2015年5月27日水曜日

下級医師


私がかかっている歯医者さんは、一人でいろいろなことを考えるという。
たとえば医学の世界で歯科医師の位はどちらかというと低い。
病原菌に一番ふれやすい口中の治療であるのに、インフルエンザの予防措置が
内科医、外科医にくらべて放っておかれる。
そんなこんなでぼくは、下級武士ということばがあるけれど、
自分は下級医師ということだろうかと考えるんですよね、と。

私はせんせいから紙片をいただいて、財布のポケットにいれている。
治療後、私のなかなか治らない癖を改良しようと、先生が話しながら書いたメモ書き。

話の内容は、たとえばこんなふう。
人間には、クビから上に、目があって鼻があって、耳があるでしょ。
それから舌ね。当然口も ね。頭の近くですから「意」というか、そういうものも。
ぼくたちはそうと思ってはいて、このどこかがワルイと、つい緊張するわけですよ。
ワルイ部署だけで。
でも中国の医学書なんかを読むとね、どうも、歯をグッと噛んでしまうような時だけど、
このぼくたちが備えているそれぞれの部位にも「識」を任せろと。分かちあってもらいなさいと。
そう書いてあるようなんですよね。
ぼくはまあ、よく解っているわけじゃないですけども。
そう意識することによって「解」とかね。みょうこう、「妙好人」という境地に至るのかもしれない。

ふーん、妙好人・・・かあ。
なぜか、治癒もまもなくという気持ちになるから不思議である。

カミュの小説、「ペスト」の主人公である医師リウーは、こんな人だったのかもしれない。
治療を受けた日、歯医者さんからホッとして帰るので、
そのことにビックリしている自分に私はビックリするのである。


2015年5月26日火曜日

鶴三句会、吟行


吟行の試みがあって、少し遅い春、一本杉公園の金蘭と銀蘭を、七人でたずねた。
吟行とは、俳句をつくる遊歩であろうか。

私たちの句会は、野を歩いて俳句をつくることに向いていると思う。
列強というとおかしいが、なにしろ細田さんと宇田さんが鶴牧三の植栽の人、
金蘭銀蘭にしても、うちの団地の日蔭に小さな旗をたて、ここにあると教えて下さる。
アキニレの木と土中の菌ともうひとつ、三拍子そろわないと咲かない花である、
という説明なんかも実際的で科学的。当然私たちの頭は予備知識でいっぱいである。
ちなみに、条件が難しすぎるからこの花は盗んで持って帰っても咲かないよ、と。
そういう花が一本杉公園に咲いているのを見学して作句、という日。 

写真を撮る専門家みたいな小林さんと加賀谷さんが存在するのも、楽しいと知った。
私どもの近所周辺の住宅や小公園 の樹木や花々を、ガイドつきで見て歩くようなもの、
何十年住んでいたってそんなことしないでしょう、ふつう? 
小林さんはその日も自転車だったけれど、まーなんだってかんだってご存じだ。
トムハウスで防災マップを作成したような人だからなのかしら。

思うに吟行というものは、あとの句会がとても楽しいのである。
現像された写真を手に自分以外の人の句をきけば、
過ぎてしまった時間がイキイキとよみがえる。
ままならぬ人生の一部を、何人かで確かに生きたという実感がある。

しかしまあ、そうは言ってもですよ。
歩くことはつらい。帰りながら周辺地域を見学したころはどうなることかと思った。
後藤さんが万歩計を携帯、吟行の終わりに今日は一万歩になったとおっしゃって、
パッパッとすぐに暗算、慣れた口調で「七キロは歩いたことになりますね」と。
そうするとこういう俳句になるのもわかりますよね。

金蘭を求めて歩む一万歩     後藤

七キロも歩いたなんて。俳句はよめなかったが私としてはある種の達成感を獲得した。

私は用心して一本杉公園までは、先生にくっついて歩いたのである。
腰痛のある三國さんなら、ほかの人みたいにポンポン歩かないだろうと思って。
ところが三國さんってけっこう速足、平気な顔をしていたもののたいへんだった。
最初にお話がきけたのはトクだったかもしれない。
三國さんが三國さんの先生から教わったという吟行の心得というか初歩は、
「なにかを作ろうというのではなく、対象が向こうから語りかけてくるまで待て。」
なるほど。向こうから。・・・きんらんとぎんらんから?
でもどうせその場で作句なんかできはしないと、ネガティヴな私としては最初から悲観的。


ほーらね。
ちいさい羽虫のジージーいう鳴き声が気になるばかり。
土の色合いや小笹や、草の弦が小さな花にからまりそうなのが気になるばかり 。
思った通り、金蘭も銀蘭もただもう金蘭と銀蘭であるばかり、
俳句なんて無理だ、「沈黙」という漢字ばかりがチラチラする、ああ、やっぱりだ。

・・・あとになって句会で考える。
ところがこういうことのすべてが楽しいのかもしれないと。
お手上げだったのはなにも自分一人ではない、それも面白いし豊かな話なのじゃない?
私があとから一生懸命になって考えた俳句、否、俳句らしきものが、
同じ目的と時間をもったほかの人の描写に補われて、あの日の思い出は今も新鮮だ。
複合的といえばよいのか、吟行とは不思議である。


金蘭や宇宙の謎を寂として   黎明に光り放てよ銀の蘭
                          
                        (私って目の前の自然がいちいち苦手。)


2015年5月25日月曜日

7千円


呼び鈴が鳴ったので、玄関へ出た。
若い人が立っている。紺のスーツを来てクリーニング屋なんですという。
有名な、だれでも知っているクリーニング業界大手の、今日は出張勧誘なのだそう。
どこから来たのですかと聞いたらば、ずいぶん遠くの場所を言う。素直で感じのいい人だ。
初の出張なのでと、30パーセント割り引きしますからと、チラシを手渡される。

急なことで考えが決まらず、10分待ってください、と頼んだ。
ほかのお宅をまわって、それから来てと。

毎日のように詐欺に気をつけろ、だまされるなというアナウンスが、されるわが町。
バスに乗っても、ゴミの減量を図れ、詐欺に気をつけろと、市役所が学校の教頭みたいに
アナウンスしている。警察だかなんだかの車が、毎日、夕方になると、
「子どもを見守れ」であるとか「愉しい街をみんなでつくりましょう」などと、
ベッタリひどい声の大音響を響かせて、緑陰の道を通り過ぎる。

おまえにいわれたくない、と思ってしまう。

そんなに詐欺サギ詐欺が、この町を駆け巡っているのだろうか?
そうだとしても、それは、我が国の雇用のあり方が絶望的に不公平だからではないだろうか。
政治の不当を、国会も政府も裁判所も、どこかの小川のセセラギみたいなもんだと無視して、
気をつけろ、だまされるぞと、危機感をあおる。アナウンスの声ばかりを増やして大きくする。
そうするとごくふつうに信頼感がなくなっていく。
私たちが人生から学んだはずの庶民的な判断力を、おいそれと使うことができない。
むかしはクリーニング屋をホンモノかどうかなんて考えたこともなかった。

10分が過ぎて、冬物のオーバーやらなんやらをたくさん取りまとめ、
私は勧誘の若者を待ち、衣類を渡し、受領書を受け取った。
相当数あったのに料金はぜんぶで7千円だった。割引率がすごかったせいだ。
この7千円が、ショックだった。
一時停止を怠ったと警察につかまって、払う罰金と同額だったからである。

あのとき警官は3人ひと組で待ちかまえて、ひとりは物陰に隠れていたのである。
私は身に覚えがないと抗議したが、聞きいれられず、
わずか1分か 30秒ぐらいの「時間」ミス?に、7千円を支払うことになった。
自分で試してみるがいい。
二車線の道路に小道から出て行くとき、
ノンストップで左折し、すぐの信号に従って右折できるかどうか。
私が前を行く車に続いて止まらず「一時停止」を怠ったと警官はいうが、
そんな危ないことができるかどうか、パトカーでやってみればいい。

クリーニング屋さんは、何枚もの洋服をあつかい、何人もが働いて7千円にしかならない。

警察はなぜこんなことで7千円を稼げるのだろう?
「このお金はどこへ行くのですか」
警官にきくと、自分たちのふところには入りませんとリーダー格が断言。
ああそう。じゃらじゃらじゃらと、どこかの税金の倉庫へ行くわけでしょうね、きっと。
なんでこんな 隠れたりして卑怯なことをするのかと聞けば、危険だからという。
罰金を安くするとみなさんが注意を怠るからという。
隠れてはいませんと、身に覚えのある顔で、断言だけはする。
ほかの若いふたりはベンキョウになるらしく、だまって立っているだけだ。
  
運転しているニンゲンは、日常いのち懸けだ、罰金の高によって緊張したりしないものだ。

でも、そういう考えは鼻先でニヤニヤと無視される。
「確かに ノルマがあって、摘発する数があんまり少ないと、おまえらナニやってんだと、
そういう注意は受けますけど、べつに強制されてるわけではありませんから」
と警官は言った。

こんな理屈でカネを稼ぎ国庫を潤すなんて。



2015年5月14日木曜日

シュ、シュールな日


マーケットのレジの横で、私のバッグから、ばらばらといろいろな物が落ちた。
ひろい集めて、支払をすませ、「重いよなー」と歩く。
大根だとかビールの缶だとか。車じゃなくて歩きの日になんでこんな厄介な物を買ったのか。
やっとこさバスに乗って、のろのろ降りてうちに着いた。
そうしたらどうよ、鍵の束がない!

しょうがない、外階段に腰かけて、冷凍のエビと冷凍じゃないブリと大根を呪いながら、
尋ねた場所にケイタイでいちいち電話する。車の鍵まで落とすなんて。
ほかのものは全部あるのに家に入れずクルマの運転もできず。
けっきょく、
マーケットの守衛さんが保管してありますと言ってくれて、ゾッとしたのは治った。
よかった、たすかったと、私は次に心底親切な後藤さんの家へと駆けて行き、
お魚を預かってくださいとお願いした。もうよかった、後藤さんが在宅で。
「ちょっとあなた、はっきり言って。
冷凍庫に入れるんですか、それとも冷蔵庫に入れるんですか、どうなの!」
私はのぼせているから、
エビの方は冷凍、ブリの切り身の方は冷蔵庫です、とどなって駆けだした。
つまりバスにできるだけ早く乗りたいのである。

鍵をようやくゲットし、庭で鈴蘭の花束をつくり、後藤さんのお宅にお礼まいり。

後藤家の玄関の木製の重い扉が開く。
「はいはいはい、よかったわね」
後藤婦人はにっこり、台所へと、せかせか急ぎ、
私のエビを冷凍庫から、私のブリを冷蔵庫からとりだした。

その待っているあいだに、私は見るともなく玄関の扉と壁の間を見たのである。

後藤さんのお宅では最近ドアに凝ったインドネシア風の装飾をしたみたい。
うーんと、これヤモリかなゴムか金属製の? トカゲじゃないみたいだと思うのである。
後藤婦人がスリランカみたいなところにいらした時のおみやげでしょ、きっと。
私はその「装飾物」を、じろじろ見つめる。平べったくて緻密な完全体。すっきりして美しい。
後藤さーん、これいいですねえと今やカギもあるし、私はほがらかだ。
「でも、どうしてここに飾ろうとお考えになったんですか、わざとなの?」
ドアのヨコの厚みって場所がすごくリアルだ、危うくホンモノとまちがえそうである。
めずらしい、後藤家ってこんないたづらはしないタイプなのに。

「なになになに、どこ!」
後藤さんのほうは、私を待たせまいと誠実一直線、即反応。
冷えたエビとブリを私にサッと渡して、すぐさま、なになに、どこどこと真剣である。
こういう後藤さんが私はゼッタイ好きで、つい期待しちゃうんだけど、この日も、
「なんですって、なにがどこですって?!」
そう私を問いつめるや、
後藤さんはニコリともせず、ドアのその一点にぴったりと顔を近づけたのである。

あなた、これ!!
あらいやだ、じょっーだんじゃないわ、ぎゃー、いやだ!
ちょっと、ちょっと、これは本物よ、どうしたの、まー、どうしたんでしょ!

ーつまりヤモリがでるのこの団地?

おどろくことでもないのか。
その夕方、私がうちの車のドアをあけたら、ちいさな蜘蛛がドアとイスの背もたれのあいだに、
デリケートに巣をかけていたんだから・・・・。
蜘蛛くんともあろうものが、ばったんと扉をしめられるとはユメにも、考えなかったんだろうか?

でもさあ初夏とはいえヘンじゃない、こんなにたて続けに?

2015年5月12日火曜日

リニューアル


沖縄からもどったころ、ふらふらになった。
あたりの景色がふわふわと、ゆっくり回る。
お花見のころ、がまんができず横になってしまった。

そのあいだにも、いろいろなことがあった。
私の家での木下さんの「たったひとりの朗読の会」は、大成功だった気がしている。
わが愛する団地の人々が10人もきてくださったのだし、朗読サークルの萱野さんと中さんが、
力持ちをやりに参加してくれた。なにしろ車椅子を階段からおろし、上げるのである。
私たちみたいな年寄がそんなことをしようものなら、何日も立ち直れない。
木下さんが喜んだのは、「みんなが待っていてちゃんと運んでもらった」ということだった。
私は胸をうたれてしまった。そうなのかー。
団地って基本的に同じサイズだから、私の家も木下さんの家も、たいして変わらない。
木下さんは安心していた。それもよかったと思う。
だれにとっても安心ほどよいものはないと思う。
川上さんが手書きの「病歴」をつくって、みんなに配った。
川上さんは私なんかよりずっと前から、朗読で木下さんと、お付き合いしているのである。
後藤さんがたててくださる特別仕立ての珈琲をみんなでゆっくり飲みながら、
渡された病歴を読めば、ものすごい難病。
鶴三会で木下さんと俳句つながりの人たちが、じーっとそれを読んでいた。
心配はしていたけれど、手の出しようもない、そういうしみじみとした思いが
すこし解消できた二時間半だった。

木下さんの人並み優れた勇気と努力が輝いた日だった。
萱野さんが、私たちの朗読発表会に出演してもらえないかしらと、あれからずっと言っている。
それほど木下さんの朗読は木下さんらしいものだった。
知的でユーモラス、
ちょっとやそっとでは真似できそうもない理解力でもって、輝いていたのだ。