2016年6月9日木曜日

パラパラ、考える


くたびれちゃってソファーに寄りかかって、ばくぜんと前をながめると、
あーら不思議だ、わたしの親たちが散らばっている、空間に。
そんなことはおかしい。つまりは、むかしのひとがいうお迎えがきたのかしら。

なんでまあ、こんなにおかしなほどつかれたのかと考えると、
団地理事会の当番理事になったのがいけない。
文字どおりの重荷。

こういう当番は老人の脳の活性化につながる。生命力の後退をふせぐ。
でも、それはそうでも、会社に入ったみたいでハラハラしどうし。
なにもかも放り出したくなって、放り出すと借りがふえるのである。

新聞をみると舛添氏がひきつった顔で謝っている。
この人物がどれほど利己的で、物欲の亡者で、軽薄な人かを、
自民党も公明党もすごくよく知っていたろうに公認し、宇都宮弁護士の代わりとした。

彼らは似たモノ同士で、おたがいに嫌いあっているのに利用し合う。
だから、捨てる時もおそろしく残酷である。なんて残酷なんだろう?!
こんな絶望的な政治状況にした「責任」はとらないわけよね、自民公明両党は。

親分がいるんだろうなー、この地球には。
不正選挙をしてまで人類をこんなふうに導きたい人が。
いま不正選挙がもっぱらのウワサになっていて、ウワサ対策を始めているんだとか。

宇津宮健児さんを都知事に選んでいたらどうだったか。
地味な人だったけれど、こんなザマにはならなかったろうに。
弁護士なんだし、日本国家の三権分立を彼ならば守ろうと奮闘したと想像する。
貧者の味方だし。

日々のくらしがどんなに息苦しくても、一陣の風が吹くときをつくりたい。
希望がみえるような理屈をさがし、のびのびした想像力を育てよう。
幸福というものがよくわかる本でも読んで。

アストリッド・リンドグレーンの「おやゆびこぞうニールス・カールソン」がすきである。
どうしてかって、ふたりの貧しい坊やが、つるつるっと、
幸せになる、そこがいい。



2016年6月5日日曜日

変化とは


生きているのは愉快だから、という雰囲気で人間をやっていたい。
だけど、ひきょうはいやだ、勇気がほしい。

勇気は、陽気な勇気がいいな。
こわくなくて、すぐ伝染しそうな勇気がいい。

陽気な勇気。 うれしい勇気。いっしょに笑っちゃうような。
なければさがそう。

だってそういうのってあったじゃない。
見たことも読んだこともあったじゃない。

子どもの時も、おとなになってからだって
ときどき、ふっとそういう人をみて すごくよろこんだ。

忘れたのか、あきらめたのか、
でもたしかに、どこかであったことだし、いた人なのよ。

記憶のなかにはちゃんとそれがあって、そういう子も、いたなと思う。
もうね、そういうおばーさんにならないと、あんたはだめだなーと思うのよ。




2016年6月4日土曜日

3日の夜に。


息子が綺麗な銀の指輪をふたつプレゼントしてくれた。
もう一人の息子が、みっちゃんの家の息子だけれど、花束をプレゼントしてくれた。

シルバーの環はクスリ指と人さし指に入り、
花束のミントの葉が青い花のよこで薫る。

それからというもの、お掃除をするたび食器を洗うたび、
魔法みたいにそばに置いたはずの指輪が消えるので、
生きた心地がしないのがスリルである。

西洋薄荷の大きな葉の香りは、もうおどろくほどで。
私の庭にもミントはあるけど、この花束の葉は3倍もあって緑がきれい。
カードには、母をよろしくお願いしますと書いてあった・・・

みっちゃんの息子って不思議だねと感心してうちの息子が言う。
目をみるとなにを考えているのか外から全くわからないけど深い。

そうよねー、あんたの眼ときたらニヤッとおかしそうか、
きいてません眠ってます、みたいなね、しつれいな目玉だからねー。


行方不明の子どもが見つかったというニュース。
よかったとみんなが思う。たぶん日本中がホッと安心。
どことなくなんとなく、あの子の親に集まってしまった罪の重さに気が晴れぬ。
一億総見張り。記者会見して謝罪・・・・。

考えも思いつきもバラバラだった戦後すぐのほうがよかったなー、私。




2016年6月3日金曜日

6月3日なんとなく


ここ数年、毎年のように一年損をして生きた。
年齢をひとつ多くカン違いして生きる。
去年も73才だと思ってくらしたけれど、きのう手帳で調べると72才のはずだった。
なんできのうそれを調べたかとというと、6月2日なのに3日だと思いこんだから。
こういうのを生き急いでいるというのかしら。

どうもそんな感じではない。
思い出すと、去年だって今年だって、ホットケーキが膨らんだみたいなくらしだった。

今朝は誕生日で、こんどこそ73才になったと考えて、目をさました。
手元にある本を読む。まだ5時にならないので。
とても好きな本。一冊はL・デュランの「ダディ―」。
もう一冊は「病気をよせつけない生き方」 安倍徹・ひろさちや。
読むと安心する。のんびりできるぐらいの元気をもらう。
片方は知性肯定の冒険小説。片方は仏教と医学による医薬否定。
何度読み返しても共感するしおもしろい。

起きて紅茶を飲もうとお湯を沸かす。
やめてあれこれあれこれ、やる。庭に水をまいたり。
洗濯だとか、朝食の支度だとか、新聞のコラムの切り抜きも一か月分。
なにしろまだ早朝・・・。
それから「長 新太 の脳内地図」という本をぱらぱら。
調布の図書館の本で、返しそびれている。
この本、なんとか買いたいな。

そのあいだじゅう、広報と議事録と高齢化対策委員会の、
私なりの有言不実行にくよくよし、助けてくださっている人の顔を思いうかべ、
初夏なのに冷え込むなーと、自分としてはふけーきな気持ちである。
この仕事(ただの当番)を与えられなかったら、変化もなくてと空想。

晴れていて、太陽がかがやく、きれいな日。
そうよねえ。 風にゆっくりやわらかく合わせて、無心に一日を送れたら、
いかにも老女にふさわしい幸福の実現なんじゃないの。