に明るくということを年頭において朗読してください。」
明るい声をテーマに始めた練習だったからそう頼んだが、
朗読をきいて胸を衝たれた。
少女であった詩人が、戦争のあいだに失った時間、
いくら悲しんでも絶対にとりもどせない、人生、というもの。
明るく、張りのある声音で、それはそうしようとしながら、
彼は、時間を失ったこと、手がとどかなかった望みがあったこと、
とりかえしがつかない時間をすごしてしまったこと、
すなわち私たちの生命の喪失そのものについて、説明したのである。

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしはとてもふしあわせ
    わたしはとてもとんちんかん
    わたしはめっぽうさびしかった

    だから決めた できれば長生きすることに
    年とってから凄く美しい絵を描いた
    フランスのルオー爺さんのように
    ね

それはとてもよくわかる朗読だった。


この日は、講座のあとが忘年会だったけれど、
府中駅の7階レストランで地震に遭遇。
どうなるのかしらと、お隣さんにぐらぐら揺れながら聞いてみたらば、
井上 靖の「西行」を朗読したその方が、いかにもそれにふさわしく落ち着いて、
「いや、ここは最上階ですから、一階や二階にいるよりはいいですよ」
「いいって、ど、どういうことですか、それは?」
「いや、下のほうよりましでしょう」
そうかもしれないけれど、そうじゃないかもしれないじゃないの。
「大丈夫でしょう、たぶん」
男の人たちはニコニコしている。
「ま、飲んじゃおう!」とこれは私。
一応センセイだから図々しいことである。
まあとにかく・・・などと言いながら、
みなさんのご好意がとてもうれしい、印象的な忘年会でした。
ほんとうにどうもありがとう。

2012年12月10日月曜日

岩崎菜摘子の朗読


菜ッちゃんが、一冊まるまる絵本を朗読してくれた。
私の家で、そこにいるみんなに。
リュック・ジャケとフレデリック・マンソの「きつねと私の12ヶ月」。
暁子さんがずーっと眼をつぶってきいていた。

暁子さんは菜摘子ちゃんの母親で、
菜摘子ちゃんはダウン症であり、画家であり、三十五才の童女である。
暁子さんはシングルマザーだ。
学生結婚をし、はやばや離婚し、働きながら菜摘子ちゃんをひとりで育てた。
いま、ふたりは暁子さんと菜ッちゃんとで、なんというか1・5人のように見える。
そんな言い方はおかしいけれど、そう見える。
人間は1人のものだから、1・5人をやるのは苦しいだろう。
暁子さんはくたびれている。
眼をつぶっていても、眼をあけていても、
「田園交響楽」(アンドレ・ジイド)の、あの盲目の少女がけっきょく告白するところの、
・・・人間の顔がこんなにも悲しいものだとは思わなかったという、あの苦悩の顔だ。
でもなんて深みがあって人間的な、きれいな顔なのだろう。

菜っちゃんの素晴らしかった個展の、あるふうっとした時間、
暁子さんに言われて、「きつねと私の12ヶ月」を私は朗読した。
個展のあいだ、もしかしたらタイクツするのかもしれないと思い、
気持ちがわからないなりに、会場におみやげにもって行った絵本である。
菜摘子ちゃんの表情がそんなによめない私は、
朗読が彼女にどうきこえていたのか、本当にさっぱりわからなかった。
でも、個展がおわって何日かたつと、
菜ッちゃんは「きつねと私の12ヶ月」をお母さんに読んできかせた。
暁子さんに。一冊まるごと終わりまで。ぜんぶ。
「菜摘子がそんなことができるようになっていたなんて、知らなかった」
お母さんは私におどろいた顔で言った。
そうかあ。
子どもはおとなになると、絵本を読んできかせるって、しなくなるんだっけ。

菜ッちゃんの朗読は、
10才の少女の孤独な、そして幼くわびしい理解の様相を、
ほとんどあますところなく描き出した。
愛情というものの、途方にくれてしまう様子が、
指でページを繰るために時間がかかり、物語ることばがたどたどしく途切れ、
しかし、曖昧なところのない確実な発声でもって、物語られていく・・・。
それはまことにあの絵本にぴったりの読み方であった。

理解とはなるほどこういうものではないか。
時間がかかり、たどたどしく、しかし結果として心が確実につかまえる、
そういった行為ではないか。

私は菜ッちゃんの朗読をききながら想像した。
岩崎菜摘子のこの朗読も、あの数々の美しい絵も、
岩崎暁子という母親の精神世界からくる複雑多岐にわたる洪水を、
洪水のような言語を、
ダウン症で一人娘の菜ッちゃんが毎日浴び、
洪水だから受止めかね、
それでもいくつもいくつもの言語を、菜ッちゃんの身体全体がどうしようもなく受止め、
おそらく多くは流れ去ってどこかに消えてしまい、
しかし唯一無二の母親を信じ、愛して、こだわる心が、
辛抱づよくいくつかを拾いあつめ、
ゆっくりと菜ッちゃん自身の手で再構成が行われ・・・、
そうやって作品というものは誕生するのだろうか、と。

なんてきびしい人生だろう。
それなのに菜摘子ちゃんの絵は幸福そのもので、
私たちみんなを温めるのである。

1・5人であることはどんなにかたいへんだろう。
岩崎暁子という生来孤独な、小説家になったはずだろう女性の子育てが、
そのきびしさと深みが、たくさんの人たちに影響をあたえてくれたらと私は願う。


2012年12月7日金曜日

今回の選挙は


「誰を選んだらいいかまるで判らない」
みんながそういう悲鳴をあげているんだとか。
バカ言っちゃちゃこまる、と思う。
誰が信用ができ、どの政党がウソをつかないのか、なんて。
わかるはずがないじゃないの。
ただでさえ日本人は「たてまえとほんね」がみんなちがうのだ。

サラリーマンは飲み屋で言うことと会社でいうことがちがう。
先生は生徒に言うことと職員会議で言うことがちがう。
私たちはあっちの友に言うこととこっちの友に言うことが微妙にちがう。
仲間に言うことと、自分の夫や妻に言うことまでちがっちゃう。
アーティストだってめったに本音なんか言わない、ウソばっかりだ。
・・・・たてまえとほんねがおなじだと「失職」しちゃうんだもんね・・・。

認めよう、たしかに、はいはい、はい、
私たちは今、そういう国民であり都民である。
それがワルイというヒマはない。選挙まであと10日しかない、冗談じゃない。
政治家は信用できないらしい。信用する時間もない。
しかしそういう自分は誰かに信用されているのか。
何年もかけて、信用できる友人の1人でもできたのか。
さっぱりわかんないのよ、いまさらそんなこと。

でも、そんなでもこんなでも、わかることはある。
選挙の争点はわかる。
争点、つまり絶対にゆずれない一点だけは。
それが今度ほどわかりやすい選挙はない。
今回の選挙は「原発やめるか・やめないか選挙」である。
原発をやめるか・やめないか、その一点を自分でシッカリ決定したい選挙だ。
人生は、いのちあってのモノダネではないか。
もう一度五十四基の原発のどれかが爆発事故を起せば、わが国土はどうなるのだ。
それは、どう考えたらいいか判らない、なんてこととはまったくちがうだろう。

おおざっぱにいうと、
原発やめない、は自民党と、それからもちろん石原・橋下コンビの党である。
その他7党は、口では、とりあえず脱原発。
十年かけて廃炉、というのが「新党日本」「日本未来の党」「新党大地」。
すぐやめる、というのが「共産党」とか「社民党」とか。
(東京新聞を読むと主張が表になっているから見やすい。)
そうかどうかしらべてみてくださいね。

私は思う。
できるかできないか、信じられるか信じられないか、
そればっかり言い立ててどうなる。
投票権を持つ圧倒的多数者の支持があれば、「できない」は「できる」に変化する。
投票もしないで、「信じられません」なんてことばかり言うのは無責任だ。
私は全原発の即時永久停止を願う。
したがって私は、すぐやめる、に投票したい。
十年って、0才のあかちゃんが10才になるまで?! 待てない!
そのあいだに何人の総理や都知事が交代し、何基の原発が事故を起すのか。

2011年3月11日。それが去年だなんて信じられない、
もう何年も苦しんできたような気がする1年9ヶ月だったと思う。
フクシマ原発の問題を、いったい世界はどう見ているのだろう。

世界保健機関 WHOはどう考えているのだろう。
国際原子力機関 IAEAはどういう判断をもっているのか。
欧州連合 EUの考えは?

1996年4月、チェルノブィリ事故から十年目。
WHO、IAEA、EUはウィーンで国際会議を共同主催したという。、
ここに参加した各国政府関係者、原子力専門の科学者や医学者たち、
世界最高の情報と知識をもつこれらの専門家たちは、
この福島の事故がいつごろ終わると考えているのだろうか?
日本だけでなくこの地球がどうなると判断しているのだろうか?

世界にむかって窓をあけ、情報をかくさず、人間的で政治力のある都知事を、
たしかに原子炉を全部廃炉にしようと闘う都知事を、まずは選びたいものである。


2012年12月1日土曜日

原爆投下から67年 原発事故から1年9ヶ月


今日中にどうか読んでいただけますように、みなさん!

きのう、みっちゃんがうちにお見舞いに来てくれて(私が左手に怪我)、
あした12月2日の小集会の話になった。
いつも思うことだけど、この人ってえらい人なんだなあと思う。
町田の被爆者とともに生きる会の催しを、成功させたいともう一生懸命。
参加者が少なかったりしたらもったいないでしょと気に病んで、
今から申し訳なさそうな顔をしている。
この「被爆者とつどう会」の副題は以下の通りである。
「原子爆弾投下から67年 原発事故から1年9ヶ月」

みっちゃんならではの企画。
( 私の窓口が本間美智子だから、みっちゃんならでは、などと偏ったことを言うけれど、
 町友会のみなさん、おゆるし下さい。)
てんこもりだけど、きちんとしている。
原発事故以来、私たちの気持ちのなかを彷徨って、理解も解決もできない疑問に、
正攻法で答えようという考えがモトになっていると思う。

   Ⅰ 短編 ドイツ国営テレビ放送ZDF制作 「フクシマの嘘」
   Ⅱ 被爆して67年・町田の被爆者の話
   Ⅲ 福島から町田市に避難して(鹿谷さんの話)
                    (休憩)

   Ⅳ 東京新聞「こちら特報部」
    野呂法夫デスクより
   「原爆と放射能の問題を追いかけて」

     質問と懇談

参加費無料
時間と場所は
町田駅下車5分・コメット会館5階・13時~16時
問い合わせ先・・・本間美智子・044・987・4785

マスコミがいかに無節操であるか、不信感をもち愛想をつかす人は多い。
しかし、金曜日のデモに参加すると、
東京新聞がちゃんと報道してくれている、という声高な話をきく。
そうだと思う。うちは東京新聞だからそうだと思うのである。
どういう仕掛けでちゃんとした報道ができるのか、
デタラメを報道する各マスコミの根拠と理由はどういうものか。
それを直接東京新聞に聴こうなんて、よく考えついたものである。
ダメモトでもと思いながら電話をしたら、思いがけなくも
「こちら特報部」デスクをゲットできたのですって。
たいした度胸だと思う!

あしたは二次会もするのだとか。
なにとぞ万障くりあわせてご参加くださいますように。