2018年6月25日月曜日

温泉場の一日


温泉場にふつうの日に行った。
くたびれちゃったからだし、息子が休みの日だった。
ほとんど人がいない。
受付で手続きをしたら、このごろ来ないねと話してました、と言われたとか。
はははと笑ってしまった。
いつもグリーンの毛布をもって入館し、私と息子は一日中、大広間のどっかで、ご飯だとかウドンだとか、地場野菜のいろいろを食べては、持ってきた本を読む、お風呂に入って、眠くなると寝てしまう、それからまた本を読んで、それぞれ勝手に食べて・・・を繰り返す。夜おそくまでいる。
存在としては地味だと思うけれど、なにしろワンパターンだし、バカのひとつ覚えみたいに春も夏も秋も、1時間40分ぐらいかけてなんとなく通うから、受付の人だって覚えてしまうだろう。ほら、あの毛布もってくる人、とか。

すごく空いている日だったが、うるさい日で、大広間のこっちの隅から、あっちの隅に
引っ越したりした。大声で会話する3人組がうしろにいて、1人がえらそうに指図している、その指図の内容がまったくほんと気に入らない、・・・こういうのは困る。
それから小さい子どもが、たびたび金切り声をあげる。自分の子どもだったら外に連れ出して、ほかの人たちに悪いと、どんなに小さくても説教する。外に連れ出すのは子どもの面目をつぶしてはいけないからである。

温泉に入ろうかと思う。のんびりしに来たので。
息子は本を読んでいる。しばらくして戻ったら、ボーゼンとした表情だ。
どうしたのかきいたら、壮絶な親子喧嘩があったという、
ものすごい怒鳴り合いで。初めおばあさんが息子を怒鳴りつけ、息子も暴力団みたいに怒鳴り返し、それから外に飛び出していき、そのあとお嫁さんもけっこう大声でハッキリ、おばあさんにこういう事はやめろと、それでまた、、。
受付の人も厨房のおばさんたちも、みんな、強烈、壮絶な怒鳴り合いにただ呆然とするばっかりだったとか。
最初にキレたのはおばあさんで、聞いたこともないほどの罵り声だったそう。
なんて言ったのと聞くと、この穀つぶし、厄介者、出来損ない、もっと凄かったけどよく思い出せない、凄すぎてあんまりで。
「この穀つぶし? ずいぶんクラシックな人だね。民話みたいじゃない?」
それでも、そのおばあさんは私なんかよりずっと、ずっと若かったそうだった。
見たかったなあと思うけれど、見ないですんでよかった。
なんだか、不愉快をもらって、のんびりした一日がやっぱり壊れたろうと 。

みんないなくなって、夕方がきて、そして夜になった。




2018年6月20日水曜日

仕事が一段落


なにがあろうと、ブログを続けて文章の鍛錬をと思っていたのに、病気になったり仕事の〆切をまもれそうもなかったり。やっと「君たちは忘れない」復刻版の作業が終わり、前書きと後書きを編集者に渡してしまったので、このページにもどれる。前書きも後書きもすらすらとは書けず、考えてはウロウロするうちに、自分は文章の書き方に気をとられているけれど、ほんとうは新しくご縁ができた人々をどう考えたり思ったりするのか、それが書ければいいのではないか、と思うようになった。

大阪の地震がすごく心配。大学時代のクラスメートがいる・・・。
彼はずっと、私にとってはだいじな友だちのひとりで、ふるさとは遠きにありて思ふものとでもいうような。私たちは一年に一回、数人で再会しては、むかしのままの変わらぬ風情をそのままだと確認して、分かれていく。各自同窓の枠組みの外で、自分なりに努力して生きたにもかかわらず。今日だけはと素朴に昔にかえり、束の間の平安を得て。

震災の土地にいるなんて。・・・無事だろうか?