2014年4月26日土曜日

ハクビシンが通る


ある朝、起きて庭をみると、チューリップがポッキンと茎から三本折れてる。
あーっ、なにこれ、だれが、 ドロボー?!
チューリップとも思えない大輪の、花びらが最初から八重にひらくオランダ産。
遥が大盤振る舞いしてくれたので、鉢植えしたすごくたくさんのチューリップ・・・。
とにかく赤、黄色、ピンクをひろってきてコップに挿したら、何日も何日もちゃんと咲く。
それはそれで部屋の中が明るくなって嬉しいけど、
犯人はだれだ?

時々ふとった猫も通るけど、うちの小さな庭はハクビシンも通る。
ハクビシンというとジャコウネコ科の厄介者ということで、駆除方法は、という話にすぐなるが、
向こうの方が多摩地域的には先住民なんじゃないの。
夜中に部屋の中と外で目が合ったこともある。タヌキだ思うとビックリかわいらしい。
チューリップは餌をさがすハクビシンの夜道をふさいだのかも。

ええい、かまわん、通っちゃう!
ぽきぽき、ぽき。
ということかもしれないのよね。

それで、大きな鉢をひとつどけて、通り道をつけてやったら、以来うちは平和である。
たぶん、夜中にやってきて、えいこらしょっと花や茎のない鉢にのぼり、ストンと降りて、
私がつけた通路を通り、そのあとなんとかするのだろう。
チューリップは折られなくなり、無事に咲いて咲いて、
あーあ・・・花の時期がおしまいに。

2014年4月23日水曜日

公的機関・近ごろの応対


最近、必要があって、多摩市役所と多摩中央警察署と日野税務署に
問い合わせの電話をして、心外な思いをした。
「はい」と答えるものと思っていると相手が「うん」と応答する。
こっちが不愉快そうにすると、なんとなく相槌を「はい」に変更するのである。
この人たちは、いつもこんな調子なんだろうか。
いったいだれの指示で、警官は、市役所の窓口は、税金の係りは、
ここの市民にはこの程度の受け答えでかまわん、と考えるに至ったのだろうか?

彼らは自分の奥さんの友人からの電話にも、おなじような応対をするんだろうか?
彼が同様のことを相手かまわず行うとしたら、
鈍感だと思われイヤなやつだと思われて、すごく嫌われているはずである。
以前、我が国の公務員はこんなに横着じゃなかった。

公務員に威張ろうと思ったことは一度もない。
ふつう、がいい。おたがいにおだやか、ていねいがいい。

しかし、電話をかけて、名をなのり、
「すみません、自動車の免許更新についてうかがってもよろしいでしょうか?」
「うん。いいですよ、なに?」
交番ではない。多摩中央警察署である。
年配の警察官のだみ声が威張ってきこえて、ムッとする。
横柄ってこういう漢字だったなあと思う。
税務署もそう。市役所もそう。
それも仕事のうちなのに、なんで彼らはあんなに図々しくめんどくさそうにするのか?

いまにこれが、むかしの「オイコラ」調に不意に変化するのかもしれないと、
暗澹たる思いである。

2014年4月19日土曜日

ケータイ頼みの憂き目


原宿の CAFEE SEE MORE GLASS  に携帯電話を置いてきてしまった。
いまこのカフェでは
それで君を呼んだのにー 忌野清志郎を想うという催しをやっている。
  TEL&FA   03・5469・9469

そこにガゼルのダンス帽子店の秋山さんが、清志郎さんをイメージした帽子を出品。
見たことがあるから知ってるけれど、まるで真夏の夜の夢みたいなボウシである。
しゃれたご案内をもらって出かけて、すごく楽しかったのはよいけれど、
小さいテーブルの上にポカーンと携帯電話を置き忘れてきてしまった。
しかし、よくしたもので、差し出されたノートに感想を書いたために身元がスグ割れ、
タケシのケータイに秋山さんから連絡が入った。

私はつぎの日、忘れ物を取りにまた原宿に行こうと思った。
明日はあのカフェで、たくさんの古びた童話の本を読んでいよう、とそんなふうに思ったのだ。
でも親切な秋山さんは、夜だというのに原宿まで行って私の携帯電話をゲットした。
あした彼女の勤め先の東大構内でランチを、というお誘いつきだった。
東大構内ってきれいな、今どきの日本にはめずらしく、ゆったりとオールドファッションな
場所である。それに秋山さんと話ができる。原宿の感想が言える。
駒場東大に行く、と私はタケシに言った。

ここまでは順調だった。

朝がきた。
タケシに駒場に12時ぐらいに行くと秋山さんに伝えてもらった。
「早めにいってあたりをぶらぶらすれば、きれいな所だから」と言われて、そうすると私は言い、
着いたら秋山さんに連絡するようにと言われて、わかったそうすると答えた。
タケシはサーッと仕事に行ってしまいバタリッと扉が閉まった。

あーっ!!

連絡ったってどうすんだよ、ケータイ持ってねーじゃん・・・
と遅ればせに秋山さん調で気がついたのである。
秋山さんは女の子できちんと日本語を使う人だけれど、こういう言葉を織り交ぜもする。

私って連絡できないわけなのね!?
しかし・・・秋山さんにそう伝えたくても、息子はもはや影も形もない。
古い住所録を見て電話を掛けたら知らない人にかかってしまった。
(年寄のほうがオレオレ詐欺ってあり得ないのに、ひどく若い相手は私を疑うふうだった。)
秋山さんの番号だって知らない。私のケータイがあればわかるけど。 
ツトムの家に電話をしムギちゃんに番号を教えてもらい、
やっとタケシのケータイに電話をかけたが、こうなると問題は少しも解決しない。
今じゃ電車の中だろうから当たり前なんだけど、テキは呼び出し音を無情にも切るのである。
メールなら、と思う。
ああでも、それはケータイあっての話なのである・・・。

そのうえ、午前中に用事があったと急に思い出した。
冗談じゃない、ぶらぶらもできないし、約束の時間にも行けない! 
しかもそれを秋山さんに会議が始まる前に自分じゃ伝えられない!
まー、すごい日で。
みっちゃん助けて、野田さん(いない、ケータイにでない)なんとかして。
私ってこんなに、ケータイにぐるぐる巻きにされていたなんて。
秋山さーん、ごめんなさ-い、ほんとうにー!

2014年4月16日水曜日

手紙と笑う


橋本 進さんは大編集者である。
中央公論の副編集長時代、徳間書店の社長に乞われて
徳間傘下の現代史出版会編集長になられた。
私が橋本さんのお世話になってルポルタージュを書いたのはそのころで、
現代史の一部を記録するタイヘンな作品に関わらせていただいたわけであるが、
私ときては30代の後半で子ども3人を育てることが難しく、その後文筆業はあえなく沈没。
橋本さんとのご縁もそこで切れてしまった。

・・・それでも時々は、講演会の会場などで橋本さんをお見かけしたものだ。
例えば日独の裁判所事情を比較する映画の会。
カナダの女性監督による「飲み水」に関する映画上映と予言的TPP批判の集会。
遠くから拝見する橋本さんは、だんだんに年をとられて、美しい白髪が印象的になり・・
四年前にお目にかかったのは、、神保町の岩波ビルの一室だったが、
それは「横浜事件」の報告集会であり、橋本さんは司会をなさったのであったが、
それはそれは理性のかったモノ凄い司会ぶりだった。

その橋本さんから、ひさしぶりにお手紙をいただいたのは、
Tさんが、橋本さんの御宅をお訪ねしたからだった。
「いやあ、橋本さんは93才になられたのですって! 驚くほどお元気でしたよ。 」
Tさんはわざわざ訪問の電話をしてくださって、
「お話なんか今もって明快そのもの。帰りは駅まで送っていただいたんですが、
足元もよろけたりしないし非常にしっかり。わたくしまで元気が出ました。すごい方でした。」

93才になられたんですって?!
いったい月日というのはそんなにもすばやく過ぎていくものだろうか。
私はTさんからの電話を切ったあと、オウム返しの手紙を書いて投函した。
編集者ってなんてすごい職業なんでしょうか。
いつまでもいつまでも、頭も脚も、衰えないとは!
100才の入り口ちかくなのに、どこもかしこもシッカリなんて私は驚いてしまいました・・・。
そうしたら、橋本さんがまたお手紙を下さった。
一生涯心底真面目真実正義対権力秀才巨大学識集中的包容力。
とにかく私なんかがどんなに漢字を駆使しても、説明できないようなお方であるというのに。

 
お手紙からの抜粋。

お手紙、有難うございました。私はごらんの通りの昔のままの悪筆をさし上げ たのですが、
亜子さんからは、昔のままの のびのびとした筆(ペン)づかいで、達意のお手紙をいただき
ました。一挙に桜上水の頃に戻ったような気がいたしました。
   (橋本さんは私の父の知り合いだった方である)

中略および後略

それにしても、Tさんは、私が93歳とどうして認識したのでしょう? 私は87歳で、
お会いしたとき、自分の年齢は申し上げた記憶はないし、その上、93歳と申し上げた記憶は
もちろんありません。 もっとも93歳に間違えられたからといって、文句をいうつもりは全くなく、
むしろ面白がっています。何となく93歳までは元気でいられそうな気がいたします。


私はいつもいつも橋本さんからお手紙をいただくと、上品な文体に胸をうたれる。
でも今回ばかりはひっくりかえって笑ってしまった。


2014年4月9日水曜日

4/8・鶴三会 お花見ありて


まず鶴三会の世話役三人でスーパーマーケットへ。
これがけっこう楽しい。
細田さんは、品物を手にとってオレはこれをよく食べるんだよと言う。楽しそうに笑う。
おいしそうだ、買いましょう買いましょうよ。
小林さんは、ふだんよりちょっと良いものがいいかしら、という風情がよくて。
そうしましょう、ジャンジャン、ちょっと高いの、買いましょうよ。
私は、おそれ多くも、会計係なのであるから、
去年のお花見を思い出し、なんだかんだ差し入れだってあるはずだものと、
買い出しの時からもう楽しいのである。

そしてほーらね、ほどよく上等の赤白黄金色のワイン、日本酒と焼酎、
恒例後藤夫人手づくりの、香り高いコーヒーと紅茶・・・
飲んでも飲んでも、気持ちよく時はすぎてゆくのだ。
ノーベル賞の受賞祝賀会で供されたとかいう銘柄の日本酒なんてものがまわってきた。
なぜこういうものを不思議人間・加賀谷さんは知っているのか選ぶのか。
きりっと辛口の選びぬかれた・・・。

お話がおもしろくて、
明日から葉桜になるかというほどの満開なのに、花を見忘れてしまう。
時々、私は思い出して、桜のほうを眺める。
屏風の絵のようにたわんだ白く淡い枝々が美しい。
鶴三会は案外小さい会で、今日はふだん来ない方も来てくださって15人。
遠からず近からず、なかなかの親しさだと日ごろ喜んでいたけれど、
それ以上の何かもあるのかと、アルコールが回った頭でふわふわ、ふわふわ考える。
としをとるということのなかには、新しく優しく 、忘れていた友情のようなものが、
生まれたりすることもあるらしい、良いことなんてひとつもないと思っていたけれども・・・。

句会こそ、私たちのゆったりとした集まりの決め手のひとつ、
それは参加者のだれもが認めるところだが、
そうして三國さんのお人柄によるところが大きいと思うわけであるが、
・・・「俳句がこんなに楽しくなるなんて」と先生の三國さんがおっしゃって・・・、
そうそう、たぶんそれは自分のおかげだろう、
へんてこ俳句のつくり手(複数を擁せり)たちが、それぞれすごく嬉しそうにするのも、
ははは、陽気のんきな見ものなり。


三時間はたちまち愉快に過ぎて、
お扇子の代わりに割り箸を手にした中村さんが「高砂」を謡ってくださり、
かつて師範の資格をとられたという声が、うららかに淡紅白色の花の枝へと流れていく。
時間というものがゆたかさを増し、そこで即吟、詠われた三國さんの句に、
ああ、ほんとうにほんとうにそうだなあと、夕暮れのまえに一同うなづいたものである。

高砂の 謡われにけり 花の下


2014年4月8日火曜日

朝食の会話


仕事に出かけるタケシが、黙々、パンを食べている。
「よいしょ」という。
蜂蜜をスプーンですくって、パンにかけたのである。
「ずいぶんと重たいもんなんだろうね、蜂蜜って」
なにを考えているのか、タケシさんうわの空で、黙々。
また「よいしょ」と。
今度はハムエッグを三分の一ぐらい、自分の皿に移したのだ。
「卵ってのも、あんたには重いもんなのねー?」

アンデルセンの王女もかくやとばかり。
疲労してるんでしょうね、日々の労働のもと、さぞかし。

見れば外は百花繚乱、さわがしい春だ。
空気がもったり。それでいて寒い。



2014年4月7日月曜日

春がきた!


オランダから遥が送ってくれたチューリップが咲き始めた。
うーむ、むむむむ、あっちに黄色、こっちに臙脂色、真紅、桃色、
前から、春になると咲くヒヤシンスは白いけど、
比較的安いので買ってしまうクリスマス・ローズの色がまた臙脂色・・・
とんでもなく派手な庭である。

私の理想は、白、青、黄色が花で、葉っぱが緑というものだ。
「きれいですね」
物量にびっくりするのか、見た人が今年はみんな褒めてくれる・・・。

毎朝、私もついついチューリップを注目。見とれてしまうけど。
すごい。ははは。


2014年4月5日土曜日

映画「シンプル・シモン」について③


シモンは、シンプルな自分本位の世界から、複雑そのものの部屋(イェニファーの)に
迷い込む。チラシが語るスウィートフル・コメディ―の始まり。
ああでも当然複雑なことが起きる。
ヒッピー風の少女ふたりがイェニファーを訪ねてきたのだ。
ごちゃごちゃごちゃごちゃ。
おお、こわい、冗談じゃない。
シモンがタイヘンだ。
人とのつきあいが苦手。いちいちこだわる。場を見るとか空気を読むとかダメのダメ。

ところが、なぜかイェニファーの友達ふたりは、シモンにやすやす馴染む。
シモンもほかのみんなもギクシャクを気にしないで、なんとかやってるのが不思議だ。
いったいどうして、そんなことが可能なのかしら!
それはつまり・・・
彼女たちが時間を自分にあわせてコントロールしてよいヒッピーだったから?

以前、フィンランドの幼稚園と保育園を訪ねたことを思いだす。
あの時は、本やブックレットを何冊か手に入れて読んだ。
学者じゃないから、なんでもわかるわけではなかったけど、
子どもの基本的人権ということを、シンプルに考えるようになって帰国したんだっけ。

つまり、見た目にも、革命的教育相ヘイノネンの書いたものを読んでも、
フィンランドの子どもは、時間を自分の能力にあわせてコントロールしてよろしい、らしい。
国家組織の根幹に 、時間ドロボーにはなるまいという憲法的配慮がある。
別になんとか症候群じゃない子にたいしても、配慮の基本は同じである。
人間は人間、たいして変わりはない。差別は無意味だ、という理解である。

もちろん、学校は大人が子どもにさしだす制度だから、その自由は「比較的 」なものだ。
フィンランドの子どもだって、学校を憎むかもしれない。
バスに乗ったら、なんともしょうがない少年が少女と、なんともしょうがない騒ぎ方をしていた。

それでも、日本から出かけた私にとって、
税金を惜しみなく教育の装置に投入する体制は、おどろくべきものに思われた。
学校や幼稚園や保育園の原則はいつも、どこでも同じ。
入園当初のわが子が保育園に適応できなければ、会社は親の育児休暇をさらに延長する。
法律が会社組織に課したそれが義務なのである!

生徒は、頭が疲れたら、図書室や休憩用に用意された居心地のよい場所に、
休みに行く、大学生たちがそうするように。授業中でも・・・。
いつまでたっても勉強する気を起こさない生徒はどこにでもいるだろう。
そういう子どもをどうする?
日本では親子は学校の「相談まがい」の結論にあわせる。
このあいだ、私はある母親から部活の担当教師にこう脅されたときいた。
「僕が10年かかって積み上げた教育方法を変えろとおっしゃるんですか?」

フィンランドのほうは、職員会議で討論研究しながら、
授業の仕方を先生たちの方こそ、自分のクラスの現実に即して変えるのである。

キャラバンの母親たちが10年かかって、個別的に達観したこともそれだ。
苦悩とよびたいような事実の羅列の中から、彼女たちはある考えをつかむ。
そしてその考え方を見つけたことで、自分が変化する。

子どもは、その子なりに必ず成長する。
それが一番よい成長の仕方だと認めよう。
ごめんなさい。ありがとう。
わが子がどうしてもゆずれない自己選択を、母親が強引に無視してなんになる?


映画の脚本家や監督と肩をならべるような、いい作文だったなーと思うのである。




映画「シンプル・シモン」について②


理由がよくわからないまま、
なぜ私はいちばん好きだと思う登場人物を、
たまたまヒロインを訪ねてきた二人のヒッピー風の少女にしたのか?

感覚的に選ぶとそうなる? 私の場合そうなるんだけど・・・。
座席から立って前に歩いて、小さいハートを人物名の下に張りつけたあと席にもどって、
おくればせながら、自分が選んでしまった理由を、考えようとした。
司会者に、なぜあの二人を選びましたか、ときかれたら困る。
大学の企画である以上、感覚それまでよ、で済ませるわけにはいかないとも思った。

キャラバンの人たちの苦痛に満ち、愛情のなんたるかを示すことになった作文。
彼女たちは、この10年のあいだにとても変化した。
それは信頼するに足る絶対的な変化で、その中心にはなにかだいじな、
必要不可欠な、それこそ肝心かなめの思想が、あるのだろう。
本人がわかって書いているわけではないが、
5人の作文のどれもに、無意識のうちに現れているなにか、である。

映画「シンプル・シモン」が描く世界の下敷きにもまた、、
私が手提げに入れて持ってきた作文の中にある何かが隠れている。
そういう気がした。


大学という装置。
よくできた鋭敏で美しく、楽しい北欧の映画。
必然的問題提起をふくむゆるやかなワークショップ。
たくさんの小さな峠をタクシーが登ってはくだる遠い大学を訪ねてよかったと思った。
私は映画のヒッピー風の少女たちに自分がこだわる理由をつかんだと思い、
明日、キャラバンの母親たちがきたら伝えたい考えをつかんだと思った。

「子どもなりの時間」という概念。
童話作家で詩人のミヒャエル・エンデのいう「時間ドロボー」という熟語がそれである。


2014年4月4日金曜日

映画「シンプル・シモン」について①


昭和薬科大学へ行く。広汎性発達障害を考える企画。
二日の朝刊に、あした臨床心理学研究室とここほっとルームが主催して、
アスペルガー症候群のシモンを劇化したスウェーデンの映画を教室で上映するとあった。
ロードショーに先駆けて、「シンプル・シモン」を観る会である。

キャラバンのお母さんたちの作文をもって出かけた。
四日は、うちに彼女たちが来る。そのためによく考えてみたくて出かけた薬科大である。
雨が降って、もう、びしゃびしゃ。
薬科大学は、玉川学園駅から小さい峠をいくつも越えたという感じの遠くにあった。
美しい場所のきれいな大学。春だし雨降りだし、本当にきれい。
巨大な薬品事業を支える人材を養成するのだ、きっとお金持ちなのだろう。

私の知る永井さんたちが、キャラバンをつくり、いろいろな場所に出かけて、
難しいこども事情を理解してもらおうと活動を始めてから、いったい何年になるのだろう?
幼稚園に来ていたこどもが「中学生になった」という記述がこんどの作文にある。

私は彼女たちに頼まれると、キャラバンが発表する紙芝居の朗読の仕方を教えたり、
作文を書いてもらって、その作文を発表できるように書きなおしてもらったり。
キャラバンはそういうものも使って、苦労しながらいろいろなところを巡ったのだろう。
劇団にいたこともあり、脚本や童話を書いたこともあるので、たまたまできたお手伝いだった。
パラ、パラ・・・とけっこう長く続いたお付き合いである。


「シンプル・シモン」(スウェ―デン)は、楽しくてきれいな映画だ。
北欧の美術を存分につかって、色彩も家具も景色も洋服も、俳優まで、
渡されたチラシによればスウェーディッシュ・ポップ・・・派手で美しくって目が楽しい。
目が楽しいから、すいすいと監督の言わんとする定義が頭に入ってしまう。
脚本もよく考えてある。
物語はアスペルガー症候群の定義と現実と主張と理想主義を、
カラッと陽気に、しかも的確に語りながら進行する。
複雑きわまりないであろう生活感を、メルヘン仕様にし、鮮やかにカットして。
それがじつにソーカイである。

吉永教授の指導のもとでの、映画上映後のワークショップに、
この映画の登場人物のなかで、だれが好き?というのがあった。
うーん、シモンのお兄さんかな、理想化された恋人のイェニファーかな。
シモンもいいし、職場の仲間も、上司もと 考えたあげく、
私はイェニファーのアパートに遊びに来る二人の女の子を選んだ。

2014年4月2日水曜日

ラーメン店で


ひさしぶりに、ラーメン屋さんに入った。
午前中、いそがしくて、朝ごはんも食べられなくて。
消費税8%の初日である。
行列が毎日できるほどの店で、やっぱりしばらく待つことになった。
ぼんやり手もちの本を読んで待っていると、
棚の上にのっけられたテレビがニュースを伝えている。

小保方晴子さんが資料を改ざんしたという。
白い割烹着をつけた、美人を見る。
若いこの人ただ一人を犯人にしてしまう同僚、指導教官、えらい教授だかなんだか、
テレビで見る理研勢の容貌にげんなり。勝手そう、我儘そう、冷たそう。
小保方さん本人が記者会見に出てこないって、どうもヘンじゃないの。
一人だけ悪者にされるのだ。調査結果発表に本人欠席は不自然であり不当である。
よくわからないけど、むかしの日本男性は、ここまでみっともなくはなかったよなーと思う。
国際的な学術論文の改ざん、ねつ造疑惑ですよ。
若い女の子ひとりに責任おっかぶせだなんて。

つぎは消費税値上げ初日というニュース。
ガソリンなど、環境税値上とダブルだからリッター5円も上がるという。
ガソリン関連も当然バタバタ、来年はまたも8%が10%に。
安倍首相が、国民の皆様のご理解を、とペラペラ喋っている・・・。ペラペラペラペラ。
広くないラーメン店の中は、打ちひしがれた重苦しい怒りでどーんと暗い。
年取ったお父さんと並んでいるベンチのお母さんが安倍首相を見て言っている。
「なんでこの人が 一人でぜんぶ決めちゃうんだろう・・・」
非難いっぱいの声だ。
サラリーマンのハンサムふたり連れは、リクルート・スーツできめているが、
みょうにニコニコ、そわそわと順番がきたので野菜ラーメンを受け取っている。

最後が自衛隊の行進、安倍首相のアップ、自衛隊の行進、安倍首相自衛隊の・・・・。
武器輸出三原則の47年ぶり全面見直し、武器輸出解禁。

詐欺の組織的横行、重税、平和国家のなしくずし崩壊。横暴。
どこの局だか知らないが、この報道順って、ディレクターの深謀遠慮だったのかも。