2015年11月16日月曜日

フランス・パリ・テロがあった日の前後


11月14日の土曜日、四谷区民ホールに行った。
桐朋学園演劇専攻科の同級生だった人の追悼の会があったからである。
私たちはおなじ2期生だったのに、亡くなった彼のことを、
ほとんどおぼえていないというおぼえかたしか、私にはできていなかった。
どんなすがたかたちの人だったかは思い出せるのだけれど。
短かった私の演劇生活のうち桐朋での2年間は、あとに続いた職業的舞台生活の烈しさに
くるくる巻きとられ、記憶の彼方に消えてしまったのである。

ここに集まったみんなと別れて50年がたったとだれかが言っていた。
懐かしくて暖かい集まりだったと思って二次会から帰宅したのは深夜で、
帰宅後、夕刊をながめて驚倒した。フランスはパリが襲撃されたという記事。

11月15日は日曜日。
招待券をいただいて、フォルクハルト・シュトイデのコンサートへ。
シュトルデさんはウィーンフィルハーモニー管弦楽団のコンサート・マスターである。
こんなにも美しい音というものを、いったいどう考えればよいのだろうと想いながら、
福島に住み、被災した人々の中で幸福に安らかに生き、2年後事故があって死んだという、
山城くんのおもかげがたびたびよみがえる。
映像に残された彼が語っていた言葉。

いつになるかわからないけれど、福島の人たちがここにもどってきたとき、
荒れ果てた田んぼや畑を見たら、もうほんとうにイヤになってしまうだろう、
だから向日葵をずっと植えて、花が咲いていれば、すこしは元気がでるでしょう、
だからそう思って。全国から向日葵のタネを送ってもらって。
・・・ガソリン代がぼくの生活の優先順位ではいちばんですね。
ほかは無ければないであきらめるという生活です。
ガソリンがないとヨガを教えにいけなくなる。
ヨガをやったあとは、二晩ぐらいはなんとか眠れると被災した人たちが言うから。

いわば超一流のヴァイオリンとピアノが奏でる音をどう表現したらよいのやら、
私にはわからない。あんなに美しい音楽ってどういうことかしら。
その晩に読んだエリナ―・ファージョンの物語の中で、ばあやが子どもたちに語る、
リーゼルがいつも見ることができた景色と空気のようなことかしら。

森は、まるで大理石の床にクマの毛皮がおいてあるように、山のふもとに
黒々とひろがっていたんですよ。木々の梢の上からは、雪の山のいただきが見えて、
お天気のときには、それが青い空にそびえてきらきら光り、あらしのときには暗くなり、
日の入りにはバラ色になり、日の出るときには金色に見えたんです。それから、霧が山を
とりかこむと、山はちっとも見えなくなりました。

 一方ではこの形容しがたいほどの秀麗な音。
他方では草むしりをする山城くんのいのちと自己実現。
ヒトの命というものをどう考えたらよいのだろうか。


無人機で人を殺す側は「戦争」をしているのであり、戦争をする権利があるといわんばかり。
他方、自爆しながらの人殺しは「テロ」で、あたりまえのように残虐なという形容詞つく。
夕刊を見れば、シリアの政権移行でアメリカとロシアが「必要性」 一致とある。
アサド大統領の処遇をめぐっては米ロ間に溝がまだあると。
シリアのことなんでしょ?
どんな権利があって、こんなに我がもの顔なのだろう。

沖縄を思う。
福島を思う。
向日葵をうえていたという、草取をしていたというヨガジーとよばれた彼を思う。




2015年11月5日木曜日

買いすぎの野菜とたたかう


山のあたりの野菜売り場で、巨大な聖護院大根とふつうの大根と、なんのかんの、
安いし新鮮だし、ついつい買ってしまって今ごろこまる。

とりわけ聖護院大根の葉っぱがこまる。大きすぎてうちの台所におさまらない。
やわらかくておいしそうだけど、棕櫚の葉ほどもあって、これじゃ洗い物もできない。
なんでこんなの買っちゃったのか、私なんか実力ないのに。
一日たってやっと決心してよく洗い、ザクザク包丁で切ったら、
とてもすなおな柔らかい葉っぱなのに肩が凝ってしまった。
大きいボールに山盛り二杯分もあって、でっかい中華鍋でもぜんぶは炒めきれず。
中華鍋に鷹の爪とニンニクと胡麻油を放り込み、緑の山をお菜箸でぐるぐる。
そこに鳥手羽の蒸した残りがあったから、手で割いてふたつ(それしかない)放り込む。
鳥手羽を入れたんだから、チキンスープの素で味を締める、というか。
それで最後にうちのだし汁でもって味を調節。

いいけど。
味もわりにいいみたいだけど。これでやっと半分。150円だったのに。
だれが食べるわけ? うちにはふたりしかいないのに。
おすそ分けと思っても、料理の腕がイマイチなのでとてもそんな度胸がでない。
この団地もいいんだけれど、必殺料理人みたいな奥さまがおおすぎて。
夜もおそいし。明日は出掛けるし。
こんな時、みっちゃんの家が近かったらいいのにとカンシャクが起きる。
・・・インゲンにチェリートマト2袋に、ジャガイモ玉ねぎは長持ちするからいいとして、
長ネギ、春菊、ぜんぶで1260円だった。柚子なんてふたつで100円。
柚子をつかって漬物をつくるつもりだったんだなー、私はあの時。

聖護院大根には大きな葉っぱがあるけど、大根のほうが料理の中心に決まっている。
にげることもできないのである。


2015年11月3日火曜日

困難読書


おなじ内容の本を二冊、図書館で借りて、貸だしの期限が超過しても返せない。
なにしろ、「ウィキリークス」という名の本。一冊は日本人が書き、もう一冊はドイツ人が
書いている。読みやすそうな単行本だけれど、もちろん、どんなに読みやすく書いてもらっても
私の場合、じきにお手上げになる。インターネットを使っての世界大戦争の話だから、
まずもって、インターネット用語に私の頭がぜんぜん耐えられない。
もう一回、以前見てさっぱり判らなかった映画を観ることにする。
考えてみると、あの映画はこの二冊の本の、解説みたいなものだったと思う。
ご存じベネディクト・カンバーバッチ主演・・・ザ・フィフス、エステイト。
映画を観たら、二冊の本に書かれている事柄に多少とも近づくことができたような。
この世は、私が住んでいる世界とはもはや全然ちがうのかもしれず、それがおそろしい。

今朝は何十年ぶりかで、芥川龍之介の『河童』を読んだ。
問い なんでそんな本を読むのか今さら。  答え そこにその文庫本があったから。
もういやになってしまってこまる。この河童の国に行った人の話だけど。
午前中いっぱいかかって読んだあと、もしかしたら私は鬱病かもと。
ヒョロ~んとそんな気になってしまうなんて、老人にはよくない本だと痛感。

文化の日。

今日は文化の日のつぎの日の朝である。
きのうは山にいて、すがすがしかった。
風は秋風、すずしげに、さわさわと吹くのである。
たどりついた場所は休日なのになぜか人が少なく、
紅葉も終わり落葉が始まり、・・・傷んだ気持ちが落ち着いたというのでもなかったが、
温かく太陽が輝いて、音もなく夕暮れになった。

ところで今朝は『河童』を読んだのが運のつき。もうなんだかズーンと暗い気分。
午後からやっと洗濯、床にワックスがけ、絨毯を変えて、野菜をきざんで。
そして壜と缶をすてに行ったら、肩を横からつっつく人がいた。
にこにこして立ち話。笑顔によけいなものがなくてスッキリ、サッパリ、立派なひとである。
それで気分を立て直すことができた。うれしい。私にしては上出来と思う。
人脈というとあんまり良い感じがしませんが、たとえ壜と缶を捨てる場所でも、
そういう人にばったり会ったりすれば、危うく憂鬱と闘えるし助かるわけなのね。



2015年11月1日日曜日

ブルー・ポピー


電車に乗った。昼間のことだから、みんながのんびり腰かけている。
向こうの座席へと歩いて行く女の人をみるともなく見ると、
左の顎に淡い紫いろのアザがあった。右の頬にもたぶん変色がある。
病気なのか、それとも夫に殴られた跡なのか。
小さなパンジーの花のような、それでいて顔色のない人だった。
落ち着いた雰囲気の地味な身なり、黒くて光らないブーツ。
どこへ行くのかしら、寂しさのほかになんにも見えない顔をして。
一切の救いを期待しない、あきらめて乾いた姿だ。
病気でも人はさびしい。
殴られたのであれば病気のように人はさびしい。

私の隣の座席の青年を、向い側の老人が驚いたように見ている。
電車に乗ったとき、目がびっくりした気になった30代の若い人だ。
自然なのか不自然なのかぜんぜんわからない。
スマートでりっぱな体格、カジュアルな秋の身なりがきれいな若者。
アタッシュケースを抱えスマホを手に、ガムを口に入れようとさっきから苦労している。
一点異様なのが、口紅を塗っているらしい(!)ふっくら赤すぎる唇。
・・・ふしぎな人である。
これがお話のなかの電車なら、かれはモンシロチョウの王子のひとり、
王様に命じられて、キャベツ畑の国に化粧品のセールスに行くところ・・・。
それでも人間だと、いったいどんな苦し気な話になってしまうのか。

21世紀の各国は、 たとえ日本のように奇跡的に戦後70年を謳歌したとしても、
どこかイビツだし、不自然で、落ち着けない。
さあ、くよくよするのは、やめよう。
金子兜太さんの本に、命の向こうには他界があって、そこはこの世のつぎの世界で、
ふつうのこととして移行すればそれでよいだけのこと、と書いてあった。
ただの続きなのだからおそれず楽しく生きて、さようならも言わないでよい。
ということなら、この世で解決できなかったことは、むこうで解決すればよいのかしら。
金子さんの友人は死んだらこのつぎは樫の木になりたかった。
そうしたら死に顔がとても安らかで立派、あゝこの男は樫の木になったなと、
金子さんには、はっきりわかったのですって。

わたしはブルーポピーの青い色が好きだけれど、あれだと殴られてアザができそう。
そうだこれからは、なにになりたいか、一生懸命にさがして、
さがす合間に、できることをすればいいんじゃない?