My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2012年5月18日金曜日
母の日・今年・
アマゾンから宅急便が。
なんのことかと開いたら、ダンボールの中央に銀色がかったブルーの布袋。
紺色のリボンに可愛い白いカードが結んである。
ロマンティック。
「お母さん
物騒だけど、母の日の贈り物です。
みんなで使ってみてね。」
オランダの長女からだった。ぶっそうってなんなのと思ったら、
・・・放射能測定器RD1706・・・。そういう日本。
いつも、すてきできれいなものを選んでは送ってくれる娘だけど、
考えて、今年はこういうものを買ったのだろう。
なんてことだろう。
5月11日は青山5丁目のCayへ。
これは別なイミでちょっとコワい気がした二男の「母の日」プレゼント。
レゲエ・ミュージックの王様、ランキンタクシーのライブに一緒に行く!
前からきいてた話がスゴイ、タイトルもド派手。
「実の娘をナンパ!! 10周年記念ライブ!!」
いくら原発反対大集会のとき、一番気に入ったからといっても、
どんなものかよくわからない、渋谷から歩きながらなんとなくこわくって。
でも、あんなに楽しかったコンサートもなかった。
幸福。愉快。大騒ぎ。洒落てる。大人だ、ランキンタクシーともなると!
もう、のびのび。スカッと元気がでた。
それから別の日、「母の日」がすむと、
ことし幼稚園を卒園した子どものハハたちが訪ねてきてくれた。
懐かしい顔ばかりが6人。なんでこんなに懐かしいのかしら。
苦しんでいたからか、親切だったからか、ウソがなく正直な人だったからか、
よかったなあ私はやっぱり働いて。
元気で、泣いたり笑ったり怒ったり、少しおとなになったけどみんな今もいそがしい。
思い出すとおかしいようだが、私はこの6人全員と「個人面談」をしていたのだ!
あのころは、それが、役に立ったり立たなかったり・・・・。
それでも幼稚園のなかで私の職責を介して、個人的に話しあうことができたのは、
なんてよかったんだろう。
「きまり」っていうのは、安心できる人間関係をつくるためにある。
ずっと前から、今日という日はプレゼントされていたのだと思った。
すごく、うれしい日だった。
2012年5月15日火曜日
「母の日」
「母の日」に、なんのひっかかりもないのが長男で。
自分の不始末の帳尻合わせに、4才の子をよこして、自分は夜中の一時に来る。
母親は前からの用事でこられないから、この子は初めてひとりで来たのである。
いい子でいようといっしょうけんめい。
でも、元気で健康、ふざけちゃって笑いだして、少しもじっとしていられない。
ところが、リンドグレーンの絵本≪赤い目のドラゴン≫を読んでやると、
はるか夕陽のかなたにちいさなドラゴンが去っていってしまうという物語を、
虫歯がいたむというような、哀愁の街に霧がふるのだというような、
なんとも沈痛、哀れがわかる顔をして、チーンときいているのである。
朝の六時には、おそくもどったオトウサンを起こさず、階段にこしかけてガサゴソ、
比較的だけど、静かに静かに、ひとりであそんで待っている。
音が気になってオトウサンの弟が部屋のドアをあけると、まだ4才はもうびっくり仰天、
おどろいた顔で、背中をぴーんとまっすぐにして立ちあがってしまい、
それから外へと、うれしくて飛んで出て行くのである、オトウサンの弟とふたりで。
しばらくもどってこないから、やれやれと思っていたら、公園から傷だらけになって
帰ってきた。泣かなかったとしきりに言うけど、小山の斜面から全速力で駆けおりて、
とめるまもなくひっくり返ってころがり落ちたのだ。
でも、こどもは絆創膏がだいすき、ひとしきりあっちやこっちの擦り傷をたのしむ。
長男が起きてくると、椅子にのぼりまるっこい腕をオトウサンの首にまきつけ、
くねくねごろごろ。冗談にキャーッと何回でも笑って、おおさわぎだ。
裏の小山に今度は父親がダンボールをもって連れていったけど、アッというまに
気の毒なぐらい早く、もどってきた。
「オトウサン、おなかがいたくなったんだって」
二日酔いかしら。
長男は、朝から晩まで、晩から朝まで働きどうしという商売、タイヘンなのだろう、
外気のなかで遊んでやろうとしたら、モロモロっと気分が悪くなって、
吸血鬼じゃあるまいし、
「太陽がいけなかったみたいだ」
とかいってうちの床にノビてしまった。
どんなにふざけたオヤジか全国公開しろとオトウサンの弟はいうけれど、
まー、しょーがないわよねー。疲れてるんだろうし。
2012年5月14日月曜日
「町かどのジム」ー陽だまり門で
ジムは町かどのポストのそばにいる。
ミカン箱にすわって。朝も晩も、夏も冬も、いつだって。
そして走ってジムのそばに行くデリーに、かわいい滑稽なホラ話をきかせるのである。
「町かどのジム」 松岡享子訳 童話館出版
このお話が好きなのは、不幸な人がひとりも出てこないからかしら。
幼稚園で働いていたころ、
私の朝は職員会議のすぐあと、門のところで子ども達を待っていることだった。
まあ、陽だまり門の私、というところかな。
私はそれこそ、夏も冬も、門のところで子どもとお母さんを待って、
ホラ話というわけにはいかなかったけど、一日でいちばんおもしろい時間をすごした。
陽だまり門は石畳の坂の途中にあり、前は小学校の校庭だった。
目の前にプラタナスみたいな木があって、秋もすぎると黄色や茶色の葉っぱが落ちる。
学校の金網のむこうの潅木やいろいろな木も、そのときどきに小さい花を咲かせたり、
葉っぱなんかも自然のつごうで、深紅に色を変えたりした。
私はたいくつすると、きれいな葉っぱや花をつんで空にかざして見たりした。
空には、白い雲が陽気に輝く日もあり、飛行機がすぐ近くを通るときもあった。
ただもう真っ青で、ワスレナグサのようだという空もあった。
雨の日、傘をくるくるまわすと雨の粒がばらばらと飛んではねる。
門の前に行くのが早すぎると、こどもたちがなかなか来ない。
こまってしまう。
陽だまり門は外なので、考えごとってしにくいものなのだ。
石がすごく好きな坊やがいて、ふたごの一人なんだけど、
朝、陽だまり門にやって来ると、だいじそうに小石を私にくれる。
好意がうれしくて、うわあ、ありがとう、だいじにするわね、と私は言った。
どうやってだいじにするのと職員室まできたので、赤い筆箱を見せる。
ここにしまっておく、この赤い色いいでしょ、筆箱よ、あなたもおぼえててね?
「ずーっと? ずーっとそこにしまっておくの?」
そう、ずっとよ。この石、私のお守りにするからね。
「いっしょう?」
一生というわけにはいかないかもしれない、一生はながいもん。
でもここに入れておく。なくさない。
「これはすごくいい石なんだよ、せんせい。だいじにしまってよ」
うん、だいじにしまった、ほら、ここよ。
「ちがうよ、名まえ書くんだよ。」
名まえ、あなたの名まえ?
「ちがうよ、つぎこっていうんでしょ、せんせいの名まえ書かなきゃだめじゃないか」
三日間に小石は三つ、そのたび亜子、tsugiko、つぎこと書いたけど、
四日目に四つ目をくれようとするし、とまりそうもないから、
これ筆箱で石箱じゃないんだから、私、石はもういらないと言うと、
ほそくて白い首をがっくりうなだれて、
「じゃあ、じゃあ、なんだったらせんせいはいいの?」
しおれた細い身体と声があんまり親切でいっぱいなので、
いろいろ、いろいろ考える。
この子はおじいちゃんとおばあちゃんにすごく可愛がってもらっているのだろう、
家族もどこかうっかりほわんと、子どもにとって自然な家族なのだ、
そうでもなければ、こんなかわいい声の男の子にはならないものだ。
やせっぽちで、身体が弱そうだけど、
このめったにないような親切と愛情深さで、
ちゃんと世渡りができてしまうにちがいない。
くるしいことも悲しいことも、ニンゲンだからあるだろうけれど、
おそらくきっと大丈夫なのだ。
まだ四才なのに、今からもう、おまもりみたいなヒトなんだし。
五日ぐらいして、小石のかわりに道端でつんだらしいお花をくれた。
お花がいいな、と言ったので。
どんなにがんばっても、その花束は枯れる、ざんねんでも・・・。
「町かどのジム」はデリーに物語と愛をくれたが、
あの子と私の場合、あっちのほうがジムみたいだったなと、
赤い筆箱のなかの小さい石を、私はぽろんぽろんと、ながめるのである。
2012年5月10日木曜日
鶯に会う初夏
鶯が、ほーほけきょ、と、
桜なのか欅なのか楓なのか椎の木なのか、
若葉いっぱいのどこかでほがらかそうに啼く。
頭上の空が青みをまして、ツーンと遠ざかる。
毎年、どこにいるどこにいると、私はついさがしちゃって、
ある時、樹木から離れて、鶯らしくもなく電線にとまって
ほーほけきょ、ほーほけきょと、明智探偵になったみたいに啼いたから、
さあ、もう今度こそちゃんと見たと思ったけれど・・・・、
この小鳥は夕暮れの空に溶けて、目をこらしても影でしかないのだ。
なぜだか、
私にとって鶯は、
言ってみればヒタキ科のメボソムシクイ、
抹茶みたいな色した早春の鳥のはずなんだけれど。
鶯って、みどり、でしょ。
むかし、絵本をみながら、ひとりでカンちがいをしたのか、
現実のウグイスは、
目をこらしても目をこらしても、
見たことにはならない茶色の地味な小鳥。
ほんとに雀(すずめ)たちのほうが、まだ個性的だ。
樹を一生懸命見上げて、鶯の姿をさがしている女の人が微笑む。
そうなんですよねえ。
あんなにきれいに啼くんですけどねえ。
残念そうな声の、あたたかいやさしさ。
なついてくれない親類の子どものことでも言うように。
なかなか見つかりませんし。
ああ、飛んでいっってしまいましたねえ。
どこにいるのかしら、わからないのよねえ。
少しはなれて立って、
日よけの白い帽子の知らない人と、
ちいさな影が飛んでいって、どこかに消えるのを見送る、
そんなこともある陽光新緑の日。
ウグイスって!
2012年5月8日火曜日
春の終わりのとりとめのない日
忘れたころに
忘れた場所に
ひとりで立って咲く淡いムラサキ色の
きれいなシラー・カンパニュラ―タ
町田市と多摩市のあいだの
ほこりっぽくて田舎っぽい
どうしようもない道端に咲いていたというのに、
生れたのはスペインかポルトガルなのね
ケシの花は
アスファルトの割れ目に幾つも葉をのばしていたから
盗ってもいいかとおととし庭に植えたものだ
考えてもいない方角の植木鉢の中なんかに
今年はぽーん、ぽーんと、咲いている
ヒナゲシ、ヒナゲシ
茎や葉にあらい毛があればヒナゲシと
図鑑はそういうけれど
とげとげは茎にはアリ葉にはナシで
今朝という日は朝食を作り、
柿の若葉の影で草をとったり花ガラを摘んだり
鈴蘭が静かに香りをよこす
病院へ行ったあとは
図書館へ
おじいちゃんの休暇という子どもの本を借り
公民館の食堂で
泣き泣き(!)・・・・
ちゃんとご飯も食べるんだけど
そのフランスはブルターニュの童話を読む
なんてカンドウの物語りでしょう
お掃除もしたし
洗濯もしたし、たたんで、しまいもした
夕食もつくるのである
ユメを踏んで歩いてるのか
なんにもしてないような気のする一日
郵便ポストを開けてみたら
空色の手紙が入っていた
はるか北海道の友が、ピース・ボートに乗り込み
今朝、横浜港から世界へと出発
いやはや
とりとめのない私の夕方が
点のように思われて
春のおわりって、お手上げだ
2012年5月5日土曜日
こどもの日
五月五日。
こどもの日。
雨もやんで、久しぶりに雲ひとつない青空を仰いだ。
あっというまに若緑の葉をびっしり、ぴーんとはりつめて大きくした木々。
じゃんじゃん、あっちにもこっちにも咲きはじめた花。
なんてきれいな季節。
新聞をポストから取ってきた。
大見出しにぎくっとしたけど、大丈夫。
原発ゼロ時代に挑む
運転42年全50基が停止
政府は関西電力大飯原3,4号機(福井県おおい町)の再稼動を目指すが、
安全面への不安から反対が強く、全国で電力需要が増える夏を初めて原発ゼロの
まま迎える可能性も出てきた、というのが東京新聞一面トップの記事である。
私は思う。
安全面への不安から反対が強く、という「反対が強く」の文言を支えるのは、
どんな動きだろうか、と。
それは日本各地で行われている、私たちにはあんまりよく見えない、しかし強い怒り
の行動なのだ。報道されない連日のデモ。都や市に対し「原発稼動は国民が決める」
と迫る何万、何十万という署名の累積。
事故責任者に刑事罰を、という相次ぐ訴訟の開始。
無数の参加者で満杯の勉強会や講演会。
たぶん私がなんとなく知っているよりよっぽど、
国民の反対は強く、じつは、反対が強力多数派なのである。
こどもの日を、こどもの未来を建設するための日に。
きょうは芝公園で大集会があると聞いた。
こいのぼりを手に歩くデモンストレーションだとか。
一時からコンサート。
一時半から演説(というのかしら)。澤地久枝、落合恵子、鎌田 慧各氏
二時半からパレードが出発
歩くつもり。芝公園に行くつもり。
2012年5月3日木曜日
ノスタルジイ
「フイチンさん」という漫画があって、なんかい読んでもあきない。
作者の上田トシコさんはとっくに故人だし、
物語は20世紀はじめの頃のハルビン、
中国は黒竜江省、松花江すなわちスンがリー南岸の商業、交通の中心地。
フイチンというのは、ハルビン第一の大富豪リュウタイ家の門番の子で、
リィチュウ坊ちゃまの子守り、これはむかしのハルビンの子どもの話である。
古い本だけど、復刻版が図書館にあったのを息子が見つけてくれて、うれしくて、
もうなんどでも読む。三巻を朝昼晩、朝昼晩とくりかえし読んじゃうぐらいだ。
あんまり熱中するので、「おもしろいの?」とみっちゃんが息子にきいている。
「どういうところがおもしろいの?」
彼がいくつか答えた中に、ノスタルジー、があった。
ノスタルジイ。
ノスタルジーはどこからやってくる? 不思議。
「フイチンさん」は、雑誌「少女クラブ」で小学生の私が読んだ漫画なので、
私が懐かしいというのは、ふつうでしょ。
それに、まちがいなくいま読んでも楽しく、復刻版がでるほどの名作だ。
・・・・あのころを知らない子もノスタルジーと思うのかー。
ノスタルジーとはむかしを想う気持ち、広辞苑をひけば懐旧の念、である。
上田さんは、いわゆる引揚者であった。
むかし、子どもだったころ、「大陸的な」ということばをよく耳にしたけれど、
敗戦の後、中国から引き揚げてきた人たちはどこか大陸的だったろう。
「フイチンさん」の上田トシコさんは、いま思えばその典型のような人で、
漫画がほんとに大陸的。こまかいことにはこだわらず。
作劇だってうらやましいぐらい大ざっぱよ。
楽天的、陽気、おおらか。人間観はいかなる場合も品がいい。
ストーリイの運びだって、時系列だって、いいからいいからみたいに雑なのよ。
あのころ日本の編集者も、おおざっぱOKだったのかなー、いいわよーホントに。
ノスタルジーとは。
私の場合、映画「チャイニーズ・ボックス」1997年 の唄のような感覚。
夢の都が かなたにあるという
道に黄金が敷きつめられた都
それは国境を越えた向こう側のどこか
もしも君が その都をめざすなら
これだけは言っておこう
夢みたよりも失うものの方が多いということを
はかない約束の地に たどりついた時
君のその手から夢がこぼれ落ちても
あともどりするには遅すぎる
あまり遠くまで来てしまったから
そこが君にとっての終わりの地
君はもう、はるか国境を越えたのだから
登録:
投稿 (Atom)