2014年12月28日日曜日

いつもだと・・・


年の瀬には毎年のように、
家の内外をガラス窓から始めて一応、大掃除する。
でも今年はしないの。
千橿を預かることにしたから。

おお、もうじき五時、あの子がやってくる。
掃除なんかしてヘトヘトになるより体力温存だ。
あの「暴風圏内」みたいな坊やも、やっと小学校に入って、
少しはニンゲンみたいになってきている。
でもまだ、世田谷区の「小さい大人」になんかならない八才。
善と悪が激しく替わりばんこに突出。
一昨日は考えられないほど良い子だったというのに、
翌日は、好評を引っぺがす勢い、 
「つぎつぎあたり一帯をピンポンダッシュしやがって」 と父親が。
そんなの誰でもやるじゃん?
「でもそれだけじゃないから」
上下左右東西南北型のいたずら小僧なのだ。

ピンポンダッシュね。古典だわね。

千橿がここら近辺でピンポンダッシュし始めたらどうしよう?
この団地は老夫婦が多いからあらーと笑う人が多いんじゃないかと思うけど。
・・・そして昨日の晩から風邪ひいてるんだって。

大掃除をしないってけっこうラクだ。
孫が一人で泊まりに来てくれるなんてのもいいことだ。
と思うことにして、ご飯を炊き、おかずをつくり、アニメを借り、本も用意。
それで、帰りたいって泣かれたら? 泣くのは夜中でしょうよね、たぶん。
昔、仕事でこまって遥を一晩あずけたら、夜中に電話がかかった。
・・・そこのお宅の御主人に抱っこしてもらってシクシク泣きべそをかいていたっけ。

いま京王線に乗ってると母親から電話があった、来る、来る、来る・・・。 はははは。

 

2014年12月26日金曜日

コストコへ


コストコってアメリカ資本の巨大スーパーマーケット。
そこで買ったものを時々おみやげにいただく。
アメリカ人は コストコ方式に慣れている。難なく会員制大量購入をやりこなす。
安いし、食料品は新鮮だし、なんでも揃っているという評判。

そこに友人夫妻に連れていってもらった。
そういえば2011・3・11、ここ多摩境のコストコで買い物客が亡くなった。
駐車場に上る自動車用通路が大地震でもろくも崩れた、そんな記憶がある。
「新聞の見出しの文字が大きかったじゃない?」
いまでは、そんな事故の記憶も痛手も、当然のように克服してしまっている。
文字どおりのスーパー・マーケット、「大」の字がつく・・・。

大きなカートを押して大勢の買い物客がぞろぞろ、ぞろぞろ、
あっちへ行くしこっちに来るし、老若男女、子どもまでまきこんだ買い物ディズニーランド。
若い家族連れが多くておどろくけど、大量に買って、数人で分配するという話だ。
「ああそうなのか、そうすればいいのね」
広いし、試食のご案内もにぎやかで、観光客気分になってきょろきょろしてしまう。
(皇居のつぎはコストコ見物と思うと、私のもの好きも最近は相当なもの)
面白くって私は、友人たちから離れて、ついふらふらーっとあっちへ歩いて行っちゃう。
迷子になったら携帯電話で呼んでみてねという世界だ。
買い物枠のスケールが極端に小さい私は、こんな巨大イメージにはたちうちできない。
ひとまず、白いヒヤシンスの鉢植えがあったのが嬉しく、これは安いと二鉢ゲット。
友人が押すでっかいカートをけっこう真剣にさがしまわって、そこに 並べた。
こういうものもダースで買わなきゃいけないのかと緊張したけど、そんな話でもなかった。

「こんな国と戦争したんだもんなあ」とYさんが。
竹やりとバケツ・リレーで対抗しようとしたのよね、と私。

見栄えのよい家具だとか、ストーブだとか、衣類に靴に、タオルに、トイレットぺーパーに、
買ったんじゃない、眼を奪われて、ほしいなほしいなと思って。やっぱり安いやっぱり安い、
やっぱり安い、それでいて商品の山々がなんだかハイカラのアメリカ調だし。
誘い込まれて、もうなかなか、 われに返れない。

・・・私は自分に言う。よく考えてよね。このあいだ家でパーティを開いた時、
「わっ、この家かわいい、この家すき」
はじめて来てくれたひとみちゃんが、玄関を入るなり迫力のある低音でそう言った。
ひとみちゃんはふだんから無口で厳しい印象の女の子だ。
だからそこで、時よとまれ、おまえは本当に美しい、と思わなくちゃいけない。
思えばそこで、こういう誘惑はピタリと終わるのだ。

それなのになんでこうも、次から次へと、買い物したくなっちゃうんだろう。
アメリカ帝国主義、Yさんが皮肉な声でいう・・・。やれやれまったく。


2014年12月25日木曜日

あけがたの光


早朝5時に起きて居間のカーテンを引くと、
暗闇の向こうに明かりをつけたバスが留まっている。

乗客のいないバス。運転手さんが時間調整をしているのだ。
エンジンの音がし始めて、バスに命がふきこまれたのがわかる。
私の家の、といっても集合住宅のひとつであるが、ガラス戸を通して眺めていると、
土手のまばらな雑木の下のほうから、ミカン色のバスの室内灯が、
孤独なような、清潔なような、一日の始まりを教えてくれる。
私は夜明けの暗い空をながめメタセコイヤの冬の枝を眼でさがし、
運転手一人が乗っているのだろうバスを見る。
そこで、一日の確かな労働がもう始まっている。

その人は、彼の労働によって元気づけられる人がいるなんて、思いもよらないだろう。
私たちの日々はそういう思いからとても遠い。
パワハラにセクハラに子ども殺し。東京駅100周年記念のスイカに殺到する人々。
でも本当は、大勢の勤労をくりかえす人によってこの世はできているのだ。

誇りを失い、なんでも人のせいにし、短絡化し、あげく投機に走る、そんな人たちを
なぜ新聞も雑誌も小説も追いかけるのだろう?テレビは囃し立てるのだろう?
良識があり、よく考え、我が国の平和憲法を守らなければと実際に動く人間を、
マイノリティ(少数派)だと人は言う。
よく考えれば、最近起こるみっともない大騒動に参加している人たちだって、
極端なマイノリティなのに。


2014年12月17日水曜日

木下さんと言語療法


氷雨が降るのでガタガタ震えながら木下さんの家へ行った。
ガタガタ震える時間は短い、私たちはちいさな団地の住人同士なので。

木下さんのお部屋は床暖房になっているから、とても暖かい。
木下さんは車椅子に腰かけている。素敵なセーターの上に上等な毛糸のチョッキ。
むかし優秀な教師だったころの心意気、木下先生の「勝負服」は今もしゃれている。
私は床に座り込む。 床暖房をやれやれありがたいと思う。
病気の人が経済的に困窮していないということは心底人類をなぐさめる。
暖かいので猫みたいに腹ばいになりたいところだけれど。でもまさかね。

言語療法を身の上相談から始める。木下さんじゃなくて私の。
私ときたらわけのわからないどうしようもないヘンな話が山ほどあるのだ一年中。
木下さんはいつも身を入れて(乗り出す)聞いて下さる。感想をのべる。教えてもくれる。
車椅子の上で、ギュッとつかめばポキンと折れそうな身体をこっちに乗り出し、
使えるほうの左手を動かし、声を張り上げ、 憤慨し、笑いだし、
怖い顔になって クビを振り、口を反抗的に曲げたりする。
瞳が私をおいかけて、 共感してるぞと請け合ってくれているのでらくちんだ。
けっこう体操にもなってるなーと感じる。肩や胸が動いているんだし・・・。
かくして私はおしゃべりを正当化。

まどみちおさんの短い詩を読んでもらう。
朗読の準備運動である。
言語療法が必要なのだから、読みやすいような読みにくいような詩を選ぶ。
ただし気がきいてなくちゃいけない。 文学の醍醐味が空気中に漂うようなのがいい。
どうしてかって、自由に身動きできない人は、ものすごく退屈しているはずだからだ。
動けない分、頭のなかの世界が魔法のようにひろがらなくっちゃいけない。
頭の体操はすなわち血流の復活である、とまあ私は思う。
木下さんは博覧強記のおっかない相手だ。私が解説するとたちどころに反応する。
シャープにしてスマート。こわ楽しい。
きのうはこんなの。「かいだん・Ⅰ」というまどさんの詩。

この うつくしい いすに いつも 空気が こしかけて います
そして たのしそうに 算数を かんがえて います

うつくしい椅子とはどんなものかしら。
ただの椅子ではないのだ。
たとえば私は百年まえからパリのカフェでつかわれていたという椅子を持っている。
そのふれこみが本当だとするといまでは百二十五年まえの椅子ということになる。
よくある木の椅子でしかないけれど、座ると、大勢の見知らぬ人がこしかけたせいで、
模様もすり減って、どことなく木なのに温かい感触だ。
陽だまり、のような椅子。

そこに空気がこしかけているのである。
たのしそうに、算数なんか、かんがえているのだ。

木下さんが知っているそういう椅子はどこにある?
木下さんはパリをみたことがありますか? 私はないけど。

いす・・うつくしい・・いつも ・・・こしかけて・・います・・が始めはむずかしい。
舌が腫れ上がってねじれてもいるから、音がとんだり、ひしゃげてしまう。
でも詩が語っていることを、イメージをつかめば、難関は不思議にも克服されて、
だれにもできない、木下満子の朗読となる・・・。
おどろくべきことに、ながい過去の木下さんの多くの研鑽が実力を発揮するのである。

小さな小さな発表会をしたい。
みなさんはどう感じるだろうか。おもしろいと思ってくださるかしら。
「おもしろいかどうかわからないけれど、企てとしては革命的じゃない?!」
私がそう言うと、木下さんは笑う。
胸に革命的な企てを燃やしていたい八十才だからだ。




2014年12月16日火曜日

朗読の会 12/15


まずコーヒーがあって、
トルティーヤ、各種おにぎり、クロワッサン、私はコーンスープと
カレー風味のジャガイモのお団子を、せかせか、手伝ってもらって蒸した。
テーブルの上は朗読どころか、チョコレートを横にどける騒ぎ。
暖かくなる。気がゆるむ。こわがらなくてもいいというスタートだ。

私たちは堅苦しい教育を受けてきた。
ついつい試験を受けるような気持ちになって、テーブルについてしまう。
これから先生(私だけど)の前で朗読、と思えば余計ビクビクもするだろう。
 
むかし北林谷栄さんに朗読の稽古をしてもらった時、私はおっかないばっかりだった。
「ばかっ 」とウンザリしたように怒られたこともある。
北林さんが「ばか」と言えば、それは救いようのない無能力なバカという意味である。
その叱責は納得、反省、信頼、全部、肯定とそんな漢字を私の脳ミソに残した。
あの時よりましな表現者になったと思わないので、思い出は今もにがい。
あの頃の私は舞台俳優として認められたかった。
プロになろうというのだから、
厳しく裁かれても、本当に仕方がないことだった。

それはそれとして。
朗読はなにも俳優の専売特許ではない。
こんなに食べたり飲んだりしつつ順番で朗読なんかしようものなら、
北林さんはコーヒーカップをブン投げるかもしれないな。
そう思うとクスッと笑えてしまう。
日も暮れよ鐘は鳴れ、月日は流れ私は残る・・・、思い出はけっきょく愉しいものだ。
この私にだって上等博覧会ではないにせよアタマはついている。
私はいつでもみんなにのびのびしてもらいたい。
誰の前に出てもラクに呼吸し、自分なりの基準をもって、楽しく言論を行使してほしい。
あの人にぜひあってみたい、みたいな人になってほしい。

今日はそういう朗読の目標がかなった日だった。
介護と学校のトラブルに疲れはてたお母さんを、あとの二人が「ゆっくり」させたのだ。
世間話ばかりか朗読も、疲れ果てた人を癒やすことになった。
二人はそれぞれユーモラスなカラス博士の随筆と三好達治の童話を詠んだのだが、
心が傷んで涙が眼の縁まできている誰かに聞いてもらいたいような清々しい朗読だった。
片方はユーモラス。片方は神秘的。

彼女の方は「夜なべ」という随筆を朗読した。
若い女性の、真意のよく伝わらない文章を選んだのはなぜだったろう。
払っても払ってもにじむ疲労の中で、古来伝えられている母性の孤独な温かさを、
自分の心の底になんとか保とうとしたのかもしれない。

ひとつの文章を選ぶことはそれ自体が繊細な自己表現だ。
朗読には、複雑な自己を整理して明日へいく、そういう健康な楽しさがあると思う。

そんなふうにして四時間がすぎた。


2014年12月8日月曜日

疲労困憊


くたびれた。3日まえの皇居見学のせいかもしれない。
皇居見学とは皇居をとりまく外庭を見るだけ。考えてみれば当然のことだけれども。
それで地下鉄二重橋駅前から、警察が定めた枠組みの中を延々と歩いたのである。
いったい何十万人が行列したのかしら。行きも帰りも行列はふくらむ一方で途切れない。
ボディーチェックがあるのが飛行場みたい。 

皇居をとりまく外庭は、言ってみれば新宿御苑のようなものだが、 みょうに味気ない。
「雑草がまるでないんだもの」と、連れて行ってくれたYさんが言う。
雑草をみんながきて抜いちゃうんだもの、奉仕の人が全国から有難がってやってきてさ。
冗談なのかしら? でも樹木には雑草が不可欠のものだろうと私も思う。
御苑だとか、明治神宮のほうがよっぽど雰囲気が瑞々しい。
官舎に住むということは、いかにお濠に囲まれ、専用病院を持つほどスケールが大きくても、
さる高貴な方がたのこういう・・・くらしは、大変なことだろう。
それに、休憩所と売店があるのにビックリ。皇居の売店!?

もしかして売店でお箸とか御猪口(おちょこ)とかを買い求めるとすると、
当然ながら?それは菊のご紋章つき。
こんなたくさんの見物人のナカには毎日それでごはんを食べちゃう人もいるだろう。
Yさんに、それって尊敬してるの違うのどうなのときくと、彼はクビをかしげて、
「さあ、どっちなんだろうねえ」
戦後日本の民主主義のもと、価値観ぐちゃぐちゃ、樹木と同じく受け身の官僚主義が、
けっきょく基本的人権のことなど考えもせずこんなヘンな記念品を作っちゃったのか。
いざ歩いて見学なんかしてみると、索漠たる住居の巨大出入り口なり・・・。

でも、今日見学したのはそとっかわ。中に行けば、天皇さんのプライベートなお庭もあって
そこは雑草もはえて、と。なぜって先の天皇いわく「雑草という名の草はない」。
あーあ、歩いたよなあ。Yさんの万歩計によれば1万歩にはならなかったようだけど。

 

2014年12月7日日曜日

ももづか怪鳥に逢う


ももづか怪鳥は、ものすごくうまい人なんだと、息子たちが言う。

どうかなあ、かあさん。
うーん、ものすごくうまい人だよ、でも題材がエロとグロとナンセンスのね、お笑いだから、
だいじょうぶかなあ、かあさんの友達たちがさあ。
うん、ちがうよ、すごくいいよ、自分たちはそりゃあ好きさ。
でもさあ、あれに耐えられるかしら、かあさんはとにかく、ほかの人たちが。
すごいからねえ。


ライフイズウォーター恒例のプライベートライブの日。
池ノ上の「ガゼルのダンス」帽子店のロマンティックな会場に行くと、
ももづか怪鳥は、地味にギターにとりついていた。
一時間前だ。
まるい毛糸の帽子をかぶって、寒い北風のふく日だったから、カーキ色の半外套。
よく響く声、ていねいで。冗談っぽくて。

健はじぶんが怪鳥さんに競演(タイバン)をお願いしたのに、
相手が格上でうますぎるから、先に歌わせてくださいと頼んだそう。
・・・それで健が10曲うたうと、ももづか怪鳥の番になった。
それじゃあワタシの番なので、とこの年齢不詳みたいな若い人は着替えに消えた。

きいてはいたけど、ももづか怪鳥は股間をふくらませた赤いパンツだけで、みんなのまえに
あらわれ、なんだか細身の、なんともいえない姿だった。ははは。
さむそうな足に靴下をはこうとし、靴もはいて、頭にはプロペラつきの若草色が入った
キャップをかぶり、顔にはまばらな口ヒゲとシワが描いてあった。

自信たっぷりと不安だらけを集約して・・・、とんでもなく彼は私たちをおかしがらせる。
とにかくサザエさんのお父さんが長身になって発狂したみたいな姿なのである。
次から次へと、へんてこりんな、みょうちきりんな歌を彼はうたった。
痴的で知的?なその歌詞を、笑うばっかりだったから、今じゃまるで思い出せない。

なんてステキな芸だろう。

うまくいいあらわすことなんかできないが、
でも言ってみれば、おとぎ話の王様が不思議にも手に入れたヘンテコなふざける小玉だ。
王様は王様だということに倦むと、このオヤジ小玉で時々ひまつぶしをする。
玉のほうは喜んで、替わり玉ボールみたいに千変万化、眼をむき横目をつかい、
粉骨砕身、手あたり次第に世のありようをこき下ろし、お追従もいい、笑いカッ飛ばすし、
すごすごと引っ込んだりもして、おとぎの国の王様の元気再発掘、
すごいすごいすごいで日が暮れるという按配なのである。

ギター演奏の技量と、響きわたる声と、あの奇天烈なカッコウ、彼がつくる歌詞、
身体能力、表情の的確な変容。
ぜんぶがぜんぶ、轟音をたててへんなぐあいにいっぺんにすっ飛んでゆく。

よべばきてくれるのときいたら、いいですよぜひと言った。
私のすきな人たちに見てもらえたらどんなにいいだろう。
世の中にはあんな人もいるんだと、びっくりするような一日で、みんなが幸せだった。
笑いこけるのが爽快でついついビールを沢山のんじゃって。

むかし新劇の世界にいたころ、芸品という概念を私は習った。
上品ではまったくなくしかし下品でもなく、彼にはあやうい芸品があった。



2014年12月6日土曜日

映画「ドストエフスキーと愛に生きる」


もうずいぶん前から、居間の掲示板にこの映画のチラシを貼っておいた。
2009年/スイス=ドイツ/93分
きれいなおばあさんが樹木の見える窓の手前で仕事をしている。
翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーである。

スヴェトラーナ・ガイヤーは、
ウクライナで生まれ、1943年、キエフからドイツへお母さんと亡命した。18才だった。
お父さんは彼女が15才のとき、スターリン体制下投獄され拷問され釈放され、あげく病死。
ヒットラーの軍隊がウクライナに侵入.首都キエフを占領。2年と半年後ドイツ軍撤退。
ドイツ語の通訳者だった少女と家政婦をしていた母親は、
スターリンよりはヒットラーを、ロシア人よりはドイツ人を信じることに賭けた。

ドイツ占領地区でドイツのために働いていたのだ、
スターリンが勝利すれば彼女たちはロシアに対する裏切者である。

一方、ドイツ軍将校と反抗的官吏が、目前の少女に教育を与えようとする。
ドイツ軍はウクライナ占領中バービイヤールの谷でユダヤ人大量虐殺を敢行した。
しかしながらある人々は、敵国の若い並はずれて優秀な頭脳を惜しむこともしたのである。
ドイツのために一年間働いて、教育を受けろ、ドイツの奨学金をあたえるからと。

・・・画面の、すばらしく美しい84才になる老女。大勢の孫たちをふくむ家族。
アントン・P・チェホフが考えようとした通りの「人間」。

「人間にあっては、すべてが美しくあらねばなりません、
顔も衣服も魂も思想も住居もすべてが」

かつてチェホフが言った 、いかにもそんなふうな。


彼女の思索のすじみちは、そもそもの背景が複雑きわまりないので、難解である。
・・・スクリーンに大きく映し出される彼女の表情。文学と哲学のメッカで鍛えられた言葉。
まるでスヴェトラーナと直接遭っているかのような、魅惑的で美術といいたいような画面・・・。
洗練の行きつく果てということか、知的だからこそか。

私は、おもしろいのと、さっぱり判らないのと、考えがまとまらないのと、好奇心と。
11時の回を観て、家に帰り、夕食の支度をし、掃除をし、洗濯ものをとりこんで、
4時の回をもう一度、見に行く。空席が多かったから、前から4列目の真ん中 に、
メモ帳と鉛筆を手にもって・・・。

暗闇で書いたメモは不正確で、自分でもよく読めないが、
最後に彼女がはるばる訪ねたウクライナの首都キエフで、学生たちに
童話を話してきかせたことが書いてある。

あるこどもが、ことばを話す魚に出会う。
そして彼はそのずるい(?)魚の助言で旅に出かける。
そうして、かわいい娘にあって、
しまいに皇帝となる。

「人は人生の途中で、いつか、かならず言葉を話す魚にあう」
老いたガイヤーは教壇の机にもたれて、若々しい学生たちに、おかしそうに微笑んで言う。
「それは常識とは無関係で、社会科学や自然科学ともなんにも関係がない言葉だ。」
でもその、言葉を話すみんなにとっての魚にであったら、
その時は魚の助言にしたがって、旅に出るのがいい。

憧れ。彼女はいう。発音する。あこがれ。なんてすてきなことば、と。

人生の目的は存在することではない。
人の存在は目標をもつこと、目標を達成したとき、存在は正当化される。


ほんとうに、こう言ったかなあ。
もう一度たしかめたいけれど、一日だけの上映で。



2014年12月2日火曜日

秋日和


 朝は雨が降って、秋楡の葉がやわらかな霧の中へたえまなく飛んで流れた。
 月の色と星の色した小さな葉が木の枝をびっしり飾り、階段や通路を飾り・・・・。
 夜は暗い空に本物のお星さまが常になく大きく瞬いていたし、
 昔のお菓子みたいになぜか月がいびつに見えたのだ。
 空がズイッと降りてきたみたいでいやだとゆうべは心配しながら坂を上った。

 そういう夜が明けると、当然のように今日は素晴らしいお天気。
 ねえねえ、秋楡って毎年毎年こんなにきれいだったかしらとカヤノさんにきくと
 このあいだメタセコイヤを見てこんなに毎年きれいだったかなあと思ったと言う。
 そんなふうに、秋楡とメタセコイヤにかこまれて、ここにいるなんて、
 ミラクルであるのであると思わずにいられない。

 岡の上のレストランに、カヤノさんとナカさんとミッチャンとワタシ。
 おいしいコーヒーと、きれいなデザート、4人それぞれ別々のパスタ、それから、
 2人は野菜スープ、2人はキリリと冷やしたトマトを、ここに書いたのと逆の順に食べる。
  それはそれは秋らしい、風の吹く日のことだった。




2014年12月1日月曜日

あさのあつこ作「バッテリー」を読む


面白くてとちゅう下車できず、じゃんじゃん読んで、まる一日つぶしてしまった。
私が読んだのはハードカヴァーの1巻から5巻まで。小学6年から中学1年にかけての
物語だからか、活字が大きいし、挿絵だっていかにも清新で現代的、
読みやすいったらないうえに、
筆者の小説の王道を走るといわんばかりの真っ向勝負がすごい。

あさのさんの筆力はスーパーと言いたいぐらいのもので、
これが児童小説のジャンルで執筆されたこと、少年少女を読者に想定したことは、
いまどき(といっても10年前ぐらいの本)めずらしい仕事っぷりと思う。 

子どもたちの今を生きる郷土の自然を堂々たる額ぶちにして・・・・、
川は滔々と流れ、山や峠は千変万化する空の下、冬雪をいただき春溶けて万物を際立て、
自然が、主人公たちにつきまとい、これでもかこれでもかと香りをはなって、
読者をおいかけてくるのだ。 
野の畑の庭の花々と果実、獰猛な跳ねる川の魚、秋が冬に変われば葉を失いながら、
少年たちの烈しい心模様によりそう樹木。
それらの樹木を擁する少年たちの旧家のたたずまい。 彼らの家のハウスも畑も、
新しくできた町なかのファストフード店もすべてが色鮮やかだ。
小説の最後の最後まで、風景がざわめいて揺れる若々しい心を浮き彫りにする。

21世紀を迎えて、残ってほしかった私たちの国土。
変化しながら、苦しみながらそれでも捨てたくなかった私たちの父祖伝来のわが家。

しかも野球の話。野球部の話だ。現代の公立学校システムのなかでの!!


こんな小説を書く人は、そもそもの始めから原発稼働に絶対反対だろう。
少年たちを戦争へと駆り立てる憲法改悪にも反対だろう。



2014年11月28日金曜日

明日は町田の「被爆者とつどう会」へ



みんなが言っている。
なぜこんなに早く月日はたってしまうんだろうかと。

明日はもう11月29日。
この調子では、ゆっくり考える暇もなく、私たちは衆議院選挙の日を迎え、
よい考えもないままに、従来型の投票をしてしまうだろう。

ある人は反アベの中ではせめて勝ち目がありそうだからと民主党に。
ある人は民主党よりまだシッカリしているんじゃないのと自民党に。
そしてこのふたつの甘やかされた世襲権力党がイヤなら、
ふわふわ棄権(選挙権の投げ捨て)するか、汗と涙で白紙投票にするか、
この際だから思い切って共産党か社民党に入れるか・・・。
いろいろな考え、というか無考えが、ひしめいている。

国家の変質、私たちの母国浮沈のターニングポイントがノド元まできているのに、
どの政党、どの集団、どの、いったい何に賭ければよいか、
わからないわからないと、自分がわかっていないことばかりを話題にしてしまう。

こういう現象を、おまかせ民主主義というのだろう。

私は主張したい。落ち着こう、これをチャンスに少しでも自分が変わろう。
無考えとおまかせを文字どおりやめるのだ。生きていれば、いろいろな時がある。
動いてみよう、学んでみよう。努力しよう。
自分なりの判断をつくるために。

運がよいことに、町田の「被爆者とつどう会」は明日である。
これは、私の幼友達のみっちゃんがライフ・ワークのようにして関わってきた、
被爆者とともに生きようという努力のひとつ、選挙とは直接関係がない営為だけれど、
事実の証明というものはつねに魂を洗う。

事実には政治がない。
私たちひとりひとりによく似た、真実のかたちがあるばかりである。

原爆投下から69年  原発事故から3年8ヶ月
第25回目の「被爆者とつどう会」のテーマはこれだ。
  参加無料。場所は小田急線鶴川駅徒歩3分。
  和光大学ポプリホール鶴川  
  11月29日・13時30分~16時まで。

小さな会である。

69年前の被爆体験が語られ、
福島第一原発の労働者を取材したジャーナリストが語る。

ぜひ時間をつくって参加し、投票の参考にしてください。
 


2014年11月27日木曜日

朗読の会


今日は、願いかなって、というような日だった。
朗読された題材がすばらしかったのである。
ジャンルがそれぞれ異なっていたのも、新鮮だし面白かった。

①「今月の掘り出し本」
  以前からぜひ読むようにと言われていながらご縁ができなかった内田樹の本の
  紹介である。永江朗によりピシッと書かれた短文は、活きがよくて実に朗読向き。

②夢かと思うほど美しい物語は三好達治の「夜」。
 朗読しがいのある傑作。ごちゃごちゃ言わず、ここに載せてしまおう。

                      「夜」

 柝(たく)の音は街の胸壁に沿って夜どおし規則ただしく響いてゐた。それは幾回となく人人の
睡眠の周囲を廻(め)ぐり、遠い地平に夜明けを呼びながら、ますます冴えて鳴り、様々の方向
に谺(こだま)をかへしていた。

 その夜、年若い邏卒(邏卒)は草の間に落ちて眠っている一つの青い星を拾った。それはひい
やりと手のひらに滲み、あたりを蛍光に染めて闇の中に彼の姿を浮かばせた。怪しんで彼が空
を仰いだとき、とある星座の鍵がひとところ青い蕾(ぼたん)を喪ってほのかに白く霞んでいた。
そこで彼はいそいで眠ってゐる星を深い麻酔から呼びさまし、蛍を放すときのやうな軽い指さき
の血からでそれを空へと還してやった。橋は眩い(まばゆい)光を放ち、初めは大きく揺れなが
ら、やがては一直線に、束の間の夢のやうにもとの座の帰ってしまった。

 やがて百年が経ち、まもなく千年が経つだらう。そしてこの、この上もない正しい行ひのあとに、
しかし二度とは地上に下りてはこないだらうあの星へまで、彼は、悔恨にも似た一条の水脈(み
お)のやうなものを、あとかたもない虚空(虚空)の中に永く見まもってゐた。 

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
③ 里親の会の当番で話すことになってと、朗読をする当人が作文したもの。
  作文のコツについて話し合えることって、私はとても嬉しい。
  きちんと書くことを会得すれば、その後は、自分の考えを朗読するのだから
  いかにもの個性がみんなの眼のまえに出現する。たとえ自分の書いたものでも、
  ことばをいい加減にひとり歩きさせない努力は基本的必要事項だ。
  リアリティの裏打ちのない朗読は、結局つくりものめいて、つまらないからである。

  

2014年11月26日水曜日

さむざむしい老的一日。


雨が降っている。紅葉して燃え上がるメタセコイヤ通りを、車で走りぬけて、
接骨院へ。用心していないと痛みがぶり返し、持病とふつうの故障の区別がつかなくなる。
治療がおわってから、図書館へ。「35才を救え」という本の期間延長手続き。
そのあと銀行で、各種支払いのための銀行口座を調べて入金。
それから思い切って、市役所へ。
「平成25年度の納税ができていませんよというような文書を受け取ったので」
窓口でそう申告すると、いや、全部済んでいますよと言われた。
そうよねえ。今年の2月に何年分か清算したもの。去年だけ抜かすなんてあり得ない。

市役所を出るべく車に乗ると、ソフトバンクの督促メール、電話料金をはやく、という。。
これだって催促される理由がわからない。このあいだ払ったばかりである。
あーあと思って家にもどると、宅急便の不在連絡票がきていた。

さっきは図書館でお茶を飲み、「ケルトの白い馬」を一章だけ読んだ。
すこし読むと、涙が眼のふちまできて・・・また少し読むと、また涙がでてくる。
中古金銭登録機の堆積めいた ごちゃごちゃの谷間とすこしも関係がない、
遠い、遠い行ったこともないケルトの神話だ・・・。
とぼとぼと、私はくそエレベーターに乗って・・・。

2014年11月24日月曜日

メタセコイヤ通りの初冬


庭先をながめると、メタセコイヤが、堂々とした大木ごと、
すばらしい赤茶色に変わっている。毎朝見とれてしまう。
庭先の柿の木の落ち葉を、取り除かなくてよかった。
あの落ち葉の下では、スノー・ドロップや鈴蘭や水仙の新芽が、
ちょっと温かい思いをしているはずだ。
これから雪が降って、それから、それからと、とりとめもなく春を思う。

植木鉢のシソが、どうしてか盛大にゆれる。
めずらしいこともあるものだと見れば、小さな茶色のあたまがしきりに見え隠れしている。
雀だ。スズメが何羽かきているのだ。すぐそこのシソの実を食べるの、雀って?

ロシアのペテルブルグで娘とふたり、屋台でホットケーキみたいなものを買い、
傍らのベンチに腰かけたら、スズメたちがもう必死で、ものほしそうに寄ってくる。
知り合いになりたくて手をさしだしたら、おどろくまいことか、ケーキのかけらを
私の手からとっては飛んで逃げるのである。
あの時は、たしかにペテルブルグのチープサイドの小さくて筋張った足にさわった。
ヒトの手から食べ物を受け取るスズメは初めて。ほんとうにめずらしかった。
遥が、ロシアのスズメは飢えきっているから、人間をこわがってなんかいられないのよ、
と言ったっけ・・・。

チープサイドはロンドンのスズメで、ドリトル先生の物語の名脇役である。
いかにも下町のスズメらしい、ぴったりの命名ではないか。
井伏鱒二の翻訳で、彼奴はペラペラペラペラ、いなせなべらんめえ調でしゃべる。
私の子ども時代の本を、今でも、家ではだれかが時々読んでいる。

ところで、おどろくまいことか、という日本語はこういう使い方をしてよかったのかしら。
こんがらかって、なんだか、よくわからなくなっちゃった。


2014年11月22日土曜日

衆議院解散・選挙


衆議院解散直後、選挙の争点を各政党の代表が語るのを聞いた。
慄然としたのは自分だけだろうかしら。

とにかくここで自民党が勝てば、アベ内閣の寿命がまた4年のびて、やりたい放題。
前回は、選挙で投票数5962万票のそのまた4割ぐらいの支持しか得られなかったのに、
権力を手にしてアベ自民党内閣はやりたい放題だった。

これで当選すれば、次はもっと民主主義クソくらえ内閣。

あのねえ、野党の統一戦線をくめないものかしらと電話が友人からかかってきた。
民主党から共産党まで手を組めば、という。

そんなことできっこないでしょ。
でもおかしなことだ。
自民党から共産党まで今回の選挙の争点が消費税の値上げ云々に集中。
その点では手を組んじゃっているように思える。

いちばん大切なのは生活と、それはだれでもがつい思うものだけれど、
今回にかぎっては、集団的自衛権の拡大つまり憲法の歪曲こそが、
各政党がなんというかは知らないが、
若者たちにとって、私たち子どもの親たちにとって、一番の脅威だと思う。
アメリカの「お願い」だとか「指示」だとか「脅し」があれば、
戦争をしに地球の裏側にでも行こうという集団的自衛権の拡大。

そんなことになったら。
日本はどうなってしまうのか。
生活を守るものが戦争を始めたら。殺したり殺されたりが生業になってしまったら。

わからないから、とか、どうせ、とか。
もうなんとか、そういうことをいわずに、かしこい若者に投票したいと思う。
軍国主義者じゃない人に。憲法を楯(たて)にシッカリたたかう人に。


2014年11月19日水曜日

「天才スピベット」を観る


昨夜見た映画は「天才スピヴェット」
ヒット作「アメリ」の監督ジュネの作品で3Dだから、仕掛けが見もの。
可愛い、楽しい、美しい、純粋、設計スケールが壮大。上質なメルヘン。

フランスとカナダの合作。

でもとちゅうで眠りそうになった。
登場人物に共感できないから退屈なのだ。
大がかりな作品。単純なテーマとストーリー 。模型としてはすごいけど類型的。
世界的に有名な俳優が使われているのに、10才のT・S・スピヴェット役(主人公)をのぞいて、
ぜひ見せてほしかった役割を、俳優たちが果たしていない。

いくら素晴らしい表現があっても、リアリティーがなければ空回りということだ。
面白い演技も、秀逸な表現も、俳優それぞれに孤立して演じられては、
共感できる、いかにもの人間関係が、画面の中にうまれない。
スピヴェットという天才少年に新しく加わった変化と成長が、私にはどうもピンとこなかった。
演技力のバザーを見たってしょうがない。

10才の天才が天才ゆえにスミソニアン博物館へ演説しに行けたということであれば、
ふつうの人間には生きている愉しみなんてない。
 ニンゲンはおたがい同士、手伝える存在だからいいんじゃないの。
ドラマって、それが楽しみ、それが感動でつい見ちゃうもんだと思うけど。
プログラムを読むとロビン・ウィリアムスに断られた、とあり、キャシー・ベイツはガンで
出演不能になった、とある。
ロビン・ウィリアムスはうつ病で自殺してしまった。

ただもう、小さい天才カイル・キャトレットの恐るべき演技力に
みんながまけちゃって、編集も監督も、こういうことになったのか、

この子はまぎれもなく天才的だが、ぶじに大人になって幸せな人生をおくるのだろうか。

映画のほうでも観客をえらぶのかしら。そうかもしれない。
都会生活者の生活はシンプルでもなく単調でもない。その逆でストレスだらけだ。
日本人としての私は、自然の中での雄大素朴、一本調子な繰り返し(!)と縁遠い。
私自身は不自然そのもので、人工的一生をすごしてしまった人間である。
フランス的、牧歌的ありようも、そういう日常からの脱出もまるで期待しないし、できない。
それだから感心できなくなっちゃってるのかも・・・・とも思う。
だって、ものすごくお金をかけた映画だ。
フランスじゃ大ヒットしたというし。



ながら族の一日


朝から忙しい。11時にみっちゃんが来る。
私は額を「壁かけ用のフランスの絨毯」に取り替える。秋だからである。
おんぼろの絨毯(床)は洗濯。あいまに掃除機を使い、
使いながらお湯をわかして昨夜水に漬けておいた菜花の葉を2束分茹でて冷蔵庫にしまう。
野田さんとグラノーラを牛乳で食べて、また2人で掃除と洗濯。
野田さんの仕事がお休みの日だからうれしい。
みっちゃんが到着して3人で昼食。パソコンで原稿書き。途中パソコンの電話相談に電話して
SOS、不具合をなんとか解決して、原稿にもどった。
みっちゃんと私はいま、一緒に仕事をしている。お茶を飲みケーキを食べる。
私は鶴三会の会計その他の辻褄を合わせたくて細田さんの御宅に走って行く。
あさっては山花郁子さんが来て下さって、小講演会なのである。
私の代わりにパソコンをやりにくそうに使っていたみっちゃんが、
「あ、消えちゃった、どうしよう」という。こういう目にあうのが自分だけじゃないとわかる。
エイトとかいう新システムはもうまったくきわめて不安定不便である。
野田さんが外からもどって来てくれたから、
できた文章の転送その他を野田さんにやってもらって、私は木下さんのための教材を用意、
およばずながら言語療法のお相手をしている。そのうち発表会をするつもり。お客さんを2人か
3人にすれば、木下家で発表会はできる。
野田さんも私もそれぞれに乾いた洗濯ものを取り込む。
1日がんばったので、原稿も少しはメハナがついた。
木下家5時の約束をどうしても守りたい。日中は温かいのに夕方ドカンと寒くなった。
みっちゃんは遠慮のかたまり。自分で帰るからと後ずさりするのをむりやり駅まで送って、
もどってバタバタと野田さんと簡易夕食。

なんとか約束の5時に木下さんの家へと外に出た。しかしまたいつものごとく、、
「ケーキ、ケーキ、木下さんのケーキ、忘れた、しまった!」
などと叫んで私は玄関からダイニングに駆け戻る。
テーブルの上の袋をひっつかんでまた駆け出す。
野田さんが野田さんらしく注意深い口調で向こうから叫んでいる。
「久保さん、ケーキを持ちましたか!?」
「うん、持った、大丈夫、手提げに入れたわよ!」
私はせかせかと靴をはきながら安心してよと言わんばかりにどなる。もう5時だ。
だけど野田さんが走ってくる。
「久保さん、待ってください、それ、ちがいます。それは焼き鳥の袋です!」
(なんと彼女はケーキを入れたタッパーウエアを用心深くささげ持ってる!)
えーっ。どうして。そっちがケーキ? こっちが焼き鳥?
「なんでよ?!」
なんでよと聞きたいのは野田さんのほうだろう。
私はおかしくってドッと笑ってしまった。

ケーキも焼き鳥もみっちゃんのおみやげだった。ケーキなんか木下家の分まである。
それをいうなら、フランス製秋の絨毯だって、みっちゃんのお母さんの遺品なのである。

木下家からもどると、野田さんと私は、8時開始の映画を観にモノレールで立川へ。
 もう冬で、外は真っ暗である。映画見物を最後にくっつけたから、今日は忙しかった。

てんこ盛りと、こういう日を言うのね。たぶん。

 

2014年11月14日金曜日

平和よねっ


きのうはパソコンの説明をしてもらって(電話相談)午前中がつぶれた。
ほうほうの態で午前中から這い出して、図書館へ。
山花郁子さんの講演会のために本を借りておかなきゃならないのを、ポカンと忘れていたのだ。
よかったぁ、講演会は来週の木曜日、ゆうゆう間に合う。
山花さんにきかれて、「あっ、忘れてました!」と口走らなきゃよかったよなーまったく。

ポスターは後藤さんの絵をいただいて、紅葉山(この団地の!)の絵入り。
チラシも後藤さんの管理事務所の絵入り。
たちまち作って(平野さんと私が)、たちまち全戸に配ってしまった(細田さんが)のが先週。
後藤さんの絵をみていると、誇らしい、という気がする。

今朝の新聞に平和俳句を募集とあった。
どんな時どんなことに平和を感じますか、という問いかけである。
平和ってこんなふうなことじゃないのか。
一生の最終ラウンドになって、個人の独立を保てていること。
隣り近所に冗談がいえる友人がいること。
病気になっても元気。
しかもポスターやチラシが作れる!

坂下の図書館に電話をした。
予約の追加注文である。なんでも「ねぎぼうずのあさたろう」 とかいう絵本を
山花さんが使うらしい。きいてびっくり、9巻もある。
思わず「一巻だけでいいです」と昨日は断ったが、手に取ってみればうすっぺらい続きもの。
「ばかばかしいけど、ま、・・・借りよう、思い切って!」と 言うと、電話にでた人が笑った。
笑っちゃうような絵本なのだ。
山花さんって、この絵本をどう料理するのだろう?


2014年11月13日木曜日

秋から冬へ


毎日、飽かず居間から庭をながめていると、風がどこからともなくやってきて、
柿の、柿紅葉というそうだが、赤い葉が敗北したトランプのカードみたいに落下する。
葉を喪った柿の木のむこうは低い土手で、下の通路まで何メートルあるだろうか。
背の低い数本の木のむこうに、深緑が褪色して若葉色になった大木が見える。
メタセコイヤが、すこしづつ、ねじるように赤くなりはじめている。

メタセコイヤ通りには、時々、茫然としたみたいな小型自動車がハザードランプをつけて、
止まっている。あの慎ましいクルマの運転席では、われにもあらず年取ったひとが、冬を前にした樹木の挨拶をうけて、少しばかりゆっくりしようと思っているのだろうか。
そうだとしたら、その人は、私に少なからず似ているのかもしれないと思う。
メタセコイヤ通りの秋はこれからだ。尾根幹線道路につながるこの道は、いまに赤いレンガ色に
変わる。この通りは火がついたようになる。赤毛のアンの頭のようなカラーになる。

坂の下の小さな図書館にさっき昔ふうの少女小説を返してきた。
「ダーヴィンと出会った夏」、ジャクリーン・ケリー作。
キャルパーニアという12歳の少女と彼女のおじいさんの物語だった。
グラハム・ベルが電話を発明して、それがやっとテキサスまで届いて。
昨日の夜中、もう一冊「35歳を救え」という怪談みたいな本を読んだ。
NНKと三菱総合研究所が研究した、2009年出版の本
なぜ10年前の35歳より年収が200万円も低いのか、それが副題。
こわくて眠れなかった。2011年の津波と福島原発のメルトダウンの、
あれ以前でさえも、わが国はこうだったのかと思うと。


2014年11月12日水曜日

ハロウィーンの夜だった


長い一日だった。新宿はまがまがしい人でいっぱい。
帰宅者で電車は満員である。
ああくるしい。でもその急行に乗らないと。夜が10時になりかけて、家は東京のチベット。
それでむりに乗ったら、急行だから案外 どんどんと快速球もとい急なのだ。
座れはしないけれど、電車には乗ったし、すこし空間もあって、つり革にもつかまれる。
まあ、これで新百合ヶ丘までなんとかと思っていると、次の駅でむこうのむこうの席が空いた。
白髪の紳士が私を手招きして「どうぞお坐りなさい」とかけさせてくれる。
あんなに疲れた表情の人なのに。

私の横の人がしきりにもぞもぞして、腰かけたばかりの私に
「これ、次はどこに停まるんでしょうか?」
駅の名まえがやっとハッキリしても、どうも落ち着かないでいる。
なんだろうと思ったら、「すごいですね」と私を眺めているのだ。
席をゆずってもらってすごいのかと思いかけたら、メガネなしで細かい活字を
読んでいるのがスゴイという。たしかにスゴイ。見かけどおりの71才なんだから。
それでその人は私にこう言った。
「あのう、アメを食べません?」 !?  !? 
好きなのをお取りになってくださいと言われた。小さい缶にイロイロなアメが入れてある。
その人は自分は取らずに、またアメをしまった、ハンドバッグに。
礼節上私はアメをたべる。その人はたべない。
こんなことってあるもんかなー。

階段をあがる。階段をおりる。電車がいない。
小田急多摩線はいい。座れるし、終点から終点までの時間がみじかい。
やっと電車が到着、やれやれとドアから入って適当にドンと腰かける。
もちろん、私と同時に他の出入り口からもさまざまな人が乗り込んだのである。
みれば、私の腰かけた先に眠り込んでいる初老の紳士がいる。
終点に着いたというのに目をさまさない。酔っ払いだ。
どうしたもんかわからないけど・・・。私はウロウロとこまってあちこち・・・。
すると、前の座席の男の人が私と同じ目つきで、こっちを見てこまった笑顔だ。
向こうの方の座席の人もおんなじ、すこし笑顔の、思案顔である。
それで、あの人たちと自分が同じ判断ならばと、元気がでたし決心もついた。
私は眠り込んでいるヒトを横からつついた。
二度目につっつくと薄目を非難がましくあけたから、できるだけおもしろそうな低い声で、
「新百合ヶ丘につきましたよ。大丈夫ですか?」
彼は、不満顔で、考えながら立ち上がり、グラグラと歩き、危うくプラットホームへと降りる。
私を眺めている。恨んでいるのねと思ったら、閉まり始めたドア越しに頭を下げた、
グラグラとゆれっぱなしで。
みんなで心配したことだとは 知らなかったにちがいない。

幸福をもらった日だと思う。



2014年11月11日火曜日

不条理


電車に乗ると決まったように
アナウンスが申し訳ございません、申し訳ございません
2、3分おきに、申し訳ございません、を繰り返す
なぜかって、ほかの電車が人身事故にあって、
到着と発着に狂いが生じたのだとか
 
狂いが生じたのは、
車掌のせいでもないし運転士のせいでもないし、
申し訳ない申し訳ないって悪くもないのに謝るなよ
申し訳はハッキリついてるじゃないの
あやまり倒してなんになる

プラットフォームから飛び降りた人がいたんでしょ、
このごろしょっちゅう、苦しくて死ぬしかなくなる人がいるんだ、
毎日、あっちの電車、こっちの電車で、人身事故人身事故人身事故、
進入してくる電車が、もうこわがってびくびくして千鳥足
電車が千鳥足だなんて前代未聞 のこんな世の中

申し訳ないのは、政府と国会と裁判所なんじゃないの
まえはこんな世の中じゃなかったもん
こんな世の中じゃない世の中だってちゃんとあった日本を知ってるぞ
電車は無表情な乗客乗せて
申し訳ございません、申し訳ございません

いったいどうすればよいのだろう
申し訳ございませんといわずに、どうすれば?





鶴三会・句集発行!


句会が誕生して二年が過ぎた。
それで、そろそろ句集をなんて話が出て、自然とそんなふうな成り行きになった。
みんなで一緒にやることだから、私もくっついて行く。
俳句が苦手なので、「くっついて行く」意識がどうしてもつよい。
日頃、くっついて行くことが少ないので、これってけっこうラクかも?とうれしい。

約束が順調にまもられて、小林さんがパソコン相手の原本作成作業。
「 ああ、たまらないだろうなー、私が小林さんだったら 」と思ったんだけど、
鶴三会はなぜか、できないことを引き受けてくれる人の宝庫であって、
とうとう句集を参加者それぞれの手をつかって、和紙と紐で綴じる日がきたのである。
何時間もみんなで、教わりながら、なんとしても和綴じしようと四苦八苦。
今日に限って参加できなかった宇田さんと中村さんの話が出る。
宇田さんは山へ中村さんは病院へ。 残念だけどしょうがないけど残念だ面白いのになー。

できあがって何日かが過ぎると、不思議な気持ちになってきた。

表紙を和紙にしたのが大成功で、まず紙のやわらかい感触が、
句をよせた人々の二年にわたる努力や人柄をリアルに思い出させるのである。
そんなことは思ってもみなかった。みんなで句を作り、綴じることをしたからなのかしら。
つい置いてあると手にとってしまう。
活字になるとひときわ映えるものだなーと、ヒトの句を読んではおどろく。
それぞれのコメントを俳句のまえに置いた編集がよい、と読んだ人がほめてくれた。
そう思って読み直すと、たしかに編集がいい。
わるいところがすぐには見つからない!!

この憂き世にあって、この雰囲気。

なんだか、もしかして、と思う。
私がある日、死んでしまったとしてと、そんなふうに想像するのである。
あんな人がいたなあと、だれかが思い出してくれるのかもしれない。
ゆっくりと、のんびりと、たのしく、仲間だったなあと懐かしんでくれるのかもしれない。
さすが老人会、たいした努力をして一生懸命だったころには、思いもよらなかったユメだ。
三國さんにきいたら、三國さんもおなじようなことを思うとおっしゃるから、
老人会って、いいものなのかもしれない。

そう思って作ったわけではない句集が、ふしぎな船着き場に漂着して感心である。


2014年10月14日火曜日

ブラジルからきた女の子


S市に出かけた時のこと。
駅まえの広場で案内所に行き、バス停の場所を尋ねた。
バスは一時間に一本。
指さして教えてもらった停留所にはベンチがあり、
黒ぶちのメガネをかけた、若い女性がパンをしきりに食べている。

私は駅周辺のがらんとした広さに馴染むことができず、ぶらぶらと歩いた。
S市の中央駅なのに、ロータリーを起点にのびる通りも左右に見えるのに、
人かげはまばら、お天気がよいのにとりつくしまもなくカラーンとしている。

時間はお昼をすぎて、もう二時ちかく。
予約したホテルは東名高速のインターチェンジを出てすぐのところだが、
付近にレストランや喫茶店がほとんどない。
ホテルも、「朝食以外提供いたしておりません」とさっき言われた。
あずけた荷物の中に、朝の残りのおにぎりがある。
あれを昼か、夜のどっちかの食事にしなくちゃならない。

なんとなく、奇妙におもしろくなってきちゃった。
ダシール・ハメットのフィルム・ノアールの中なんじゃないのこれは、というような。
空虚な立ち往生というのがめずらしくて、愉快にちかい気持ちである。
「バスの時間を調べましょうよとにかく」
と私は私に言う。

バスの時刻表の読み方が絵図面みたいでわからない。
あいかわらずベンチでパンを食べている女の人にきいてみる。
「すみません、あのう、この時刻表はどうやって読むんでしょうか?」
彼女はひるんだ顔をし、
「さあ、ワタシには。これは一時間に一本しか、ここのバスはきません」
外国人なんだ。私は漠然とあたりをみまわして、ついきいてしまう。
「知りませんか、どこかちょっとおいしい食事ができるところ?」
相手は一生懸命な表情になったが、お手上げらしく、
「さーあ・・・、そこの、あの店ならば、カレーライスが食べられますでしょう。」
さっき見て、カレーねえ、と迷った店だった。
「うーん。カレーライス?」
朝ごはんを食べたきりなのでお腹は空いているんだけど、などと私は言う。
外国人ではあるがここS市に住んでいるらしい彼女に。

やれやれ、旅行用に持ってきた長い題名の本。高峰秀子賛歌のおもしろい評伝なのだが、
私ときたらさっきから高峰秀子氏に軽蔑されバッサリ切られるような態度ばっかり。
「他人の時間を奪うことは罪悪です 」
ベンチで一心不乱にサンドイッチをパクついているヒトの時間を奪ったし。
「人はあんたが思うほど、あんたのことなんか考えちゃいませんよ」
その通りだよなー。カレーは今食べたくないとベンチの他人に言ったりして。

まもなくバスがブーっときてガタン・キューウッと止まった。
運転手は世にも仏頂面な金髪あたまの女子だった。
私は前方の座席に腰かけ、さっきの女性は後方の座席に腰かけた。
ひっそりと、体の具合のよくなさそうなおばあさんが乗ってきた。
こわごわときけば運転手は、もう金輪際笑わないよという強張りかたで、
「イダサカイ」にこのバスはとまると、請け合う。

時間の調整なのか、バスはなかなか出発しなかった。
なにを思ったのか、さっきの女性が私の横に移動してきた。
私はうれしいと頷いて挨拶のかわりにし、彼女は彼女で内気そう微笑んだ。

紙の袋から一生懸命になって食パンをとりだし、たどたどしく
あのう、と言うのである。あのう、サンドイッチたべませんか。ハムとチーズありますから、
サンドイッチできますから。パンもみんなスーパーで買ったばかりですから。
さっき私がお腹が空いていると説明したせいなのだ。
持ってきたお握りが食べられないからと、ことわったのが本当に残念だった。
あんなに彼女の親切がうれしかったのに。
私は最近、そんなにたくさん食べられないのである。

バスがすごく幅のひろい川を渡っていく。ええと確か、この川は有名なはず。
橋を渡り終わると果たしてたもとに看板があって、やっと思い出す。
大井川である。・・・そうか、越すに越されぬ大井川だったのだ・・・。

大河とも言いたいほどの悠々たる川は、川そのものが昔はもっと美しかったのではないか。
水も川辺も。生き物のように。
コンクリートで整えたり、危険防止の始末がしてある、というだけじゃなくて。

「・・・あなたは外国人ですよね?」
私は通路の向こうの彼女にきく。
「そうです」と賢そうな目が微笑んだ。
「どこのお国からいらっしゃったのですか?」
「ブラジルから」
彼女のさっきの親切がうれしくて、私は通路ごしに手をさしだす。
「ようこそ。親切にして下さってすごくうれしかったです。本当にありがとう。」
びっくりしたような顔をして、でもすぐに、彼女もあたたかくて柔らかい手をさしだした。
私たちは、握手する。
彼女は私の行く先がイダサカイだとわかると、よくわかるという顔をしてうなづいた。
「あなたのホテルは」とたどたどしく彼女は言う。
「ワタシがハタライテ いるコンビニの、ワタシがいるホテルの部屋のとなりです」

コンビニがバスの窓から見えた。その隣に何週間か前に私が予約しなかったホテルがあった。
そのホテルの別館もあった。
そこに彼女は今住んでいるのだろう、と思う。
私が降りるイダサカイの停留所はその次だった。



2014年10月2日木曜日

映画・アンナプルナ南壁7400mの男たち


必見・・・と思うわけは、気持ちが安らぐ、明るくなるから。
新聞の映画評をあまり信じないクセがついているけれど、
海田恭子さんの「今週の注目」の文章に牽かれて、ふ~っと有楽町まで出かけた。
掃除はした、洗濯もした、食材は帰りに買っても間に合う、さあ電車に乗ろうという感じ。



アンナプルナで遭難したスペイン人登山家を救出するために集まる12か国の登山家たち。
映画は救助に参加した12人を10カ国にわたり、たずねて歩く。
「自宅やジム、職場といった日常の場で淡々と語られる
登山家たちの言葉が興味ふかい」
「見るものの好奇心と探求心をかきたてる」
 と海田さんは書いている。

「それはじぶんが力の限り生きられる場所を世界のどこかに、そして心の中にも
持っている人ならではの信念の強さだ。」
「突き詰めれば突き詰めるほど、
自分の生と他者の生は同義に近づくのかもしれないと思わせられる」

そういうものを見たくって、知りたくって出かけた。
ああ、素晴らしいと見終わって思った。

新宿で食材を買い、荷物を足元に置いて帰りの電車の中でつかれて眠ってしまった。
ふと気が付くと私のとなりに、
スマホの画面に向かって、もうとにかく喋りどうしに喋っている人がいる。
「たてこが、たてこが好きなんだわかるかたてこ、だめだといってもたてこが、たてこのことを
たてこが…たてこたてこ。」
彼のスマホの画面を思わず見ると、画面は文字でいっぱい。
スマホって、文字と問答が同時にできるもんなのかしら。
私の旧式の携帯電話だとそんなことは不可能だ。
「見たなっ」というふうに彼に睨まれたような気がして、どこかで席替えをしなきゃと思う。
向かい側の座席の人がこっちを見て私を見る。この人はオカシイんだ、やっぱり。
眠ったふりをする。次の停車駅はなかなか来ない。聞けば聞くほど不安になる。
たてこがそうするならたてこの都合なんか、うるさいっ、たてこたてこ聞けっバカ…

私の気分はさっき見た映画とは反対方向に動揺してしまう。
海田さんが言う「好奇心と探求心」をまったく掻き立てられない方向へと。

彼はすごく不幸なのだろう。
たてこにすてられたんだろう。それともたてこさんは漫画のヒロインなのかしら。
彼は職場でものすごくバカにされたり苛められたりしているのかもしれない。
彼の親御さんはずいぶん、びくびくしちゃってるだろう、この人に。

こんなに孤独な人が、最近になってずいぶん増えた。
私が政府の閣僚なら、こういう苦しい人々の増加を、
「これは自分たちのせいなのだ。自分に課せられた社会的責任なのだ」
そう思うはずである。

生きるということが、拷問のように感じられない世界がある、とこの映画は教える。
自分を鍛えぬいて生きることの必要を誇り高くかかげて。

ぜひ見に行ってほしい。ヒューマントラストシネマ有楽町。夜7時からでも見られる、
有楽町駅から2分だし。(私は1時25分のチケットを買いました。)


2014年10月1日水曜日

リンク・・・鎖の輪、連結してしまうこと


パソコンを買い替えたら、Windows8とかいうものだった。それまでの7(セブン)タイプも
けっこうワケがわからなかったが、8(エイト)になったら、もっとわからない。

進化すると複雑・不必要・不便になってしまうのである。
こんなことは昔はなかった。
機械の進歩は私にとっては、使い勝手がよくなり、より安くなるということだった。

まあ、いいや。
国家をあげてみんなが会社の味方で、消費者はカネを払う家来なんだろう。
買って一年未満のパソコンが壊れ、修理にだして、そういうことかともうビックリ。 

販売店のルール。
NECのルール。
修理をまかされているNECの部署だか枝葉の会社だかのルール。
もう全部がそれぞれ手前勝手な規則で自分たちを防御し、会社側の理屈で固まっている。
そういう手前勝手や横暴を許さないためにこそ、国家が必要だったわけだ。
でも、いまごろになって気が付いたってダメなんだ。

スマホはヤケに小さいパーソナルコンピューター(PC)だという。
操作がわかる人にはすごく便利なものだろう。
パソコンって、たぶん株式会社の脳味噌を動かすようなね、
いわゆるシンクタンク機能をもつものなんでしょう。
なんでそんなものを一億総出で買わなきゃいけないのかわからない。
たいていの人は、ゲームとメールとご案内しか必要としていないんじゃないの。
私の場合でいえば、必要なのはワープロ機能だけだ。
(ワープロは、市場からたちまち消え失せた)

私たちは山ほど機能をしょったほとんど使わない御用キイに、莫大なカネを払い、
友人・のようなものとの絆や、自己の消滅のために、パソコンのリンク(鎖の輪)に加わる。
  
私たち個人は、会社というわけじゃない。

今では、すこしづつパソコンの便利をおぼえて、映画の上映時間などを器用にさがしたり、
旅館や飛行機やを居ながらにして指定したり予約したりするようになったけど、
そんなものがなくたって、ぼそぼそ、もさもさ、やっていくことでも足りるのではないか。
不便なほうが、それ専門の人が生きられる。雇用も激減しない。
私たちふつうの人間の一日の時間は、ホントウなら個人的なものだ。
少しぐらい予定がズレたって単純にカッとなっちゃいけないのだ。
手間ヒマを惜しむと、見えてくる風景がちがってしまう。
もともとの人間が見えなくなってしまう。

ことさらいらいらする自分を、どうにかできないものかしら、まったく。


2014年9月19日金曜日

月刊・赤木由子


 天才が身近にいた経験をもつ人は少ない。
天才というと ピカソという印象、あのなんだかキッパリ、ピカピカの名前。
写真のなかの大きくて迷いというものを感じさせない、でっかい目玉。

さて少女のころ、 私には「童話作家赤木由子」と会話?する機会が時々あった。
いきさつはよくわからないけど、どうもご近所さんだったみたい。
童話作家だとか、大流行作家だとかは子どもだから知らなくて、 会話もごくごくふつう。
なにを話すって近所のおばさんと話すようなことばっかり。
それで、たったひとつの話しか、私の頭には残らなかった。
赤木さんはいつもふざけたような、自分で自分ををおかしがっているという顔の人で、
お百姓のおばさんみたいな風情だった。
そんな笑顔で、中学生の私を相手にこういう世間話をしたのである。

「あのねえ、私、このごろ月刊・赤木由子ってあだ名がついちゃってるのよ」
あの東北なまりの温かい低音。さっぱりとした声。
げっかん・あかぎよしこって? と私が聞いたら、
「主人が病気、病気の連続でしょう?、もう手術代が払えないから。
それであんた、こまるもんだから、私が書き飛ばすでしょう、
こまればこまるほど、そのぶん本を出すんだから、もう!」
う ふふふ、と赤木さんは笑った。自分を揶揄するように苦笑した。
「編集者たちがあれは月刊・赤木由子だって。 とうとうあだ名がついちゃったの。
毎月一冊は、私って本を出してる勘定だからさ」
おぼつかない顔で私はうなづいた。
なんと答えたらいいか、まるでわからなかったのだ。

冬の寒い日だったなあと思う。 1950年代。凍ったような廊下と二階へ行く階段。
由緒ありげな幾つかの花瓶や絵がめずらしい家だった。
由緒もなにもそこは岡倉天心の曽孫 、岡倉古志郎さんのお宅だったのである。
父親同士が親しくて、子ども同士も知り合いで、おとなもよく集まる家だった。


今年の夏、多摩市の図書館で、私は敗戦後の児童文学作品をさがしては読んだ。
書架にないので、目録を見せてもらい、とりよせては読むのである。
赤木由子という名まえがなつかしかった。
「夏草と銃弾 」
たちまち子どもだった日を思い出した。ああゲッカン・アカギヨシコの本。
鮮やかな、いかにも書き飛ばしたという感じの荒っぽい物語。

懐かしい私は「柳のわた飛ぶ国」という赤木さんの処女作もとりよせて、読んだ。
満州で育った赤木さんの、これはスケールの大きな奔放そのものの物語。
あの人は実は天才だったのかと驚いてしまった。
考えててもみてほしい。
もしも、あなたの隣にパブロ・ピカソが立っていたとしたら。
ピカソはピカソで、彼なりにはフツウのつもりかもしれないが、
こっちのドキドキがのどを通って口から飛び出すようなことになりそうだ。
ところが、そういう天才がむかし野暮ったいワンピースなんか着て、何気なくよこにいて、
私はその人と話をすることが何度かあったのに、
そんなことには気がつきもしない、思ってもみなかったのだった。
なんてそんなこと!

山花郁子さんは赤木さんと親しくて、私にこのあいだ赤木さんの写真をくださった。
以来、そのポートレイトをノートにはさんで、私はいつも持って歩いている。
山花さんのお話によれば、赤木さんは不幸のうちに一人で苦しみながら亡くなった。
心臓が悪かったのだという。
ご主人をなくし、家が火事をだし、その火にまかれて息子さんを失ったのだという。
 

2014年9月18日木曜日

「君たちは忘れない」を書いたころ



夏は、暑くて、あんまり暑くてくたびれた。
でも、いい夏だった。そう思いたい。

30年もむかしに書いた本をたよりに、東北から私を訪ねて下さった方があって。
その方に言われて、自分の書いたものを読み返し、
30年まえの人間関係をもう一度掘り起こそうと、伝手をたどっては人を訪ねはじめる。
参考資料も読む。出版社に行くものだから、興味深い本も見つける。
いい夏である。

「 君たちは忘れない」は、長いこと書棚の奥においたきりの本で。

この本を自分が書いた時を思い出すと、滑稽だ。
30代のおわりのくそ貧乏、家賃を11か月も払えなかった時だ。
子どもはふたり。勉と遥と。 魔物みたいな兄妹で少しもじっとしていない。
私は怒ってばかりいた。勉も遥も保育園児で、私たちはモルタルの木造アパートにいた。
「なるべくこの人のそばにいないほうがいいとおもってた」と勉が言う。
ははは、わるかったよ。
いったいどこで私は原稿を書いたのか?
あんまり貧乏なので頭にきて「だまれ第二柏葉荘」とよび、手紙を書くときも
住所の横にそう殴り書きしていた、あの木造アパートの六畳の坐り机でか?
あのころはファミレスに逃げていくお金もなかった。

長くつ下のピッピはごたごた荘に住んでいたなーと思う。
 ピッピの家には白い馬がいて、たしかピッピは馬と一緒に住んでいたっけ?
それじゃごたごただろうけど、私のごたごたよりピッピの方がいいじゃないの。

とにかく、書けもしないのに引き受けて、3年もかかって歯をくいしばりながら書いた本だ。
書き終わって読み返そうにも、長い間よく読めなかった、自分が書いた本なのに。
くたびれたし、また仕事を探して稼がなくちゃならないし、子どもが3人になって、
もう無理だった、マージメな本を読むなんてこと。
私が考えて書いた箇所はいいが、引用文がいけない。
これは笑える話だ。事実はまったくもって小説より奇なり。
苦労して資料を読んで四苦八苦して引用し、無事活字になったらもう読めない!?
原稿用紙に鉛筆で書いた時代である。

こういうことは大編集者の橋本 進氏が、私にはついていたという事情による。
私は理研の小保方さんが気の毒でならない。
責任者たちの無責任に信じられない思いがする。本当に可哀そうだ。
30年前の私は、 論文を書きあげて、「よろしいでしょう」と言われれば、
そこで責任は橋本先生に移って、もうあとの始末は考えないでよかった。
よかったと思うだけ。お金がないし、余裕もないし。
不思議なことに、「よろしくない」と言われたことだって多々あったはずだが、
そういう記憶は残っていない。
橋本さんは古風な礼節がスーツを身にまとったような人だった。
キャリアの無い人間に圧迫を感じさせない人だったし、
私の本の責任者でもあった。

この夏、こういう展開におどろいて二男が初めてこの本を手にした。
書いてる時はいなかった子である。
それが、読んでおもしろいと言う。読みやすいとも言った。
「ええ、本当?! 自分でも、よく読めないのに?」
それで読み返すと、若書きということもあろうが、今の私にはこの本が読みやすい。
ホントあのころの私の疲労困憊が自分で言うのもなんだが気の毒である。


当時の保母さんたちの足跡をたどって、各保育園を訪ね歩いた夏だった。
多くの方が亡くなって、今はもういない。
こんな時代にも、
・・・私が30年前に書いた人たちの面影は清らかなまま明るいのだし、
関係者たちの話ぶりがステキで、故人の影響をうけてか陽気、強気、論理的、ユーモラス。
そんな日本人の話に歩くたびふれれば心は落ち着く、・・・とても愉しい。

もらい泣き、という言葉があるけれど、私の今夏は「もらい幸福」だったなと思うのである。


2014年9月17日水曜日

断続的な。


疲れたので早く眠ってしまった。そうしたら何度でも一時間おきに眼がさめる。
頭を洗わなきゃと思って、それが気になっている。草むしりをしたから。
目がさめるたびにそう思う。
断続的。
断続ってヘンじゃない、断ち切れると続くがくっついて単語になるなんて。
そういう言葉があったかしらと急にまよう。おもしろくなって夜中だけど辞書でしらべたら、
「物事が時々とぎれながら続くこと」とあった。
日本語は美しい。英語はどうか。美しいかしら。
和英でしらべた。intermittent      continual      periodic     fitful
on and off がケッサクかな。 その通りですものね。

あしたは、と言ってもすでに今日なのだが、新宿駅西口交番前で人と会う。
その前に朝食の支度。 その前に、と私ははらはらしている。
午前中の約束なので。

草むしりが、あたまの中に若草色の気持ちの良いスクリーンを作っている。
やわらかいうす緑の色と、頭を洗わなきゃという心配がセット。
ここ数日、パソコンで原稿をずっと作っていた、それでやっとブログにもどれそう。
よかった。書かないでいると気が休まらない。



2014年6月4日水曜日

誕生日、都営バスに乗ったら


鬼子母神のちかくまで出かけた帰り、JR目白駅まで引き返すのがいやなので、
バスに乗って、新宿駅西口まで出ようとした。
見物気分だから、空席をさいわい、一番前の 座席によじ登る。
窓外を流れていく目白通りが5月の風を受けてとてもきれいだ。
どんなにゼネコンが近代化しようとし、破壊に破壊を重ねても、消せない日本の面影 。
明治を感じさせる大通りがあり、バスは昔からの椿山荘ホテルの前を過ぎ、
独協中学だとか日本女子大学の前を通っていく。
こんな風景のなかを学校に通う学生がうらやましいなーと思った。

運転手がめったにいないような人だった。
運転技術がよいだけじゃなく、マイクを通してきこえる案内が親切。
淡々とした低い声がよく透る。
なんの抑揚もないわけだけれど、乗り降りの老若男女に邪慳じゃない、
乗客が間に合わず走ってくると、表情は変えないけれど黙って待っていてくれるのだ。
バスの正面のガラスに映る景色が、斜めの陽光を浴びて、
風景がまるで外国のようにも見えるので、
運転手もそんなことを、バスを運転しながら考える日もあるのだろうかと、横顔を見る。
どこか憂愁をおびた無表情な彼の顔を。

いつか見たことを彼が小説に書く日が、くるのだろうかしら?
指輪をしているから、結婚しているのだろう、きっと。
人生が今と違ったものになる日がくるかしら、彼にも。
混雑した大通りを、なんと危なげなく正確に、彼は通り抜けたことだろう。
種々雑多な乗客を、停留所でさばいたことだろう。
たいそうなビルがたち並ぶ大都会が、
若い彼の運転するバスの前につぎつぎにドラマティック な姿を見せる。

それは、あたりまえのようでいて、めったに見られない手際であり、心がまえだった。 
新宿駅西口が近づくと、通りはぐちゃぐちゃになり、停留所は停車できない場所となり、
乗客の昇降もたいへんになった。
それでも、当然のことながら、バスは走っては止まり、走っては止まって、
乗客を乗せては降ろした 。たいした安定ぶりだった・・・。

知ってる人がきいたら、みんなが呆れるだろうと思ったが、
『出口』が運転席から遠くのほうで、乗客はみんなそれぞれ降りようと急いでいたから、
勇気をだして運転手の腕にさわって、あのう、と私は言った。
自分が思ったことを降りる前になんとかして彼に伝えたかった。
いい運転。と私は彼に言った。素晴らしい運転ぶりで感激しました。
 おかげさまで楽しくて安心でした。
がんばってください。
その人は、石上涼太という名まえである。名札で読んだらそうだった。
名前のような人だなーと思うとおかしかった。石の上の安定した涼しげな運転。
もしか、いつかこの路線を走ったなら、バスで。
私の友だちがみんなイシガミリョウタにあたるといいなと、そんな気のする運転だった。


2014年4月26日土曜日

ハクビシンが通る


ある朝、起きて庭をみると、チューリップがポッキンと茎から三本折れてる。
あーっ、なにこれ、だれが、 ドロボー?!
チューリップとも思えない大輪の、花びらが最初から八重にひらくオランダ産。
遥が大盤振る舞いしてくれたので、鉢植えしたすごくたくさんのチューリップ・・・。
とにかく赤、黄色、ピンクをひろってきてコップに挿したら、何日も何日もちゃんと咲く。
それはそれで部屋の中が明るくなって嬉しいけど、
犯人はだれだ?

時々ふとった猫も通るけど、うちの小さな庭はハクビシンも通る。
ハクビシンというとジャコウネコ科の厄介者ということで、駆除方法は、という話にすぐなるが、
向こうの方が多摩地域的には先住民なんじゃないの。
夜中に部屋の中と外で目が合ったこともある。タヌキだ思うとビックリかわいらしい。
チューリップは餌をさがすハクビシンの夜道をふさいだのかも。

ええい、かまわん、通っちゃう!
ぽきぽき、ぽき。
ということかもしれないのよね。

それで、大きな鉢をひとつどけて、通り道をつけてやったら、以来うちは平和である。
たぶん、夜中にやってきて、えいこらしょっと花や茎のない鉢にのぼり、ストンと降りて、
私がつけた通路を通り、そのあとなんとかするのだろう。
チューリップは折られなくなり、無事に咲いて咲いて、
あーあ・・・花の時期がおしまいに。

2014年4月23日水曜日

公的機関・近ごろの応対


最近、必要があって、多摩市役所と多摩中央警察署と日野税務署に
問い合わせの電話をして、心外な思いをした。
「はい」と答えるものと思っていると相手が「うん」と応答する。
こっちが不愉快そうにすると、なんとなく相槌を「はい」に変更するのである。
この人たちは、いつもこんな調子なんだろうか。
いったいだれの指示で、警官は、市役所の窓口は、税金の係りは、
ここの市民にはこの程度の受け答えでかまわん、と考えるに至ったのだろうか?

彼らは自分の奥さんの友人からの電話にも、おなじような応対をするんだろうか?
彼が同様のことを相手かまわず行うとしたら、
鈍感だと思われイヤなやつだと思われて、すごく嫌われているはずである。
以前、我が国の公務員はこんなに横着じゃなかった。

公務員に威張ろうと思ったことは一度もない。
ふつう、がいい。おたがいにおだやか、ていねいがいい。

しかし、電話をかけて、名をなのり、
「すみません、自動車の免許更新についてうかがってもよろしいでしょうか?」
「うん。いいですよ、なに?」
交番ではない。多摩中央警察署である。
年配の警察官のだみ声が威張ってきこえて、ムッとする。
横柄ってこういう漢字だったなあと思う。
税務署もそう。市役所もそう。
それも仕事のうちなのに、なんで彼らはあんなに図々しくめんどくさそうにするのか?

いまにこれが、むかしの「オイコラ」調に不意に変化するのかもしれないと、
暗澹たる思いである。

2014年4月19日土曜日

ケータイ頼みの憂き目


原宿の CAFEE SEE MORE GLASS  に携帯電話を置いてきてしまった。
いまこのカフェでは
それで君を呼んだのにー 忌野清志郎を想うという催しをやっている。
  TEL&FA   03・5469・9469

そこにガゼルのダンス帽子店の秋山さんが、清志郎さんをイメージした帽子を出品。
見たことがあるから知ってるけれど、まるで真夏の夜の夢みたいなボウシである。
しゃれたご案内をもらって出かけて、すごく楽しかったのはよいけれど、
小さいテーブルの上にポカーンと携帯電話を置き忘れてきてしまった。
しかし、よくしたもので、差し出されたノートに感想を書いたために身元がスグ割れ、
タケシのケータイに秋山さんから連絡が入った。

私はつぎの日、忘れ物を取りにまた原宿に行こうと思った。
明日はあのカフェで、たくさんの古びた童話の本を読んでいよう、とそんなふうに思ったのだ。
でも親切な秋山さんは、夜だというのに原宿まで行って私の携帯電話をゲットした。
あした彼女の勤め先の東大構内でランチを、というお誘いつきだった。
東大構内ってきれいな、今どきの日本にはめずらしく、ゆったりとオールドファッションな
場所である。それに秋山さんと話ができる。原宿の感想が言える。
駒場東大に行く、と私はタケシに言った。

ここまでは順調だった。

朝がきた。
タケシに駒場に12時ぐらいに行くと秋山さんに伝えてもらった。
「早めにいってあたりをぶらぶらすれば、きれいな所だから」と言われて、そうすると私は言い、
着いたら秋山さんに連絡するようにと言われて、わかったそうすると答えた。
タケシはサーッと仕事に行ってしまいバタリッと扉が閉まった。

あーっ!!

連絡ったってどうすんだよ、ケータイ持ってねーじゃん・・・
と遅ればせに秋山さん調で気がついたのである。
秋山さんは女の子できちんと日本語を使う人だけれど、こういう言葉を織り交ぜもする。

私って連絡できないわけなのね!?
しかし・・・秋山さんにそう伝えたくても、息子はもはや影も形もない。
古い住所録を見て電話を掛けたら知らない人にかかってしまった。
(年寄のほうがオレオレ詐欺ってあり得ないのに、ひどく若い相手は私を疑うふうだった。)
秋山さんの番号だって知らない。私のケータイがあればわかるけど。 
ツトムの家に電話をしムギちゃんに番号を教えてもらい、
やっとタケシのケータイに電話をかけたが、こうなると問題は少しも解決しない。
今じゃ電車の中だろうから当たり前なんだけど、テキは呼び出し音を無情にも切るのである。
メールなら、と思う。
ああでも、それはケータイあっての話なのである・・・。

そのうえ、午前中に用事があったと急に思い出した。
冗談じゃない、ぶらぶらもできないし、約束の時間にも行けない! 
しかもそれを秋山さんに会議が始まる前に自分じゃ伝えられない!
まー、すごい日で。
みっちゃん助けて、野田さん(いない、ケータイにでない)なんとかして。
私ってこんなに、ケータイにぐるぐる巻きにされていたなんて。
秋山さーん、ごめんなさ-い、ほんとうにー!

2014年4月16日水曜日

手紙と笑う


橋本 進さんは大編集者である。
中央公論の副編集長時代、徳間書店の社長に乞われて
徳間傘下の現代史出版会編集長になられた。
私が橋本さんのお世話になってルポルタージュを書いたのはそのころで、
現代史の一部を記録するタイヘンな作品に関わらせていただいたわけであるが、
私ときては30代の後半で子ども3人を育てることが難しく、その後文筆業はあえなく沈没。
橋本さんとのご縁もそこで切れてしまった。

・・・それでも時々は、講演会の会場などで橋本さんをお見かけしたものだ。
例えば日独の裁判所事情を比較する映画の会。
カナダの女性監督による「飲み水」に関する映画上映と予言的TPP批判の集会。
遠くから拝見する橋本さんは、だんだんに年をとられて、美しい白髪が印象的になり・・
四年前にお目にかかったのは、、神保町の岩波ビルの一室だったが、
それは「横浜事件」の報告集会であり、橋本さんは司会をなさったのであったが、
それはそれは理性のかったモノ凄い司会ぶりだった。

その橋本さんから、ひさしぶりにお手紙をいただいたのは、
Tさんが、橋本さんの御宅をお訪ねしたからだった。
「いやあ、橋本さんは93才になられたのですって! 驚くほどお元気でしたよ。 」
Tさんはわざわざ訪問の電話をしてくださって、
「お話なんか今もって明快そのもの。帰りは駅まで送っていただいたんですが、
足元もよろけたりしないし非常にしっかり。わたくしまで元気が出ました。すごい方でした。」

93才になられたんですって?!
いったい月日というのはそんなにもすばやく過ぎていくものだろうか。
私はTさんからの電話を切ったあと、オウム返しの手紙を書いて投函した。
編集者ってなんてすごい職業なんでしょうか。
いつまでもいつまでも、頭も脚も、衰えないとは!
100才の入り口ちかくなのに、どこもかしこもシッカリなんて私は驚いてしまいました・・・。
そうしたら、橋本さんがまたお手紙を下さった。
一生涯心底真面目真実正義対権力秀才巨大学識集中的包容力。
とにかく私なんかがどんなに漢字を駆使しても、説明できないようなお方であるというのに。

 
お手紙からの抜粋。

お手紙、有難うございました。私はごらんの通りの昔のままの悪筆をさし上げ たのですが、
亜子さんからは、昔のままの のびのびとした筆(ペン)づかいで、達意のお手紙をいただき
ました。一挙に桜上水の頃に戻ったような気がいたしました。
   (橋本さんは私の父の知り合いだった方である)

中略および後略

それにしても、Tさんは、私が93歳とどうして認識したのでしょう? 私は87歳で、
お会いしたとき、自分の年齢は申し上げた記憶はないし、その上、93歳と申し上げた記憶は
もちろんありません。 もっとも93歳に間違えられたからといって、文句をいうつもりは全くなく、
むしろ面白がっています。何となく93歳までは元気でいられそうな気がいたします。


私はいつもいつも橋本さんからお手紙をいただくと、上品な文体に胸をうたれる。
でも今回ばかりはひっくりかえって笑ってしまった。


2014年4月9日水曜日

4/8・鶴三会 お花見ありて


まず鶴三会の世話役三人でスーパーマーケットへ。
これがけっこう楽しい。
細田さんは、品物を手にとってオレはこれをよく食べるんだよと言う。楽しそうに笑う。
おいしそうだ、買いましょう買いましょうよ。
小林さんは、ふだんよりちょっと良いものがいいかしら、という風情がよくて。
そうしましょう、ジャンジャン、ちょっと高いの、買いましょうよ。
私は、おそれ多くも、会計係なのであるから、
去年のお花見を思い出し、なんだかんだ差し入れだってあるはずだものと、
買い出しの時からもう楽しいのである。

そしてほーらね、ほどよく上等の赤白黄金色のワイン、日本酒と焼酎、
恒例後藤夫人手づくりの、香り高いコーヒーと紅茶・・・
飲んでも飲んでも、気持ちよく時はすぎてゆくのだ。
ノーベル賞の受賞祝賀会で供されたとかいう銘柄の日本酒なんてものがまわってきた。
なぜこういうものを不思議人間・加賀谷さんは知っているのか選ぶのか。
きりっと辛口の選びぬかれた・・・。

お話がおもしろくて、
明日から葉桜になるかというほどの満開なのに、花を見忘れてしまう。
時々、私は思い出して、桜のほうを眺める。
屏風の絵のようにたわんだ白く淡い枝々が美しい。
鶴三会は案外小さい会で、今日はふだん来ない方も来てくださって15人。
遠からず近からず、なかなかの親しさだと日ごろ喜んでいたけれど、
それ以上の何かもあるのかと、アルコールが回った頭でふわふわ、ふわふわ考える。
としをとるということのなかには、新しく優しく 、忘れていた友情のようなものが、
生まれたりすることもあるらしい、良いことなんてひとつもないと思っていたけれども・・・。

句会こそ、私たちのゆったりとした集まりの決め手のひとつ、
それは参加者のだれもが認めるところだが、
そうして三國さんのお人柄によるところが大きいと思うわけであるが、
・・・「俳句がこんなに楽しくなるなんて」と先生の三國さんがおっしゃって・・・、
そうそう、たぶんそれは自分のおかげだろう、
へんてこ俳句のつくり手(複数を擁せり)たちが、それぞれすごく嬉しそうにするのも、
ははは、陽気のんきな見ものなり。


三時間はたちまち愉快に過ぎて、
お扇子の代わりに割り箸を手にした中村さんが「高砂」を謡ってくださり、
かつて師範の資格をとられたという声が、うららかに淡紅白色の花の枝へと流れていく。
時間というものがゆたかさを増し、そこで即吟、詠われた三國さんの句に、
ああ、ほんとうにほんとうにそうだなあと、夕暮れのまえに一同うなづいたものである。

高砂の 謡われにけり 花の下


2014年4月8日火曜日

朝食の会話


仕事に出かけるタケシが、黙々、パンを食べている。
「よいしょ」という。
蜂蜜をスプーンですくって、パンにかけたのである。
「ずいぶんと重たいもんなんだろうね、蜂蜜って」
なにを考えているのか、タケシさんうわの空で、黙々。
また「よいしょ」と。
今度はハムエッグを三分の一ぐらい、自分の皿に移したのだ。
「卵ってのも、あんたには重いもんなのねー?」

アンデルセンの王女もかくやとばかり。
疲労してるんでしょうね、日々の労働のもと、さぞかし。

見れば外は百花繚乱、さわがしい春だ。
空気がもったり。それでいて寒い。



2014年4月7日月曜日

春がきた!


オランダから遥が送ってくれたチューリップが咲き始めた。
うーむ、むむむむ、あっちに黄色、こっちに臙脂色、真紅、桃色、
前から、春になると咲くヒヤシンスは白いけど、
比較的安いので買ってしまうクリスマス・ローズの色がまた臙脂色・・・
とんでもなく派手な庭である。

私の理想は、白、青、黄色が花で、葉っぱが緑というものだ。
「きれいですね」
物量にびっくりするのか、見た人が今年はみんな褒めてくれる・・・。

毎朝、私もついついチューリップを注目。見とれてしまうけど。
すごい。ははは。


2014年4月5日土曜日

映画「シンプル・シモン」について③


シモンは、シンプルな自分本位の世界から、複雑そのものの部屋(イェニファーの)に
迷い込む。チラシが語るスウィートフル・コメディ―の始まり。
ああでも当然複雑なことが起きる。
ヒッピー風の少女ふたりがイェニファーを訪ねてきたのだ。
ごちゃごちゃごちゃごちゃ。
おお、こわい、冗談じゃない。
シモンがタイヘンだ。
人とのつきあいが苦手。いちいちこだわる。場を見るとか空気を読むとかダメのダメ。

ところが、なぜかイェニファーの友達ふたりは、シモンにやすやす馴染む。
シモンもほかのみんなもギクシャクを気にしないで、なんとかやってるのが不思議だ。
いったいどうして、そんなことが可能なのかしら!
それはつまり・・・
彼女たちが時間を自分にあわせてコントロールしてよいヒッピーだったから?

以前、フィンランドの幼稚園と保育園を訪ねたことを思いだす。
あの時は、本やブックレットを何冊か手に入れて読んだ。
学者じゃないから、なんでもわかるわけではなかったけど、
子どもの基本的人権ということを、シンプルに考えるようになって帰国したんだっけ。

つまり、見た目にも、革命的教育相ヘイノネンの書いたものを読んでも、
フィンランドの子どもは、時間を自分の能力にあわせてコントロールしてよろしい、らしい。
国家組織の根幹に 、時間ドロボーにはなるまいという憲法的配慮がある。
別になんとか症候群じゃない子にたいしても、配慮の基本は同じである。
人間は人間、たいして変わりはない。差別は無意味だ、という理解である。

もちろん、学校は大人が子どもにさしだす制度だから、その自由は「比較的 」なものだ。
フィンランドの子どもだって、学校を憎むかもしれない。
バスに乗ったら、なんともしょうがない少年が少女と、なんともしょうがない騒ぎ方をしていた。

それでも、日本から出かけた私にとって、
税金を惜しみなく教育の装置に投入する体制は、おどろくべきものに思われた。
学校や幼稚園や保育園の原則はいつも、どこでも同じ。
入園当初のわが子が保育園に適応できなければ、会社は親の育児休暇をさらに延長する。
法律が会社組織に課したそれが義務なのである!

生徒は、頭が疲れたら、図書室や休憩用に用意された居心地のよい場所に、
休みに行く、大学生たちがそうするように。授業中でも・・・。
いつまでたっても勉強する気を起こさない生徒はどこにでもいるだろう。
そういう子どもをどうする?
日本では親子は学校の「相談まがい」の結論にあわせる。
このあいだ、私はある母親から部活の担当教師にこう脅されたときいた。
「僕が10年かかって積み上げた教育方法を変えろとおっしゃるんですか?」

フィンランドのほうは、職員会議で討論研究しながら、
授業の仕方を先生たちの方こそ、自分のクラスの現実に即して変えるのである。

キャラバンの母親たちが10年かかって、個別的に達観したこともそれだ。
苦悩とよびたいような事実の羅列の中から、彼女たちはある考えをつかむ。
そしてその考え方を見つけたことで、自分が変化する。

子どもは、その子なりに必ず成長する。
それが一番よい成長の仕方だと認めよう。
ごめんなさい。ありがとう。
わが子がどうしてもゆずれない自己選択を、母親が強引に無視してなんになる?


映画の脚本家や監督と肩をならべるような、いい作文だったなーと思うのである。




映画「シンプル・シモン」について②


理由がよくわからないまま、
なぜ私はいちばん好きだと思う登場人物を、
たまたまヒロインを訪ねてきた二人のヒッピー風の少女にしたのか?

感覚的に選ぶとそうなる? 私の場合そうなるんだけど・・・。
座席から立って前に歩いて、小さいハートを人物名の下に張りつけたあと席にもどって、
おくればせながら、自分が選んでしまった理由を、考えようとした。
司会者に、なぜあの二人を選びましたか、ときかれたら困る。
大学の企画である以上、感覚それまでよ、で済ませるわけにはいかないとも思った。

キャラバンの人たちの苦痛に満ち、愛情のなんたるかを示すことになった作文。
彼女たちは、この10年のあいだにとても変化した。
それは信頼するに足る絶対的な変化で、その中心にはなにかだいじな、
必要不可欠な、それこそ肝心かなめの思想が、あるのだろう。
本人がわかって書いているわけではないが、
5人の作文のどれもに、無意識のうちに現れているなにか、である。

映画「シンプル・シモン」が描く世界の下敷きにもまた、、
私が手提げに入れて持ってきた作文の中にある何かが隠れている。
そういう気がした。


大学という装置。
よくできた鋭敏で美しく、楽しい北欧の映画。
必然的問題提起をふくむゆるやかなワークショップ。
たくさんの小さな峠をタクシーが登ってはくだる遠い大学を訪ねてよかったと思った。
私は映画のヒッピー風の少女たちに自分がこだわる理由をつかんだと思い、
明日、キャラバンの母親たちがきたら伝えたい考えをつかんだと思った。

「子どもなりの時間」という概念。
童話作家で詩人のミヒャエル・エンデのいう「時間ドロボー」という熟語がそれである。


2014年4月4日金曜日

映画「シンプル・シモン」について①


昭和薬科大学へ行く。広汎性発達障害を考える企画。
二日の朝刊に、あした臨床心理学研究室とここほっとルームが主催して、
アスペルガー症候群のシモンを劇化したスウェーデンの映画を教室で上映するとあった。
ロードショーに先駆けて、「シンプル・シモン」を観る会である。

キャラバンのお母さんたちの作文をもって出かけた。
四日は、うちに彼女たちが来る。そのためによく考えてみたくて出かけた薬科大である。
雨が降って、もう、びしゃびしゃ。
薬科大学は、玉川学園駅から小さい峠をいくつも越えたという感じの遠くにあった。
美しい場所のきれいな大学。春だし雨降りだし、本当にきれい。
巨大な薬品事業を支える人材を養成するのだ、きっとお金持ちなのだろう。

私の知る永井さんたちが、キャラバンをつくり、いろいろな場所に出かけて、
難しいこども事情を理解してもらおうと活動を始めてから、いったい何年になるのだろう?
幼稚園に来ていたこどもが「中学生になった」という記述がこんどの作文にある。

私は彼女たちに頼まれると、キャラバンが発表する紙芝居の朗読の仕方を教えたり、
作文を書いてもらって、その作文を発表できるように書きなおしてもらったり。
キャラバンはそういうものも使って、苦労しながらいろいろなところを巡ったのだろう。
劇団にいたこともあり、脚本や童話を書いたこともあるので、たまたまできたお手伝いだった。
パラ、パラ・・・とけっこう長く続いたお付き合いである。


「シンプル・シモン」(スウェ―デン)は、楽しくてきれいな映画だ。
北欧の美術を存分につかって、色彩も家具も景色も洋服も、俳優まで、
渡されたチラシによればスウェーディッシュ・ポップ・・・派手で美しくって目が楽しい。
目が楽しいから、すいすいと監督の言わんとする定義が頭に入ってしまう。
脚本もよく考えてある。
物語はアスペルガー症候群の定義と現実と主張と理想主義を、
カラッと陽気に、しかも的確に語りながら進行する。
複雑きわまりないであろう生活感を、メルヘン仕様にし、鮮やかにカットして。
それがじつにソーカイである。

吉永教授の指導のもとでの、映画上映後のワークショップに、
この映画の登場人物のなかで、だれが好き?というのがあった。
うーん、シモンのお兄さんかな、理想化された恋人のイェニファーかな。
シモンもいいし、職場の仲間も、上司もと 考えたあげく、
私はイェニファーのアパートに遊びに来る二人の女の子を選んだ。

2014年4月2日水曜日

ラーメン店で


ひさしぶりに、ラーメン屋さんに入った。
午前中、いそがしくて、朝ごはんも食べられなくて。
消費税8%の初日である。
行列が毎日できるほどの店で、やっぱりしばらく待つことになった。
ぼんやり手もちの本を読んで待っていると、
棚の上にのっけられたテレビがニュースを伝えている。

小保方晴子さんが資料を改ざんしたという。
白い割烹着をつけた、美人を見る。
若いこの人ただ一人を犯人にしてしまう同僚、指導教官、えらい教授だかなんだか、
テレビで見る理研勢の容貌にげんなり。勝手そう、我儘そう、冷たそう。
小保方さん本人が記者会見に出てこないって、どうもヘンじゃないの。
一人だけ悪者にされるのだ。調査結果発表に本人欠席は不自然であり不当である。
よくわからないけど、むかしの日本男性は、ここまでみっともなくはなかったよなーと思う。
国際的な学術論文の改ざん、ねつ造疑惑ですよ。
若い女の子ひとりに責任おっかぶせだなんて。

つぎは消費税値上げ初日というニュース。
ガソリンなど、環境税値上とダブルだからリッター5円も上がるという。
ガソリン関連も当然バタバタ、来年はまたも8%が10%に。
安倍首相が、国民の皆様のご理解を、とペラペラ喋っている・・・。ペラペラペラペラ。
広くないラーメン店の中は、打ちひしがれた重苦しい怒りでどーんと暗い。
年取ったお父さんと並んでいるベンチのお母さんが安倍首相を見て言っている。
「なんでこの人が 一人でぜんぶ決めちゃうんだろう・・・」
非難いっぱいの声だ。
サラリーマンのハンサムふたり連れは、リクルート・スーツできめているが、
みょうにニコニコ、そわそわと順番がきたので野菜ラーメンを受け取っている。

最後が自衛隊の行進、安倍首相のアップ、自衛隊の行進、安倍首相自衛隊の・・・・。
武器輸出三原則の47年ぶり全面見直し、武器輸出解禁。

詐欺の組織的横行、重税、平和国家のなしくずし崩壊。横暴。
どこの局だか知らないが、この報道順って、ディレクターの深謀遠慮だったのかも。




2014年3月30日日曜日

ロマンティック街道をいく少女


お彼岸の日、私はシイネハルカさんの会に出かけた。
私の娘も遥だが、このハルカさんはべつの、音楽前夜社、ゴロゴロのひとである。

「つぎこさんもなにかやりませんか、なんでも、例えば朗読をするとか。」
・・・その日は、いろいろな人に来てもらって、いろいろなことをしてみようと思うんです、
たとえば、演奏する人もいて、体操とか治療もあって、みんなが来た人と自由に話せたら。
持ち寄ったものを思い思いに食べたり飲んだりというのもいいし・・・。

というおさそいを受けたのである。

こういうヒトが、いく世代も飛び越して、自分の前に現れたという不思議。
若い彼女と同じことを、ずっと、もうずっと成功したり失敗したりしながらやってきて、
70才にもなって。私ってつぶしがきかない人間だなーと思う今日この頃である。
主催ならば、いろいろ人の助けを借りてなんとかできるだろうけど、出演?。
ロックバンドやなんかの演奏にまざって? 朗読するの?

ヒトが「やってみたら」といってくれるなんて、できるかできないかはともかく、
しあわせなことにちがいない。  
迷ったあげく、「朗読の稽古」という作品にして、参加させてもらおうと決めた。
朗読の教師だから、「朗読」よりも「練習風景」を見せるほうが少しマシかも。
ワークショップってそういうことをするんじゃなかったっけ。

でも、私がここで話したいのはみんなで集まった日のことではなく、
ハルカさんの「その前後」のことだ。
いろいろな人たちと泊まって話したり、治療したり、お茶を飲んで語り合ったり、
私の家にも訪ねて来てくれて、稽古もして、ほかの用事にもつきあってと、
おたがい会えたらいいなと思う二十余人のために、莫大な自分の時間を彼女は費やした。
会が終わったあと、私にも、メールがとどいた。
もう一度お話したいと言ってくれて嬉しかったけど、もうひとつ届いたメールが私は好きだった。
今日はバイトでチンドン屋さんをしています、というのである。
自分を変えたい、明るく、明るくしようと思って、やっています。

・・・むかしむかしまだ子どもだったころ、もちろん私はチンドン屋が好きだった。
チンドン屋さんって異次元人、思い出すのはカネや太鼓、こわいような厚化粧。
そうかあ、バイトでチンドン屋 なのかあ、今日は。
あんな複雑多岐にわたる世代交流を実現させた女の子が、
街なかをチンドンチンドンとにぎやかに囃し立てて歩きながら、
ひと知れず、自分を変えたい、今日から明るく、明るくしようと努力しているなんて。

それは、ロマンティック街道を流れていくようなことだと、
詩のようなことだと、
なんだか私には思われるのである。


2014年3月25日火曜日

団地の総会のこと


鶴三会はいいなあと、最近考えたりする。

3/26 団地の総会。不安な雰囲気、
各種企業で優れものだったろう人の発言が続くので、けっこう・・・こわい。
理事会も総会も、もともと資産管理をムネとして規約ができているのだそうで、
頼もしい仕掛だと10年以上も住んで実感しているが、
ではあるが、コンピューターのことも、建築のことも、修繕積立金・銀行預金防衛の詳細も、
ぼやっとしか自分はわからない。女はそれでいい、だまって任せていたらいいからと、
心底、思っているんだろうな。
これで議長が、鶴三句会の雄、季語のデパート、親愛なる平野さんじゃなかったら
さぞかし緊張が溶けなかろう。

各議案ごとに議長が賛成大多数を報告。ついで反対数、棄権数も必ず報告する。
これなど本日は賛成数がわかればいいのでは、というのが感想だ。
時々刻々、反対と棄権が孤立させられていく仕掛けはダメだ。
少数意見に気をつかうべきである。 延々と全員一致なんだから。
(この日の総会で、棄権と挙手した勇気ある人はたった一人)
こんなありさまを不自然だと思う人はいないのかしら。
いないんでしょうね。時間に迫られているという強迫観念があたりを睥睨しているのだ。

ここが鶴三会 なら、ダメもとで、感想だけでも私は言ってみるだろう。
反対されても、そうかと受け入れるつもりだし。
ところが総会だと、なにか言ったらバカにされそうな気がしてしまう。
意見を言うまえから、自分が間違えているような気にさせられるのだ。

雰囲気がおかしい。
日本の会議には、間違える権利がない 。
これが結果としてキリキリと民主主義をしめあげているのではと思う。

全員一致ばっかり続くのは、おかしい。
棄権する勇気すら自分にはない、そのことがどうも気にかかる。
・・・反対意見はジャマだろうしなあ。
時間がない、じかんが、じかんがないんだよ、きみ。
でも私だってバカかもしれないけど戸主なんじゃないの。
98世帯のマンションのひとつを自分で買ったんだから、みなさんと同じく。
その平等感がほしいと思うのである。
しゃべりたいんじゃない、基本思想が会社経営的・上意下達的で 息苦しいのだ。

 けっきょく会場は、平野さんの柔軟さをもってしても、硬い雰囲気だった。

おもしろいことが、どうやらひとつだけあったかな。
理想と現実の衝突といえばまー無難かしらん。
細田さんと宇田さんが、植栽がらみの質問および異議申し立てをしたのだ。
私はこの二人の個性的・植木屋的けんか腰のファンだから、
これじゃ勝てないよ、いや勝つ気もないのかしらとハラハラ、いやい贔屓目じゃなくて。
そうだそうだと密かに考えた人はこの日の会場にだってけっこういたのではないか。
地球の植物や生物をどうとらえるかについての討論なのだ。だいじなことだ。
けんかはやめて仲良くやりましょう、と片づけられててしまうには惜しい衝突なのだ。
納めなくては総会が終わらないといわんばかりの決着がくやしい

鶴三会ならば、のんびりと思うままに、思うことは言える。
非常識はとうらないし、良識がゆっくりと受け入れられていくのである。
おなじ2時間 なのに。



2014年3月24日月曜日

星野和正という俳優・「陸軍」


「二十四の瞳」に続いて「陸軍」を見た。
木下恵介監督が戦時中につくって、戦意高揚にならないと批判され、それだからこそ今も
注目されている作品である。

何気なくツタヤからDVDを借りて、画面に現れる出演者の名をながめていたら、、
星野和正とあった。ヒロイン田中絹代の息子の役である。
・・・まさか、あの私の知っている星野さんなのだろうか!
そういえばあの人は子役だった、それも有名な、とむかし誰かに聞いたのではなかったか。

戦争が終わって、安保闘争も終わり、私のようなはんぱな者(1943年生まれ)は、
ただウカウカと大学を卒業、それで劇団民藝に入って、
「ああ野麦峠 」という芝居に配役され、日本中を一年かけて旅公演でまわったのだが、
その群衆劇の出演者のなかに星野さんがいたのである。

 「陸軍」のラストシーンは映画史上有名である。

子役としての星野さんの、映画「陸軍」における入隊のシーンを見ていると、
胸がいっぱいになり、浮かんでは消えてしまう面影に見入って、
涙が拭いても拭いても、とまらない。
スクリーンに映る男の子は、その在りようが、私の知る二十数年後の星野さんそのもので、
映画の名監督というのは、こんなふうに人の本質を見抜いて配役するものなのか、
弱く気持ちのやさしい子どもが立派に成人して、
母親のいう『天子様からお預かりした子をやっとお国にお返しできて』、
その日、南方に送られるため、広場を抜け、何百の新兵の一人として行進してゆく・・・。

少年は名をよばれて、ついには群衆のなかに自分の母親を見つけ、
つつましく無邪気な、笑顔ともいえないような、微かに微かにうれしい顔をするのだ。
そしてスクリーンの星野さんは、
田中絹代の、母親とはいっても、どこか少女のような美しい目線からついにはずれて、
連続する軍靴の音とともに軍隊の行進の中に姿を没してしまう ・・・。

何年も前に亡くなった星野さんとの、今度が、本当のお別れのようだった。

私の知る星野さんは、まじめな目立たない人で、
ひとを傷つけることのまったくない、穏やかな中堅俳優だった・・・。
日本中どこへ行く旅でも、自分のクルマを運転して移動する、それがめずらしかったけれど、
・・・それにしても星野さんのクルマはとても地味で、
持ち主とおなじく、けばけばしいところなど一切なかった。
たぶん星野さんは、芝居の小道具などを自分の車に乗せて運んでいたのではないか。

劇団の研究生だった私は、そのころ気持ちの不器用で目立っていたし、
なにかと問題児で、生意気という印象だったから、
努力はしたけど、旅公演にともなう集団生活は時にくるしかった。
旅先の公演地につくと、あの頃の民藝の場合、えらい人はべつとして俳優が舞台をつくる。
裏方もやるのである。ある日舞台で地がすりを敷きながら私が、
天井で幕を吊っている裏方の誰かに、オーイなんて冗談を言っていたら、
トンカチで大道具を固定していた星野さんが、
「ツンっていうのは知れば知るほど、わかればわかるほど、 大好きになるような子なんだね」
と言った。

働く人間にとって、自分以外の人とうまくいっていないと悲しんでいる女の子にとって、
こんなにうれしい評価というものがあるだろうか。
どこか遠い地方の暗い舞台の地がすりの上で、そんなふうに言ってくれた先輩が、
今ごろになって初めて観た名画「陸軍」の、あの星野和正少年だったなんて、
なんて申し訳ないことをしてしまったのだろう。
なにか特別わるいことをしたということではないけれど、
失礼なこともしなかったと思うけれど、
出会った人のうしろに隠れている、その人にとってだいじな歴史にまったく無関心だった、
そのことが自分ながら、なんとも言えずわびしく思われてならない。

さようなら、星野さん。ごめんなさい、星野さん。


2014年3月13日木曜日

「二十四の瞳」


図書館に行って、子どもの本のコーナーで「二十四の瞳」を見つけた。
うす明かりの静けさのなか、著者の壺井栄さんにふさわしく、
その本は目立たず、明るく、少し重たく、ひっそりと書架にあった。
借りてきて少しづつ読むと、
いつ読んでも、どこを読んでも、涙がでてしまう。
なんてよく書けた小説であろう。
瀬戸内海の、岬の村の風景が、そこでくらす人々と子どもあっての美しさで、
なんとあたたかく悲哀感を以て活写されていることだろう。

電車の中で涙を拭きふき、表紙も古びたこの本を読んでいると、
むかいの座席のおじいさんがこっくりこっくりの合い間に、
気になるらしく私をじーっとながめるので、
ああ、私もおばあさんになっているのだから、
見知らぬおじいさんが涙を拭きふき小説をよんでいるおばあさんを見ているわけかと、
それがなつかしい童話のように思われて、
わたしたちが乗りあわせた世知辛い京王電鉄の昼まの電車が、
小豆島のどこかを走るむかしむかしのもののように、
鄙びた、やすらかな乗り物のように、
思えたりしたことである。


2014年3月5日水曜日

過失交通事故裁判


松戸裁判所に出かけて、傍聴。

横断歩道を歩いていて、森本さんはクルマに跳ね飛ばされた。
首の骨が折れ、脊椎損傷となり、脳梗塞を起こし、
呼吸は苦しく、手足は不自由、寝返りも打てない人になった

苦しみ、悲嘆、不自由、不如意は森本さんを襲っただけではない、
彼の家族をがんじがらめにもした。彼をひとりにしておけないから、
裁判が終わると、奥さんか娘さんが走るように目白の自宅に戻るのである。

松戸裁判所はツルツルに光っている。
ガラスも廊下も廊下の椅子もきれいだ。
自動ドアもエレベーターも空調も無音ぴかぴかである。

私は胸をうたれた。
初老の裁判官のまったく深みのないヘチマ顔に。
若いめがねの書記官の満足そうな血色のよい顔に。

わるいけど反感を感じた。
税金ドロボーと言ってやりたかった。
給料のよさそうな、なんの同情もうかんでいない淡々とした彼らの顔。

不幸を裁くとき、
こんなにも無考えのままで、しあわせそうでいいのか。
疑問をもたないままでいいのか。

「庶民」の不幸をよく知る機会がないのなら、
病院や日雇いのボランティアを裁判官や検事の義務にしたらどうか。
せめて真面目に哲学書を読んだらどうか、自己満足に水さすために。

検事は早口。
弁護士も早口。
あっというまに、森本家の地獄を引き起こした自動車事故が語られて終わる。

調書を朗読するだけというこの形式の、
なんて非論理的であることか。
被告の弁護士は損害保険会社の論理を使って被告を弁護している。

自動車と自動車が事故を起こせば、
ぶつかった双方の運転手にそれなりのペナルティが課せられる。
森本さんは歩いていたのだ、横断歩道を歩いていたのに、

事故にあった場所が横断歩道の先ではなかったかと、
そればかりをなぜ被告の弁護士は問題にするのか。
裁判官よ調書を読んだなら、

前もって調書を読んでから法廷の一等席に着席というのが順序ならば、
保険会社の汚い論理をだらりと採用する弁護士に、
キミの文章は非人間的すぎるとあなたは指摘すべきなのだ。

調書をきちんと読みなさいよ。
それぐらいの仕事はしたらどうなのよ裁判官、と私は思った。
こんなそらぞらしい形式的な裁きに、

みんながただ順応しなければならないなんて・・・。


2014年3月4日火曜日

幻の名品「フリーターブリダー」


ひさしぶりに赤い疑惑の「フリーター・ブリーダー」 をきいた。
楽しくて何度もきいてしまう。
きいてはクルマの中でふきだして笑ってしまう。
若者ソング。古典だなーと思う。
朗読の会にきた人に買ってもらっちゃったけど、しまったとは思わない。
みんなが楽しむと思う。

賢さ。
フェイクじゃない。
ものまねとちがう。
アクセルとクラッチとブレーキは
このころ天才だった。

「明るいんだねえ」
おどろいたようにあとからきたミュージシャンが言う。

しみじみ思ってしまう。
まだ原発は爆発事故を起こしていなかったし、
国家秘密保護法も日本の法律ではなかった。
権利はいろいろに少なくなってきていたが、
なんとなく、
それって自分のせいじゃないのというふうに思えた、そんなあの頃。

そんなあの頃でも、
もう大学生はこんなふうに社会からイタぶられてたんだー。

よかったら買ってきいてみてください。
私の家にもあと6冊?、冊じゃなくて6枚?あります。
1ダース送ってもらって、6枚はさっさと売れてしまいました。


2014年2月16日日曜日

雪のあと


今日はお天気
風がさわさわ さわさわ
木が身震いしたのだか
風が浚っていったのだか
二階の窓から見るどんな大木の枝にも
雪のあとなんか
ひとつもない

バス道路で二日動けなかった黒い乗用車も
今日は姿を消した

路上でくらす人たちは
どこでどうしたのだろうか
記録的な大雪の日
あの人たちは
凍死したところで
身元がわからず
死者の数に
数えられることもないのだと
どこで
きいたのか
よんだのか
タケシがそう言った



2014年2月9日日曜日

オランダのチューリップ


朝起きて、30センチの物差しで測ったら
物差しが雪の中にもぐってしまった
60センチの物差しをそろそろ刺したら
コツンと植木鉢の土にあたって
目盛りをみると40センチ
雪はぼんぼりのように植木鉢をまるく白くしている

遥がオランダから送ってきたチューリップを11月に植えた
緑の葉先がこないだ土の中からちょっと空をのぞいていたけど
いまチューリップは雪の下でなにを考えているのかしら
雪は雪でいいのかしら
オランダは寒い国だからいいのかな
それとも
商業用の球根は温室でだいじにされて寒さには弱いのか

小さい庭のなかでみんなびっくり
水仙もスノウ・ドロップもヒヤシンスもかじかんでいるのだろう
白い雪と黒い土のさかいめで
ああ、こまったなとは思わずに


2014年2月3日月曜日

都知事選挙・私の選択


ぐらぐらしたけど、今でもぐらぐらしてるけど、
けっきょく法律をガンコに守ろうとする人がいいと思うことにした。

区役所や市役所を、「都民の権利を守る場所」にしようと考える都知事がいい。
労働基準局にテコ入れし、教育委員会と教育基本法について議論ができ、
保健所のシゴトを重視、福祉行政をきちんと復活させようという人がいい。
弱者のための法律を熟知している都知事がいい。

自分と友達と子どもと孫の利益代表をえらぶことにしたい。

宇都宮さんが共産党、社民党、緑の党の推薦を受けるのだって、
考えてみれば彼の自由じゃないの。
それにこの三つの党が政権をとるなんて、だれが考えたってユメ物語だ。
政治をイメージで考える習慣はだまされやすい習慣である。
ハズレも多い。

宇都宮氏は当選するのか。それとも予想通り落選するか。
当選して、バッシングにあって都議会でひとり立往生するのかどうか。
心配はとりあえず日弁連会長だったという剛腕と政治力に、私は期待したい。
六法全書を片手に理屈で仕事をする弁護士たちがついている人だ。
98万人(前回)の支持者の中にだって、知恵者がたくさんいるにちがいない。

宇都宮氏が落選しそうだから、ゼネコンの利益代表を選ぶのか。
宇都宮氏が議会で政府与党のバッシングにあうから、戦争利権代理人を選ぶのか。
共産党がキライだから、税金は権力ムラの金庫だとカン違いしてる男を都知事にするのか。

しかたがない。今回こそ私は自分の利益代表に投票する。
選挙に宇都宮さんが勝っても負けても。

もとをただす。
現在の安倍政権下で一番だいじだな思想はそれだと思う。
三権分立の原則を平気でないがしろにする政治家は、
芸術がわかっても、カンがよくても、どんなに良い人でも、けっきょくのところ、
「原発ゼロ」実現について無力だろう。

司法・行政・立法が低級不公平だと、ほんまものの知力が育たないからである。

脱原発を実現させる知識やパワーを確保することは、
どんなリーダーを選ぼうとタイヘンなことにちがいない。
フィンランドのオンカロ(世界で唯一の核の最終処分場)を小泉さんは見学したそうだが、
オンカロの核処分達成目標時間は10万年後だというではないか。

行動力や、科学的頭脳、理想、忍耐力。そして人間を理解しようという気持ち。
そういう「原発ゼロ」実現に不可欠の知力は、
育てなければ生まれないものだ。
各都道府県の首長が率先して、老いにも若きにも、自由に学ぶ権利を保証しなければ、
励まさなければ、知力は、萎縮減少するしかないのである。


2014年1月31日金曜日

都知事選挙・ぐらぐらぐら


田母神(元)自衛隊航空幕僚長だけはごめんだ。そう思っていたので、
細川さんが都知事選挙に立候補したとき、うわーい助かったと思わずホッとした。

田母神(元)航空幕僚長はこう言っている。
  自分は自衛隊のことならよくわかっている。(幕僚長だもんね)
  首都直下型地震が起これば、やっぱり国民が頼るのは自衛隊だ。
  過去の大災害を見ればみなさんもよくご存知でしょう。
  私なら、自衛隊のどの部署を活用すればよいか手に取るように判る云々・・・。

そうは思わないなー。だって人生は大地震のあともずっと続くのでしょう?
自衛隊の力を一時有効に使えたとして、いっときが終わればどうだろうか。
東京都民は、行き届かない都庁、市役所、区役所を手足に、
家族、自分、友達とやっていかざるを得ない。ボランティアの手を借りながら。
そして三年を待たず、国家の機関から放り出される。自衛隊からだって。
神戸だって福島だってそうだと聞くから東京だってそうだろう。

ところで、ジョン・レノンのイマジンじゃないけど、
自衛隊が、直下型大地震後ずっと居残ったら? サッと引き上げなかったら? 
イマジン軍政東京。
国家機密保護法下、警察と自衛隊がうざったいほど大勢姿をみせて?
非常時・非常時・非常時と大災害に便乗、言論統制・監視・罰則強化、
戦争へ戦争へ。さいしょは道路交通法なんかの名を借り、
統制と監視と罰則のシステムが、都民の頭上に居座る、それがイメージ。

細川さん登場で田母神氏はダメ。舛添要一氏がダントツ優勢なんだとか。
1位舛添、2位宇都宮、3位細川。朝日などのマスコミが流す専らの予想がそれ。
「アエラ」(1/13号)でノビノビと舛添さんがコメントしている。読んだら大嫌いになった。
お金は天から降ってはきません、と長屋の大家みたいな古セリフ。

  社会保障サービスを充実させたいなら税金や社会保険料などの負担を増やす。
  負担が嫌ならサービスは制限される。厳しいけれどそれをきちんと国民に説明し
  納得してもらう、政治のリーダーシップが必要だ。
  まず、増税。(舛添・アエラ)

なにを言うか。社会保障は都庁のサービスじゃない。都庁の義務だ。まちがえるな。

宇都宮健児さんってどうか。
なぜ政党の推薦を求めたのか。なんで自分の間口をせばめたんだろう?
選挙は生もの、応援が不自由になってしまったと応援したい人たちがこぼしている。
いろいろ理屈はあっても協力したい人たちが、細川・小泉陣営に移動した。

前回の都知事選挙で98万票獲得。2位。(猪瀬さんときたら433万票)
元日弁連会長である。宮部みゆき「火車」の弁護士モデル。全国ヤミ金融対策会議代表幹事。
反貧困ネットワーク代表、脱原発法制定全国ネットワーク代表。
脱原発法制定全国ネットワーク代表世話人。
東大法学部在学中に司法試験合格。1983年から東京市民法律事務所を経営している。
政党推薦がなくたって充分自分の説明になったのに。

池上彰が読む小泉元首相の「原発ゼロ」宣言という本 (1・20発行・)。
選挙を考えるには格好の参考書。まー細川さんのための本なのですね。
さすが(今)はやりの(元)NHK。おもしろい、感じがいい、登場するメンツがいい。
しかし、おもしろく読みながら、突然わかったこともあった。
なんだかヘン。 原子力・ムラならぬムラがあるらしい。リーダー・ムラが。
池上彰本によれば小泉さんは「すばらしくいい感性の人」。」
言いかえれば天才的風見鶏。
利権の目標を、「原発推進」から「原発ゼロ」に変更して、福島が危険になってきたから。
今度は「原発ゼロ」利権を、おなじくゼネコン以下に投げるわけみたい。
ちがうの?

細川さんのポスターを見るとぞわぞわするほどコワイ。
若々しくてイケメンの細川さんと細川護熙の文字。それだけだ。
空疎(形だけで内容に乏しいこと)を絵に描いたようとはこのことだ。
しかも・形・もウソ。テレビで見る細川さんはもっともっと年寄りなのである。
もし彼が国土壊滅の不安からやむにやまれず立候補したなら(そう言ってる)、
なぜ「原発ゼロ」の文字をドカンとポスターに入れないのか。
選挙ですよ、ふつう、そうするんじゃないの? 


・・・・・・・。

2014年1月27日月曜日

ゲンかつぎ。


ライブハウスで私はピットちゃんのすぐ横にこしかけていた。
ふわりとした白い毛糸のチュニックがよく似合う人で、
さっきから眉をしかめて、目立たないように何度も手提げをかきまわしている。
おなじ病状?だと思って、ついきいてしまう。
「なにか落としたんですか?」
ええ、いいえ、と彼女。
「つまらない物なんです、わたし、あのうちょっと、お守りみたいなつもりでいたから」
同病あい哀れむ。私たちは遺失物を教えあった。
止めのついたリボンが彼女、ちいさなフランスの神様が私。

「なくしたものの代わりにはならないと思うけれど」
彼女に金色のクリップを渡す。気に入っていたし買ったばかりだし、いいかと思って。
すると自分の残念とはくらべものにならないからと、異国のお守りが手渡された。
銀の色したエキゾティックなペンダント・トップ。
「そんなのいりません。だってあなたがこまるでしょう、お守りがなくなって」
ピットちゃんは元気な笑顔で、
「いいんです。もう私は自分の幸運をこのお守りでは使ってしまいましたから」

それから、ライブの喧噪のなかで彼女はみょうに真剣な顔になった。
失くしたのはどんな神様なんですかときくのである。

「親指のツメぐらいの白い陶器、青い上着でバイオリンを弾いてるの。」
もういい絶対みつからないと思うから、と私は言った。
指で、こんなに小さいのよとサイズをつくれば、1センチ半ぐらいしかない。
地下のライブハウスは100人以上の人でごった返し、煙草のけむりで霞んでいる。
あっちも会場こっちも会場、どこをどう歩いたのかハッキリしない。
こころあたりのある場所はもうとっくに捜したあとだ。
どんなに胸がごろごろしても、私はあの小人とお別れなのだ。

・・・ところがである?!
1時間ぐらいあとで、ピットちゃんが私にフランスの神様を差し出したではないか!!
出入口の壁の下にありましたと、まじめな顔がとてもうれしそうだ。
お守りを返してあげたいのに、いいんですいいんです、と受け取らない。
左手に小さなペンダント・トップ、右手に親指小僧、
私のお守りはこの日ふたつにふえたのだった。

2014年1月26日日曜日

1月25日の新年会


私の家の朗読のサークル。
新年会に私なりの企画をたてた。
「赤い疑惑」のアクセル長尾を、母親たちに見せる。
若者のほうには、子育て中のよき日本人を見せる。
正直で自分をあるがままに表現することができる大人を、ということである。
若者とはちがう苦労を背負って、それでいて思いやりのある活き活きとした人たちだ。

長尾くんがはやばやOKしてくれたので、健とふたりで音楽およびトークを、
と相談していたらOJ くんが来てくれた、それで若者は3人になった。
3人で2曲づつの弾き語り。
3人とも30代である。そんなことが実現するなんて。
ユメにも思わなかった。

自己紹介からはじめたが、若者のほうでも、母親たちに驚きを感じたらしく、
質問も意見交換もむだ話も以後らくらくと進行。
一品持ち寄りにしたので、食べたり飲んだり、
話がひろがって、目も耳も口だって楽しいことだった。

小説のメモ書きみたいなメールがとどく。16:40
「道がある。そのあとこんでいる。御免なさい。」
日本語がデキる外国人から。

7時ちかくなって演出家で映像作家のデボラ・ディスノーさんが到着。
おそろしくチャーミングなアメリカ人。
みんなが彼女に魅せられたようになったと思うけれど、音楽をもう一回やりなおし、
新劇、落語やお能、韓国、アメリカ、それからそれから、などなどなど、
デボラ・パワー猛然全開。
デボラさんは長尾くんの人を喰った「東京ワルツ」にたちまち反応、すごく笑った。
笑う観客というもののありがたさを、みんなに示してみせたのである。

朗読という自己表現の学習・訓練をみんなが10年以上もやって、
そこで実現しただれのこともわけへだてしない交流である。
それぞれに人間ひとり分の実在感がなければこうはいかない。
いつのまにかの、積み重ねとしての実力。
幸福なことじゃないのと私はけっこう自分をほめちゃった、はははは。

参加してくださったみなさん、ありがとう。
いつもいつも私を支え、連絡を担っていてくれている萱野さん、おつかれさまでした。


2014年1月24日金曜日

スカイプで娘と


パソコンの右上でどうやら電話?みたいな感じの音がする。
運よくクリックできたら、それでスカイプの画面になった。
あーよかった、オランダの遥から電話がかかった。
ところが私の画像と音声はむこうでキャッチできるのに、遥の声がとどかない。
このあいだからのことで、またかこのパソコン、とうんざり。
遥が私に、手真似で、ヘッドホンをつけろと言っている。
そんなものきらいだからもってないのよ、と私はおぼつかなくもしゃべる。
そこで、あっちは文字、私はしゃべると。

時々遥が私に文字で書けと書いてくる。だから字も書きながらしゃべるんだけど、
ばかばかしい、だって私の声なら聞こえてるのに、オランダに。
そう書くと、そうねと書きかえしてきた。

なにか忙しくパソコンを操作しているのだろう。
無音だけど画面の遥がばたばたなにかやってる。

その甲斐あって急に娘の声がきこえ出した。
声がきこえず、表情だけながめていると、なにか不幸なことがある顔だと
心配でたまらなくなる。声がきこえはじめると、
そういう心配を聞こえたり聞こえなかったりする音声が吹き飛ばしてしまうのだけれど・・・。
ふだん外国ぐらしの娘のことはなるべく考えないようにしている。
考えても、してやれることがほんとうに無くて。

でもよかった、会えたらいいのにと、あっちとこっちで言うことができて。
時差約8時間。そろそろリックが帰ってくると遥が言ったとき、
わたしのほうは午前2時だった。


2014年1月23日木曜日

本格手打ち蕎麦


蕎麦打ちを習っている中西さんが、お蕎麦を送ってくださった。
朗読の時とおなじく、ちょっと失敗して自信がありませんと、内気な弁解つき。
蕎麦打ちということにも、もう三束に分けてある立派なお蕎麦だというのに、
まだ失敗があるのかとびっくりした。でも考えてみればそれはそういうものかもしれない。

同封されていた説明書を読みながら、急いでゆでて冷水でカラカラ冷やし昼食としたが、
素朴自然な甘みがとおって、すばらしいお蕎麦だった。
おかしなことにお相伴にあずかった息子が、至福だね、なんて言う。
おいしさがそこでまたその二倍になった。

ありがとうございました、中西さん。   


2014年1月22日水曜日

鶴三会句会 1・16


第六回目、努力型とやっつけ仕事型の差が明らかに。
句会におのずと品位のようなものが現れ出でて、いま会場はうららかである。
現在ふたつの型の真ん中へんにいる人は宇田さんだろうか。
イライラが哀愁をおびている。やっつけタイプの私など相応の敬意をおぼえてしまう。
悲痛は尊敬を呼ぶのである。

落葉散り 既に 己も下り坂

本人の言によれば、「既に」はすでにと読む。でも私は勝手ながら、ついにと詠みたい。
宇田さんの口調は、吐き捨て悲憤調、それがまた怖くて愉しいというものである。
「いやいや僕は何年も前から下り坂だと思ってましたよ」
ははは、そうかもしれないけれど、今を生きるこのタマシイにふさわしいのは
遂に、という決定的切迫感だと思うのですが、いかがでしょう。
三國さんによれば、川柳のよう、と。
川柳と俳句のちがいはなかなか難しいらしく、まあ、川柳だと季語なしでよろしいと。
もちろんこの場合は、落ち葉散り、が季語である。

思うに、今回の句会の出色は川上さんだったのでは。

胸さわぐ メタセコイヤが 燃える日々
白珠を 抱く月あり 朝まだき
荒れ庭に 光り集める 石蕗の花

川上さんは従来文学的な人で、胸の想いが句に反映する。
じっくり取りかかって、本気で作句する気持ちも好ましい。
三國さんの柔軟的確な御人柄のもとで開いた才なのかもしれない。
光り集めるとうたってもらった、石蕗の花の幸せを思う。
はじめの句にはどうやら季語がないらしい。メタセコイヤが黄葉すると、
川上さんは高村光太郎の詩の赤毛の女を想起するという。
そんな読書歴の厚みが、いまはまだ俳句の形式になじまないということかもしれない。

無花果や 鳥追う父の 声なつかし

この懐かしい句は木下さん。声なつかしが一字あまってしまうけれど、
「鶴三俳句ということでいいでしょう」と先生が。微笑ましい想いのこもった俳句ですよねえ。
病床にある木下さんの一日二十四時間はどんなに長いのかしら。
思い出が訪問して、それから、・・・と木下さんのお部屋と車椅子を思う。

銀杏を 拾う人あり 風去りて

これは村井さんの句だけれど、三國さんがこうなおされた。
風去りて 銀杏拾う 人のあり
なーるほど、名句だなあ、新聞に投稿したらどうかなあ、とだれかが言う。
新聞に投稿といえば、
「これはすぐ採用されるでしょうなあ」と三國さんがおっしゃった句がある。

秘密法 背すじ強張る 師走かな

おなじ考えの人は俳壇にも存在するからと。
私は斎藤さんがよくまあ、背すじ強張るという表現を考えたものだと思う。
ナイーブな方法で国家機密保護法にむきあう表現って、あるようでいてない。
俳句というのは心映えがほんとうに伝わる文学でしょう?
賛成句だって反対句だっていっぱい集める、
そうすると日本人の今がよくわかるのかもしれません。

時雨去り 色とりどりに 石畳

小林さんの写真つき俳句で、京都のお寺の光景なのだとか。
それがわかってガッカリしてしまった。
聞くなりうちの団地のアキニレのことだとカン違い、内心快哉を叫んだのに、
嗚呼それなのになーんだ京都のことだったのかあ。
初冬。ところは鶴牧三丁目。
玄関をでるとアキニレの鮮やかな紅葉に胸躍り、
石畳がまさに色とりどりの絨毯のように見えて大感動。
でもどう考えても自分は俳句にできない、けっきょくあきらめてしまった、
そこにこの小林句である!
うーん、斎藤さんといい小林さんといい、よくまあ上手に詠むものですよねー。

吹かれては なお挫けずに 枯れ芒

中村さんの句。尾根幹道をクルマで行くとき、人は芒のことを思わずにいられない。
とりわけ冬が銀色野原でうつくしい。
ところが俳句俳句とあせってもダメだ、私などぽかーんと眺めるばかりである。
・・・なお挫けずにかあ。
中村さんの言語の森には、おそらくミャンマーとの関わりによって定着した感興があるのだ。
欠席されたが、こういう句も届いていた。

地の果てに 学ぶ子等や 冬の空
(なおこの句は、三國さんによって、学ぶ子どもら、となおされた)
地の果てに 学ぶ子どもら 冬の空

今日の句会で学んだことに、俳句の場合、美しい、きれいだを隠して
どうしてもつかうなら下の句にもってくる、特別な時以外は使わないほうがよい、
というのがあった。
美くしや 音の競演 秋の虫
これは斎藤さんの秋の句であるが、三國さんがなおしてつぎのようになった。
こうすると高尚になりますねとつぶやいた人がいる・・・斎藤さんだったかしら。

おちこちの 音の競演 秋の虫


(よい集まりだったと楽しくなって帰宅しました。)

2014年1月21日火曜日

音楽前夜社のライブ ②


途中で帰るつもりが楽しくて最後までいてしまった。
つくづくそうしてよかった。
GoRoGoLoのマグマのような潜在力が開放され爆発して、レコハツを締めくくったからだ。
みんな楽しそう。祝日のおわりってこれだろう!!という感じ。

今日という日の全体を通して、ここにある熱気の存在を私は見たわけだろうか。
演奏するしないにかかわらず、若い人には燃える力があるのだということを。
しかし感情だけの無内容な爆発はおもしろくても印象に残らない。そうも思った。
派手でも上手でも、電気の力を借りても、不完全燃焼は不完全燃焼。
音楽前夜社の腕力で18のバンドが登場したとなればなおさらである。

なんでそう考えることになったかというと、
一番手にシイネハルカをもってきたことが大きかったのではないか。
彼女のピアノ(即興)演奏は、聴く者を自然な精神の故郷に帰らせる。
おのおのを各自のスタートラインに立たせ、
「現在ここにいる自分よりずっといい自分」を思い出させるのだ。
とても静かなのに。

そうなると耳と目が影響をうけて、取捨選択をはじめる。
純粋と不純を見分けようとし、登場する各バンドの客観と主観の純度を、
なぜかは知らずみんなが判定しはじめる。
たいしたものとはこのことで、二番手はディエゴだったが、
ディエゴがこれほどすばらしかったのは初めてと私は思った。
ハルカさんが創った軌道がディエゴという二番手を自由にし、
会場の聴き手に影響を及ぼしたのである。

SuperDUMB、YkikiBeat、ayU-tokio、岡沢じゅん、脳性麻痺号・・・。(順不同・表記もヘン)
多彩なプログラムは以後一転、先へ先へと華々しく爆走を始める。
それはもう楽しい。みんな人気のある有名バンドだそう。
会場はわんわんの喧噪、タバコのせいで煙り箱みたいになってきた。
セキばっかりでるのだ。
なんともう4時間が過ぎて、外に出ると暗くなっている。

音楽のことだけ考えて過ぎる一日は、騒然として気を奪われたよき一日である。

「えー、もうかえるんですか」と夕闇の風のなかできかれる。
ア・ページ・オブ・パンクは6時半から。それからGoRoGoLoの出番までさらに2時間半。
外套はタバコでぶすぶすに燻っている。
頭のてっぺんから靴の先まで煙りっぽい。
冷えた夕風のなかを、またライブ会場へと私はもどる。

タバコとアルコールと各ロック・バンドがたてる高度に器用な爆音は、
東電の無責任と、政府与党の破廉恥な公約破りと、三権分立の崩壊にくらべれば、
なんのこともない。
原発不始末は国の終わり、公約破りは約束の決壊、三権分立の崩壊は権利はく奪である。
いのちの危機にあり、自分も嘘つきになりかけ、当然の人権はぼろぼろ。
その土壌の上に存在して、そこで束の間若々しく生きて、現実は断固見ないという立場で、
いつまで、なにを音楽でさけぼうというのだ。
日本列島のロック演奏は我儘な人のおもちゃなのかどうか。
ライブハウスで私がたびたび考えてしまうことである。

見たものを今は語れ、自分たちのために。
唯一絶対無二と自分を思うなら、思うことは表現するものだ。

きょうはそういうことができた日だったろうか。
思いがけずすばらしい一日だったことは確かだけれど。

2014年1月20日月曜日

音楽前夜社のライブ ①


ずいぶんと大きなGoRoGoLoのレコハツ(レコード発売告知の略?)。
午後1時から9時まで18組のバンドがライブハウス下北沢スリーに集結。
明日月曜日はどうなる、働くという返事、すごい。

GoRoGoLoの企画はどこかスマートであって。

演奏会場としてライブハウス2か所を確保。あっちとこっちで演奏し、リハーサルをやる。
次に演奏するバンドが、観客が移動して空っぽになった会場で音の調整などする仕掛け。
時間の無駄がない。ごったがえしながらゆったりと進行。鮮やかなものである。
メンバーのキムさんがカレーをとんでもない狭いところで作って売ってる。
「ルーは今回小麦粉からつくりました」などという。
(だいたいこのライブは8時間ぶっ通し、頭は音でガンガン、おなかも空いてしまう。)
いったいどれほどの人たちがいたのか。
チケット購入150人限定、とおしえてくれた人がいた。
そうだとすると200人は集まったにちがいない、遅く来る人、早めに帰る人、ずっといる人。
ちょっと一息つきたくてリハーサル側の会場に行ったら、ソファや椅子に腰かけて
大音響の中ぐったり疲れて眠っている女の子がいた、それもおもしろい。

画家の箕浦建太郎にひさしぶりに会った。
今日演奏するのである。
私は彼の白紙に描く線を尊敬している。それは何千回何万回と描き続けた画家の曲線で、
マティスのようだと思う。しかし、彼の曲線がどうしてああいう絵になるのか、
そこが私には理解できず、クビをひねり、内心肯定したり否定したりするばかり。
よくわからないというのとはちがう。よくわかると自分なりには思っている。
むかし彼に、自分というものが全部でていてこれなら嘘がない、という絵をもらった。
彼の展覧会で「これがいい」と言ったからだった。
手放したくないなという葛藤があんなに若々しい顔にでていたのにもらってしまった。
それから、ある時、芝白金あたりのエスニック料理店での展示の中から、
私は彼の絵を一点買った。
よくわかるということと、彼らしい「かたちへの偏愛」がすごく納得できる一点。
その育つあてがない子どもの孤独といったような絵を、とられたらいやだとすぐ買ってしまった。
去年、箕浦くんは川島小鳥という写真家と共同作業で写真・画集をだした。
思いがけないことに、私が買ったあの可愛い絵もそこに入っている。
たぶん、たくさん売れていま以上に有名になるのだろうと思った。
いささかの悩みがまたしても生じたけれど、共同作業における彼の態度は好きだ。
彼は料理店でも、写真・画集でも、おどろくほど相手を生かす、ひっそりとしかも負けずに。
ほんとうに独特。

ミノケンのシンセサイザーとギター。35才と19才の演奏。
私はそれにタイトルをつけた。
「先進国における屠殺の現状」というのである。箕浦くんは笑った。
「なんだそれ、まるで政治的じゃないっすかー。」
景色が見えるような音楽だった、まるで記録映画のBGM。
川が見えて岩棚が見えて、森林が見えた色つきで緑の。鳥が飛んで。
無人兵器でイランだとかを爆撃するアメリカ人には、
勤務が終わって家に帰ると、無農薬の畑を耕したりするタイプがけっこういるときく。
日曜日には教会に行って神様にお祈り、チャリティーバザーだってやるよきパパだ。
コンピューターで人殺しって、だんだん楽しくなるのかもなー。
そういう殺人者の無感覚が音をきいているとわかってくる。
彼の絵はこの音楽のまったく対極にある。まあ気晴らしで開放かな、こっちはね。
しかしミノケンがおそろしいのは、りょうほうともが精確無比の写実だという、そこだ。

2014年1月18日土曜日

見ていたら童話


クルマの中から外を眺めていたら、白い髭を長く顎から下に流したおじいさんが、
小さいスクーターに乗って走っていた。まるでアザラシ。おじいさんは茶色のオーバーを着て
灰色のリュックをキュッとしょって、こんな多摩市界隈を行進するにしては、
じつにじつにオンボロにして古典なのだった。ああ、どこからどこまで走っていくのだろう。
手入れをしきらない蠟梅の花が咲くくたびれた可愛い庭が見えるようだ。
そこにはおばあさんが待っているのかしら。いいえ、おそらく今はもう誰もいないのだ・・・。
私の頭は、おじいさんのふくらんだ白い髭とスクーターに見とれて、すっかり愉快になり、
こんどは歩道を行くひとりの紳士が、海辺から来たカメに見えてしまう。
黒いスーツを着こんで首をすくめ、風をよけてすごいネコゼになった、あれが甲羅だ。
暖かそうに見えるのに震え上がっている骨格のしっかりした丈夫な中年。
木の葉が寒風にふるふる揺れて、その上に日が差して、どうしても寒い冬である。

こんなおとぎ話みたいなことは続かないものだなーと思う。
どんなに目をこらしても、それからは人間が人間に見えるだけのことだった。


2014年1月17日金曜日

ギター修繕の決着


ギターの表面が、買って半年もたたないのに剥がれたのである。
かの有名な、Martin、アコースティックギターである。

修繕を必要とするギターおよび保証書をもって彼は秋葉原リボレへ。
一週間がすぎて、リボレから電話がかかった。
8300円支払え、修理に3ヶ月かかる。そういうことだった。
電話を家で受けた私が「保証期間中なのに?」とたずねると、
店員がクロサワ楽器にすぐ問い合わせてくれた。ヘンな話だからである。
持ち主がぶつけた結果の修繕であり保証はできない、が即刻もどってきた返事。
リボレの店員の詫び文句はこうである。
「そうなると、こちらではどうすることもできないんで」
8300円のうち3000円がリボレこのたびの手数料。伝達のみで300円じゃなく3000円。
「そういう決まりなんで、すみません」とあやまっている。

腹が立ってだれかれに意見をきくと、たいていの人が、
いい加減な品物を買ってしまったのだろう、諦めるほかはない、と言うらしい。
いくら争っても、相手にされないよと断言したりするらしい。
ぶつけた覚えもないしキズもつけてないと本人が言うが、それはてんで問題にならない。
これには胸をうたれた。なんだか灰色。絶望の種はいつも始めは小さいのだ。
・・・作って売った「会社」ではなく、買った者の「不運」に責任をとらせるという、
無力な者が一生涯ひき受けてしまいそうな、哀れな運命の連鎖。
スゴイ話だと思うけど、当然そうなるさと思う人のほうが多いらしいから驚く。

きのう、また電話がかかった。クロサワ楽器の人からだった。
わるいけど自分の勤務時間内に電話しても、ギターの持ち主だって働いている。
5時まえに電話を掛けて、若い者が家にいるわけがない。
電話の相手は8時にかけなおして直接本人と話しあいます、と私に確約した。

クロサワ楽器店はマーティン・ギターの日本代理店である。

あなたがたは秋葉原でギターを買う人間を「貧乏人」だと思っているのでしょう。
お金持ちは、銀座の山野なんかに行って、だいじな楽器をらくらくと正価で買う。
たとえば8300円の修理代にショックを受けるようなくらしの中にいるニンゲンが、
・・・何万円もするMartinを葛藤のすえ、やっと買ったとして、
軽はずみにぶつけたり、上から圧迫したり(そうしたというのだ)、
そんなことはまず絶対にしないでしょう?
それでも半年もたたずボディは剥がれた、これが当方だけの問題なのかどうか。
私が許せないのは、買い手の不運に対する一片の同情もないやり口だ。
今回の修理費問答無用請求という態度には、弱者に対する軽蔑が見える。
なんて傲慢で無礼で不道徳なんだろうと思う。
だって、あなたがたは「お客様」にそれなりの対応や説明をするでしょう?
もしもこの話が、秋葉原からではなく、銀座の山野あたりからきたならば?

私がどうしても言いたいことの根本はそれである。
会社の言い分ばかりが横行する多くの不可思議なシステム、
若かったり貧しかったり気が弱かったりすると、かのMartinを買ったというのに、
その努力や儚いユメに一片の敬意も払われない。保証書なんか無いのとおなじだ。
最高の職人仕事ってそれか。
そんな気風に支えられた木製楽器ってどういう音をだすのか。
非芸術的楽器会社の、品性の欠如がイヤだ。

保証書は権利を獲得。修理期間に要する3ヶ月は1ヶ月に短縮。
話しあいはギターをつかう当人が納得するかたちで終わった。

なぜ、そういう常識的な結末になったか。
たとえ相手にされなくても、異議申し立てはあきらめずにしてみよう、
消費者センターを複数さがしだし、そこで決着をつけることにしよう。
こちらとしてはそうしたいと、不十分ながら取次店に伝えたからだ。
    東京都消費生活センターは新宿にある。
    電話番号は03・3235・1155
    多摩市にだって多摩市消費者センターがある。
    電話番号は042・374・9595

どんな末世にも、人の世には、それなりの是非がある。
消費者センターに相談したとしても、やはり相手の言い分が通ったのかもしれない。
消費者センターが本気になって消費者の立場にたって考えてくれるものかどうか、
けっきょく電話をしなかったから、よくわからない。
私にとっては、人まかせにしたり、相手をやっつけて勝つなんてことじゃなく、
公平な論理が世に出て、それが今でも通用するとわかったことが、まず好ましい。


2014年1月8日水曜日

TIC・初級英会話クラスの英語劇


英語劇の台本をまんねん初級エイゴ出来ないの私が作る。
この時期になるとそうで、間に合わないから年賀状も書けない。
出来ないなら引き受けなければいいじゃんか、ということだけど、
難しいことをやらなくなれば、私なんか劣化する一方だろう。

クラスやサークルでなにかする場合、
たたき台がなければ、相談の時間ばかり長くなって、
けっきょく間に合わない。それで、たたき台だけでもとつい思う。
テキトウにやっとけばと言うかもしれないが、
うっかりそんなことしたら、見るに耐えないものができちゃう。
三人子どもを育てて、長いことPTAをやったから、
どうなるかいくぶん予想できるわけである。

たたき台は、ある程度ぼんやりしたものが好ましいと思う。
まー、そう思わなくてもそうなっちゃうけど。
変更の余地のあるものがよいということだ。
そうしないと活発な討論ができない。結果も悪い。
誰かが(私なんだけど)ぜんぶやっちゃうというのでは、希望がない。

場をみろ、とかいう強迫的なセリフは嫌いだけど、そこをわきまえていないと、
せっかくの討論を殺してしまうと思う。

エドワード先生は穏やかで控えめなアメリカ人である。
かのUCLAで演劇専攻だった。
私は桐朋学園の演劇専攻科を経て、劇団民藝へ。
私の娘はロシアのペテルブルグ演劇大学で演劇を学んだ。
そしてけっきょく、私たちはみんなべつの仕事に就いた。
今では部外者もしくはシロウトということだろうか。しかし、
一時期でも演劇を学ぶ対象にすると、演劇は私たちに魔法のような愛を与えてくれる。
自己表現をしながら生きていけと、叱咤してくれる。

私は、エドワード先生にぜひとも修了式で生徒がやる「劇」に参加してほしい。
せっかくの外人でしかも演劇畑にいた教育者なのだ。
TICとは「多摩市国際交流センター」の略である。
だとしたら、国際交流がとにもかくにも開放的に行われること。
それが一番しなくちゃいけないことなんじゃないの。

私たちのクラスに朱子(AKEMI)さんがいる。
新人類だなあと思う。
金髪、つけまつ毛、若いのに厚化粧という化粧法。
彼女は多摩国際交流センターの長である。
堂々と、しっかりと、こんがらかった重責を担っている。
去年の修了式の時も、なんとアテにできる人だったろう。
うちに来て、劇発表前の裏方作業を一から手伝ってくれてびくともしなかった。

彼女を見ていると、引き受ける、ということこそ成長の要素だと思う。
TICの会長を引き受けて以来、AKEMIさんは外見を変えずに、ひとびとに偏見を捨てさせ、
しかも自分の幅をひろげている。すてきである。
朱子と書いてアケミと読む、お孫さんにそういう命名をしたおばあちゃんの影響が、
どこかで働いているのかーもしれないねっ?!


2014年1月7日火曜日

うちの中は温かい。


家の中はあたかい。
机の上では白いヒヤシンスの花が満開だ。
いっち、にい、さんっ、と咲いてしまった。

2014年1月5日日曜日

映画「ゼロ・グラヴィティー」


3Ⅾである。
チケットを買うとメガネを渡される。
「今からかけちゃダメだよ」とタケシに言われた。
わかってる!。
おかしくて笑ってしまった。私ってチンパンジー扱いよね。チケットは買ってもらうし。
「メガネの上にメガネをかけていいの?」
心配性だし。

初めて立体映画というものをみたのは50年ぐらい前だった。
その時、メガネの縁は紙だった。今でもまだメガネなのね?
こんどのメガネは大ざっぱなもので、プラスチック製でレンズが広い。
メガネの上にいい加減にのっけてもすごくよく見える。

評判の映画だからどうしても見ようと言われ、しぶしぶ映画館へ。
クルマ酔いみたいになるかと怖かったけどそんなことにはならなかった。
楽しくて面白いばっかりだった。壮麗見事スリル満点、飽きるヒマもない。

ストーリーは簡単。宇宙で事故にあったライアン(女性)が、ふざけやの天使みたいな同僚の
助けがあってただ一人地球にたどり着くまで。
サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーしか俳優としてはでてこない。
爆発した宇宙船の金属の破片だとかなんだとかが、観客めがけてすっ飛んでくる。
(行けども行けどもスリル満点の映像がすごい)
「かあさん、よけてたもんね」
「それはちがう。冗談言うな。私だってそこまでバカじゃないわよ。
映画を見にきてるってちゃんと知ってるんだからね。」
ヘンな冗談はやめてほしい。

どういうわけか字幕が立体画面の方にある。私のすぐ前に見えるようになっている。
ところが前の座席の人が大きくて、私からはまるで文字がみえない。
こまったけど、とちゅうで席を変わったりしたら、ほかの観客の感興を削いでしまうだろう。
ハラハラいのちの息詰まる映画なのだ。まーいいかあ、英語ならってるんだし。
と思ったけどよくわからなかった。
とあきらめるほど、迫力満点の映像美だった。
その事情をスクリーンから飛んでくる破片を本気でよけてたと思われるのはせつない。

宇宙のなんと広く、寂しく、美しいことか、
タイムリーな仕事だ。

gravity とは地球引力あるいは重力。
したがって引力ゼロという映画である。
心情的にも、身体的にも、引っ張ってくれるものがない時、人は寂しいという主題。



2014年1月4日土曜日

新聞がとどいて日常がもどる


新聞がとどく。
去年までの、いや、この年齢にいたるまでの私のくらしが、ズシリとのしかかる。

森本さんからお年賀状が配達された。
去年愉しかったことのひとつは、森本さんの奥様を知ったこと。
森本さんがあんな事故にみまわれなければ、
会うこともなかったはずの人である。
クルマ椅子の森本さんを見て、なんて清浄な表情、と感銘をうけショックだったけど、
それと同時に、家族をだいじにしていたのだろうなと、それが印象的だった。
お見舞いの気持ちがあたたまって、ホッとする光景だった。
なんて可愛らしい美人の奥さんなんだろうとびっくりした。
やっぱりね、とも思った、ははは。
彼女と息子さんと娘さんと、家族がみんな、
不測の大事故で身障者にされたお父さんを、自然にだいじにしている。
離婚した私なんかの胸にこたえる光景だった。
彼らは娘さんの婚家近くにマンションを借りて、森本さんの療養と通院に備えており、
私たちむかしの同窓生はそこに伺ったのである。
事故から一年・・・。
森本さんは、事故にあうまえ自他ともに許す企業戦士だった。
マンションは目白駅のすぐ近く、新しくてきれいで高層の12階だから見晴しが素晴らしい。
新宿のビル群があたり一帯にひろびろと、霞たなびくなか夕陽に照らされているのである。
寝返りが自分ではうてない森本さんは、夜がくるとウォーターベッドに寝かされる。
ウォーターベッドかあ。
ああ、こういうことが実現できるほど働いたんだなあと思う。

みっちゃんのことを考える。
「戦争になれば、真っ先に邪魔にされ見捨てられるのが私たち障碍者だ」と、彼女は言う。
老人と、老若を問わず病人と貧乏人。
そして、だいじにしているふうに合唱されてるけど、子ども。
子どもだって、苛烈な世界に日本が傾斜すればするほど、邪魔にされ見捨てられるのだ。


私の家の朗読の新年会に、「赤い疑惑」のアクセル長尾が参加してくれることになった。
優秀な若者で、行動的なミュージシャン。
そんな人をみたいでしょ。
タケシも参加するから、弾き語りとトークつきのめずらしい新年会ができそうです。


2014年1月3日金曜日

中華街と元町へ、


きのう二日は自動車道路が当然のことながら渋滞。
途中気を変えて、そんなことをしたこともない正月の中華街と元町を歩く。

中華街はものすごい喧噪のなかにあり、
思いつきで到着した私たちなんか、どこに行けばよいのか見当もつかない。
人が一杯満杯の祝日って楽しいものだ。
あたりは空気ごと騒然、どんな音がしていたのか忘れちゃったけど、
鐘や太鼓、中国なまりの日本語での呼び込みの声。どこで食べるかと相談する声。
足音や夕暮れの街がたてる音。
中華街なので、赤と金色と極彩色、ギラギラである。
ギンギンギラギラの目もさめるようなお土産やさんを見る。
すごい。竜の置物が安いのは安いガラス玉を、高いのは有難そうな水晶玉を、
ドンジャラランと片手にもって、カッとこっちを睨んでいる。まあホントに幸運を招けそう。
カエルだってそうだ、金泥をおびた緑の大蛙が赤い舌をデロリと跳ね上げて、
イヤなもんだけど買いたくなっちゃうんだから、おかしい。雰囲気に呑まれる。
買えるもんなら買っちゃったと思う。
だってもう本当にあからさまに「お金がカエル」お守り。
この迫力がいい。そうねそうねと思ってしまう、そこが楽しいのである。

去年は大晦日からお正月にかけて、タケシは遥のところにいた。
オランダの年越しはアジア系移民たちの爆竹と花火で、
毎年大ヤケドする人が何人もいる死人もでるというけど、
なにがあろうと毎年めげずに、野放図華やかドカンドカン。
ロッテルダム市当局の警告なんかてんできいてくれないんだとか。
タケシは懐かしいんだろうなと思う。

中華街でかしこくも感じのいい中華レストランに入る。
よくもこんなに安くすんだとミラクルな支払い。極端極小注文。
私は元町が見たい。
当然のことながら、元町は元町。中華街とはまったくちがう風情である。
昔からの舶来通りというか。これはこれで目が楽しい。
以前は、ここでしか触れることができない舶来未知の商品が数々あって憧れたけど、
そういう鎖国みたいな時は遠く去り、今はもうそんなこともない。
ほかのところとセンスが多少ちがうだけ。
元町のためにも、歩く人のためにも残念な気がする。
貧乏でなにも買えなかったころ、ガラス越しに眺めた輸入タオル屋さんが営業している。
お正月値段のさらに10%引き。閉店時間はとっくに過ぎてる。おきゃくさまは運がいい。
運がいいのか、わるいのかわからないわよねー。

珈琲店に入る。
嗚呼ヨコハマに住みたい、と思うような胸にしみる珈琲をブラックで飲んだ。

元町みたいなところにいると、
さっきの大ガエルの御利益あって、ボカスカ、ボカスカと買い物ができ、
札束をブン投げるようにつかえたらなーとつくづく思う。
「バカなことをいうんじゃないよ、お母さん、そんなことみんなが思ってるわよ。」
遥がここにいたら、きっとそう言うと思って、オランダの娘がなつかしい。
だけどさあ、べつになにか欲しいわけじゃないけど、
宝ァー・くじ・は買っわなーい、という気分も、この際つまらないじゃないの。

また歩いて歩いて、駐車場まで街をながめながら、夜風に吹かれてもときた道を行く。
今度きた時はあそこを見よう、ここも歩こうと、できるかどうかわからないことを言って。
タケシさんのおかげで、いい日だった。


2014年1月2日木曜日

日の出


日の出をながめる。
またしても一日おくれ。
はははは。

掃除をし、洗濯をし、お雑煮の算段。
お雑煮って、きのうやるべきだったのに。

小鳥のさえずる声がきこえて、迷う。
パンくずをやろうかしらん。
でもおととい、パンもミカンも食べなかったじゃない?
それはなぜよ?

裏の小山からかえってきたら手紙がとどいて、
吉田さんからの朗読用原稿と、もうひとつは松本ヒロ・ソロライブのお知らせ。
うれしくなってしまった。

朗読は、私の日常のなかでは、本当にだいじなもの。
人々から学べと、マキシム・ゴーリキーの「私の大学」を高校時代に読んで以来、
私なんかその手の説教をされっぱなしという人生だが、
思うに、朗読用の文章はまさに「ひとびと」の宝庫。
書き手と、それを選択した朗読者と、ふたり分の生活観をきちんと考える仕事である。

そして、そういう仕事の行き着く先にいるのが、松本ヒロさんという芸人だ。
ヒロさんはすごい、えらい、楽しい!


こいつは春から縁起がいいやー、と思うことにしました。



2014年1月1日水曜日

謹賀新年


お天気。澄んだ空気の香り。平和。戦争がないこと。
枯葉のたてる音がきこえて、新年の挨拶が笑顔でおこなわれること。

去年(きのう!)駐車場に入れ忘れた車を置きにゆき、
去年しなかった掃除を行い、
去年できなかった料理を始める。
去年読みかけて、かたわらに放りっぱなしにした本を手にとろう。

今年、私が初めて目にした活字は、こういうものだ。

ある男の子の家は、一階が津波による泥に埋まってしまいました。
ところがそこにカメが流れ着いたそうです。それをきいたクリシュナンさんは、
その男の子にこう言ったのです。
「そうか、君は津波からカメをもらった子なのか。私は毎年三十か国以上の国々に
行くけれど、津波にカメをもらったのは、世界で君がはじめてだ。ぜひ君とカメの写真を
とらせてほしい。
世界中の子どもたちに見てもらいたいから」と。
日本語に通訳してもらいその話を聞いた時の坊やは、輝くような笑顔を見せてくれました。
             (現代と保育80号・立ち上がりの力・上山真知子)

負けるのはよそう。
そんな世の中にするな。
子どもを道連れにガソリンをかぶったりするな。
職場でオレもそうされたからと下の者をいじめるな。
恋が実らなかったからといって卑怯な仕返しなんかするな。
ずるいことだとわかっていながら、逃げて逃げて知らん顔をするなんて恥だ。
絶望の果てに自殺するな。
そんなふうに負けるな。
助けあうことはできる。
みんながこういう思想から
学べば。