2016年7月13日水曜日

スズメくん


カレンダーを見ると燃やせないゴミの日。

ゴミ袋を提げて、ゆっくりゴミ集積場にいくと、
徹夜をして夜明けなので、金網の中にはまだ袋がひとつだけ。
めったにないことに、四角いゴミ箱の中でチラチラ動くものがある。
ちゃんと見ると、まあめずらしい、小さいスズメが中にいた!
入ったはいいけれど出られなくなったのだろう。
団地のゴミ箱は、ちょうど大きな鳥カゴのような具合だ。
カラスやネコの爪を避けて、金網を目の細かいアミでまた補強してある。

スズメの羽音は小さいが、あっちにゆきこっちにゆき、たいへんで、
「ほらほら、どうしたのいったい?」
フタをそっとあけてやると、もちろんすぐ出て、
ワサワサシューッとはすかいに飛んで行ってしまった。
東の方に行ったけど。

そこには今でも、だれかが待っていてくれるのか。
真剣な、こわばった目をしていて、
こわかったんだろうと、それだけがくっきりと目に残った。


2016年7月12日火曜日

不良会社とは


友人の娘さんから、
わたしのガラケー携帯電話にメールを、こまごまと20幾つも(SMS)受信したのである。
・・・・こんなのってありか。
途中からですが、みなさん、読んでみてください。
Aちゃんからのメールです。


⑴ あ、私事ですが実は仕事を2ヶ月でクビになりました。今はまた仕事を探しています。

⑵ 結論から言うと雇用契約書が交わされず、社会保険の手続きをしたのにも関わらず
   入っていませんでした。

⑶ 雇用(労働)契約書の事を指摘した所、即時解雇となりました。

⑷ 経緯は、入る前の面接で、採用を頂いた際に、労働契約書を交わして貰えず、給与
   提示もされず、口頭で前の給料よりは出すと言われ、

⑸ そんな恐ろしい雇用契約は無いと思い、入社前に全てを提示してくれと何回かお願いし
   たら、少しもめてしまいましたが、給与のみ提示されました。

⑹ さらに詳細の書面をしつこくお願いした所、入社日に細かいことはやりますのでと
   言われたきり、

⑺ 結局交わしてもらえませんでした。

⑻ そして、2ヶ月目に急に解雇を言い渡されました。君は仕事は一生懸命やってるのは解るが

⑼ この会社に合わないから月曜から来なくていい・・・といった感じでした。

⑽ そこでビックリしたのが、君には社会保険かけてないから、経歴に傷はつきませんよ、次の
   所にはアルバイトとでも言うと良いでしょうと・・・。

⑾ ハローワークの求人には試用期間も正社員と同じ条件と 書かれており、会社で社会保険
   の手続きもして

⑿ 給料から天引きをされていたのに実は騙されていたようです。

⒀ 最終的には社会保険代金は返金されました。また、解雇後、解雇予告手当を請求し、
   支払われました。

⒁ 私としてはアホな会社に費やした時間を悔やむ間も無く、今は次の仕事を探しています。

⒂ 何とか踏ん張るしか無いですね。
   次は選択を間違えない様にしたいと思います。

⒃ 長々とすみません。

⒄ つぎこさん、お忙しいとは思いますが、またお会いしましょう、家にも来てください。


有能な、強靭な働き手で、引っ越したための転職だった。
何年も勤めた前の会社から引きとめてもらって、
やめたくはなかったが遠路通勤するうち身体をこわした、だから。
私へのメール24通もアッというまに届いて、こっちは二日もかかって返信したのである。

無力がつらい。
私にできることと言ったら、いつかローンに苦しむ小さな小さな家を必ず訪ねよう、
その約束はどうしても守ろう、ということだけなのだ。
私の娘と同い年? 
どんなにか不良会社員共に自尊心をズタズタにされたことだろう。

いつか私は息子といっしょに、彼女の家に行こう。
そして、彼女とダンナサン(Aちゃんはだいじそうによぶ)に音楽を楽しんでもらうのだ。
仕事を探す彼女の勇気と元気と必死の正義感を祝って。



2016年7月11日月曜日

沈思黙考ー家族


長男と久しぶりに食事をしたとき、誕生日のお祝いだと言って、
DVDと本を手渡してくれた。
ぼくが一番すきな映画。そして僕が(おそらく)一番気に入っている著者の本。
ふたつとも、そうなんだろうなーと思う。
映画は「マイ ライフ アズ  ア ドッグ」
本のほうは著者がプレイディみかこ、「ヨーロッパコーリング」という本。

年齢というものは、ものがなしい。
「ヨーロッパコーリング」は難しくてすらすらとは読めないし、
映画は自分が落ち着かない、主人公がぼくの人生は犬みたいと言うのだから。
息子がそんなことを思っていたらどうしよう。
とはいえエスニック料理はおいしく、彼と話せてとっても安心。私には嬉しい夜だった。

それから、選挙があった。
夜中にオランダの遥にメールをする。なにしろ時差があるからこちらは午前4時少し前。
自分から始めたくせに、私は早々に娘に「もう寝ないと」と送信してしまう。
あと1時間半でまた一日が始まるから。
素直に「うん、お休み」と返事がかえってくるのがなんだかさびしくて。

あなたのお誕生日にアンネ・フランクの同級生が書いた本を送るけど。
「アンネ、わたしたちは老人になるまで生き延びられた。」 という長いタイトルの本よ。
戦前と今を比べると日本人のメンタリティは違ってきてるんじゃないか。
インターネットはあるし、そこに希望があると思いたいとあなたは言った。
そうかなあ・・・私はどうもなんだか様子がちがうのかもと。
読んでみてね。ヘンな具合の、老人ならではのゆっくりした本よ。

その少し前、私はギターを抱えて新宿へバスと電車を乗り継いで行った。。
次男がディスクユニオンのスタジオでライブ。
今日がㇾコ発だというバンドと一緒の、すばらしく愉しい夜だった。

しかしいくらなんでもお客さんが極端に少ない。
それにどれほど音楽が明るくじゃんじゃか鳴り響いても、
次男の友人たちが、もう疲れ果てて終始一貫ニコリともしないのだ。
・・・こんなに疲れて、それでも仕事の帰りに来てくれたなんて、本当にありがとう。
次男と対バンの4人は、なぜかまるで人よせができなかったらしい。
始まる前から気をもんで 、演奏中は舞台から、もう私ばかりを見ていたという。
ははは。無理もない。いかにも楽しそうに、もう最大限にこにこしていたのは、
観客では私だけ なんだから。

あの人は誰なんだときくから、母親だと答えたら「母親!」と4人はビックリ。
ぼくが会社の帰りで間に合わないからギターを運んでくれたと説明すると、
「ひどいことさせる」と彼らはまたもビックリ。

そうよアンタってひどい奴なのよ。わかってんのか。
そう言ってやってよかった。私としてはスッキリ溜飲が下がったわけである。



2016年7月8日金曜日

魚やさん


「あっ、くぼ、さん」
控えめな小さな声がきこえて、売り場と魚の調理場を隔てるガラスの向こうに、
にこにこしてうれしそうに手をふるメグちゃんがいる。
メグちゃんは、「メールに書きましたよね、そうここで働いているんです」と、
私と職場の先輩の両方に説明しながら、急いでこっちに出てきた。

彼女の長男はもう幸福な中学生になった。
メグちゃんは、私が幼稚園の園長を辞めた時、このブログを立ち上げてくれた。
そのまえ、園長になりたてのころだけど、PTAの会長さんを引き受けてくれた、
だから私には忘れられない人である。
あの頃はブログを開くしかさしあたりどうしようもなかった。

今、私の眼のまえに黒いゴム靴で立っている彼女はすごくきれいだ。
魚をさばく仕事場になっちゃったんですと、ためらって笑う姿が輝くようなのである。
大きなエプロンをかけて、その下はガバガバの黒いズボン、赤色のシャツブラウス。
髪は白い布でおおわれて、全部なんとなく曲がって膨らんでいるのがいい!
育ちのいい彼女になんてよく似合う装束なんだろうか。

いい日だと思って幸せになる。
売り場の私のほうに、すぐこだわりなく出て来たのも、嬉しいことの一つだった。
努力ができて、自由にふるまえて、包丁技能に苦戦し
それが役にたたない仕事なんかじゃない。料理もすごくじょうずになる!
なんて賢い人なんだろうと、その選択ぶりが私にはうらやましい。

ついつられて、新鮮、獲れたてのサバを買ってしまう。
生活クラブ生協デポ。以前は彼女とはお客さん同士、売り場で会ったものだ。
私の周囲の若い30代は、職場で上司のパワハラにあって今や息も絶えだえである。
でもここでは命名からして、職場の正義と原則が守られているのだろう。
・・・雇うほうと雇われるほうが調和している。努力とともにシッカリ平和なのに相違ない。



2016年7月1日金曜日

水木さんの本を買ったら


人生をいじくりまわしてはいけない、というヘンな本を買った。
水木しげるファンでもないのに。
人生をいじくりまわすのに、もうくたびれちゃったので、
ワラをもつかむ心地である。
いまのまんまでいいの? そうするとどうなるの、とききたい私だ。

さっそく電車の中で読む。優先席・・・。
電車はガラガラ。前の座席に、品のいい古典的なおじいがいる。
すごく暗い顔が、ひきつっては、ぎゅーっと下を向く。
何度もそうする。
痛そうに左の脚を縮めて、ギュッと細い太ももをわしづかみして、時々うめく。
代わりに、痛いところをきちんと掴んであげられたらなーと思う。
でも断られるにきまっている。

あきらめて、というか失礼にあたるし、また「人生をいじくりまわしてはいけない」を読む。
つつじヶ丘でこの電車は橋本行きの急行待ちをする。

病気で背丈が縮んだのかもしれない、向かい座席片隅のおじいも降りるのだろうか。
黒色のソフトをきちんと被り、チャコールグレイのズボンの先の皮靴は黒、コートも黒。
横に置いたリュックのベルトをつかもうとしては、つかみ損ねている。
中腰であんまり儚く(はかなく)ふらふらするから、
遠いんだけど、ついこっちから手をさしだしてしまった。
「なんですか?」
いやな顔をしてそう聞かれた。

「おてつだいしましょうか?」
怒らせたくなくて小声で言ったら、びっくりしたことにいい顔になって笑った。
「けっこうです」という声も、私をこわがらせないようにゆっくりだし低い。
誇り高いがゆえに一見強面(こわもて)のこのおじいさんは、おそらく親切な人なのだ。
・・・リュックを苦心のすえに背負い、両手の杖で身体を支え、
「日本の品格」は、つつじヶ丘のプラットホームのどこかに消えた。
ズボンの上、膝裏のあたりに、白くて四角いパップクールが貼ってあった。

プラットホームに降りて急行を待つあいだも、私は読書続行。
ところで、というべきか、すると、というべきか。

向いのホームの階段の前に、準備体操をしている初老男性がいるのである。
高価そうな運動靴に紺色のスポーツ着、メタボに励む。
読んでいる本のせいか、今日はヘンな老人ばかり見つけてしまう。
故・水木さんの推薦なのかどうか、浮世離れした人があそこで体操をしている。
なんでも、こっちの端からあっちの端へウサギ跳びして最後にボールを蹴るのだ。
それを新宿行き快速を待つあいだくりかえすって、ヘンじゃない?
プラットホームでそんなこと、オカシイんじゃないの?
階段の端までウサギ跳び、着くとボールを天井にむけて蹴るなんて?!
まてよ、これは絶対水木さんの影響による自分の誤解だ。
私はとてもそそっかしい。だから。バッグの中のメガネをさがした。
ほーら、なーんだぁ、駅の階段の飾りがステンレスの小玉だったのよ。
まさかあの人が直接ボールを天井向けて蹴っているはずがない。
私って世の中を誤解しながら見ているのだ、相当な近視のせいで。

でもプラットホームで寸暇を惜しんでウサギ跳びなんて。
官僚主義的中間管理職だった人?

こうなるともう一回、奇妙な年寄を探さないではいられない。
二度あることは三度あるはずと思って。

そういえば、 私がいる側の橋本行のプラットホームにだって、
ウクライナ発みたいな牧歌的な老人夫妻がいる。
自然態で仲がよさそうなのが、今どきめずらしい。二人ともいきいきと元気。
立ち止まると、双方が微妙に傾いて二頭辺三角形的台形になる。
おなじような古ぼけたブーツ。年金生活者らしい身なり。
夫は古くて黒ずんだ赤いリュックサック。妻は布製の手提げ。
私は離婚して自由だけど、こんな夫婦なら結婚しててもいいのかなー。
どうかなあ。

ちなみに水木先生(ご自分をそう言う)は、奥様と幸福に添い遂げられた方である。


2016年6月9日木曜日

パラパラ、考える


くたびれちゃってソファーに寄りかかって、ばくぜんと前をながめると、
あーら不思議だ、わたしの親たちが散らばっている、空間に。
そんなことはおかしい。つまりは、むかしのひとがいうお迎えがきたのかしら。

なんでまあ、こんなにおかしなほどつかれたのかと考えると、
団地理事会の当番理事になったのがいけない。
文字どおりの重荷。

こういう当番は老人の脳の活性化につながる。生命力の後退をふせぐ。
でも、それはそうでも、会社に入ったみたいでハラハラしどうし。
なにもかも放り出したくなって、放り出すと借りがふえるのである。

新聞をみると舛添氏がひきつった顔で謝っている。
この人物がどれほど利己的で、物欲の亡者で、軽薄な人かを、
自民党も公明党もすごくよく知っていたろうに公認し、宇都宮弁護士の代わりとした。

彼らは似たモノ同士で、おたがいに嫌いあっているのに利用し合う。
だから、捨てる時もおそろしく残酷である。なんて残酷なんだろう?!
こんな絶望的な政治状況にした「責任」はとらないわけよね、自民公明両党は。

親分がいるんだろうなー、この地球には。
不正選挙をしてまで人類をこんなふうに導きたい人が。
いま不正選挙がもっぱらのウワサになっていて、ウワサ対策を始めているんだとか。

宇津宮健児さんを都知事に選んでいたらどうだったか。
地味な人だったけれど、こんなザマにはならなかったろうに。
弁護士なんだし、日本国家の三権分立を彼ならば守ろうと奮闘したと想像する。
貧者の味方だし。

日々のくらしがどんなに息苦しくても、一陣の風が吹くときをつくりたい。
希望がみえるような理屈をさがし、のびのびした想像力を育てよう。
幸福というものがよくわかる本でも読んで。

アストリッド・リンドグレーンの「おやゆびこぞうニールス・カールソン」がすきである。
どうしてかって、ふたりの貧しい坊やが、つるつるっと、
幸せになる、そこがいい。



2016年6月5日日曜日

変化とは


生きているのは愉快だから、という雰囲気で人間をやっていたい。
だけど、ひきょうはいやだ、勇気がほしい。

勇気は、陽気な勇気がいいな。
こわくなくて、すぐ伝染しそうな勇気がいい。

陽気な勇気。 うれしい勇気。いっしょに笑っちゃうような。
なければさがそう。

だってそういうのってあったじゃない。
見たことも読んだこともあったじゃない。

子どもの時も、おとなになってからだって
ときどき、ふっとそういう人をみて すごくよろこんだ。

忘れたのか、あきらめたのか、
でもたしかに、どこかであったことだし、いた人なのよ。

記憶のなかにはちゃんとそれがあって、そういう子も、いたなと思う。
もうね、そういうおばーさんにならないと、あんたはだめだなーと思うのよ。




2016年6月4日土曜日

3日の夜に。


息子が綺麗な銀の指輪をふたつプレゼントしてくれた。
もう一人の息子が、みっちゃんの家の息子だけれど、花束をプレゼントしてくれた。

シルバーの環はクスリ指と人さし指に入り、
花束のミントの葉が青い花のよこで薫る。

それからというもの、お掃除をするたび食器を洗うたび、
魔法みたいにそばに置いたはずの指輪が消えるので、
生きた心地がしないのがスリルである。

西洋薄荷の大きな葉の香りは、もうおどろくほどで。
私の庭にもミントはあるけど、この花束の葉は3倍もあって緑がきれい。
カードには、母をよろしくお願いしますと書いてあった・・・

みっちゃんの息子って不思議だねと感心してうちの息子が言う。
目をみるとなにを考えているのか外から全くわからないけど深い。

そうよねー、あんたの眼ときたらニヤッとおかしそうか、
きいてません眠ってます、みたいなね、しつれいな目玉だからねー。


行方不明の子どもが見つかったというニュース。
よかったとみんなが思う。たぶん日本中がホッと安心。
どことなくなんとなく、あの子の親に集まってしまった罪の重さに気が晴れぬ。
一億総見張り。記者会見して謝罪・・・・。

考えも思いつきもバラバラだった戦後すぐのほうがよかったなー、私。




2016年6月3日金曜日

6月3日なんとなく


ここ数年、毎年のように一年損をして生きた。
年齢をひとつ多くカン違いして生きる。
去年も73才だと思ってくらしたけれど、きのう手帳で調べると72才のはずだった。
なんできのうそれを調べたかとというと、6月2日なのに3日だと思いこんだから。
こういうのを生き急いでいるというのかしら。

どうもそんな感じではない。
思い出すと、去年だって今年だって、ホットケーキが膨らんだみたいなくらしだった。

今朝は誕生日で、こんどこそ73才になったと考えて、目をさました。
手元にある本を読む。まだ5時にならないので。
とても好きな本。一冊はL・デュランの「ダディ―」。
もう一冊は「病気をよせつけない生き方」 安倍徹・ひろさちや。
読むと安心する。のんびりできるぐらいの元気をもらう。
片方は知性肯定の冒険小説。片方は仏教と医学による医薬否定。
何度読み返しても共感するしおもしろい。

起きて紅茶を飲もうとお湯を沸かす。
やめてあれこれあれこれ、やる。庭に水をまいたり。
洗濯だとか、朝食の支度だとか、新聞のコラムの切り抜きも一か月分。
なにしろまだ早朝・・・。
それから「長 新太 の脳内地図」という本をぱらぱら。
調布の図書館の本で、返しそびれている。
この本、なんとか買いたいな。

そのあいだじゅう、広報と議事録と高齢化対策委員会の、
私なりの有言不実行にくよくよし、助けてくださっている人の顔を思いうかべ、
初夏なのに冷え込むなーと、自分としてはふけーきな気持ちである。
この仕事(ただの当番)を与えられなかったら、変化もなくてと空想。

晴れていて、太陽がかがやく、きれいな日。
そうよねえ。 風にゆっくりやわらかく合わせて、無心に一日を送れたら、
いかにも老女にふさわしい幸福の実現なんじゃないの。




2016年5月12日木曜日

朗読サークルの日


めずらしい人が久し振りに参加したこともあって、
100年ぶりにみんな集まった、みたいな気がする。

幼稚園で会ったきりの少年が中学生になり、、
引きこもりの少女が、あれどうしてと思うほど続けて学校に通えている、
苦し気だった人がすこしふっくらして・・・、
蒼褪めたかな、痩せたのかなという人もいて。

私は一月以来、ばったりブログを書かず、
どうしたのか病気なのかしらと思ったりしたと言われる。

実際こうもトシをとると、
毎日、ヘンな自問自答を繰り返してしまう。
私って元気なのかな、どうかな。
奇妙なことにそれが判らない。
判断をどうしてかヒト(医者)に預けてしまう。
人まかせがヘンだと思えなくなってる。
自分の身体なのに。

心もとない私の全体像が、ふらふらあっちから寄ってきて、
足元も定まらない、そういうイメージ。

しかるのち、やっと私は現実と向き合う。
しっかりしよう、イメージに負けるな。
手や足を振ってごらん。元気でしょ。シッカリしてるでしょ。


一月に、友人の長男が、死体でみつかった。
二月、わたしの友人の夫君の暴力がひどくなり、
三月、彼女がシェルターに逃げ込み、生活保護受給者となり、
四月には、べつの友人の息子が逮捕されて留置所に 。

それはそれは、深刻な不幸続きで、はらはらしていたというのに、
五月を待たず、敬愛するふたりの方が亡くなった。
・・・お葬式が二度。

いつも、胸のどこかで、ワアワアと思い出が小川の瀬の音のように啼く。
いい思い出もかなしい、苦しい思い出もかなしい。
そういう自分は無事で、元気なのだけれども。



2016年5月10日火曜日

幾つもよいこと


薔薇があちこちに咲いている。小さい薔薇はどんなバラも薔薇だしバラだし。
他家の垣根の内から、仄かな香りと幸福のようなものを受けとれるわけなのだ。

バラのそばにはロマンティックな淡い色の芍薬が二つ、三つと咲いている。

売りに出された町なかの狭い空き地には、赤くもない貧しげなケシの花が、
雑草といっしょに放っておかれて、なぜかしっかりと風に揺れている。
葉っぱの緑なんか、もうのびのびしてすごく美しい。

すでにして、あのう・・・今は初夏かしら、
志邨歯科医院のまえの欅の木は昔からものすごく大きい。
上のほうがざわざわ揺れる。思いっきり風の音がする。

私にわかるのは、わーい、今の季節ってきれいで楽しいということだけ!


いま団地の当番理事で広報の担当だけど、私は。
朝と夕方、べつべつのご近所さんに、立ち止まってほめてもらった。
よい日、よーかったっと、
まあなんとか、そういうことで終わることができた一日であった。




2016年5月8日日曜日

網戸屋さん


網戸に穴ができて、しまいには指を突っ込んで引っ張り、べリベリとはがすほどに。
見るといらいらする。夏がきたらこまる。
蚊だとか蛾だとかセミまで飛んでくるのだ。
でも、網戸を修理してくれる、いい人、がみつからない。
宣伝のチラシがどこにいったかも、今となってはわからない。
それに私にとってチラシはダマシ、
なーんか昔風な人柄のよい職人とは逆のイメージである。

しかし、とうとう伝手をたどって、教わった電話番号をポンポン、ポンと。

電話にでたのはセカセカした、何かが喉にひっからまったみたいな声の老人で、
私が用件をいうと、「・・・今日はいるの」ときく。
機嫌が悪そう、ガンコかな。
見積もりをしなくちゃ 、というのである。

4時までに行くからと言われたのが12時半だった。
失礼があっちゃいけないから、掃除をはじめる。
ガラスも拭いたし、網戸のステンレスの枠も拭いた。床も階段も雑巾がけ。
そうしていたら、案の定、もうピンポーンとうちの調子のわるいベルが鳴る。

すっ飛んでいって玄関の扉をあけると、淡い草色のだぶだぶした作業着、
眉毛をたえまなくしかめた、だけど童話みたいなおじいさんが立っているのだ。
彼は、じぶんの小型トラックと私の家との間を行ったりきたり、
なにをやってるのか私にはまるっきりわからなかったけれど、
それでようやく「入ってもいいですか?」と私の眼をみた。

あとで考えると、作業台をトラックから降ろして、藤だなの脇に据え付けていたのだ。

うちの二か所の網戸がはずされて、外で作業が始まった。

おじいさんは、・・・・私だっておばあさんだけど、
「この際、網戸のなおし方を習ったほうがいいかしら」ときくと、
ーああ、そうしてください、ときっぱり。
「あらうれしいな、 本当? 本当に教わってもいいんですか?」
あつい陽射しだ。顔いっぱいの汗。
ーいいですよ、覚えたほうがいいよ、もうじきワタシは死んじゃうかもしれねえからね。
「どうしてそう思うの?」
ー4,5日あと入院するのよ、と作業しながら彼は言う。
にがい顔だけど親切でまっすぐ、ありのままが伝わるガラガラとした声だ。
ー大腸ガンやってるからね、ワタシは。検査入院がもう4、5回目ぐらいだから。
多分大丈夫だと思うけどさ。
この仕事もね、あと二年ぐらいで、やめるんだから。
何度も家族にそう宣言したのかもしれないね、妻とそしてもしかしたらおおきな娘に。
「・・・・疲れちゃったの」
ーそうそう、そう、そうだよ!

私はうちに戻り、、健をよび、自分はノートが見つからないから、
古い住所録と鉛筆をもって、作業台のところまで行った。
息子とふたり、網戸張りをちゃんと習う気だ。
「団地の人が自分でやってもうまくできないって言ってた。網がダブついちゃうんだって」
おじいさんは手を休めない。
住所録のうしろの空きページに、私はおじいさんの話を書いた。


     アミをおく。置いたら、
     反対側のアミをみながらだけど、
     「抑え込みゴム」を溝においていく。
     最初の四角い「かど」の10cm手前からはじめる。
     そこがシッカリとまらないと、しまいまでうまくゆかない。

     カドましかくにとれるたらうまくいく。 
     外からアミをていねいにひっぱりながら、
     反対側のアミをみながら、
     あんまり強くひっぱるとダメ

できるかできないか判らないが、これからの人は、
網戸張りぐらい自分でこなさなければ、不自由するだろう。

     抑え込む矢車草みたいな道具を、〈抑え込み用ローラー〉という。
     標準型を買えばよい。
     カッターナイフを寝かせないように、
     45度ぐらいにたてて、抑え込みゴムの外側を切る・・・・。

急な夏日だ、
働くすがたも、話してくれる言葉も澱みないが、なんて精いっぱいの姿だろう。

小型トラックはありとあらゆる古びた道具で、ふくれあがっている。
働くことが苦しくなっていても、頼まれれば働き、他人の役にたつのが当然で、
言葉といえば真実だけ。
おしまいにおじいさんは、奥さんが生きてるあいだはもう修理しないで済むよ、と言った。

網戸のこと? それ、もしかしたら 私の見積もりかなあ?




2016年2月23日火曜日

お正月だった


今年のお正月、自動車で道志の道を行くと、猿のたぶん若者が出てきて、
ぴょんぴょんと右から左へ、つまり畑の中へと侵入。
道ばたの畑には柵もないのである。
あら、あらとビックリして目をこらすと、もうそこに先着の父さん猿その他数匹、青菜物色中。
畑の持ち主にしてみればすごく癪にさわる事態だろうけれど、
猿たちが程よくふっくらと太って、灰茶の毛並みも生き生きと朝日に美しく、
なんともかんとも健康そうなのに胸をうたれる。
顔なんか寒いせいか、楽し気な桃の色で。
なんの憂いもかんじられぬ、メタボなど知らん顔の、まったき自然というもの。

猿がこんなにきれいな動物だなんておどろく。

私たちは畑の猿にみとれてしまい、しばらくすると車は山あいにさしかかり、
そうなってから急に、ああそうだ、ことしはサル年だったと言いあって、
これはもう縁起がいい、きっといいことが起こる前兆だ、と信じたのである。

遥がオランダから到着したばかりで、
休暇のような日々がまだまだ先に続いていた。
申年。サル年のお正月に、今まで見たこともなかったのに野性の猿に出会うとは。
あの山ふところのどこかから、はるばる、ピョンピョン、跳んできたのか、
途中に ほかの畑もあったろうにと、ホント不思議な気がした。

今日こそ宝くじを買うべきだという当然の話になった記憶があるけど、
宝くじなんかここら辺の山じゃ買えないんだし、
私など、タヌキまたはキツネの宝くじ売り場と平凡なことを考え、
そうなるとハズレ木の葉ばっかりなんだろうし、
やっぱり 「努力が報われるんだろう、きっと」程度のユメがいいのじゃないかと思い、
・・・ちょっとワクワクする新年であった。




2016年2月22日月曜日

一日の締めくくり


きょうは元気みたい。

掃除をし、できると思いながら洗濯もする。まあ洗濯は洗濯機がする。
朝食のあとかたずけも、速攻、思いのほかサッサと終わって、
庭木の梢の向こうをながめるヒマがあるのは、たぶん春だから。
空気が灰色ながらすこしばかりまるくふくらんでいる。
今日こそ草とり、というよりも鉢たちのいる場所を変えよう。
春がきているから、外套なしでも寒くないのである。

昨日、うちにあるのに間違えてまたも白菜を買ってしまった、それが悩み。
白菜は、たとえ100円でも私には大きすぎるのである。
こんなものをまた買ってどうする、と怒っている最中に、いいことを思いついた。
おととい作ったスペアリブの上に、白菜半分を切って乗っけて煮てしまう。
スペアリブは最終的に柚子ジャムブッカケで仕上げたものだ。
ジャムは野田さんの作ったほんのり甘いけれど少しばかり苦い風味のもの。
白菜と合うのかしらと心配だったけれど、大丈夫むかし風味である。
鷹の爪を少し。醤油と。


銀行へ行った。帰りに大事故、大きなボックスカーが歩道ちかくにひっくり返って、
救急車と消防自動車とパトカーと大勢の警官たちと。
こんな大きくてまっすぐな道路なのに、どうしてと痛ましいし不吉でおそろしい。

案の定、夜、階段から落ちる。
ヒヤシンスの鉢をふたつ、両手に持っていた。
背中と腰をひねって、どうなったかと思い、
鉢がひとつ見つからないので、わけがわかんないと思った。
なんとかねじれた状態から立ち直って、
なんとまあ、これが一日のおしまいだ。



2016年2月19日金曜日

相談ごと、鶴三会など


 午前中、鶴三会だった。

今日は句会ではなかったけれど、平凡なようでいて非凡な展開。
「電力自由化」について、かねてお願いしていた加賀谷さんが、
簡便に、手際よく 、A4紙一枚にまとめた「資料」を手に、みんなに説明したのだ。
いいでしょう?!
すごくわかりやすいうえに、加賀谷さんにこにこ。質問自由。意見OK。
いちいち答えてもらえる 。質問がまた技術畑の人が多いものだから専門的。
それでいて、きいてる人がついて行けないような質問は誰もしないのである。
これって案外すごいことだと私は思う。
この老人会ならではの秀逸だと思う。
斎藤さんは行政部門の人だったから、そして声がきれいなので、
意見も質問もハキハキと、じつにわかりやすくって目が覚めるようだ。
それでまた不明に迷うこっちの頭がはっきりし始める。

平野さんが、加賀谷さんの「資料」をわかりやすくて素晴らしいといったけど、
みんなも、ホントウにそうだよという空気。
「電力自由化」の学習が興味深いとは実に「たいしたもん」なのであって、
説明と質問の自由闊達さにたすけられて、確実にわかってくることがある、
その手ごたえが、ちょっとけっこう、楽しいのである。

それで?
という当然の質問がでる。
こんなによく事情を説明できるあなたはどうするんです?
「4月1日にスタートしtも、しばらく様子をみる」という答えに、そうだろうなあと。

とはいっても、家にもどった私はしびれ薬でも飲んだみたいになっていて、
野田さんと、モラル・ハラスメントに苦しむ友人を前に、
頭はぼんやり、耳が痛くて、目がかすんだようになっている。
なれない話に頭を使い過ぎたらしい。


2016年2月18日木曜日

おぅ い雲よ


昨日の雲はおかしな雲で、口を開けたワニが、
ワニ、ワニ、ワニ、ワニと並んで、
それから崖のような大雲のあとにまた一匹のワニだった。
2011年の3月11日以来、雲はみょうに意味ありげな様相で、
自然なものとも思われない。

詩人・山村暮鳥によれば、

            雲
      丘の上で
      としよりと
      こどもと
      うっとりと雲を
      ながめてゐる

            おなじく
      おうい雲よ
      いういうと
      馬鹿にのんきさうぢゃないか
      どこまでゆくんだ
      ずっと磐城平の方までゆくんか

子どものころ読んだこの詩に影響されてか、それとも自然にまったく無関心だったせいか、
空の雲なんていっても、雲印とでもいうようなただの雲でしかなかったものが、
最近はああなったりこうなったりする。ワニにもなるし、ゴジラやクジラや・・・。

としよりのワタシとこどものワタシがいま一緒になってあてどなく雲をながめると、
雲は風に追い立てられてせかせか。
     馬鹿に急いでいるぢゃないか
     どこまでゆくんだ
     ずっと福島県の浜通りまでゆくんか ずっと磐城平の方まで



2016年2月17日水曜日

ある文章


なぜかわからずル・クレジオという人の文庫本を手にしている。
「海を見たことがなかった少年」集英社文庫。
読みにくい本で、遠近法の逆転と解説にある。
子どもの感覚のみを追って書かれた文章。

現実社会の約束事からは遠くにいる(解説)。

買ったおぼえがないけれど、昨夜うちの使わない本棚で見つけた。
なんとなく読みはじめたら気分が悪くなった。
夜読んで、明け方読んで、早朝に読んで、ざわざわと、おかしな気分。
遠近法の逆転とかにみょうに耐えられない。読みにくい。
たぶん、いつのことかそれで、読み始めたけど、放り出してしまったのだろう。

私がこの文体になじめないのは、
子どもの感覚のみ、で書かれたりしたらダメな人間だからだろう。
早くから子どもの感覚とやらから離れてしまった、
そんな私だから、
そういう文章が不快なのだ、きっと。

なつかしいような小説の、その懐かしさに耐えられない。。


2016年2月15日月曜日

ひとりっきりで


DVDを借りて何度も見る。元気がでる。がんばろうと思える。
「ディオールと私」
「ナオトひとりっきり」

偶然手にとった、両極端のドキュメンタリー映画。
クリスチャン・ディオールの後継者ベルギー人「ラフ」のディオール・デビューを追うフィルムと、
福島の原発事故のあと、広大な富岡町に放っておかれた牛やダチョウや猫、犬、イノブタを
ひとりっきりで養おうとする当時55才の「ナオトさん」を追いかけるフィルムと。
なんでこんなにも違うモノを借りたのか、
落としたカード再発行手続きに行った蔦屋で。

フランスの極限までの華麗な贅沢。
荒廃の極にある富岡町の自然。
ディオールの画面はなにもかもが洗練され、美しくてため息がでてしまう。
ナオトさんの表情を見れば、その無表情や無口、微苦笑、作業着や長靴までが自然だ。
ああ、あんなふうに自分も一つの道を歩きたいと、心から思う。 
人間は広大な地球にからくも摑まって、運命に沿ってだれもが苦闘するらしい。
贅沢も、荒廃も、生き方によってヒトはそれをなにか人間的と言いたいものにに変えるのだ。
クリスチャン・ディオールの工房のお針子たちも、富岡町のナオトさんも、
それぞれが選択した部分を請け負って、そこで最大限の努力を繰り返すという一点が、
非常に印象的である。

友達が自宅にもどっている。台所は破壊されたままで、食事の支度も難しい。
自分の部屋にカギをかけこもっているのだろう姿を思えば、はらはらして怖くてたまらない。
うちに来たら、泊まればと私はいうけれど、彼女はこない。
「まあ、・・・慣れているから」という。
住んでいる場所で、どうしても今日明日でやらなければならないことがある、という。
それは必要な姿勢であって、こわいけれど尊敬にあたいすると思う・・・。
自己選択ぬきには、なにごとも決まらない。



2016年2月14日日曜日

生きるという心地


久しぶりの大降り。
風が雨をガラス戸に吹きつけ、小粒の真珠のような雨のあとに私は見とれる。
硝子・・・ガラス越しに向こうの景色が雪の朝のようだ。
公園の常緑樹・・・
道路のむこうの公団住宅は絵に描かれた雪道そっくりのよごれたホワイト、
空は微かなピンクと淡い紫を帯びてどこまでも灰色・・・、私の部屋の側では、
通りのメタセコイヤも庭の柿の木も落葉して、
しかし枝は風と雨がうれしいのだろう、たえずもくもく揺れている。

生きた心地がしないような気がする。
友人家族の長男の孤独死。それから。
おとといはご主人の自己破壊的なDVから逃げて来た古くからの友。

メールが真夜中ちかくに届く。
私が本当にお世話になった女の子(まあ私とくらべると女の子)から。
彼女の長男が中学に無事合格したというとってもよい知らせである。
おめでたい話のあとに続く、不可思議なメール。


(途中から)・・・・
《 ところで!
最近、私は、つぎこさんは魔女だかシャーマンだか、とにかくご本人が気付いていないだけで、
ものすごい力を持っているのではないかと妄想してるんですよ。
お薦めの「ソロモンの偽証」をブックオフで2巻まで買って、受験会場での待ち時間を過ごそうと
持ち歩いていました。すると受験日初日。こどもの隣のクラスの男の子が、不慮の事故で亡くなったという訃報が入ったのです。

緊急保護者会が開かれたり、バタバタしていて、私がその本を開いたのは、受験の最終日でした。

その時初めて、ソロモンの偽証が、少年の死を題材にしたストーリーだと気付いたのです。
本は、事件を目撃した少年が保健室にいるところでストップしたままです。

小説と違って、彼は仲良しな友だちもいたし (後略)・・・・》


ちがうちがう。
私はなにひとつ予知なんかしてないわよ。
この世に事件が、もうのっぴきならないほど多くなって、苦しい人であふれかえって、
どうにか無事に暮らせている人の足元まで、その影響が押し寄せてきている。
そう思って私なんか生きるという心地のつけようもわからないありさまです。


2016年2月12日金曜日

オリアナ・ファラーチ著 「戦争と月と」


新しい装丁の単行本を手にとり、昔からもっている文庫本と同じものかと思う。
文庫本のタイトルは「愛と死の戦場」。
女性記者による激戦地ヴェトナムのレポート1967年。

「私は人間を知るためにここに来ている。殺すか殺されるかという境遇にある人間が、何を考え、何を求めているのか知るために。私が信じていることを証明するためにここに来ている。
つまり、戦争は無益でばかげており、人類の愚行の中で最も野蛮なものであるという証明である。心臓を別の心臓に取り替える外科医が称賛される社会が、いかに偽善的であるかを説明するために、私はここに来ている。そして、健康な心臓を持った百万もの若者が、国旗のために、屠殺場の牛のように死にに行くことを承認している社会についても。物心ついた時から、私の心を痛めているのは、国家、祖国、というこの崇高な言葉の名において、殺し合うのは尊いことだと思わされていることである。そして、なぜ強盗が人を殺すのは罪であり、なぜ軍服を着ていれば人を殺すのが栄誉なのかを話してくれた人はいない。」



2016年2月11日木曜日

すごく小さい幸せ


なぜだかクシャミが何回もでて、おもしろいけどしまいにハナミズ、
机の上のティッシュペーパーを箱からピッと引っ張って、とる。
するとティッシュの方もめずらしく緊張状態で、ピリッと二枚いっぺんに飛び出した。
白い紙がかっこよく長三角になってスカッとした姿勢である。
なぜだろうと箱をのぞくと、カラになっていた。
キリッとフィニッシュ。オリンピックの選手みたい。
どんな工場のだれの手によって、あるいはよく出来た精密機械によって、
今日、このことが実現したのか。

こんな微細、極小の、小さな贈り物で、
たぶん一日はつながりもしているのだろう。
とっても追いかけきれない話だけれど。


2016年2月10日水曜日

ハインペルの歴史意識


阿部先生の本を読む。申し訳ないけど電車の中で。
文庫本だし、たいへんな内容のはずなのに、読みやすい。

「第一次世界大戦の敗北が伝えられたとき、ハインペルは17歳でした。彼は祖国の
敗戦に衝撃をうけたのですが、そのとき、ミュンヘンのオペラ座では『魔笛』が上演されていたのです。このことにもハインペルはたいへん強い印象をうけました。祖国が敗れたのにオペラ座では『魔笛』が上演され、立派な服を着た紳士淑女が観劇していたのです。ハインペルは共通の現在のなかに、さまざまな現在があることを感じとったのだと思います。」

「現在」というものの幅の厖大さに今どれほど私たちは悩んでいることだろう。
戦争は絶対にイヤだと確信して金曜日のデモに行く人。
テレビとメタボが当面の文化という人。
 ・・・考えても考えても、日本人はばらばら。
とまあ、電車の中で安易に読んでバチがあたったのかもしれない。
歯医者さんの受付で支払いをしようとしたら財布がない!

私はマラーホフ(世界的バレリーナ)のファンで、いやなことが起こると彼の本を読む。
天才だけど、やさしい人で、動物がすき。オウムのカーチヤのことなんかも。
そんな本を本棚からとって、財布をなくしたので読んでいたら、
おとなになった息子と多摩動物公園に行った時のことを思い出した。

途方にくれたような縞馬(シマウマ)、「現在とは空虚な空間なり」と言いたげな麒麟(きりん)、
わけもなくグウタラ親父化したライオンの王者なんかに、納得できない思いがしたあげく、
てくてく、へんな小道に迷い込んだら、そこに孔雀がいた、放し飼いである。
わわわっと健が悲鳴をあげる。ウラジーミル・マラーホフならすごく喜んだはずなのに。
ベンチがあったので、腰かけたら、
「立って、早く立って!せっかくだから記念写真を撮ろう、母さん」
孔雀が急に、いちおうという感じで絢爛たる羽をひろげたのである。

私が孔雀なんかとならびたくないのは当然として、
孔雀だって写真のつもりはなかったと広げた羽をしまいそうになっている。
すると息子は、突然どこぞのガイドみたいなものに変身、
「あのー、すいません、こっちのほうに立って、ここ、ここです。ヨロシクお願いしますっ」
カメラを手に。孔雀に。ケッコウ怖がってたのに。
孔雀に営業敬語で対応って奇抜。

あーあ、もういいや、財布のことはあきらめた。


2016年2月9日火曜日

ジャガイモたぬき


きのうカレーを急いでつくっていると、ジャガイモの一部が
人のよさそうなたぬきに見えるじゃないの。目がみっつ、鼻のアナが4個の点々、
口が曲がってついてるのんびり顔。
その皮をまるく切り抜いてとっておく。まー芸術家になったつもりで。
今朝みると泥の色したジャガイモの皮のシワが目立ってリアルなことである。

このあいだよもやま話をした日、
「あっ、あれなーに、タヌキが歩いてく、猫だと思ったらタヌキだあ!」
野田さんが小声で叫んだっけ。大声をだすとすっ飛んでにげちゃうから。
たぶんタヌキによく似たハクビシンなのだ。尻尾のながいジャコウネコ科の。
柵のむこうを東の巣にもどるところだった。


朝7時半。
よろよろしながら重たい≪燃えるゴミ≫を運ぶ。
金網のフタをあげてゴロンと落としたあと、大物すぎて脇の方へ寄せられない。
大量の紙ゴミのせいだ。
あんたはえらい!と私は帰り道、ついつい自分にいう。
こんな重たい袋を運んだのは、玄関わきの女中部屋(私の寝る部屋の名まえ)の
紙くずを破いて破いてやっと始末できたせい。
それまでは寝ようと思えば紙ゴミを踏んで歩く始末だった。

空は青く、洗濯物はきのう大量にしたから今日はなし。
これから電車に乗って桜上水の歯医者さんのところへ。
元気をだそう、元気をだそう 。
本を読むまい、風景と風をながめよう。
・・・集団自殺があろうと、安保法制のもと自公内閣が戦争に向けまっしぐらだろうと、
高校生のデモ参加届け出法案があっさり成立しようと、
気をとり直して、自分の図々しい無気力と厚顔無恥と知らん顔に抵抗するのだ。



2016年2月8日月曜日

事件のあとさき


唐木田駅付近で、車が炎上。2月7日午後6時すぎ。
私がみっちゃんと新宿にいたころだ。
警察と消防自動車が帰宅途中の17歳少年の通報で駆けつけた。
3人の焼死体見つかる。
唐木田3丁目ってここらへんのどこだろう。
唐木田は事件などなにも起きそうもない平凡な場所だと思っていた。
公園が幾つもあって、学校があって。一軒家も多い。
まがまがしさが足元まで、寄せては返す小波のようにやってきている・・・。
今日は気が疲れて、一日なんにもできなかった。

健の帰りがヘンに遅い。
聞いたら眠りこけて終点の橋本駅まで行っちゃったんだって。
日勤+夜勤、夜勤、夜勤、と続いてライブ。
それにしてもいいライブだった。心に温かい灯がともる。
その炎の色あいで、しばらくは人間らしく生きられる。

今夜の献立。
野菜カレー。
やまくらげのあわせ酢.
牛蒡の、なんというか・とにかくブッキラごぼう。
蒲鉾。
なんかもう疲れて原酒を氷で割って飲む。
それでぜんぶがおいしいということに。

2016年2月7日日曜日

北風が吹く日のライブ


密葬のあとでもう一度葬儀がおこなわれた。
そんなこともあるのか、Э家に行くと葬儀社の職員が迎えてくれて、
祭壇にお骨と、去年、今年の故人の写真が飾られてあった。
お香典が大変な数で、孤独死だったのにと不思議な気がする。

お焼香に訪れる、中学、高校の、それから家のある通りの近所の少年だった人、
「この家に毎日来てましたから」とすらっと言う人がいた。
あのころのツケを払って苦労してきたのだろう、どの顔色もさえない。
同期で死んだ人が最近4人もいて、そこに学くんが亡くなったという知らせだったと言って。
母親が働きづめでほとんど不在だったむかし、
この家は2階の学くんの部屋が、かっこうのたまり場になっていたのだ。

国領駅まで歩く。すごく寒い日。
電車に乗って、新宿で降りるはずが眠ってしまい、気がついたら九段下。
こまるこまる、引き返さなくちゃ!
みっちゃんと待ち合わせて、阿佐ヶ谷のライブハウスに行く約束なのに。
やっと約束のレストランのまえまで行くと、
「時間があったから買い物をしちゃって」と上等なハンドタオルを何枚も渡される。
いまやハンドタオル長者・・・こんなでいいのかなー、私ってもう。

阿佐ヶ谷でライブハウスをさがしさがし歩いていると、
「えっ、みっちゃん、みっちゃんの声がきこえるー」と礼美ちゃんが見つけてくれて助かる。
ライブハウスに入ると、みっちゃんはそこにいる誰か若い人とサッサと話しだす。
どうしてかというと、前に会って覚えているから。
私なんかあさっての方向をポカンと見てるのに。
丸山さんにも会えて心の暖まる夜だった。学くんの弟の顕くんもいたらよかったのに。
・・・でもすべての後始末と仕事と。
ひとしきりイロイロのことをしなくちゃならないのが今のところの彼の運命で。

今日のライブの主賓は中田さんという美人。もとアイドルだとか。
宮部みゆきの傑作「ソロモンの偽証」の主人公・藤野涼子がもし歌い手になったら、
こうもあろうかという・・・クレバーで程よくてすごく素敵な歌手である。
takeshiくんは中田さんの前に歌った。


2016年2月6日土曜日

ガゼルのダンスの写真展


昨夜は森さんの写真展の初日。
7時到着をめざして、甲州街道を車で走る。
お祝いに歌をうたおうと、健がギターとアンプを積み込んだ。
私はピューリッツア賞受賞全写真という重たい本を森さんにプレゼントするつもり。

森さんは今日も働いているから、7時じゃないとガゼルのダンス店に来られない。
彼は健がまえの職場でかくとくした?年上の親友ともいうべき人である。
金曜日なんて4人ぐらいしか集まらないんじゃないかという予想が外れて、
誰かしらが来てくれている。大きな花籠のお祝いも飾られていてうれしい。
さすがお人柄である。

よくこれだけ撮ったものだと思う。
森さんはどんな日も、路上で木の枝を払い、掃除し、草を刈り、
炎熱の夏も、凍る雪の日も、福島で原発が爆発したあとも、いつも誠心誠意働いている。
クルマで道路を走れば、作業着のそういう労働者に必ずでくわすが、
寡黙で、ひかえめで、やさしくて静かという、このどこか頑固な青年にあわなかったら、
いくら窓外の人々をこの眼で見たとしても、
作業着の内側の個々の人の考えや暮らしを考えることなど、できたはずがなかった。
はじめての個展だから、
そしてそういう森さんなのだから、
森さんがなにを語っているかということをひとまず置いて、
私たちの人生の時間をすこしばかり彼にわたし、彼がおぼれる手で掴んだ断片を見てみよう。
彼が1000枚撮った中から選んだ断片を。
なぜなら、ガゼルのダンスにいるのは友達ばかり。
友達が見ているということにこそ、
この浮世、このクソ日本の冷たさから私たちが離れて別れていく保証がある。
この森さんの多くの断片は、かすれた出発進行の声なのだ。

だけれども・・・今日はみんながへとへと。ばててしまって意気が上がらない。
負けが込んでるというか、そんな運命の日だ。
顔色が壁紙みたいに白くて。冗談を言ってもなんだかおかしくないし。
歯茎が膿んでるとか、過度に煙草を喫ったり・・・。
ああなんでだろう、なんだろう。二月はこんなに暗くてこんなに疲れるのだ。
長時間の無理な労働、職場で受ける軍隊型のいじめ。
契約期間が切れるたびに職を探す不安、面接で傷つけられる屈辱。

私はオランダにもどって行った娘のことを考える。昔のまんまで笑っていたなーと。
2007年度のユニセフの調査によれば、世界一子どもが幸福な国はオランダである。
私の娘はもう子どもじゃないけれど、もう大人で苦労して働いているのだが、
それでも子どもが幸せな国にいる遥は、独立と自尊心をまだしも保持しているのだ、
ここにいるアーティストたちよりずっと。
 
うちに帰ったら12時を過ぎていた。


今日は、わが団地のブロック委員が集められて、次期理事会の役職を決めた。
私は広報担当理事になった。植栽担当になりたかったんだけど希望者が多く、
立候補しても無理みたいだから、早々にあきらめる。
「広報をやります」と言ってしまう。あのねー。広報って書記と高齢者対策をかねるのよ!
昨夜3時に寝たせいか頭がふわふわしちゃってる。
前任者の関口さんはパソコンの先生だそうで、どうりでよくできた広報だったと思う。
むりにも教えていただいてですよ、わかりやすくて愉快な?広報を私だって作ろう。
緊張することも努力することも、いいに決まっているんだから、
ぐちゃぐちゃ言わずにセッセと新聞をつくりたい。

2016年2月5日金曜日

木守柿という冬の季語


木守り。木守柿。
冬の季語である。
来年もよく実がつくように。
小鳥たちの餌としてひとつは残しておこうという家の人の気持ち。

木守り(きまもり)という言葉は、幸魂の信仰による次の新生を祈り促す形をいう。

木守柿ってつまりは
何もかも地上に落ちてしまった柿の木の枝に、
ポツンとひとつばかり残っている、孤児みたいな風情の柿の実だ。
北風ひゅうひゅう。
時々そんな夕暮れなんかに電車の窓から冬を眺めて、寂しくも懐かしい。

孤独死の ゆめ語るらく 木守柿
学くんの 夢と思いたし 木守柿



昨日は朗読の会の日だったけれど、事情が重なり人数が少なくて流れた。
それで、朗読を中止してお茶会にする。
よもやま話を盛大に。主として老人介護のさまざまが話題。
50代後半ともなれば、父母、舅、姑、独居老人のお世話をする人ばかり。
考えてみれば、知らん顔を決め込む情が薄くてさむいような人は、いないんだ?
自分をふくめて人間というものを深く考えることが、朗読の大事さ面白さだから、
結果、迫りくる運命をはっしと迎えてすごす気持ちの優しい人が多いということになるのだろう。
生来いきいき、のびのび、それでいて理知的で、ちょうどよく抜けてるというか。
ーそういう3人。
私は若い時、この人たちみたいじゃなくて残念だった。

ええと。
気がつけばこのワタシは老女だ、ええと、だからもうすぐ介護される側になるの?!
「いやだ、私まもなく機能不全状態になって、今の話の人みたいにスグなっちゃうの?」
思いついて急にそう質問すると、みんなびっくり。
まさかニッコリ腰かけてる私が、介護される側に限りなく近くなっているなんて。
「えー? ああ? ああそうなんだー?!」
冗談じゃないわよー、どうしたらいいのかしら。
眼のまえの賢そうな3人に、対策ってないのかと聞くんだけど、こまって眼をしろくろ。
・・・・・。・・・・。
・・・・。

けっきょく、みんなが言うにはあなたはなんとか大丈夫だろうと。
そのわけは、毎日、掃除、洗濯、ご飯の支度をこまこまとやってる。
いろいろな人が周囲にいる。刺激もある。映画は見てるしいつも本を読んでる。
ブログも公開してるじゃないですか?庭に花なんか植えてるし。園芸はいいんですよ!
毎日おんなじことはしてないっ。それをやめなきゃいいんですよ。
こういう人は90才なってもご飯つくって食べさせてますよ。

ははは。そうだといいけど。どーかなー。それホントなのー。
笑ってる今が幸福だ。

2016年2月4日木曜日

訪問異聞、いぬねこ


デボラさんの家に行く。

想像していた通りの借家で、親日家のアメリカ人にふさわしい日本家屋が素敵である。
家具調度の重厚さ趣味のよさはもちろんだけど、犬と猫が物語り的。
犬は二匹いて、ふたり?とも病気である。一匹は玄関脇の部屋のベッドから出られないし、
クスリが体中に入ってるもう一匹は居間にオシッコしてしまい、
哀愁をおびた眼で、デボラさんが始末したあとを眺めて、憂鬱がはれないという表情だ。
彼それとも彼女?は、こわばった小さな体をそっと運んできて私のそばに横たわり、
椅子からすべり降りて床に座った私の片足に頭をのせて寝てしまった。
「うちの犬と猫、人がすきよ、人なつこーいよ」とデボラさんがいう。
そう言ってるところに、騒ぎをききつけたのだろう、
大きな入江たか子みたいな古典的な猫が部屋にするするするっと入ってきて、
私の膝に重い手を掛け、くんくんとしきりに私のにおいを嗅ぐのである、?!
「この猫、自分のこと犬と思ってるから。だからワタシ犬だからと思ってにおい嗅ぐよ 」
デボラさんが私のためにテーブルを整えながら、
たしか「イスズーッ」とか英語でどなって、あれやっちゃだめ、これやっちゃだめ
と英語で注意すると、なんとも毛並みのよい堂々たるイスズは、
あっちの方のソファの背もたれに飛びのり、美貌切れ長の眼で不満顔だ。
「仔猫のとき、オカアサンが死んだから、これは犬が育てましたから、
じぶんは犬だと思ってますから、犬とおなじことするんですよ。わかりますかぁ?」
デボラさんはよく、話の終わりに「わかりますかぁ」をつける。
難解な話じゃなくて、わかりきった話に「わかりますかあ」というのだ。

はい、わかります。
私はごきげんだ。
炭酸水を飲んで、皮つき林檎を食べる。
チーズとなにかを食べて、ああこれはチーズにあうと食べて、話、話。はなすのが楽しい。
出てくる食べ物が気に入る。
コーヒーが、大ぶりのまこと手のひらによく馴染む昔の日本陶器に入れて出される。
犬と猫になつかれる歓迎とは、なんとも豪華版じゃないですかね、ね。
わっかりますぅ?!



2016年2月3日水曜日

今日の献立


健が夜勤なので、5時に夕食を食べてしまう。
彼はそれから11時まで眠って、出かけて行く。
外仕事。すごく寒そう。

ウナギのひつまぶし。鰻を食べるなんて贅沢だけど、
歯医者さんに行った帰り、安いから下高井戸の市場で一枚買い、
それを細かくしてそおっとフライパンで熱くして
ご飯にまぶすのである。
上からタレと山椒を一人前ぶっかける。
最初「ひつまぶし」を 、ひまつぶしと読んでしまい、
ひまつぶしってなんなの?とデパートの地下食品売り場で質問してしまい、
思い出すと自分のバカさ加減にそのたびくすくす笑っちゃう。

きんぴらごぼう。もちろん、人参と牛蒡の。それを胡麻油でよくいため、
出汁と醤油と酒、味醂なんかで煮て、ゴマをたっぷりかける。
5時にまにあうか、おお慌てで買いたての牛蒡と人参を切って灰汁をとって、肩がこる。

キャベツと胡瓜と生姜とシソの塩もみ。だし汁を少し。ポン酢を加える。
健が小皿にできるだけ少なく、一口ぶんだけ取って食べる。そんなのってありか。
どんぶり一杯つくった私としてはカッとしてるんだわよ、黙ってるけど。

なめこ汁。ふつうの味噌を二種類あわせる。今日はうまくできた。
私がつくるなめこ汁は、いつもはなんとなくまずい。


「不思議な国のアリス」を読む。
最近、神の手に助けられているかのように、読みたい本を手にする。
驚くべきはちくま文庫の「自分のなかに歴史を読む」阿部謹也著だ。
さんざん迷ったあげくめくらめっぽう買った本の書き出しが、上原専禄先生について!
父が敬愛してやまなかった方である。
「わたくしは巷(ちまた)の本読みにすぎませんから」
上原先生の断固たる謙遜について、
父は子どもの私に、なんど笑って語りきかせたことだろう。
以来、ちまたのほんよみ、という言葉は少女期の私にとって、
本格的に学問を修めた老学者の不思議な桃源郷というイメージとなる。
図書館でふとわきを見ると、台の上にオリアナ・ファラーチの新刊本が乗ってる。
イタリア人ジャーナリストのファラ—チの本がここにあるなんて。
遥が日本に帰ってくる直前、蔦屋でぶらぶらして何の気なしに買った本が、
「ぼくには数字が風景に見える」講談社。
読み終わったので遥にわたすと、乗り気じゃなかったのにたちまち読んでしまった。

「不思議な国のアリス」だけど、こんなにおもしろいなんて知らなかった。
読みながらころころ笑ってしまってびっくり。なんで小さい時はつまらなかったんだろう?
うちに少年文庫があるのに、図書館で本棚にあったのを借りて読んだ。
翻訳が素晴らしく、名高い挿し絵も今更ながらすばらしい。




2016年2月2日火曜日

ブログ再開・謹賀新年


2015年11月、私はもうムリヤリに断捨離というべき、書類整理をはじめた。
断行、捨行、離行はヨガのことばだそうで、紙くずを45リットルの袋に入れて14袋
捨てたんだけれども、ほかにゴミらしいゴミも随分捨てたけれども、

断行は過去の自分の歴史を断つ、
捨行はこうあるはずだったという自分の未練を捨てる、
離行は去る人から自分も離れる 、
そんな決心をいうのかしらと、時々考えたりもした。

11月にはじめた片付けが終わったのが12月5日。
12月6日が小集会だった。

ご飯と盛大な一品持ち寄り。日本の行方を考えるミーテイングのための。
司会を桃塚怪鳥という変人奇人の貴人にお願いしたので、
そして集まってくれた人がみな個性的かつ悠々とした人ばかりだったので、
討論が実にテーマに沿っていきいきと行われた。
怪鳥さんの愉しく見事な司会がすごくって、私なんかはもうとてもかなわないのだ。
エリナ―・ファージョンの物語のオルガンひきのように、
「ああ引退する時がきたな」と言って、森の中に消えて行くのがよさそう、と思う。
・・・そうして、断捨離敢行の直後だったせいなのだろう、
小集会の終了後ふいに、あゝ自分は懐かしい父の理想を追って生きてきたのだと知る。
息子がふたりとも参加してくれたので、父から私、私から父の孫にまで、
思想のリレーをとにかくやりとげたのだという、感慨が胸をよぎったのである。

断捨離、小集会。
2015年は幸せのうちに過ぎたけれど、くたびれ果てて本を読むだけの年末。

元日に長男一家が来た。
おだやかな一日。

1月。遥がオランダから帰国。3週間いっしょに暮らすことができた。


Эさんは私の恩人だけれど、Эさんの長男が一月のなかば過ぎに亡くなった。
自宅での孤独死。50才になっていたのかいなかったのか。
彼がグレ始めた中学のころの姿が目に浮かぶ。
どこか気弱な笑顔が私の記憶に張り付いている。
髪型はリーゼントで、なんでそんなと言ったら、これでいいんだと、
金ぴか紫色の櫛を取り出して髪を梳いた。
30年以上も前、うちに遊びに来てくれた時のことである。
遊びに来てよと言ったら本当に来たので、ちょっとこわかったっけ。
少年だった彼のうえに歳月がふりつもり、亡くなる半年前に電話で偶然の長話をした。
おばさん、なんて言って昔のまんまで、
原発の作業員なら雇ってもらえるかもしれない、申し込んで通知を待っているんだと言った。

せつない、という言葉はすきじゃないけど、
せつないというほかに、なんと言えばいいのか本当にわからない。
Эさんのご家族のことを思いながら1月が終わった。