2013年7月30日火曜日

みっちゃんが東京新聞にでてる!


今朝、朝刊をぱらぱらめくっていたら、多摩のページにみっちゃんの写真が!
記者さんと話をしたと聞いたけど、こんなに大きく扱ってもらえたなんてびっくりした。
自分の顔がきにくわない、トシを書かれたと、グチってる声が聞こえるようでおかしい。
実際のみっちゃんは、なんともやわらかで純粋無垢という印象。
きれいな人だから、私のまわりの人たちは、いつもみっちゃんを、ちらちら眺める。
なんだか気がやすまるし、不思議だし、気持ちがいいからだろう、きっと。

今日の記事はみっちゃんが代表をつとめる被爆者を支援する町田市の
「町友会とともに生きる会」が発行した小冊子、
「被爆のこころで 7」の紹介、宣伝が目的である。

寄稿した人たちは、長崎・広島の被爆者4人。福島の被災者3人。
編集のしかたがとてもよかったのだろうと思うけれど、
どの文章もわかりやすい。
読む人が納得するように語られ書かれていることに、おどろく。

みっちゃんとよく行く喫茶店で、私がついつい、読んでみてくださいとお願いしたら、
そこはウィークエンド・カフェという小さくてとても静かな洒落たところだけれど、
私たちがランチをおわりお茶をのんでゆっくりしているあいだに、
女店主は厨房でひっそり、おどろいたことに大半を読んでしまい、
読んでよかったです、
こういうことを私なんかよく知りませんから、
と店に置くことにして下さったのである。

みっちゃんはとても喜んだ。
自分じゃなかなか頼めないと言う。
私も自分の開く会のことを自分から頼むって、たいへんだ。
人のためならがんばれるけど、自分のためとなると難しい。
こういう美質まがいの弱点?をなんとか乗り越えないと、
いろいろな運動も活動も、大きくはなれないのよねえ、どう考えても・・・。



2013年7月26日金曜日

東京新聞、野呂記者と


今日は、原発をどう考えたら、ということで
「原発問題あれやこれや・野呂法夫記者にきく」
という会をひらく日だ。
野呂さんは東京新聞「こちら特報部」のデスクであり原発報道の率直さゆえに、
ふたつの賞を受けた人である。
大記者なんだと誰かが言っていた。
「第六十回菊池寛賞」と「第一回日隅一雄賞」
有名で伝統ある誰もが知っている賞と、できたばかりの賞である。

この会は私が考えたものではないが、なりゆきで発起人の一人となった。
発起人は三人いて、気がつけばみんな、
かつて小学校と幼稚園で教えていた者である。
孫がいて、団地のご近所さんで。
私は団地住いのよさを、しみじみ感じている。
人間の関係が、もちろん人にもよるけれど、楽しく、感動的なのだ。

野呂法夫記者が、きわめて誠実だということに驚かされた。
メールにも、電話にも、あっというまに対応してくださって、
傲慢不遜なところが全然ない人である。
私には新聞記者の生活なんて想像もできないが、
講演会のレジメをつくるに際しての、手抜きをしない努力の仕方にはビックリだった。
選挙だって終わったばかり、八月一日の転勤移動を控えて、
いったいどれほど多忙な毎日の隙間でこの努力がされたのだろうか。

講演のお願いをして、今日の日がくるまでに、
原発の話をきいてみることさえ、考えることさえ、拒否する人にたくさん出合った。
参加者が少なかったら少ないなりに、実りのあるよい会にしたいなあと思う。
気持ちのよい集まりは、好意や、人知れぬところでの努力や、
よりよく生きてみたいという意志の積み重ねである。
会が終われば、そういう人たちが案外自分のまわりには多いとわかる。

しっかりしよう。
あしたから、また元気に生きて暮らしたいものである。


2013年7月24日水曜日

選挙がすんで

新聞のコラムに鎌田慧(さとし)さんの短文が掲載された。
「選挙がすんで」というタイトル。
こう書いてある。

 「期日前投票所に人影がなかった。投票率が低かったら、
 団票の多い与党が有利になる。不安を感じたが、予想通
 り自民党の圧勝だった。野党側の四分五裂は眼を覆うばか
 りで、民主党への批判票は共産党に流れ、沖縄と脱原発の
 運動が、糸数慶子、山本太郎さんを辛うじて議会に送った。
   いま、ピースボートに乗船して、ベトナムのダナン港にむか
 っているのだが、これから先を思うと気が重い。自民党は  
 「絶対安定多数」に自信を深め、改憲準備を進めのだろう
 が、その前に米国側の要請を受けた、「集団的自権」行使
 の合憲解釈にむかうであろう。
 憲法第九条二項が禁止している「国の交戦権」を認める閣議
 決定をして、内閣法制局と対立するのだろう。また原発の再
 稼にこだわる安倍首相の圧力に、原子力規制庁はどれだ
 けできるか。
 戦争と原発への反対を表明している公明党は、閣内にいて
 どれだけ抵抗するのだろうか。国会議員を選んだわたしたち
 は、国会の外にいて、戦争と原発再稼動への批判の声をさ
 らにさらにひろげ、本気で行動すべき正念場を迎えた。
 まず安倍政権は秋に「秘密保全法案」を提出しそうだ。昔の
 自民党のような数に任せた傲慢政治を許さない、日本の平和 
 と安全をつくる、共同の運動がこれから必要とされている。」

全文である。こんな字数で、こんな指摘ができるなんて、鎌田さんはすごい。
とにかく、秋はもうそこまでやって来ている。どんぐりは木の上でもう実をつけ、
糸トンボも水辺からふわっと飛んできた。
本当に安倍政権はこの秋、「秘密保全法案」を提出するのだろうか。見てみたい。
なんの秘密を保全するのだろう?
みんなの政府なら、なんにもみんなにかくさない、おおらかな政府であってほしい。
秘密より日本人の不幸の回復を、みんなの必要をまず満たす政府がいい。
アメリカの要請がなんだろうと、交戦権禁止をうたう自分の国の憲法を守ってほしい。

選挙の結果を知りたくて、ひさしぶりにテレビをみてビックリした。
ニュースキャスターというのか、昔でいえばアナウンサーだけれど、
女の子の目がおかしい。なんであんなに恐ろしいようなぎらぎら眼玉なのときいたら、
カラーコンタクトのせいだと、よく知っているヒトはそれが当然のように話す。
半カツラかぶってバレないと思っているらしい初老の誰それが、政治家だったり
大学教授だったりって、もしかしたらそっちのほうが印象がよいのだろうか。
これじゃあ、私のように容貌にめぐまれない者は立つ瀬がない。こんなありのままを
認めない不自然な世界が、いいわけないとウンザリだ。

選挙や政治を思うまえに、なんだかもう、そっちでイライラしてしまう。
事実をありのままに歪曲せず伝えることが役目の者が、男も女も内面は問題にせず、
化粧おばけとなり果てて、毎日がパーティーといわんばかりの格好だなんて。
なんでこうなったのか、さっぱりわからない。
こんな世界が、私たちみんなにとって居心地がいいわけがない。
平和や安全や、共同の運動は、自然を無視してのし上がりたい人間に指導されて
うまれるものだろうか?

なんだか手に余る現実がのしかかる昨今だ。
本気。正念場。
本気も正念場も、行動も、ほんと手に余る。

2013年7月23日火曜日

手工業的くらし


4月にライブを開いた。
朗読と弾き語り(歌)と英語の朗読という組み合わせなので、
頼むのも、人に集まってもらうのも、準備もたいへんだった。

6月の末には朗読の発表会を開いた。
一ヶ月に一回の練習を、朗読者の都合にあわせて「何回でも」にした。
その合間をぬって原稿を書く。

これがパンク・バンドのCDの解説という難題。
「書けっこないだろう幾らなんでも」
というのが大方の予想だったから、それが出来たらオリンピックみたいな感じよねと
引き受けてしまった。
さてそれで。
CDを受け取り、歌詞カードを受け取って、CDプレーヤーを前に腰掛けたけど、
どんなにガチャガチャやっても音がどうしても鳴らない。
CDのスウィッチってどれなの?と電話で息子にきいたら、
「うちの母さん、CDがかけられないって言ってるぜ、おいおい」
電話のむこうで長男があきれ声だ。
忙しいのに悪いと思うけれど無理にも教わる。
これから解説を書こうというのに曲がきけないなんて私だってこまる。
説明がやっとわかった。
「最初の曲がかかったわよ、助かった」
私はありがとうと電話をきる。
CDは調子よく①を何回も繰り返している。
ふーん、おなじ曲を2回やるの、3回やるのと、それが演出なのかと聴いてると、
これはやっぱりおかしい、こんなはずはないと7回目ぐらいには私も思うわけである。

こわごわ、あっちを押しこっちを眺め、やっとわかったことがあった。
このプレーヤーには、無限におなじ箇所を再現するボタンがあり、
その隣りには、一曲終わると次の曲にスッと進んでくれるボタンもある。
そういうわけかベンリなものだ、とナットクしたけど、疲れた。
私って時代おくれ。
でもそれからの私はすごく順調。
もうずーっと、54曲分?CDをつけたり消したりつけたり消したりし続けて、
ハード・ロックもといパンク・ロックの解説?を書いたわけである、とにかく最後まで。
私は全曲ぜんぶ解説してしまい、その結果そんなことした人なんかいないとと言われ、
だれかほかの人の解説を読んでみたことはないのかと聞かれ、
しょうがない全部のっけようかしらとも言われたけれど、
書き直した。
いくぶんか短く。

こんな私にヒトは何故解説させようとしたのか。
それはまたべつの話である。


2013年7月22日月曜日

7/18 鶴三句会


春の句会が、さまざま延びて、今日三回目の「季語は春」の会。外は炎天なのに。
31番から48番までの17句を楽しむ。
あらヘンだ、これはダレの句、オレの句かという感じ。忘れてしまっているのである。、

パタパタと梢を見れば凧哀し

おかしいなこれはええと、ヘンだな、イヤしかしやっぱり・・・。
「たしかワタシがつくりました」と言いつつ、細田さんはまだ首をひねっている。
凧(たこ)哀し。哀しくない。おかしい。自分でも笑っちゃってる。
なんたって4月25日から持ち越して、それでどうしても最後までやろうというのだ。
トシをとるとなんかこう、やめられないのよね途中では。

故郷(ふるさと)の街なつかしきリュウジョかな

村井さんの句である。リュウジョとは、春、柳の熟した実から飛ぶ綿毛のことで
むかし読んだパール・バックの本にたしかそんな場面があったなあと思い出す。
大陸にいた方ならではの郷愁というものがうらやましい。
子どものころ。学校に通っていた道。異国の街一面に舞い散る綿毛。
さて、今日は(というか三ヶ月前には)、流れるようにきれいな句がいくつか。

嵐去り花に埋もれる古寺で待つ
永き世を慈しまれし雛飾り
大木を伐る老師いて春来る

嵐去り、は小林さんの句である。
小林さんは作句にあたってはヒネる?のだ、それもイミシンに。
嵐のあと散ってしまったかと心配したけれど幸いにも古寺の桜はまだ満開、
その花の下である人に「会う」・・・よりも「待つ」のほうがいいかしらんなんて沈思黙考。
つまり遊んでいるわけでしょう、俳句をつくりながら?
「いいなあ」と宇田さんが、苦味ばしった声で、
「こういう境地から離れて何年にもなるけど、ワタシなんかはねっ。
いやすばらしい。こういう句を作る人はあと三〇年は大丈夫ですよ、羨ましいまったくねっ」
ええと、そうなると百才まで生きるということかあ。
ちなみに小林さんが作成中の防災ノウハウの文書はすばらしい。
具体的で、読んでもめんどくさくならない。イザという時の備えに自分も用意してみたくなる。
つまり頭もとてもいいわけで。・・・そう、あと三〇年たっても小林さんは写真を撮りつつ、
思いがけなくもイミシンな句をおつくりになっているのかも、ですよねえ。

私ごとで恐縮であるが、
季語にまつわる評を三國さんからおききするたび、キッと平野さんのほうをにらむのが
私の句会におけるなんとなくの愉しみである、だっておかしい。

大人びた年長さん孫の声

誰かの遠慮がちな、これには季語がありませんよねえ?という声に、
まさかこれはちがいますよねと平野さんを見る。
三國さんがにこにこと、「売るほど豊富な季語をお持ちの方が」って。
やーっぱり平野さんなのがおかしいじゃないですか。
曰く、おれは季語のデパートだと言われたからさあ、今度のは問題提起なんだよ。
それで季語なしに挑戦。ケッコウですよねー。

散りかけて桜吹雪が川に舞う

これは永瀬さんの句。可愛らしくて素直である。
見たままだから、ああ多摩のあそこのあの川だろうかと微笑ましい。
三國さんがおっしゃるには、こういうとき、「とのぐもり」をつかうとよいと。
とのぐもるとは、雲がたなびいて曇るさまである。
「僕らはこまるとよくつかうんですよね」
ふーんなるほど、そういうことかもしれない。
・・・とのぐもり桜吹雪が川に舞う、
そうなれば、説明のつかない屈託がこの景色に加わって、風景が情景となる。
たとえば私などは、ああ灰色だ今日も明日もいいことは無いだろうとズーンと暗くなる。
いくら桜が咲いていたってそれもわびしい人生の象徴のように思えてしまう。
なにを隠そう、私は鬱的人間なのだこれでも。

ふいに咲き白さ目を射る雪柳

私も春は鬱になり易いんです、と川上さんが。
「自分としては春を迎える心の準備がまだなのに。
あの花ってある朝、突然咲きますよね、ぱーっと白く葉が緑になりかかると同時に咲く。
まだ春を早すぎると思わせる花なんです、私にとっては。
うわっと咲いちゃって。」
あーあ。私なんか18号棟の向かいの芝生の雪柳をみると、
そろってないぶかっこうだとそればっかり気にする。
春と自分のカンケイなんかもちろん考えたこともないのだ。
反省していたら、植栽二大老の笑って曰く
「わたしらは、蕾の具合で、これはあと2,3日でぱっと咲くなとわかってて待つからね」
人生はかくのごとく深くて広いものなのであーる。

「詠む聴く半々。おなじようにできることがだいじとはよく言われることで。
川上さんはそれがおできになる、大変けっこうです」
そういう三國さんのお話が興味ぶかく思えた。しかし。
川上さんや小林さんに備わっている、わきまえとか心構えとか意味深長とか、
そういう奥床しいものが自分にはなにひとつないって変じゃないの。
いったいどういうわけなんだろう、親のせいか。
三國さんは、童話俳句をめざしたらおもしろいのでは、と私に言われる。
あなたは童話的感覚だからと。
たぬき?きつね? オランダの羊?