2014年1月31日金曜日

都知事選挙・ぐらぐらぐら


田母神(元)自衛隊航空幕僚長だけはごめんだ。そう思っていたので、
細川さんが都知事選挙に立候補したとき、うわーい助かったと思わずホッとした。

田母神(元)航空幕僚長はこう言っている。
  自分は自衛隊のことならよくわかっている。(幕僚長だもんね)
  首都直下型地震が起これば、やっぱり国民が頼るのは自衛隊だ。
  過去の大災害を見ればみなさんもよくご存知でしょう。
  私なら、自衛隊のどの部署を活用すればよいか手に取るように判る云々・・・。

そうは思わないなー。だって人生は大地震のあともずっと続くのでしょう?
自衛隊の力を一時有効に使えたとして、いっときが終わればどうだろうか。
東京都民は、行き届かない都庁、市役所、区役所を手足に、
家族、自分、友達とやっていかざるを得ない。ボランティアの手を借りながら。
そして三年を待たず、国家の機関から放り出される。自衛隊からだって。
神戸だって福島だってそうだと聞くから東京だってそうだろう。

ところで、ジョン・レノンのイマジンじゃないけど、
自衛隊が、直下型大地震後ずっと居残ったら? サッと引き上げなかったら? 
イマジン軍政東京。
国家機密保護法下、警察と自衛隊がうざったいほど大勢姿をみせて?
非常時・非常時・非常時と大災害に便乗、言論統制・監視・罰則強化、
戦争へ戦争へ。さいしょは道路交通法なんかの名を借り、
統制と監視と罰則のシステムが、都民の頭上に居座る、それがイメージ。

細川さん登場で田母神氏はダメ。舛添要一氏がダントツ優勢なんだとか。
1位舛添、2位宇都宮、3位細川。朝日などのマスコミが流す専らの予想がそれ。
「アエラ」(1/13号)でノビノビと舛添さんがコメントしている。読んだら大嫌いになった。
お金は天から降ってはきません、と長屋の大家みたいな古セリフ。

  社会保障サービスを充実させたいなら税金や社会保険料などの負担を増やす。
  負担が嫌ならサービスは制限される。厳しいけれどそれをきちんと国民に説明し
  納得してもらう、政治のリーダーシップが必要だ。
  まず、増税。(舛添・アエラ)

なにを言うか。社会保障は都庁のサービスじゃない。都庁の義務だ。まちがえるな。

宇都宮健児さんってどうか。
なぜ政党の推薦を求めたのか。なんで自分の間口をせばめたんだろう?
選挙は生もの、応援が不自由になってしまったと応援したい人たちがこぼしている。
いろいろ理屈はあっても協力したい人たちが、細川・小泉陣営に移動した。

前回の都知事選挙で98万票獲得。2位。(猪瀬さんときたら433万票)
元日弁連会長である。宮部みゆき「火車」の弁護士モデル。全国ヤミ金融対策会議代表幹事。
反貧困ネットワーク代表、脱原発法制定全国ネットワーク代表。
脱原発法制定全国ネットワーク代表世話人。
東大法学部在学中に司法試験合格。1983年から東京市民法律事務所を経営している。
政党推薦がなくたって充分自分の説明になったのに。

池上彰が読む小泉元首相の「原発ゼロ」宣言という本 (1・20発行・)。
選挙を考えるには格好の参考書。まー細川さんのための本なのですね。
さすが(今)はやりの(元)NHK。おもしろい、感じがいい、登場するメンツがいい。
しかし、おもしろく読みながら、突然わかったこともあった。
なんだかヘン。 原子力・ムラならぬムラがあるらしい。リーダー・ムラが。
池上彰本によれば小泉さんは「すばらしくいい感性の人」。」
言いかえれば天才的風見鶏。
利権の目標を、「原発推進」から「原発ゼロ」に変更して、福島が危険になってきたから。
今度は「原発ゼロ」利権を、おなじくゼネコン以下に投げるわけみたい。
ちがうの?

細川さんのポスターを見るとぞわぞわするほどコワイ。
若々しくてイケメンの細川さんと細川護熙の文字。それだけだ。
空疎(形だけで内容に乏しいこと)を絵に描いたようとはこのことだ。
しかも・形・もウソ。テレビで見る細川さんはもっともっと年寄りなのである。
もし彼が国土壊滅の不安からやむにやまれず立候補したなら(そう言ってる)、
なぜ「原発ゼロ」の文字をドカンとポスターに入れないのか。
選挙ですよ、ふつう、そうするんじゃないの? 


・・・・・・・。

2014年1月27日月曜日

ゲンかつぎ。


ライブハウスで私はピットちゃんのすぐ横にこしかけていた。
ふわりとした白い毛糸のチュニックがよく似合う人で、
さっきから眉をしかめて、目立たないように何度も手提げをかきまわしている。
おなじ病状?だと思って、ついきいてしまう。
「なにか落としたんですか?」
ええ、いいえ、と彼女。
「つまらない物なんです、わたし、あのうちょっと、お守りみたいなつもりでいたから」
同病あい哀れむ。私たちは遺失物を教えあった。
止めのついたリボンが彼女、ちいさなフランスの神様が私。

「なくしたものの代わりにはならないと思うけれど」
彼女に金色のクリップを渡す。気に入っていたし買ったばかりだし、いいかと思って。
すると自分の残念とはくらべものにならないからと、異国のお守りが手渡された。
銀の色したエキゾティックなペンダント・トップ。
「そんなのいりません。だってあなたがこまるでしょう、お守りがなくなって」
ピットちゃんは元気な笑顔で、
「いいんです。もう私は自分の幸運をこのお守りでは使ってしまいましたから」

それから、ライブの喧噪のなかで彼女はみょうに真剣な顔になった。
失くしたのはどんな神様なんですかときくのである。

「親指のツメぐらいの白い陶器、青い上着でバイオリンを弾いてるの。」
もういい絶対みつからないと思うから、と私は言った。
指で、こんなに小さいのよとサイズをつくれば、1センチ半ぐらいしかない。
地下のライブハウスは100人以上の人でごった返し、煙草のけむりで霞んでいる。
あっちも会場こっちも会場、どこをどう歩いたのかハッキリしない。
こころあたりのある場所はもうとっくに捜したあとだ。
どんなに胸がごろごろしても、私はあの小人とお別れなのだ。

・・・ところがである?!
1時間ぐらいあとで、ピットちゃんが私にフランスの神様を差し出したではないか!!
出入口の壁の下にありましたと、まじめな顔がとてもうれしそうだ。
お守りを返してあげたいのに、いいんですいいんです、と受け取らない。
左手に小さなペンダント・トップ、右手に親指小僧、
私のお守りはこの日ふたつにふえたのだった。

2014年1月26日日曜日

1月25日の新年会


私の家の朗読のサークル。
新年会に私なりの企画をたてた。
「赤い疑惑」のアクセル長尾を、母親たちに見せる。
若者のほうには、子育て中のよき日本人を見せる。
正直で自分をあるがままに表現することができる大人を、ということである。
若者とはちがう苦労を背負って、それでいて思いやりのある活き活きとした人たちだ。

長尾くんがはやばやOKしてくれたので、健とふたりで音楽およびトークを、
と相談していたらOJ くんが来てくれた、それで若者は3人になった。
3人で2曲づつの弾き語り。
3人とも30代である。そんなことが実現するなんて。
ユメにも思わなかった。

自己紹介からはじめたが、若者のほうでも、母親たちに驚きを感じたらしく、
質問も意見交換もむだ話も以後らくらくと進行。
一品持ち寄りにしたので、食べたり飲んだり、
話がひろがって、目も耳も口だって楽しいことだった。

小説のメモ書きみたいなメールがとどく。16:40
「道がある。そのあとこんでいる。御免なさい。」
日本語がデキる外国人から。

7時ちかくなって演出家で映像作家のデボラ・ディスノーさんが到着。
おそろしくチャーミングなアメリカ人。
みんなが彼女に魅せられたようになったと思うけれど、音楽をもう一回やりなおし、
新劇、落語やお能、韓国、アメリカ、それからそれから、などなどなど、
デボラ・パワー猛然全開。
デボラさんは長尾くんの人を喰った「東京ワルツ」にたちまち反応、すごく笑った。
笑う観客というもののありがたさを、みんなに示してみせたのである。

朗読という自己表現の学習・訓練をみんなが10年以上もやって、
そこで実現しただれのこともわけへだてしない交流である。
それぞれに人間ひとり分の実在感がなければこうはいかない。
いつのまにかの、積み重ねとしての実力。
幸福なことじゃないのと私はけっこう自分をほめちゃった、はははは。

参加してくださったみなさん、ありがとう。
いつもいつも私を支え、連絡を担っていてくれている萱野さん、おつかれさまでした。


2014年1月24日金曜日

スカイプで娘と


パソコンの右上でどうやら電話?みたいな感じの音がする。
運よくクリックできたら、それでスカイプの画面になった。
あーよかった、オランダの遥から電話がかかった。
ところが私の画像と音声はむこうでキャッチできるのに、遥の声がとどかない。
このあいだからのことで、またかこのパソコン、とうんざり。
遥が私に、手真似で、ヘッドホンをつけろと言っている。
そんなものきらいだからもってないのよ、と私はおぼつかなくもしゃべる。
そこで、あっちは文字、私はしゃべると。

時々遥が私に文字で書けと書いてくる。だから字も書きながらしゃべるんだけど、
ばかばかしい、だって私の声なら聞こえてるのに、オランダに。
そう書くと、そうねと書きかえしてきた。

なにか忙しくパソコンを操作しているのだろう。
無音だけど画面の遥がばたばたなにかやってる。

その甲斐あって急に娘の声がきこえ出した。
声がきこえず、表情だけながめていると、なにか不幸なことがある顔だと
心配でたまらなくなる。声がきこえはじめると、
そういう心配を聞こえたり聞こえなかったりする音声が吹き飛ばしてしまうのだけれど・・・。
ふだん外国ぐらしの娘のことはなるべく考えないようにしている。
考えても、してやれることがほんとうに無くて。

でもよかった、会えたらいいのにと、あっちとこっちで言うことができて。
時差約8時間。そろそろリックが帰ってくると遥が言ったとき、
わたしのほうは午前2時だった。


2014年1月23日木曜日

本格手打ち蕎麦


蕎麦打ちを習っている中西さんが、お蕎麦を送ってくださった。
朗読の時とおなじく、ちょっと失敗して自信がありませんと、内気な弁解つき。
蕎麦打ちということにも、もう三束に分けてある立派なお蕎麦だというのに、
まだ失敗があるのかとびっくりした。でも考えてみればそれはそういうものかもしれない。

同封されていた説明書を読みながら、急いでゆでて冷水でカラカラ冷やし昼食としたが、
素朴自然な甘みがとおって、すばらしいお蕎麦だった。
おかしなことにお相伴にあずかった息子が、至福だね、なんて言う。
おいしさがそこでまたその二倍になった。

ありがとうございました、中西さん。   


2014年1月22日水曜日

鶴三会句会 1・16


第六回目、努力型とやっつけ仕事型の差が明らかに。
句会におのずと品位のようなものが現れ出でて、いま会場はうららかである。
現在ふたつの型の真ん中へんにいる人は宇田さんだろうか。
イライラが哀愁をおびている。やっつけタイプの私など相応の敬意をおぼえてしまう。
悲痛は尊敬を呼ぶのである。

落葉散り 既に 己も下り坂

本人の言によれば、「既に」はすでにと読む。でも私は勝手ながら、ついにと詠みたい。
宇田さんの口調は、吐き捨て悲憤調、それがまた怖くて愉しいというものである。
「いやいや僕は何年も前から下り坂だと思ってましたよ」
ははは、そうかもしれないけれど、今を生きるこのタマシイにふさわしいのは
遂に、という決定的切迫感だと思うのですが、いかがでしょう。
三國さんによれば、川柳のよう、と。
川柳と俳句のちがいはなかなか難しいらしく、まあ、川柳だと季語なしでよろしいと。
もちろんこの場合は、落ち葉散り、が季語である。

思うに、今回の句会の出色は川上さんだったのでは。

胸さわぐ メタセコイヤが 燃える日々
白珠を 抱く月あり 朝まだき
荒れ庭に 光り集める 石蕗の花

川上さんは従来文学的な人で、胸の想いが句に反映する。
じっくり取りかかって、本気で作句する気持ちも好ましい。
三國さんの柔軟的確な御人柄のもとで開いた才なのかもしれない。
光り集めるとうたってもらった、石蕗の花の幸せを思う。
はじめの句にはどうやら季語がないらしい。メタセコイヤが黄葉すると、
川上さんは高村光太郎の詩の赤毛の女を想起するという。
そんな読書歴の厚みが、いまはまだ俳句の形式になじまないということかもしれない。

無花果や 鳥追う父の 声なつかし

この懐かしい句は木下さん。声なつかしが一字あまってしまうけれど、
「鶴三俳句ということでいいでしょう」と先生が。微笑ましい想いのこもった俳句ですよねえ。
病床にある木下さんの一日二十四時間はどんなに長いのかしら。
思い出が訪問して、それから、・・・と木下さんのお部屋と車椅子を思う。

銀杏を 拾う人あり 風去りて

これは村井さんの句だけれど、三國さんがこうなおされた。
風去りて 銀杏拾う 人のあり
なーるほど、名句だなあ、新聞に投稿したらどうかなあ、とだれかが言う。
新聞に投稿といえば、
「これはすぐ採用されるでしょうなあ」と三國さんがおっしゃった句がある。

秘密法 背すじ強張る 師走かな

おなじ考えの人は俳壇にも存在するからと。
私は斎藤さんがよくまあ、背すじ強張るという表現を考えたものだと思う。
ナイーブな方法で国家機密保護法にむきあう表現って、あるようでいてない。
俳句というのは心映えがほんとうに伝わる文学でしょう?
賛成句だって反対句だっていっぱい集める、
そうすると日本人の今がよくわかるのかもしれません。

時雨去り 色とりどりに 石畳

小林さんの写真つき俳句で、京都のお寺の光景なのだとか。
それがわかってガッカリしてしまった。
聞くなりうちの団地のアキニレのことだとカン違い、内心快哉を叫んだのに、
嗚呼それなのになーんだ京都のことだったのかあ。
初冬。ところは鶴牧三丁目。
玄関をでるとアキニレの鮮やかな紅葉に胸躍り、
石畳がまさに色とりどりの絨毯のように見えて大感動。
でもどう考えても自分は俳句にできない、けっきょくあきらめてしまった、
そこにこの小林句である!
うーん、斎藤さんといい小林さんといい、よくまあ上手に詠むものですよねー。

吹かれては なお挫けずに 枯れ芒

中村さんの句。尾根幹道をクルマで行くとき、人は芒のことを思わずにいられない。
とりわけ冬が銀色野原でうつくしい。
ところが俳句俳句とあせってもダメだ、私などぽかーんと眺めるばかりである。
・・・なお挫けずにかあ。
中村さんの言語の森には、おそらくミャンマーとの関わりによって定着した感興があるのだ。
欠席されたが、こういう句も届いていた。

地の果てに 学ぶ子等や 冬の空
(なおこの句は、三國さんによって、学ぶ子どもら、となおされた)
地の果てに 学ぶ子どもら 冬の空

今日の句会で学んだことに、俳句の場合、美しい、きれいだを隠して
どうしてもつかうなら下の句にもってくる、特別な時以外は使わないほうがよい、
というのがあった。
美くしや 音の競演 秋の虫
これは斎藤さんの秋の句であるが、三國さんがなおしてつぎのようになった。
こうすると高尚になりますねとつぶやいた人がいる・・・斎藤さんだったかしら。

おちこちの 音の競演 秋の虫


(よい集まりだったと楽しくなって帰宅しました。)

2014年1月21日火曜日

音楽前夜社のライブ ②


途中で帰るつもりが楽しくて最後までいてしまった。
つくづくそうしてよかった。
GoRoGoLoのマグマのような潜在力が開放され爆発して、レコハツを締めくくったからだ。
みんな楽しそう。祝日のおわりってこれだろう!!という感じ。

今日という日の全体を通して、ここにある熱気の存在を私は見たわけだろうか。
演奏するしないにかかわらず、若い人には燃える力があるのだということを。
しかし感情だけの無内容な爆発はおもしろくても印象に残らない。そうも思った。
派手でも上手でも、電気の力を借りても、不完全燃焼は不完全燃焼。
音楽前夜社の腕力で18のバンドが登場したとなればなおさらである。

なんでそう考えることになったかというと、
一番手にシイネハルカをもってきたことが大きかったのではないか。
彼女のピアノ(即興)演奏は、聴く者を自然な精神の故郷に帰らせる。
おのおのを各自のスタートラインに立たせ、
「現在ここにいる自分よりずっといい自分」を思い出させるのだ。
とても静かなのに。

そうなると耳と目が影響をうけて、取捨選択をはじめる。
純粋と不純を見分けようとし、登場する各バンドの客観と主観の純度を、
なぜかは知らずみんなが判定しはじめる。
たいしたものとはこのことで、二番手はディエゴだったが、
ディエゴがこれほどすばらしかったのは初めてと私は思った。
ハルカさんが創った軌道がディエゴという二番手を自由にし、
会場の聴き手に影響を及ぼしたのである。

SuperDUMB、YkikiBeat、ayU-tokio、岡沢じゅん、脳性麻痺号・・・。(順不同・表記もヘン)
多彩なプログラムは以後一転、先へ先へと華々しく爆走を始める。
それはもう楽しい。みんな人気のある有名バンドだそう。
会場はわんわんの喧噪、タバコのせいで煙り箱みたいになってきた。
セキばっかりでるのだ。
なんともう4時間が過ぎて、外に出ると暗くなっている。

音楽のことだけ考えて過ぎる一日は、騒然として気を奪われたよき一日である。

「えー、もうかえるんですか」と夕闇の風のなかできかれる。
ア・ページ・オブ・パンクは6時半から。それからGoRoGoLoの出番までさらに2時間半。
外套はタバコでぶすぶすに燻っている。
頭のてっぺんから靴の先まで煙りっぽい。
冷えた夕風のなかを、またライブ会場へと私はもどる。

タバコとアルコールと各ロック・バンドがたてる高度に器用な爆音は、
東電の無責任と、政府与党の破廉恥な公約破りと、三権分立の崩壊にくらべれば、
なんのこともない。
原発不始末は国の終わり、公約破りは約束の決壊、三権分立の崩壊は権利はく奪である。
いのちの危機にあり、自分も嘘つきになりかけ、当然の人権はぼろぼろ。
その土壌の上に存在して、そこで束の間若々しく生きて、現実は断固見ないという立場で、
いつまで、なにを音楽でさけぼうというのだ。
日本列島のロック演奏は我儘な人のおもちゃなのかどうか。
ライブハウスで私がたびたび考えてしまうことである。

見たものを今は語れ、自分たちのために。
唯一絶対無二と自分を思うなら、思うことは表現するものだ。

きょうはそういうことができた日だったろうか。
思いがけずすばらしい一日だったことは確かだけれど。

2014年1月20日月曜日

音楽前夜社のライブ ①


ずいぶんと大きなGoRoGoLoのレコハツ(レコード発売告知の略?)。
午後1時から9時まで18組のバンドがライブハウス下北沢スリーに集結。
明日月曜日はどうなる、働くという返事、すごい。

GoRoGoLoの企画はどこかスマートであって。

演奏会場としてライブハウス2か所を確保。あっちとこっちで演奏し、リハーサルをやる。
次に演奏するバンドが、観客が移動して空っぽになった会場で音の調整などする仕掛け。
時間の無駄がない。ごったがえしながらゆったりと進行。鮮やかなものである。
メンバーのキムさんがカレーをとんでもない狭いところで作って売ってる。
「ルーは今回小麦粉からつくりました」などという。
(だいたいこのライブは8時間ぶっ通し、頭は音でガンガン、おなかも空いてしまう。)
いったいどれほどの人たちがいたのか。
チケット購入150人限定、とおしえてくれた人がいた。
そうだとすると200人は集まったにちがいない、遅く来る人、早めに帰る人、ずっといる人。
ちょっと一息つきたくてリハーサル側の会場に行ったら、ソファや椅子に腰かけて
大音響の中ぐったり疲れて眠っている女の子がいた、それもおもしろい。

画家の箕浦建太郎にひさしぶりに会った。
今日演奏するのである。
私は彼の白紙に描く線を尊敬している。それは何千回何万回と描き続けた画家の曲線で、
マティスのようだと思う。しかし、彼の曲線がどうしてああいう絵になるのか、
そこが私には理解できず、クビをひねり、内心肯定したり否定したりするばかり。
よくわからないというのとはちがう。よくわかると自分なりには思っている。
むかし彼に、自分というものが全部でていてこれなら嘘がない、という絵をもらった。
彼の展覧会で「これがいい」と言ったからだった。
手放したくないなという葛藤があんなに若々しい顔にでていたのにもらってしまった。
それから、ある時、芝白金あたりのエスニック料理店での展示の中から、
私は彼の絵を一点買った。
よくわかるということと、彼らしい「かたちへの偏愛」がすごく納得できる一点。
その育つあてがない子どもの孤独といったような絵を、とられたらいやだとすぐ買ってしまった。
去年、箕浦くんは川島小鳥という写真家と共同作業で写真・画集をだした。
思いがけないことに、私が買ったあの可愛い絵もそこに入っている。
たぶん、たくさん売れていま以上に有名になるのだろうと思った。
いささかの悩みがまたしても生じたけれど、共同作業における彼の態度は好きだ。
彼は料理店でも、写真・画集でも、おどろくほど相手を生かす、ひっそりとしかも負けずに。
ほんとうに独特。

ミノケンのシンセサイザーとギター。35才と19才の演奏。
私はそれにタイトルをつけた。
「先進国における屠殺の現状」というのである。箕浦くんは笑った。
「なんだそれ、まるで政治的じゃないっすかー。」
景色が見えるような音楽だった、まるで記録映画のBGM。
川が見えて岩棚が見えて、森林が見えた色つきで緑の。鳥が飛んで。
無人兵器でイランだとかを爆撃するアメリカ人には、
勤務が終わって家に帰ると、無農薬の畑を耕したりするタイプがけっこういるときく。
日曜日には教会に行って神様にお祈り、チャリティーバザーだってやるよきパパだ。
コンピューターで人殺しって、だんだん楽しくなるのかもなー。
そういう殺人者の無感覚が音をきいているとわかってくる。
彼の絵はこの音楽のまったく対極にある。まあ気晴らしで開放かな、こっちはね。
しかしミノケンがおそろしいのは、りょうほうともが精確無比の写実だという、そこだ。

2014年1月18日土曜日

見ていたら童話


クルマの中から外を眺めていたら、白い髭を長く顎から下に流したおじいさんが、
小さいスクーターに乗って走っていた。まるでアザラシ。おじいさんは茶色のオーバーを着て
灰色のリュックをキュッとしょって、こんな多摩市界隈を行進するにしては、
じつにじつにオンボロにして古典なのだった。ああ、どこからどこまで走っていくのだろう。
手入れをしきらない蠟梅の花が咲くくたびれた可愛い庭が見えるようだ。
そこにはおばあさんが待っているのかしら。いいえ、おそらく今はもう誰もいないのだ・・・。
私の頭は、おじいさんのふくらんだ白い髭とスクーターに見とれて、すっかり愉快になり、
こんどは歩道を行くひとりの紳士が、海辺から来たカメに見えてしまう。
黒いスーツを着こんで首をすくめ、風をよけてすごいネコゼになった、あれが甲羅だ。
暖かそうに見えるのに震え上がっている骨格のしっかりした丈夫な中年。
木の葉が寒風にふるふる揺れて、その上に日が差して、どうしても寒い冬である。

こんなおとぎ話みたいなことは続かないものだなーと思う。
どんなに目をこらしても、それからは人間が人間に見えるだけのことだった。


2014年1月17日金曜日

ギター修繕の決着


ギターの表面が、買って半年もたたないのに剥がれたのである。
かの有名な、Martin、アコースティックギターである。

修繕を必要とするギターおよび保証書をもって彼は秋葉原リボレへ。
一週間がすぎて、リボレから電話がかかった。
8300円支払え、修理に3ヶ月かかる。そういうことだった。
電話を家で受けた私が「保証期間中なのに?」とたずねると、
店員がクロサワ楽器にすぐ問い合わせてくれた。ヘンな話だからである。
持ち主がぶつけた結果の修繕であり保証はできない、が即刻もどってきた返事。
リボレの店員の詫び文句はこうである。
「そうなると、こちらではどうすることもできないんで」
8300円のうち3000円がリボレこのたびの手数料。伝達のみで300円じゃなく3000円。
「そういう決まりなんで、すみません」とあやまっている。

腹が立ってだれかれに意見をきくと、たいていの人が、
いい加減な品物を買ってしまったのだろう、諦めるほかはない、と言うらしい。
いくら争っても、相手にされないよと断言したりするらしい。
ぶつけた覚えもないしキズもつけてないと本人が言うが、それはてんで問題にならない。
これには胸をうたれた。なんだか灰色。絶望の種はいつも始めは小さいのだ。
・・・作って売った「会社」ではなく、買った者の「不運」に責任をとらせるという、
無力な者が一生涯ひき受けてしまいそうな、哀れな運命の連鎖。
スゴイ話だと思うけど、当然そうなるさと思う人のほうが多いらしいから驚く。

きのう、また電話がかかった。クロサワ楽器の人からだった。
わるいけど自分の勤務時間内に電話しても、ギターの持ち主だって働いている。
5時まえに電話を掛けて、若い者が家にいるわけがない。
電話の相手は8時にかけなおして直接本人と話しあいます、と私に確約した。

クロサワ楽器店はマーティン・ギターの日本代理店である。

あなたがたは秋葉原でギターを買う人間を「貧乏人」だと思っているのでしょう。
お金持ちは、銀座の山野なんかに行って、だいじな楽器をらくらくと正価で買う。
たとえば8300円の修理代にショックを受けるようなくらしの中にいるニンゲンが、
・・・何万円もするMartinを葛藤のすえ、やっと買ったとして、
軽はずみにぶつけたり、上から圧迫したり(そうしたというのだ)、
そんなことはまず絶対にしないでしょう?
それでも半年もたたずボディは剥がれた、これが当方だけの問題なのかどうか。
私が許せないのは、買い手の不運に対する一片の同情もないやり口だ。
今回の修理費問答無用請求という態度には、弱者に対する軽蔑が見える。
なんて傲慢で無礼で不道徳なんだろうと思う。
だって、あなたがたは「お客様」にそれなりの対応や説明をするでしょう?
もしもこの話が、秋葉原からではなく、銀座の山野あたりからきたならば?

私がどうしても言いたいことの根本はそれである。
会社の言い分ばかりが横行する多くの不可思議なシステム、
若かったり貧しかったり気が弱かったりすると、かのMartinを買ったというのに、
その努力や儚いユメに一片の敬意も払われない。保証書なんか無いのとおなじだ。
最高の職人仕事ってそれか。
そんな気風に支えられた木製楽器ってどういう音をだすのか。
非芸術的楽器会社の、品性の欠如がイヤだ。

保証書は権利を獲得。修理期間に要する3ヶ月は1ヶ月に短縮。
話しあいはギターをつかう当人が納得するかたちで終わった。

なぜ、そういう常識的な結末になったか。
たとえ相手にされなくても、異議申し立てはあきらめずにしてみよう、
消費者センターを複数さがしだし、そこで決着をつけることにしよう。
こちらとしてはそうしたいと、不十分ながら取次店に伝えたからだ。
    東京都消費生活センターは新宿にある。
    電話番号は03・3235・1155
    多摩市にだって多摩市消費者センターがある。
    電話番号は042・374・9595

どんな末世にも、人の世には、それなりの是非がある。
消費者センターに相談したとしても、やはり相手の言い分が通ったのかもしれない。
消費者センターが本気になって消費者の立場にたって考えてくれるものかどうか、
けっきょく電話をしなかったから、よくわからない。
私にとっては、人まかせにしたり、相手をやっつけて勝つなんてことじゃなく、
公平な論理が世に出て、それが今でも通用するとわかったことが、まず好ましい。


2014年1月8日水曜日

TIC・初級英会話クラスの英語劇


英語劇の台本をまんねん初級エイゴ出来ないの私が作る。
この時期になるとそうで、間に合わないから年賀状も書けない。
出来ないなら引き受けなければいいじゃんか、ということだけど、
難しいことをやらなくなれば、私なんか劣化する一方だろう。

クラスやサークルでなにかする場合、
たたき台がなければ、相談の時間ばかり長くなって、
けっきょく間に合わない。それで、たたき台だけでもとつい思う。
テキトウにやっとけばと言うかもしれないが、
うっかりそんなことしたら、見るに耐えないものができちゃう。
三人子どもを育てて、長いことPTAをやったから、
どうなるかいくぶん予想できるわけである。

たたき台は、ある程度ぼんやりしたものが好ましいと思う。
まー、そう思わなくてもそうなっちゃうけど。
変更の余地のあるものがよいということだ。
そうしないと活発な討論ができない。結果も悪い。
誰かが(私なんだけど)ぜんぶやっちゃうというのでは、希望がない。

場をみろ、とかいう強迫的なセリフは嫌いだけど、そこをわきまえていないと、
せっかくの討論を殺してしまうと思う。

エドワード先生は穏やかで控えめなアメリカ人である。
かのUCLAで演劇専攻だった。
私は桐朋学園の演劇専攻科を経て、劇団民藝へ。
私の娘はロシアのペテルブルグ演劇大学で演劇を学んだ。
そしてけっきょく、私たちはみんなべつの仕事に就いた。
今では部外者もしくはシロウトということだろうか。しかし、
一時期でも演劇を学ぶ対象にすると、演劇は私たちに魔法のような愛を与えてくれる。
自己表現をしながら生きていけと、叱咤してくれる。

私は、エドワード先生にぜひとも修了式で生徒がやる「劇」に参加してほしい。
せっかくの外人でしかも演劇畑にいた教育者なのだ。
TICとは「多摩市国際交流センター」の略である。
だとしたら、国際交流がとにもかくにも開放的に行われること。
それが一番しなくちゃいけないことなんじゃないの。

私たちのクラスに朱子(AKEMI)さんがいる。
新人類だなあと思う。
金髪、つけまつ毛、若いのに厚化粧という化粧法。
彼女は多摩国際交流センターの長である。
堂々と、しっかりと、こんがらかった重責を担っている。
去年の修了式の時も、なんとアテにできる人だったろう。
うちに来て、劇発表前の裏方作業を一から手伝ってくれてびくともしなかった。

彼女を見ていると、引き受ける、ということこそ成長の要素だと思う。
TICの会長を引き受けて以来、AKEMIさんは外見を変えずに、ひとびとに偏見を捨てさせ、
しかも自分の幅をひろげている。すてきである。
朱子と書いてアケミと読む、お孫さんにそういう命名をしたおばあちゃんの影響が、
どこかで働いているのかーもしれないねっ?!


2014年1月7日火曜日

うちの中は温かい。


家の中はあたかい。
机の上では白いヒヤシンスの花が満開だ。
いっち、にい、さんっ、と咲いてしまった。

2014年1月5日日曜日

映画「ゼロ・グラヴィティー」


3Ⅾである。
チケットを買うとメガネを渡される。
「今からかけちゃダメだよ」とタケシに言われた。
わかってる!。
おかしくて笑ってしまった。私ってチンパンジー扱いよね。チケットは買ってもらうし。
「メガネの上にメガネをかけていいの?」
心配性だし。

初めて立体映画というものをみたのは50年ぐらい前だった。
その時、メガネの縁は紙だった。今でもまだメガネなのね?
こんどのメガネは大ざっぱなもので、プラスチック製でレンズが広い。
メガネの上にいい加減にのっけてもすごくよく見える。

評判の映画だからどうしても見ようと言われ、しぶしぶ映画館へ。
クルマ酔いみたいになるかと怖かったけどそんなことにはならなかった。
楽しくて面白いばっかりだった。壮麗見事スリル満点、飽きるヒマもない。

ストーリーは簡単。宇宙で事故にあったライアン(女性)が、ふざけやの天使みたいな同僚の
助けがあってただ一人地球にたどり着くまで。
サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーしか俳優としてはでてこない。
爆発した宇宙船の金属の破片だとかなんだとかが、観客めがけてすっ飛んでくる。
(行けども行けどもスリル満点の映像がすごい)
「かあさん、よけてたもんね」
「それはちがう。冗談言うな。私だってそこまでバカじゃないわよ。
映画を見にきてるってちゃんと知ってるんだからね。」
ヘンな冗談はやめてほしい。

どういうわけか字幕が立体画面の方にある。私のすぐ前に見えるようになっている。
ところが前の座席の人が大きくて、私からはまるで文字がみえない。
こまったけど、とちゅうで席を変わったりしたら、ほかの観客の感興を削いでしまうだろう。
ハラハラいのちの息詰まる映画なのだ。まーいいかあ、英語ならってるんだし。
と思ったけどよくわからなかった。
とあきらめるほど、迫力満点の映像美だった。
その事情をスクリーンから飛んでくる破片を本気でよけてたと思われるのはせつない。

宇宙のなんと広く、寂しく、美しいことか、
タイムリーな仕事だ。

gravity とは地球引力あるいは重力。
したがって引力ゼロという映画である。
心情的にも、身体的にも、引っ張ってくれるものがない時、人は寂しいという主題。



2014年1月4日土曜日

新聞がとどいて日常がもどる


新聞がとどく。
去年までの、いや、この年齢にいたるまでの私のくらしが、ズシリとのしかかる。

森本さんからお年賀状が配達された。
去年愉しかったことのひとつは、森本さんの奥様を知ったこと。
森本さんがあんな事故にみまわれなければ、
会うこともなかったはずの人である。
クルマ椅子の森本さんを見て、なんて清浄な表情、と感銘をうけショックだったけど、
それと同時に、家族をだいじにしていたのだろうなと、それが印象的だった。
お見舞いの気持ちがあたたまって、ホッとする光景だった。
なんて可愛らしい美人の奥さんなんだろうとびっくりした。
やっぱりね、とも思った、ははは。
彼女と息子さんと娘さんと、家族がみんな、
不測の大事故で身障者にされたお父さんを、自然にだいじにしている。
離婚した私なんかの胸にこたえる光景だった。
彼らは娘さんの婚家近くにマンションを借りて、森本さんの療養と通院に備えており、
私たちむかしの同窓生はそこに伺ったのである。
事故から一年・・・。
森本さんは、事故にあうまえ自他ともに許す企業戦士だった。
マンションは目白駅のすぐ近く、新しくてきれいで高層の12階だから見晴しが素晴らしい。
新宿のビル群があたり一帯にひろびろと、霞たなびくなか夕陽に照らされているのである。
寝返りが自分ではうてない森本さんは、夜がくるとウォーターベッドに寝かされる。
ウォーターベッドかあ。
ああ、こういうことが実現できるほど働いたんだなあと思う。

みっちゃんのことを考える。
「戦争になれば、真っ先に邪魔にされ見捨てられるのが私たち障碍者だ」と、彼女は言う。
老人と、老若を問わず病人と貧乏人。
そして、だいじにしているふうに合唱されてるけど、子ども。
子どもだって、苛烈な世界に日本が傾斜すればするほど、邪魔にされ見捨てられるのだ。


私の家の朗読の新年会に、「赤い疑惑」のアクセル長尾が参加してくれることになった。
優秀な若者で、行動的なミュージシャン。
そんな人をみたいでしょ。
タケシも参加するから、弾き語りとトークつきのめずらしい新年会ができそうです。


2014年1月3日金曜日

中華街と元町へ、


きのう二日は自動車道路が当然のことながら渋滞。
途中気を変えて、そんなことをしたこともない正月の中華街と元町を歩く。

中華街はものすごい喧噪のなかにあり、
思いつきで到着した私たちなんか、どこに行けばよいのか見当もつかない。
人が一杯満杯の祝日って楽しいものだ。
あたりは空気ごと騒然、どんな音がしていたのか忘れちゃったけど、
鐘や太鼓、中国なまりの日本語での呼び込みの声。どこで食べるかと相談する声。
足音や夕暮れの街がたてる音。
中華街なので、赤と金色と極彩色、ギラギラである。
ギンギンギラギラの目もさめるようなお土産やさんを見る。
すごい。竜の置物が安いのは安いガラス玉を、高いのは有難そうな水晶玉を、
ドンジャラランと片手にもって、カッとこっちを睨んでいる。まあホントに幸運を招けそう。
カエルだってそうだ、金泥をおびた緑の大蛙が赤い舌をデロリと跳ね上げて、
イヤなもんだけど買いたくなっちゃうんだから、おかしい。雰囲気に呑まれる。
買えるもんなら買っちゃったと思う。
だってもう本当にあからさまに「お金がカエル」お守り。
この迫力がいい。そうねそうねと思ってしまう、そこが楽しいのである。

去年は大晦日からお正月にかけて、タケシは遥のところにいた。
オランダの年越しはアジア系移民たちの爆竹と花火で、
毎年大ヤケドする人が何人もいる死人もでるというけど、
なにがあろうと毎年めげずに、野放図華やかドカンドカン。
ロッテルダム市当局の警告なんかてんできいてくれないんだとか。
タケシは懐かしいんだろうなと思う。

中華街でかしこくも感じのいい中華レストランに入る。
よくもこんなに安くすんだとミラクルな支払い。極端極小注文。
私は元町が見たい。
当然のことながら、元町は元町。中華街とはまったくちがう風情である。
昔からの舶来通りというか。これはこれで目が楽しい。
以前は、ここでしか触れることができない舶来未知の商品が数々あって憧れたけど、
そういう鎖国みたいな時は遠く去り、今はもうそんなこともない。
ほかのところとセンスが多少ちがうだけ。
元町のためにも、歩く人のためにも残念な気がする。
貧乏でなにも買えなかったころ、ガラス越しに眺めた輸入タオル屋さんが営業している。
お正月値段のさらに10%引き。閉店時間はとっくに過ぎてる。おきゃくさまは運がいい。
運がいいのか、わるいのかわからないわよねー。

珈琲店に入る。
嗚呼ヨコハマに住みたい、と思うような胸にしみる珈琲をブラックで飲んだ。

元町みたいなところにいると、
さっきの大ガエルの御利益あって、ボカスカ、ボカスカと買い物ができ、
札束をブン投げるようにつかえたらなーとつくづく思う。
「バカなことをいうんじゃないよ、お母さん、そんなことみんなが思ってるわよ。」
遥がここにいたら、きっとそう言うと思って、オランダの娘がなつかしい。
だけどさあ、べつになにか欲しいわけじゃないけど、
宝ァー・くじ・は買っわなーい、という気分も、この際つまらないじゃないの。

また歩いて歩いて、駐車場まで街をながめながら、夜風に吹かれてもときた道を行く。
今度きた時はあそこを見よう、ここも歩こうと、できるかどうかわからないことを言って。
タケシさんのおかげで、いい日だった。


2014年1月2日木曜日

日の出


日の出をながめる。
またしても一日おくれ。
はははは。

掃除をし、洗濯をし、お雑煮の算段。
お雑煮って、きのうやるべきだったのに。

小鳥のさえずる声がきこえて、迷う。
パンくずをやろうかしらん。
でもおととい、パンもミカンも食べなかったじゃない?
それはなぜよ?

裏の小山からかえってきたら手紙がとどいて、
吉田さんからの朗読用原稿と、もうひとつは松本ヒロ・ソロライブのお知らせ。
うれしくなってしまった。

朗読は、私の日常のなかでは、本当にだいじなもの。
人々から学べと、マキシム・ゴーリキーの「私の大学」を高校時代に読んで以来、
私なんかその手の説教をされっぱなしという人生だが、
思うに、朗読用の文章はまさに「ひとびと」の宝庫。
書き手と、それを選択した朗読者と、ふたり分の生活観をきちんと考える仕事である。

そして、そういう仕事の行き着く先にいるのが、松本ヒロさんという芸人だ。
ヒロさんはすごい、えらい、楽しい!


こいつは春から縁起がいいやー、と思うことにしました。



2014年1月1日水曜日

謹賀新年


お天気。澄んだ空気の香り。平和。戦争がないこと。
枯葉のたてる音がきこえて、新年の挨拶が笑顔でおこなわれること。

去年(きのう!)駐車場に入れ忘れた車を置きにゆき、
去年しなかった掃除を行い、
去年できなかった料理を始める。
去年読みかけて、かたわらに放りっぱなしにした本を手にとろう。

今年、私が初めて目にした活字は、こういうものだ。

ある男の子の家は、一階が津波による泥に埋まってしまいました。
ところがそこにカメが流れ着いたそうです。それをきいたクリシュナンさんは、
その男の子にこう言ったのです。
「そうか、君は津波からカメをもらった子なのか。私は毎年三十か国以上の国々に
行くけれど、津波にカメをもらったのは、世界で君がはじめてだ。ぜひ君とカメの写真を
とらせてほしい。
世界中の子どもたちに見てもらいたいから」と。
日本語に通訳してもらいその話を聞いた時の坊やは、輝くような笑顔を見せてくれました。
             (現代と保育80号・立ち上がりの力・上山真知子)

負けるのはよそう。
そんな世の中にするな。
子どもを道連れにガソリンをかぶったりするな。
職場でオレもそうされたからと下の者をいじめるな。
恋が実らなかったからといって卑怯な仕返しなんかするな。
ずるいことだとわかっていながら、逃げて逃げて知らん顔をするなんて恥だ。
絶望の果てに自殺するな。
そんなふうに負けるな。
助けあうことはできる。
みんながこういう思想から
学べば。