2014年12月28日日曜日

いつもだと・・・


年の瀬には毎年のように、
家の内外をガラス窓から始めて一応、大掃除する。
でも今年はしないの。
千橿を預かることにしたから。

おお、もうじき五時、あの子がやってくる。
掃除なんかしてヘトヘトになるより体力温存だ。
あの「暴風圏内」みたいな坊やも、やっと小学校に入って、
少しはニンゲンみたいになってきている。
でもまだ、世田谷区の「小さい大人」になんかならない八才。
善と悪が激しく替わりばんこに突出。
一昨日は考えられないほど良い子だったというのに、
翌日は、好評を引っぺがす勢い、 
「つぎつぎあたり一帯をピンポンダッシュしやがって」 と父親が。
そんなの誰でもやるじゃん?
「でもそれだけじゃないから」
上下左右東西南北型のいたずら小僧なのだ。

ピンポンダッシュね。古典だわね。

千橿がここら近辺でピンポンダッシュし始めたらどうしよう?
この団地は老夫婦が多いからあらーと笑う人が多いんじゃないかと思うけど。
・・・そして昨日の晩から風邪ひいてるんだって。

大掃除をしないってけっこうラクだ。
孫が一人で泊まりに来てくれるなんてのもいいことだ。
と思うことにして、ご飯を炊き、おかずをつくり、アニメを借り、本も用意。
それで、帰りたいって泣かれたら? 泣くのは夜中でしょうよね、たぶん。
昔、仕事でこまって遥を一晩あずけたら、夜中に電話がかかった。
・・・そこのお宅の御主人に抱っこしてもらってシクシク泣きべそをかいていたっけ。

いま京王線に乗ってると母親から電話があった、来る、来る、来る・・・。 はははは。

 

2014年12月26日金曜日

コストコへ


コストコってアメリカ資本の巨大スーパーマーケット。
そこで買ったものを時々おみやげにいただく。
アメリカ人は コストコ方式に慣れている。難なく会員制大量購入をやりこなす。
安いし、食料品は新鮮だし、なんでも揃っているという評判。

そこに友人夫妻に連れていってもらった。
そういえば2011・3・11、ここ多摩境のコストコで買い物客が亡くなった。
駐車場に上る自動車用通路が大地震でもろくも崩れた、そんな記憶がある。
「新聞の見出しの文字が大きかったじゃない?」
いまでは、そんな事故の記憶も痛手も、当然のように克服してしまっている。
文字どおりのスーパー・マーケット、「大」の字がつく・・・。

大きなカートを押して大勢の買い物客がぞろぞろ、ぞろぞろ、
あっちへ行くしこっちに来るし、老若男女、子どもまでまきこんだ買い物ディズニーランド。
若い家族連れが多くておどろくけど、大量に買って、数人で分配するという話だ。
「ああそうなのか、そうすればいいのね」
広いし、試食のご案内もにぎやかで、観光客気分になってきょろきょろしてしまう。
(皇居のつぎはコストコ見物と思うと、私のもの好きも最近は相当なもの)
面白くって私は、友人たちから離れて、ついふらふらーっとあっちへ歩いて行っちゃう。
迷子になったら携帯電話で呼んでみてねという世界だ。
買い物枠のスケールが極端に小さい私は、こんな巨大イメージにはたちうちできない。
ひとまず、白いヒヤシンスの鉢植えがあったのが嬉しく、これは安いと二鉢ゲット。
友人が押すでっかいカートをけっこう真剣にさがしまわって、そこに 並べた。
こういうものもダースで買わなきゃいけないのかと緊張したけど、そんな話でもなかった。

「こんな国と戦争したんだもんなあ」とYさんが。
竹やりとバケツ・リレーで対抗しようとしたのよね、と私。

見栄えのよい家具だとか、ストーブだとか、衣類に靴に、タオルに、トイレットぺーパーに、
買ったんじゃない、眼を奪われて、ほしいなほしいなと思って。やっぱり安いやっぱり安い、
やっぱり安い、それでいて商品の山々がなんだかハイカラのアメリカ調だし。
誘い込まれて、もうなかなか、 われに返れない。

・・・私は自分に言う。よく考えてよね。このあいだ家でパーティを開いた時、
「わっ、この家かわいい、この家すき」
はじめて来てくれたひとみちゃんが、玄関を入るなり迫力のある低音でそう言った。
ひとみちゃんはふだんから無口で厳しい印象の女の子だ。
だからそこで、時よとまれ、おまえは本当に美しい、と思わなくちゃいけない。
思えばそこで、こういう誘惑はピタリと終わるのだ。

それなのになんでこうも、次から次へと、買い物したくなっちゃうんだろう。
アメリカ帝国主義、Yさんが皮肉な声でいう・・・。やれやれまったく。


2014年12月25日木曜日

あけがたの光


早朝5時に起きて居間のカーテンを引くと、
暗闇の向こうに明かりをつけたバスが留まっている。

乗客のいないバス。運転手さんが時間調整をしているのだ。
エンジンの音がし始めて、バスに命がふきこまれたのがわかる。
私の家の、といっても集合住宅のひとつであるが、ガラス戸を通して眺めていると、
土手のまばらな雑木の下のほうから、ミカン色のバスの室内灯が、
孤独なような、清潔なような、一日の始まりを教えてくれる。
私は夜明けの暗い空をながめメタセコイヤの冬の枝を眼でさがし、
運転手一人が乗っているのだろうバスを見る。
そこで、一日の確かな労働がもう始まっている。

その人は、彼の労働によって元気づけられる人がいるなんて、思いもよらないだろう。
私たちの日々はそういう思いからとても遠い。
パワハラにセクハラに子ども殺し。東京駅100周年記念のスイカに殺到する人々。
でも本当は、大勢の勤労をくりかえす人によってこの世はできているのだ。

誇りを失い、なんでも人のせいにし、短絡化し、あげく投機に走る、そんな人たちを
なぜ新聞も雑誌も小説も追いかけるのだろう?テレビは囃し立てるのだろう?
良識があり、よく考え、我が国の平和憲法を守らなければと実際に動く人間を、
マイノリティ(少数派)だと人は言う。
よく考えれば、最近起こるみっともない大騒動に参加している人たちだって、
極端なマイノリティなのに。


2014年12月17日水曜日

木下さんと言語療法


氷雨が降るのでガタガタ震えながら木下さんの家へ行った。
ガタガタ震える時間は短い、私たちはちいさな団地の住人同士なので。

木下さんのお部屋は床暖房になっているから、とても暖かい。
木下さんは車椅子に腰かけている。素敵なセーターの上に上等な毛糸のチョッキ。
むかし優秀な教師だったころの心意気、木下先生の「勝負服」は今もしゃれている。
私は床に座り込む。 床暖房をやれやれありがたいと思う。
病気の人が経済的に困窮していないということは心底人類をなぐさめる。
暖かいので猫みたいに腹ばいになりたいところだけれど。でもまさかね。

言語療法を身の上相談から始める。木下さんじゃなくて私の。
私ときたらわけのわからないどうしようもないヘンな話が山ほどあるのだ一年中。
木下さんはいつも身を入れて(乗り出す)聞いて下さる。感想をのべる。教えてもくれる。
車椅子の上で、ギュッとつかめばポキンと折れそうな身体をこっちに乗り出し、
使えるほうの左手を動かし、声を張り上げ、 憤慨し、笑いだし、
怖い顔になって クビを振り、口を反抗的に曲げたりする。
瞳が私をおいかけて、 共感してるぞと請け合ってくれているのでらくちんだ。
けっこう体操にもなってるなーと感じる。肩や胸が動いているんだし・・・。
かくして私はおしゃべりを正当化。

まどみちおさんの短い詩を読んでもらう。
朗読の準備運動である。
言語療法が必要なのだから、読みやすいような読みにくいような詩を選ぶ。
ただし気がきいてなくちゃいけない。 文学の醍醐味が空気中に漂うようなのがいい。
どうしてかって、自由に身動きできない人は、ものすごく退屈しているはずだからだ。
動けない分、頭のなかの世界が魔法のようにひろがらなくっちゃいけない。
頭の体操はすなわち血流の復活である、とまあ私は思う。
木下さんは博覧強記のおっかない相手だ。私が解説するとたちどころに反応する。
シャープにしてスマート。こわ楽しい。
きのうはこんなの。「かいだん・Ⅰ」というまどさんの詩。

この うつくしい いすに いつも 空気が こしかけて います
そして たのしそうに 算数を かんがえて います

うつくしい椅子とはどんなものかしら。
ただの椅子ではないのだ。
たとえば私は百年まえからパリのカフェでつかわれていたという椅子を持っている。
そのふれこみが本当だとするといまでは百二十五年まえの椅子ということになる。
よくある木の椅子でしかないけれど、座ると、大勢の見知らぬ人がこしかけたせいで、
模様もすり減って、どことなく木なのに温かい感触だ。
陽だまり、のような椅子。

そこに空気がこしかけているのである。
たのしそうに、算数なんか、かんがえているのだ。

木下さんが知っているそういう椅子はどこにある?
木下さんはパリをみたことがありますか? 私はないけど。

いす・・うつくしい・・いつも ・・・こしかけて・・います・・が始めはむずかしい。
舌が腫れ上がってねじれてもいるから、音がとんだり、ひしゃげてしまう。
でも詩が語っていることを、イメージをつかめば、難関は不思議にも克服されて、
だれにもできない、木下満子の朗読となる・・・。
おどろくべきことに、ながい過去の木下さんの多くの研鑽が実力を発揮するのである。

小さな小さな発表会をしたい。
みなさんはどう感じるだろうか。おもしろいと思ってくださるかしら。
「おもしろいかどうかわからないけれど、企てとしては革命的じゃない?!」
私がそう言うと、木下さんは笑う。
胸に革命的な企てを燃やしていたい八十才だからだ。




2014年12月16日火曜日

朗読の会 12/15


まずコーヒーがあって、
トルティーヤ、各種おにぎり、クロワッサン、私はコーンスープと
カレー風味のジャガイモのお団子を、せかせか、手伝ってもらって蒸した。
テーブルの上は朗読どころか、チョコレートを横にどける騒ぎ。
暖かくなる。気がゆるむ。こわがらなくてもいいというスタートだ。

私たちは堅苦しい教育を受けてきた。
ついつい試験を受けるような気持ちになって、テーブルについてしまう。
これから先生(私だけど)の前で朗読、と思えば余計ビクビクもするだろう。
 
むかし北林谷栄さんに朗読の稽古をしてもらった時、私はおっかないばっかりだった。
「ばかっ 」とウンザリしたように怒られたこともある。
北林さんが「ばか」と言えば、それは救いようのない無能力なバカという意味である。
その叱責は納得、反省、信頼、全部、肯定とそんな漢字を私の脳ミソに残した。
あの時よりましな表現者になったと思わないので、思い出は今もにがい。
あの頃の私は舞台俳優として認められたかった。
プロになろうというのだから、
厳しく裁かれても、本当に仕方がないことだった。

それはそれとして。
朗読はなにも俳優の専売特許ではない。
こんなに食べたり飲んだりしつつ順番で朗読なんかしようものなら、
北林さんはコーヒーカップをブン投げるかもしれないな。
そう思うとクスッと笑えてしまう。
日も暮れよ鐘は鳴れ、月日は流れ私は残る・・・、思い出はけっきょく愉しいものだ。
この私にだって上等博覧会ではないにせよアタマはついている。
私はいつでもみんなにのびのびしてもらいたい。
誰の前に出てもラクに呼吸し、自分なりの基準をもって、楽しく言論を行使してほしい。
あの人にぜひあってみたい、みたいな人になってほしい。

今日はそういう朗読の目標がかなった日だった。
介護と学校のトラブルに疲れはてたお母さんを、あとの二人が「ゆっくり」させたのだ。
世間話ばかりか朗読も、疲れ果てた人を癒やすことになった。
二人はそれぞれユーモラスなカラス博士の随筆と三好達治の童話を詠んだのだが、
心が傷んで涙が眼の縁まできている誰かに聞いてもらいたいような清々しい朗読だった。
片方はユーモラス。片方は神秘的。

彼女の方は「夜なべ」という随筆を朗読した。
若い女性の、真意のよく伝わらない文章を選んだのはなぜだったろう。
払っても払ってもにじむ疲労の中で、古来伝えられている母性の孤独な温かさを、
自分の心の底になんとか保とうとしたのかもしれない。

ひとつの文章を選ぶことはそれ自体が繊細な自己表現だ。
朗読には、複雑な自己を整理して明日へいく、そういう健康な楽しさがあると思う。

そんなふうにして四時間がすぎた。


2014年12月8日月曜日

疲労困憊


くたびれた。3日まえの皇居見学のせいかもしれない。
皇居見学とは皇居をとりまく外庭を見るだけ。考えてみれば当然のことだけれども。
それで地下鉄二重橋駅前から、警察が定めた枠組みの中を延々と歩いたのである。
いったい何十万人が行列したのかしら。行きも帰りも行列はふくらむ一方で途切れない。
ボディーチェックがあるのが飛行場みたい。 

皇居をとりまく外庭は、言ってみれば新宿御苑のようなものだが、 みょうに味気ない。
「雑草がまるでないんだもの」と、連れて行ってくれたYさんが言う。
雑草をみんながきて抜いちゃうんだもの、奉仕の人が全国から有難がってやってきてさ。
冗談なのかしら? でも樹木には雑草が不可欠のものだろうと私も思う。
御苑だとか、明治神宮のほうがよっぽど雰囲気が瑞々しい。
官舎に住むということは、いかにお濠に囲まれ、専用病院を持つほどスケールが大きくても、
さる高貴な方がたのこういう・・・くらしは、大変なことだろう。
それに、休憩所と売店があるのにビックリ。皇居の売店!?

もしかして売店でお箸とか御猪口(おちょこ)とかを買い求めるとすると、
当然ながら?それは菊のご紋章つき。
こんなたくさんの見物人のナカには毎日それでごはんを食べちゃう人もいるだろう。
Yさんに、それって尊敬してるの違うのどうなのときくと、彼はクビをかしげて、
「さあ、どっちなんだろうねえ」
戦後日本の民主主義のもと、価値観ぐちゃぐちゃ、樹木と同じく受け身の官僚主義が、
けっきょく基本的人権のことなど考えもせずこんなヘンな記念品を作っちゃったのか。
いざ歩いて見学なんかしてみると、索漠たる住居の巨大出入り口なり・・・。

でも、今日見学したのはそとっかわ。中に行けば、天皇さんのプライベートなお庭もあって
そこは雑草もはえて、と。なぜって先の天皇いわく「雑草という名の草はない」。
あーあ、歩いたよなあ。Yさんの万歩計によれば1万歩にはならなかったようだけど。

 

2014年12月7日日曜日

ももづか怪鳥に逢う


ももづか怪鳥は、ものすごくうまい人なんだと、息子たちが言う。

どうかなあ、かあさん。
うーん、ものすごくうまい人だよ、でも題材がエロとグロとナンセンスのね、お笑いだから、
だいじょうぶかなあ、かあさんの友達たちがさあ。
うん、ちがうよ、すごくいいよ、自分たちはそりゃあ好きさ。
でもさあ、あれに耐えられるかしら、かあさんはとにかく、ほかの人たちが。
すごいからねえ。


ライフイズウォーター恒例のプライベートライブの日。
池ノ上の「ガゼルのダンス」帽子店のロマンティックな会場に行くと、
ももづか怪鳥は、地味にギターにとりついていた。
一時間前だ。
まるい毛糸の帽子をかぶって、寒い北風のふく日だったから、カーキ色の半外套。
よく響く声、ていねいで。冗談っぽくて。

健はじぶんが怪鳥さんに競演(タイバン)をお願いしたのに、
相手が格上でうますぎるから、先に歌わせてくださいと頼んだそう。
・・・それで健が10曲うたうと、ももづか怪鳥の番になった。
それじゃあワタシの番なので、とこの年齢不詳みたいな若い人は着替えに消えた。

きいてはいたけど、ももづか怪鳥は股間をふくらませた赤いパンツだけで、みんなのまえに
あらわれ、なんだか細身の、なんともいえない姿だった。ははは。
さむそうな足に靴下をはこうとし、靴もはいて、頭にはプロペラつきの若草色が入った
キャップをかぶり、顔にはまばらな口ヒゲとシワが描いてあった。

自信たっぷりと不安だらけを集約して・・・、とんでもなく彼は私たちをおかしがらせる。
とにかくサザエさんのお父さんが長身になって発狂したみたいな姿なのである。
次から次へと、へんてこりんな、みょうちきりんな歌を彼はうたった。
痴的で知的?なその歌詞を、笑うばっかりだったから、今じゃまるで思い出せない。

なんてステキな芸だろう。

うまくいいあらわすことなんかできないが、
でも言ってみれば、おとぎ話の王様が不思議にも手に入れたヘンテコなふざける小玉だ。
王様は王様だということに倦むと、このオヤジ小玉で時々ひまつぶしをする。
玉のほうは喜んで、替わり玉ボールみたいに千変万化、眼をむき横目をつかい、
粉骨砕身、手あたり次第に世のありようをこき下ろし、お追従もいい、笑いカッ飛ばすし、
すごすごと引っ込んだりもして、おとぎの国の王様の元気再発掘、
すごいすごいすごいで日が暮れるという按配なのである。

ギター演奏の技量と、響きわたる声と、あの奇天烈なカッコウ、彼がつくる歌詞、
身体能力、表情の的確な変容。
ぜんぶがぜんぶ、轟音をたててへんなぐあいにいっぺんにすっ飛んでゆく。

よべばきてくれるのときいたら、いいですよぜひと言った。
私のすきな人たちに見てもらえたらどんなにいいだろう。
世の中にはあんな人もいるんだと、びっくりするような一日で、みんなが幸せだった。
笑いこけるのが爽快でついついビールを沢山のんじゃって。

むかし新劇の世界にいたころ、芸品という概念を私は習った。
上品ではまったくなくしかし下品でもなく、彼にはあやうい芸品があった。



2014年12月6日土曜日

映画「ドストエフスキーと愛に生きる」


もうずいぶん前から、居間の掲示板にこの映画のチラシを貼っておいた。
2009年/スイス=ドイツ/93分
きれいなおばあさんが樹木の見える窓の手前で仕事をしている。
翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーである。

スヴェトラーナ・ガイヤーは、
ウクライナで生まれ、1943年、キエフからドイツへお母さんと亡命した。18才だった。
お父さんは彼女が15才のとき、スターリン体制下投獄され拷問され釈放され、あげく病死。
ヒットラーの軍隊がウクライナに侵入.首都キエフを占領。2年と半年後ドイツ軍撤退。
ドイツ語の通訳者だった少女と家政婦をしていた母親は、
スターリンよりはヒットラーを、ロシア人よりはドイツ人を信じることに賭けた。

ドイツ占領地区でドイツのために働いていたのだ、
スターリンが勝利すれば彼女たちはロシアに対する裏切者である。

一方、ドイツ軍将校と反抗的官吏が、目前の少女に教育を与えようとする。
ドイツ軍はウクライナ占領中バービイヤールの谷でユダヤ人大量虐殺を敢行した。
しかしながらある人々は、敵国の若い並はずれて優秀な頭脳を惜しむこともしたのである。
ドイツのために一年間働いて、教育を受けろ、ドイツの奨学金をあたえるからと。

・・・画面の、すばらしく美しい84才になる老女。大勢の孫たちをふくむ家族。
アントン・P・チェホフが考えようとした通りの「人間」。

「人間にあっては、すべてが美しくあらねばなりません、
顔も衣服も魂も思想も住居もすべてが」

かつてチェホフが言った 、いかにもそんなふうな。


彼女の思索のすじみちは、そもそもの背景が複雑きわまりないので、難解である。
・・・スクリーンに大きく映し出される彼女の表情。文学と哲学のメッカで鍛えられた言葉。
まるでスヴェトラーナと直接遭っているかのような、魅惑的で美術といいたいような画面・・・。
洗練の行きつく果てということか、知的だからこそか。

私は、おもしろいのと、さっぱり判らないのと、考えがまとまらないのと、好奇心と。
11時の回を観て、家に帰り、夕食の支度をし、掃除をし、洗濯ものをとりこんで、
4時の回をもう一度、見に行く。空席が多かったから、前から4列目の真ん中 に、
メモ帳と鉛筆を手にもって・・・。

暗闇で書いたメモは不正確で、自分でもよく読めないが、
最後に彼女がはるばる訪ねたウクライナの首都キエフで、学生たちに
童話を話してきかせたことが書いてある。

あるこどもが、ことばを話す魚に出会う。
そして彼はそのずるい(?)魚の助言で旅に出かける。
そうして、かわいい娘にあって、
しまいに皇帝となる。

「人は人生の途中で、いつか、かならず言葉を話す魚にあう」
老いたガイヤーは教壇の机にもたれて、若々しい学生たちに、おかしそうに微笑んで言う。
「それは常識とは無関係で、社会科学や自然科学ともなんにも関係がない言葉だ。」
でもその、言葉を話すみんなにとっての魚にであったら、
その時は魚の助言にしたがって、旅に出るのがいい。

憧れ。彼女はいう。発音する。あこがれ。なんてすてきなことば、と。

人生の目的は存在することではない。
人の存在は目標をもつこと、目標を達成したとき、存在は正当化される。


ほんとうに、こう言ったかなあ。
もう一度たしかめたいけれど、一日だけの上映で。



2014年12月2日火曜日

秋日和


 朝は雨が降って、秋楡の葉がやわらかな霧の中へたえまなく飛んで流れた。
 月の色と星の色した小さな葉が木の枝をびっしり飾り、階段や通路を飾り・・・・。
 夜は暗い空に本物のお星さまが常になく大きく瞬いていたし、
 昔のお菓子みたいになぜか月がいびつに見えたのだ。
 空がズイッと降りてきたみたいでいやだとゆうべは心配しながら坂を上った。

 そういう夜が明けると、当然のように今日は素晴らしいお天気。
 ねえねえ、秋楡って毎年毎年こんなにきれいだったかしらとカヤノさんにきくと
 このあいだメタセコイヤを見てこんなに毎年きれいだったかなあと思ったと言う。
 そんなふうに、秋楡とメタセコイヤにかこまれて、ここにいるなんて、
 ミラクルであるのであると思わずにいられない。

 岡の上のレストランに、カヤノさんとナカさんとミッチャンとワタシ。
 おいしいコーヒーと、きれいなデザート、4人それぞれ別々のパスタ、それから、
 2人は野菜スープ、2人はキリリと冷やしたトマトを、ここに書いたのと逆の順に食べる。
  それはそれは秋らしい、風の吹く日のことだった。




2014年12月1日月曜日

あさのあつこ作「バッテリー」を読む


面白くてとちゅう下車できず、じゃんじゃん読んで、まる一日つぶしてしまった。
私が読んだのはハードカヴァーの1巻から5巻まで。小学6年から中学1年にかけての
物語だからか、活字が大きいし、挿絵だっていかにも清新で現代的、
読みやすいったらないうえに、
筆者の小説の王道を走るといわんばかりの真っ向勝負がすごい。

あさのさんの筆力はスーパーと言いたいぐらいのもので、
これが児童小説のジャンルで執筆されたこと、少年少女を読者に想定したことは、
いまどき(といっても10年前ぐらいの本)めずらしい仕事っぷりと思う。 

子どもたちの今を生きる郷土の自然を堂々たる額ぶちにして・・・・、
川は滔々と流れ、山や峠は千変万化する空の下、冬雪をいただき春溶けて万物を際立て、
自然が、主人公たちにつきまとい、これでもかこれでもかと香りをはなって、
読者をおいかけてくるのだ。 
野の畑の庭の花々と果実、獰猛な跳ねる川の魚、秋が冬に変われば葉を失いながら、
少年たちの烈しい心模様によりそう樹木。
それらの樹木を擁する少年たちの旧家のたたずまい。 彼らの家のハウスも畑も、
新しくできた町なかのファストフード店もすべてが色鮮やかだ。
小説の最後の最後まで、風景がざわめいて揺れる若々しい心を浮き彫りにする。

21世紀を迎えて、残ってほしかった私たちの国土。
変化しながら、苦しみながらそれでも捨てたくなかった私たちの父祖伝来のわが家。

しかも野球の話。野球部の話だ。現代の公立学校システムのなかでの!!


こんな小説を書く人は、そもそもの始めから原発稼働に絶対反対だろう。
少年たちを戦争へと駆り立てる憲法改悪にも反対だろう。