2014年3月30日日曜日

ロマンティック街道をいく少女


お彼岸の日、私はシイネハルカさんの会に出かけた。
私の娘も遥だが、このハルカさんはべつの、音楽前夜社、ゴロゴロのひとである。

「つぎこさんもなにかやりませんか、なんでも、例えば朗読をするとか。」
・・・その日は、いろいろな人に来てもらって、いろいろなことをしてみようと思うんです、
たとえば、演奏する人もいて、体操とか治療もあって、みんなが来た人と自由に話せたら。
持ち寄ったものを思い思いに食べたり飲んだりというのもいいし・・・。

というおさそいを受けたのである。

こういうヒトが、いく世代も飛び越して、自分の前に現れたという不思議。
若い彼女と同じことを、ずっと、もうずっと成功したり失敗したりしながらやってきて、
70才にもなって。私ってつぶしがきかない人間だなーと思う今日この頃である。
主催ならば、いろいろ人の助けを借りてなんとかできるだろうけど、出演?。
ロックバンドやなんかの演奏にまざって? 朗読するの?

ヒトが「やってみたら」といってくれるなんて、できるかできないかはともかく、
しあわせなことにちがいない。  
迷ったあげく、「朗読の稽古」という作品にして、参加させてもらおうと決めた。
朗読の教師だから、「朗読」よりも「練習風景」を見せるほうが少しマシかも。
ワークショップってそういうことをするんじゃなかったっけ。

でも、私がここで話したいのはみんなで集まった日のことではなく、
ハルカさんの「その前後」のことだ。
いろいろな人たちと泊まって話したり、治療したり、お茶を飲んで語り合ったり、
私の家にも訪ねて来てくれて、稽古もして、ほかの用事にもつきあってと、
おたがい会えたらいいなと思う二十余人のために、莫大な自分の時間を彼女は費やした。
会が終わったあと、私にも、メールがとどいた。
もう一度お話したいと言ってくれて嬉しかったけど、もうひとつ届いたメールが私は好きだった。
今日はバイトでチンドン屋さんをしています、というのである。
自分を変えたい、明るく、明るくしようと思って、やっています。

・・・むかしむかしまだ子どもだったころ、もちろん私はチンドン屋が好きだった。
チンドン屋さんって異次元人、思い出すのはカネや太鼓、こわいような厚化粧。
そうかあ、バイトでチンドン屋 なのかあ、今日は。
あんな複雑多岐にわたる世代交流を実現させた女の子が、
街なかをチンドンチンドンとにぎやかに囃し立てて歩きながら、
ひと知れず、自分を変えたい、今日から明るく、明るくしようと努力しているなんて。

それは、ロマンティック街道を流れていくようなことだと、
詩のようなことだと、
なんだか私には思われるのである。


2014年3月25日火曜日

団地の総会のこと


鶴三会はいいなあと、最近考えたりする。

3/26 団地の総会。不安な雰囲気、
各種企業で優れものだったろう人の発言が続くので、けっこう・・・こわい。
理事会も総会も、もともと資産管理をムネとして規約ができているのだそうで、
頼もしい仕掛だと10年以上も住んで実感しているが、
ではあるが、コンピューターのことも、建築のことも、修繕積立金・銀行預金防衛の詳細も、
ぼやっとしか自分はわからない。女はそれでいい、だまって任せていたらいいからと、
心底、思っているんだろうな。
これで議長が、鶴三句会の雄、季語のデパート、親愛なる平野さんじゃなかったら
さぞかし緊張が溶けなかろう。

各議案ごとに議長が賛成大多数を報告。ついで反対数、棄権数も必ず報告する。
これなど本日は賛成数がわかればいいのでは、というのが感想だ。
時々刻々、反対と棄権が孤立させられていく仕掛けはダメだ。
少数意見に気をつかうべきである。 延々と全員一致なんだから。
(この日の総会で、棄権と挙手した勇気ある人はたった一人)
こんなありさまを不自然だと思う人はいないのかしら。
いないんでしょうね。時間に迫られているという強迫観念があたりを睥睨しているのだ。

ここが鶴三会 なら、ダメもとで、感想だけでも私は言ってみるだろう。
反対されても、そうかと受け入れるつもりだし。
ところが総会だと、なにか言ったらバカにされそうな気がしてしまう。
意見を言うまえから、自分が間違えているような気にさせられるのだ。

雰囲気がおかしい。
日本の会議には、間違える権利がない 。
これが結果としてキリキリと民主主義をしめあげているのではと思う。

全員一致ばっかり続くのは、おかしい。
棄権する勇気すら自分にはない、そのことがどうも気にかかる。
・・・反対意見はジャマだろうしなあ。
時間がない、じかんが、じかんがないんだよ、きみ。
でも私だってバカかもしれないけど戸主なんじゃないの。
98世帯のマンションのひとつを自分で買ったんだから、みなさんと同じく。
その平等感がほしいと思うのである。
しゃべりたいんじゃない、基本思想が会社経営的・上意下達的で 息苦しいのだ。

 けっきょく会場は、平野さんの柔軟さをもってしても、硬い雰囲気だった。

おもしろいことが、どうやらひとつだけあったかな。
理想と現実の衝突といえばまー無難かしらん。
細田さんと宇田さんが、植栽がらみの質問および異議申し立てをしたのだ。
私はこの二人の個性的・植木屋的けんか腰のファンだから、
これじゃ勝てないよ、いや勝つ気もないのかしらとハラハラ、いやい贔屓目じゃなくて。
そうだそうだと密かに考えた人はこの日の会場にだってけっこういたのではないか。
地球の植物や生物をどうとらえるかについての討論なのだ。だいじなことだ。
けんかはやめて仲良くやりましょう、と片づけられててしまうには惜しい衝突なのだ。
納めなくては総会が終わらないといわんばかりの決着がくやしい

鶴三会ならば、のんびりと思うままに、思うことは言える。
非常識はとうらないし、良識がゆっくりと受け入れられていくのである。
おなじ2時間 なのに。



2014年3月24日月曜日

星野和正という俳優・「陸軍」


「二十四の瞳」に続いて「陸軍」を見た。
木下恵介監督が戦時中につくって、戦意高揚にならないと批判され、それだからこそ今も
注目されている作品である。

何気なくツタヤからDVDを借りて、画面に現れる出演者の名をながめていたら、、
星野和正とあった。ヒロイン田中絹代の息子の役である。
・・・まさか、あの私の知っている星野さんなのだろうか!
そういえばあの人は子役だった、それも有名な、とむかし誰かに聞いたのではなかったか。

戦争が終わって、安保闘争も終わり、私のようなはんぱな者(1943年生まれ)は、
ただウカウカと大学を卒業、それで劇団民藝に入って、
「ああ野麦峠 」という芝居に配役され、日本中を一年かけて旅公演でまわったのだが、
その群衆劇の出演者のなかに星野さんがいたのである。

 「陸軍」のラストシーンは映画史上有名である。

子役としての星野さんの、映画「陸軍」における入隊のシーンを見ていると、
胸がいっぱいになり、浮かんでは消えてしまう面影に見入って、
涙が拭いても拭いても、とまらない。
スクリーンに映る男の子は、その在りようが、私の知る二十数年後の星野さんそのもので、
映画の名監督というのは、こんなふうに人の本質を見抜いて配役するものなのか、
弱く気持ちのやさしい子どもが立派に成人して、
母親のいう『天子様からお預かりした子をやっとお国にお返しできて』、
その日、南方に送られるため、広場を抜け、何百の新兵の一人として行進してゆく・・・。

少年は名をよばれて、ついには群衆のなかに自分の母親を見つけ、
つつましく無邪気な、笑顔ともいえないような、微かに微かにうれしい顔をするのだ。
そしてスクリーンの星野さんは、
田中絹代の、母親とはいっても、どこか少女のような美しい目線からついにはずれて、
連続する軍靴の音とともに軍隊の行進の中に姿を没してしまう ・・・。

何年も前に亡くなった星野さんとの、今度が、本当のお別れのようだった。

私の知る星野さんは、まじめな目立たない人で、
ひとを傷つけることのまったくない、穏やかな中堅俳優だった・・・。
日本中どこへ行く旅でも、自分のクルマを運転して移動する、それがめずらしかったけれど、
・・・それにしても星野さんのクルマはとても地味で、
持ち主とおなじく、けばけばしいところなど一切なかった。
たぶん星野さんは、芝居の小道具などを自分の車に乗せて運んでいたのではないか。

劇団の研究生だった私は、そのころ気持ちの不器用で目立っていたし、
なにかと問題児で、生意気という印象だったから、
努力はしたけど、旅公演にともなう集団生活は時にくるしかった。
旅先の公演地につくと、あの頃の民藝の場合、えらい人はべつとして俳優が舞台をつくる。
裏方もやるのである。ある日舞台で地がすりを敷きながら私が、
天井で幕を吊っている裏方の誰かに、オーイなんて冗談を言っていたら、
トンカチで大道具を固定していた星野さんが、
「ツンっていうのは知れば知るほど、わかればわかるほど、 大好きになるような子なんだね」
と言った。

働く人間にとって、自分以外の人とうまくいっていないと悲しんでいる女の子にとって、
こんなにうれしい評価というものがあるだろうか。
どこか遠い地方の暗い舞台の地がすりの上で、そんなふうに言ってくれた先輩が、
今ごろになって初めて観た名画「陸軍」の、あの星野和正少年だったなんて、
なんて申し訳ないことをしてしまったのだろう。
なにか特別わるいことをしたということではないけれど、
失礼なこともしなかったと思うけれど、
出会った人のうしろに隠れている、その人にとってだいじな歴史にまったく無関心だった、
そのことが自分ながら、なんとも言えずわびしく思われてならない。

さようなら、星野さん。ごめんなさい、星野さん。


2014年3月13日木曜日

「二十四の瞳」


図書館に行って、子どもの本のコーナーで「二十四の瞳」を見つけた。
うす明かりの静けさのなか、著者の壺井栄さんにふさわしく、
その本は目立たず、明るく、少し重たく、ひっそりと書架にあった。
借りてきて少しづつ読むと、
いつ読んでも、どこを読んでも、涙がでてしまう。
なんてよく書けた小説であろう。
瀬戸内海の、岬の村の風景が、そこでくらす人々と子どもあっての美しさで、
なんとあたたかく悲哀感を以て活写されていることだろう。

電車の中で涙を拭きふき、表紙も古びたこの本を読んでいると、
むかいの座席のおじいさんがこっくりこっくりの合い間に、
気になるらしく私をじーっとながめるので、
ああ、私もおばあさんになっているのだから、
見知らぬおじいさんが涙を拭きふき小説をよんでいるおばあさんを見ているわけかと、
それがなつかしい童話のように思われて、
わたしたちが乗りあわせた世知辛い京王電鉄の昼まの電車が、
小豆島のどこかを走るむかしむかしのもののように、
鄙びた、やすらかな乗り物のように、
思えたりしたことである。


2014年3月5日水曜日

過失交通事故裁判


松戸裁判所に出かけて、傍聴。

横断歩道を歩いていて、森本さんはクルマに跳ね飛ばされた。
首の骨が折れ、脊椎損傷となり、脳梗塞を起こし、
呼吸は苦しく、手足は不自由、寝返りも打てない人になった

苦しみ、悲嘆、不自由、不如意は森本さんを襲っただけではない、
彼の家族をがんじがらめにもした。彼をひとりにしておけないから、
裁判が終わると、奥さんか娘さんが走るように目白の自宅に戻るのである。

松戸裁判所はツルツルに光っている。
ガラスも廊下も廊下の椅子もきれいだ。
自動ドアもエレベーターも空調も無音ぴかぴかである。

私は胸をうたれた。
初老の裁判官のまったく深みのないヘチマ顔に。
若いめがねの書記官の満足そうな血色のよい顔に。

わるいけど反感を感じた。
税金ドロボーと言ってやりたかった。
給料のよさそうな、なんの同情もうかんでいない淡々とした彼らの顔。

不幸を裁くとき、
こんなにも無考えのままで、しあわせそうでいいのか。
疑問をもたないままでいいのか。

「庶民」の不幸をよく知る機会がないのなら、
病院や日雇いのボランティアを裁判官や検事の義務にしたらどうか。
せめて真面目に哲学書を読んだらどうか、自己満足に水さすために。

検事は早口。
弁護士も早口。
あっというまに、森本家の地獄を引き起こした自動車事故が語られて終わる。

調書を朗読するだけというこの形式の、
なんて非論理的であることか。
被告の弁護士は損害保険会社の論理を使って被告を弁護している。

自動車と自動車が事故を起こせば、
ぶつかった双方の運転手にそれなりのペナルティが課せられる。
森本さんは歩いていたのだ、横断歩道を歩いていたのに、

事故にあった場所が横断歩道の先ではなかったかと、
そればかりをなぜ被告の弁護士は問題にするのか。
裁判官よ調書を読んだなら、

前もって調書を読んでから法廷の一等席に着席というのが順序ならば、
保険会社の汚い論理をだらりと採用する弁護士に、
キミの文章は非人間的すぎるとあなたは指摘すべきなのだ。

調書をきちんと読みなさいよ。
それぐらいの仕事はしたらどうなのよ裁判官、と私は思った。
こんなそらぞらしい形式的な裁きに、

みんながただ順応しなければならないなんて・・・。


2014年3月4日火曜日

幻の名品「フリーターブリダー」


ひさしぶりに赤い疑惑の「フリーター・ブリーダー」 をきいた。
楽しくて何度もきいてしまう。
きいてはクルマの中でふきだして笑ってしまう。
若者ソング。古典だなーと思う。
朗読の会にきた人に買ってもらっちゃったけど、しまったとは思わない。
みんなが楽しむと思う。

賢さ。
フェイクじゃない。
ものまねとちがう。
アクセルとクラッチとブレーキは
このころ天才だった。

「明るいんだねえ」
おどろいたようにあとからきたミュージシャンが言う。

しみじみ思ってしまう。
まだ原発は爆発事故を起こしていなかったし、
国家秘密保護法も日本の法律ではなかった。
権利はいろいろに少なくなってきていたが、
なんとなく、
それって自分のせいじゃないのというふうに思えた、そんなあの頃。

そんなあの頃でも、
もう大学生はこんなふうに社会からイタぶられてたんだー。

よかったら買ってきいてみてください。
私の家にもあと6冊?、冊じゃなくて6枚?あります。
1ダース送ってもらって、6枚はさっさと売れてしまいました。