2018年4月7日土曜日

電車の中で。


京王線は空いていた。お昼ごろだ。
がらがらの電車に親子がのってきて、どしんとお母さんが腰かける。
ふつうの人なら遠慮するべき席だ。
中学生の息子はだぶだぶの上着、だぶだぶのズボン、
制服にリュック、入り口に立ったままでいる。
空気を揺らさないように、むなしい努力をしている、
自分を透明にしたいのだ。
どうせ。
彼は次の成り行きを承知している。
母親がどうでるかぜんぶわかっているのだ。
案の定、お母さんが息子の名前を呼んだ。
何回も呼ぶ・・・声が大きくなっていく。
座席のシートをパンとたたく。
息子は母親の思い通りになるのである。
皮膚のあれ寂びた、すべてを受け入れているおとなしい顔。
お母さんはずっとバッグから取り出した書類を点検している。
いらいら、いらいらと非難でいっぱいになって。
彼の身長は142センチなのか147センチなのか、151センチなのか、
柔らかい心がなんでもないことに混乱する。
バカッ、という母親の彼に対する絶望 と断定がみえる。
・・・ああ、バカはどっちだ。
書類は学校に提出するもので、
体重、身長、住所、電話番号を彼女は息子に尋問する。
本人が書きこみ、これから提出するものだろうに、
息子の手には絶対、書類は渡らない。
返してと、彼が柔らかい辺りをはばかる低い声で頼んでも、
声高に非難でいっぱいになった尋問をこの母親はやめない。
バッグに書類を得意満面ピシャリとまたかたづけてしまうのである。
電車が調布駅に着くと、彼女はカツカツカツと足音も高く、
ドアに向かい、苦笑いしながら、降りていき、

あとから息子がおとなしく付いてくることを疑いもしなかった。





2018年4月5日木曜日

パーティ


とりあえず撮影が終わったので、打ち上げの会をすると電話があり、
ご参加くださいといわれて、オウムがえしに「はい」と言ってしまった。
電話を切ってから後悔、パーティ・・・行きたくない。

「あの日のオルガンー疎開保育園物語」
というタイトルになった私の36年も前の著作の映画化、
突然、幼稚園の園長にと言われた時もおそろしかったが、
むりにもがんばってこらえたけれど、
どんな時も、
新しい分野での門戸開放に応えれば、孤立して苦しいことが多い。

映画、だなんて。
年をとってから急に実現した新開地。
ミラクル。

原作者という立場は映画というチームワークの埒外にいる。
 プロデューサーがふたり、寛容な方々だったので、
だんだんに落ち着いたけれど、
なんてまあ、無理で、ド派手な成り行き。
だれだってビックリする、誰だってついていけない、
 臆病なのはおまえだけじゃない、
そう自分に言い聞かせて、今までなんとかきたが、
なんだって・・・クランク・アップのパーティかあ、と。


2018年4月4日水曜日

やなせたかしさんの歌


アンパンマンの主題歌は傑作、人間賛歌だと思って胸がいっぱい。
歌なのに聞いたことがなく、文字を目と心で追いかけるだけなのだが。
やなせさんの作品群には、こういう、
黙っているといつまでもいつまでも、追いかけてくる詩が、ある。

しあわせよ
あんまり早くくるな
しあわせよ
いそがずに
カタツムリにのって
ひるねしながら
やってこい

しあわせがきらいなわけじゃないよ
しあわせにあいたいが
いまはまだまだ
つめたい風の中にいよう
熱い涙を
こらえていよう

しあわせよ
あんまり早くくるな
しあわせよ
いそがずに
カタツムリにのって
ひるねしながら
やってこい

やなせさんは、どんなことを考えたのだろう?
兵隊になって? そのあとの人生を生きて?
ながいこと、幸せの到来をすごい勢いで掴まえた人々のただ中にいて? 
漫画家なのに、なかなかそう思われなくて?

幸せは、じかに手にすれば、制御不可能。
そういうことを時々考えてしまう。

おおむかしの一時期、宮崎 駿氏のかたわらで半年間、仕事をした。
宮崎さんはチャーミングでなぜかユーモラス、
鋭くて正確、論理的でありながら公平、愉快な愉快な人だった。
どんな時も好意を持って、べつにファンでもないのに大好きだった。
この形容詞の大群?の中で、何が一番だろうかな。
ユーモラス、かしら。
ユーモラスとは、人間、を語源とするそうだけれど、そんな感じ。
もう本当に、笑い=おかしい=宮崎さん、みたいだった。
やっぱり漫画の畑の人は、こんな風に伝染の素みたいな笑い方をするのかと、
彼が、なんていうと失礼にあたるのかもしれないが、
彼がなにかを言って笑い出すと私は我が意を得たりみたいになるのだった、
別にそう伝えたことはなかったんだけれど。

あのころだって宮崎さんは、すでにしてたいした人だった。
でも、 「となりのトトロ」のあたりだから、立場というものも、台風ぐらい。
やなせさんの詩にもどれば、いかにも素朴でしあわせな。
一番は一番でも、世界を相手にミシミシ音をたてる
巨大きわまりないシン・ゴジラというふうな存在ではまだなかった。

特別という境遇は、どんなに難しい立場かしら。
平凡な普通サイズの私の立場から見れば、
やなせさんも並外れた巨人だから、と考えてみる
しあわせにむかって、こう頼むほど過剰な幸せのことを。


カタツムリにのって 
ひるねしながら やってこい




2018年4月3日火曜日

鶴三会の一日


お花見はいいものだ。
午前中の買いだしが案外にうまくいって、桜の下にまるく並んだものは、
量も質もちょうど良く落ち着いて、長いおつきあいならではという感じ。
ワインも紅く香りよく、日本酒も少しづつたくさん、つまり程よく選ばれた四合瓶
が数本、果汁もビールもふんだんに用意され、乾きもの、甘味、カットした果物、
・・・スイカやパイナップル、グレープフルーツ、イチゴの寄せ集め。
少なめに買い整えた、巻きずし、稲荷寿司。
サラダをやめてあっさりとキャベツ・キュウリの浅漬け 、
焼き鳥と、思いつきでブリやカレイやサバの煮つけを買ったのが、
けっこういい味、丁度よく無くなってよかった。

老人の会も、今となれば、知恵と落ち着きを備えた気持ちの良いものと思う。

鶴三会は、俳句の会を中にして一年をすごす成り行きで、比較的仲間うちの
表現も自由であってのびのび、 会話にほとんど気兼ねを感じない。
二重に敷いたシートに座って、話に興じて、さまざまな話の同時進行。
おおもしろがって笑う声。
花曇りの空をうかがい、桜の花びらが少し舞い散る公園を、ときどき私はながめる。
私たちみんなの心を映すように、桜は大枝をゆったりと芝土に向けて伸ばし、
葉桜を少しも見せまいと今もしているようだけれど、
どんなに咲いても満開を誇る日々は、すでに終わっているにちがいない。
灰色の空のあたたかさ。やさしさ。
淡さをまして凝固し、散るばかりの最後の緊張が、どの大木のどの桜花満開からも
伝わるようだった。

あゝ、私たちのいのちのようだ。

こういう心持ちをなんというべきか、
年を取って、わびしくも私の語彙は少なくなるばかり、
なんだろう、
寂寞 じゃくまくとでもいうのだろうか。
何げなく、あたたかい春の一日ではあるのだけれど。



2018年4月2日月曜日

おそいお花見


はらはらはらはら、お花見の日がやっときた。
突然あったかくなって、息苦しいほどソメイヨシノがあっちでもこっちでも、
咲いて咲いて、なんでこうなるのか、朝晩は底冷えの冷たさなのに。
3月の総会の日に、前倒しでお花見するかと相談もしたけれど、予定はなぜか変わらず。
葉桜と、桜吹雪と・・・、でもなんとか桜の木の下で集まれそう。
鶴三会としては、やっぱりおめでたい。


2018年4月1日日曜日

3月のおしまいの日


春が好きなのに苦手。
日常のことならなんとかできるけれど、
仕事に類することはなんとしてもできない。
とうとう昨日は、3月の31日で、書類の山を床にばらまいて
途方に暮れて半日がすぎた。
あーあとぐったり、ヒデコちゃんに電話をかける・・・。
ヒデコちゃんは私のひとつ年上の義妹、
別れた夫の妹で、ご縁が切れることになってしまった亡き姑に似て、
どんな人の苦境やさびしさにも、
春の訪れのようにうらうらと応えてくれる
めずらしいような性質のもちぬしなのだった。

夫と別れる決心をして、
それを姑に話す。
断崖からとびおりる、ということとは違うけれど、
でも、ヒデコちゃんに電話でおねがいした。
お義母さんにつぎこがお話があるけれど、
ヒデコ付きがいいか、つぎこだけがいいか、きいてもらえない?
・・・ヒデコ付きがいいと・・母が言っていると、
まもなく電話で知らせてくれた。
遠慮がちな暖かい声だった。
敬語と気持ちのいい低音の。

そんなことをいつも思い出すけれど、
今日は驚いたことに、いつになく元気な声が
「主人から知らせがあったの?」
電話の向こうでヒデコちゃんがヘンなことを言う。
「わたし、入院してるのよ、病院にいるの!」
ヒデコちゃんはもうずーっと病気で、
こちらからうかがうのも迷惑だろうかと気兼ねしてしまい、
もう何年も何年もあえずにいた。
電話で話すたび今度こそ会いに行くから、と私は言うけど 、
そんな時はこない、くるわけがないのである。

でも、今日は入院している!

病院にいるの?
じゃあ、今から行く。これからすぐ家をでる。
よかったあ、なんの約束もない日なのよ。

病院の住所をおしえて。
電話番号も教えて。
病室の番号を教えて。
お見舞いになにがほしいか教えて。
戸塚ね、とつかって、どこらへんだったっけ? 
「なんにもいらないのよ、それが」
ゆっくり、ヒデコちゃんはそういうのだった。
「急に血糖値が500になってさ、入院させられちゃったの」
血糖値? 糖尿病なの?
糖尿病であなたが入院するの?
えー、なんで、おかしいじゃない?
・・・糖尿病ならば、私がずーっと先輩なのに。

病院に5時半ごろ到着。
やっとあえて、ずーっとおしゃべり。
よかった、会えちゃった、とそればっかり。