2013年8月14日水曜日

あらかじめ寄せられた野呂記者への質問


原発についての講演会なんて、うまくできるとはとても思えない。
でも参加者に、忙しい時間を割いたけどその甲斐あったと、なんとか喜んでほしい。
小さくてもほのかにでも、心に灯りをともして会場から家に帰ってほしい。

それには野呂記者にマル投げしないで、工夫しよう。
参議院議員選挙の真っ最中で忙しいはずの記者(こちら特報部デスク!)に、
こわいけど悪いけど、メールを送り、
私たちの側からの質問にまず答える「講演」を、とお願いした。
あらかじめみなさんから集めた質問に答える講演を一時間。
そのあと会場との質疑応答一時間半。
聞きたいことをきかせてもらう、そういう組み立て。
いままで私が参加した講演会では、
まず有識者の講演。それから残り時間があれば質問を受け付ける。
これもいいけど上意下達というか、なんかこう気持ちがよりそわないところが気になって。


以下は、当日会場で参加者に配った「質問集」の写しである。
この質問に野呂さんが全部こたえられたわけではない。
なにしろぜんぶで二時間半の集会である。
でも、私たち一般の人間の心もとない必死の質問はだいじなものだ。
だれかがどこかで参考にしてくれるかもしれないし、
質問してみようと勇気がでるかもしれないし。


質問集

Hさん(団地住人)
①原子炉格納容器内のメルトダウンした放射能物質は、
 今後どのような方法で 処理されるのでしょうか。

②ストロンチューム90や、プルトニューム238の報道は
 非常に少なかったような気がしましたが、その理由はなぜでしょうか。

Kさん(学校の先生でした。団地の人)
①温暖化への影響
 原子炉を冷やすのに大量の水が必要。一基あたり中規模の川の水の量を7℃あげて、
 海に流していることになります。これが原子炉の数ぶん・・・。

②メルトダウンしたウランははたして取り出して管理することは可能なのか。
 その間中「汚染」し続けるのか。
 その「オセン」の状態をある程度把握できるようにはなりそうか。

Aさん(図書館活動)
①2011年以降、なにが起こっていたのか本当のことが知りたい。
 アメリカ留学中の友人の息子が「メルトダウンが起きている」と言い張り、
 日本にいる母親は政府の発表から「心配しすぎ」となだめたとか。

②福島第一原発の現状を知りたい。このごろ報道していない。
 汚染水。根本的な解決はありうるのか。

③子どもが受ける影響
 再稼動が始まると日常的な被爆と、事故が心配。どうしたらよいのでしょうか。

④どのくらいの放射能がほんとうのところ放出されたんだろうか。
 わかりやすく示してほしい。

Yさん(私立校勤務だった)
①自然界に存在する各種放射性物質と、
 原発事故等によって生ずる放射性物質はまったく同じものか?

②原発事故で発生した放射性物質は何種類あって、そのすべてが人体に有害か?

③原発事故発生時、東電は廃炉をおそれて海水注入をためらったと承知している。
 今度、管首相(当時)が安倍首相を名誉毀損で提訴したが、真実は如何?
 (管さんが海水注入を止めた、というのが安倍発言)

Hさん(町田、被爆者とともに生きる会)
①原発不必要を一般市民にわかってもらうもっとも説得力があり効果的な方法は?
 電気料金の使われ方がおかしい。その暴露が効果的だと思いますが。
 わかりやすく説明してほしいです。

②原発関係では、どんな訴訟が起きているのでしょうか。
 訴訟の実態が知りたいです。

③日本の小さな街で、自然エネルギーを採用、原発に頼らない努力をし、
 成功している自治体がありますか。町田で運動をするとしたらどういう糸口で?

④東京は実際のところ、どんな状態ですか。
 現在、日本には被爆地域差が、今でもありますか。フクシマと大阪と九州と?

⑤除染の意味はあるのか。

Tさん(母親・高校生と大学生の)
①原発=プルトニウムを持っているということで、
 北朝鮮や中国の日本の侵略の抑止力になる?

②高校や大学で遠泳授業があるが、千葉の海で海水浴は大丈夫なのか?

③原発を日本から廃止する方法は?
 そして、私たちにできる事は、やるべき事は?

④これからの日本は?

Nさん(会社役員:団地内)
①原発がまったくない社会はありうるんですか? それがききたい。
 なんでこんなにウソがはびこるのか。おかしな隠蔽工作ばかりが目立つのか。
 それが僕の知りたいことです。

Yさん(小5女児母親)
①原発事故から2年半経ちました。今でも、福島の農産物・海産物・加工食品などの線量は、
 他の地域のものと比べて高いのですか。
 福島産のものを購入するのをためらってしまいます。
 風評被害という言葉に罪悪感を感じます。

②原発がなくても電力はまかなえると良く聞きますが、本当でしょうか。
 再稼動は必要なのですか。再稼動しない原発はどうなっていくのでしょうか。
 
③洗濯物をいまだに外に干せない友人がいます。
 東京の線量の状態はどうなのでしょうか。




2013年8月12日月曜日

海に行く一日


葉山は一色海岸。
4才の時ここから離れた。よく出かけて行く。
昨日梅が丘へ行き、用事が終わってふらふらと環八沿いの神戸屋へ。
朝食けん昼食のサラダバー・ランチ。
うちに帰るか、予定がない日だからどこかに行くか。
私は具合が悪くなっちゃって気分がわるく、決心がつかない。
それでもせっかく環八にいるのだし、踏ん切りわるく第三京浜へ。
この際だからやっぱり葉山へ行こうと。

着いたら葉山は渋滞、「満車」「満車」の表示ばかりだし人だらけだった。。
夏だから当然かもしれない。
「そうか、夏は来ちゃいけないんだね、日曜なんて特に」
息子が運転しながら感心している。
森戸海岸がことに混雑、そこを抜けても混みあって、どうするわけにもいかない。
それじゃあと、道なりにまっすぐ城ヶ島をめざしてクルマで走ると、
対抗車線がそら恐ろしいような帰宅渋滞だ。なんでまだ二時半ぐらいなのに帰るの?
これじゃ帰りがこわいなと思っても一本道を引き返す決心がつかない。
どうにでもなれとノロノロ。こっち側も渋滞なのだ。
のんびりは楽しい。
畑でスイカを売っていた。
買おうかしらとヒマなので考えるけど、あんな巨大スイカ。
冷蔵庫に具体的に入んないわよねー。
買ったあと、またクルマの行列に割り込むのも億劫。
できない・・・。

城ヶ島にやっと着いた。
暑い。クルマから外にでるとたちまち汗まみれになる。
私は息子をながめてふきだしてしまった。
熱気にぶん殴られたようにボロボロ・・・。
空気はすこし澄んで軽いかなー、たとえ熱気がすごくても。
公園の道をとぼとぼ歩き、思い切って展望台のわきの切り立った崖道を下る。
海は悠々広々。ゴツゴツした崖の下で、みんなが遊んでいる。
波が寄せては返す海水のきれいな場所にやっとこさ腰かけた。

私の息子は私が教育をあやまったせいか「不自然」がTシャツを着たような奴で、
崖だの海水だの努力だのがまるでダメみたい。
腰痛の後遺症でろくに歩けずグラグラしている私を、
「しっかりしろ」とか「大丈夫か」とか、励まそうなんてユメにも思わないんじゃないの。
城ヶ島に到着するや、自分の方がすぐさま暑気あたりでフラフラし、
岩場ではサンダルの足が小石ですごく痛むふう、身体もこちんとこわばって不自由そう。
私のあとから降りて来るけど、崖を滑ってごろごろ落っこって来るかと見おそろしい。
「そういえばあんたって苦手だったわよねー、こういうの?」
あきれてたずねると、
「オレ、ハッキリ言ってこういうのホント苦手だから。お、落ちるから、か、必ず・・・」
恐怖ただようワザトのウラ声に怒ることもできない。

それでいて彼はむかしから海が好きなのだ。
「・・・きれいだなあ、やっぱりいいなあ、ほんとに海は」
ヤドカリを手につかまらせ、海水を気も長くずーっと眺めていたりする。
すごく小さなヤドカリは、中にだれもいないんじゃないかと思うほど小さい。
そして澄んだ海水を貝殻の中いっぱいためている。

着替えはもってきた。
温泉に行っても平気だし、洋服のままで海水につかっても平気である。
べつにただ着替えればいい。タオルも石鹸もある。
城ヶ島公園には水道もある。
見回すと、そうやって遊んでいる人がけっこういた。
私は岩にからくもつかまって海中の砂地に立った。
波の音がいい。ジャッブーンとびしょぬれになったけれど、解放感でいっぱい。
魚もいるし、カニもいる、岩はフナ蟲だらけで繕い物のようだ。
緑や赤の海草がまるまって流れてくる、花のように浮かんで沈む。
涼しい。楽しい。海はやっぱりすごく気持ちがいい。すばらしい。

ねえ、なんでこの海に放射能の汚染水を放出しつづけたの、と心は思う。
自民党さん、なんでそんなことして平気でいるの。
小さい子が夢中になって遊んでいる・・・。お父さんがカニの採りかたを息子に教えている。
むこうのほうでは、あわいピンクの浮き輪が楽しげに波にゆれている。

帰るとき。やっぱり渋滞。やっぱりさっきのスイカを眺めて買わず。
でも往きよりは一色海岸が空いていたから、すこしさがしてパン屋のレストランで夕食。
いつかのむかし、長男がここに就職したらと見に来たこともあるパン屋だけれど、
どんな理由だったか、職人たちの顔が暗いというような。
クルマでの帰り道。
朝から長い一日だった。それが疲れたとこんどは近くの温泉へ。
行き当たりばったりの罰あたりみたいな一日を、またまた延長、さらにずるずる。
まーいいや、明日からまた忙しいんだから。

海ほどスカッとする場所はない。自然ほど気が休まるものは少ない。
人間なんてそんなもん。海を勝手に奪うな資本家。
あんたの子孫だって海水浴をすれば放射能まみれになるのよ。

2013年8月7日水曜日

7/26 野呂記者にきく


「原発問題あれやこれや」。
東京新聞の野呂法夫記者に直接質問を、と計画した会が終わった。
会にいたるいきさつも内容もたいへんだったから、
私なんか終了後に病気みたいになってしまった。坐骨神経痛で歩けない。
歩くと、暑いし空気は悪いし、ぐったりしちゃって、まー、人並みに疲労困憊。
みっともないことである。しかし、万難を排した甲斐あって、参加者50人。
みんなが集まって、直接疑問を解決しようという試みはよいものだった。
自分の耳でじかに事実をたしかめることって、勇気をもらえることだと実感した。
野呂さんに来ていただいてよかったのである。

今回の集まりはみなさんの協力で、参加者がなかなか多彩であり、
自然であり、もの優しげだったことがすばらしかったと思う。
老人もいれば子どもの親もいる。
ながいあいだ反原発運動をしてきた人もいたし、
こういう集まりは初めてというひともいた。
地元のひともいたし、町田や相模原から、八王子からきたひともいた。
男性もいたし女性もいた。宗教者もいたし、私なんかはじめて見るひとも多かった。
ふつうの金曜日の午後だったというのに。

会場の準備や、空調の不具合、わかりにくいプロジェクターの操作、
いつもなら困るのに、今回はそういうことに強い人がいて、
集まったひと達と野呂記者のために、当然のようにずっと配慮してくれている。
ホッとして、私たちの気持ちは和んだ。
私たちとはなりゆきで講演会を主催する破目になった三人である。
年寄りで孫がいて。むかしは教師で。そしておなじ団地の住人で。
その三つが主催者三人の共通点なんて、おだやかでいい感じでしょう?
私たちがヨコに並べば、三匹の?老女なのだ。
そこに、出席の通知のなかったお方が四人連れにて、準備も始めていないのに到着。
カン違いして早く着すぎちゃった、と笑っておっしゃったのである。
四人ともにこにこ。
「うわーい、うれしいな。これで今日一日が幸運だって決まったー!」
クヨクヨ、不景気な予想ばかりたてていた私だけど、とたんに陽気になっちゃって、
はははは、ゲンキンとはこのことである。

しかも、というとおかしいが、
講演をお願いした東京新聞の野呂記者がめったに会えないような優秀な方だった。
never give up  とはこういう態度の人をいうのだろう。
午前中に印刷したから知ってるんだけど、
こんな小さな集会のために野呂さんは、多忙の真っ最中なのに(選挙と転勤!)、
私たちにあわせてレジメをつくっている様子だった。
最終訂正文が私のパソコンに送られてきたのは講演の日の午前一時すぎだった。

原発の事故は言うまでもなく全人類の生死を左右する巨大災害である。
人災である。なんだか悪いことばかりの聞き恐ろしい事故だ。
どうにかして事実と向き合おうとすればするほど、
心のなかの不気味な暗黒が巨大化して手に負えなくなってしまう。
講演会を開く場合、それがネックだし、うとまれる理由だと思う。

・・・講演がはじまって一時間ほどたったところで、野呂記者にメモを渡した。
「ここで一息いれさせてください」
失礼だと思ったけれど、アタマがつかれちゃったのである。
司会の私の眼にも、会場のみなさんの顔が、もう途方にくれてみえる・・・。

以前、わが団地の鶴三会の席上、耳にした意見。
「これ以上、原発について、いま僕が知っている以上のことはききたくない。
どうでもよいとは決して思わないが、
数字のことやシステムのことを、もうこれ以上知っても仕方がない。
原発なんていうものは、本当のことをいえば、元来あってはならないものなのだ。
いま、私が知りたいのは人間のことです。
例えば、なぜ政府や東電は本当のことを語らないのか。
あるいは、原発のない社会は真実可能なのかどうか。」
私は集会の成功って、話をスカッと整理することが重要かもしれないと思っていた。
こんな具合に。

しかし、である。
そうかといって原発事故そのものについての説明報告を避けては通れない。
今日の会の主題は「原発あれやこれや」なのだ。

いったいどうすればよいのか。
ここでケリをつけて、講演としては不十分かもしれないが、
会場にきてくださった人たちとのやりとりに移ったほうがよいのだろうか。
司会者には進行状況を判断する責任があると思うが、
いったいどうすればよいのか、なかなか決められない。

野呂さんは話しながら私のなぐり書きしたメモを読み、たちまちすーっと話をおさめた。

遠慮しいしい何度か野呂さんとメールでやりとりをし、集めたみんなの質問を送り、
さっきの発言についても、こう思うとたどたどしくお伝えしてあった。
それが野呂さんにわかってもらえていたのだということに、
もうすごくびっくりしてしまった・・・。

そこで私は、会の流れを「会場の参加者と野呂記者の一問一答」に切りかえたのである。