2016年2月8日月曜日

事件のあとさき


唐木田駅付近で、車が炎上。2月7日午後6時すぎ。
私がみっちゃんと新宿にいたころだ。
警察と消防自動車が帰宅途中の17歳少年の通報で駆けつけた。
3人の焼死体見つかる。
唐木田3丁目ってここらへんのどこだろう。
唐木田は事件などなにも起きそうもない平凡な場所だと思っていた。
公園が幾つもあって、学校があって。一軒家も多い。
まがまがしさが足元まで、寄せては返す小波のようにやってきている・・・。
今日は気が疲れて、一日なんにもできなかった。

健の帰りがヘンに遅い。
聞いたら眠りこけて終点の橋本駅まで行っちゃったんだって。
日勤+夜勤、夜勤、夜勤、と続いてライブ。
それにしてもいいライブだった。心に温かい灯がともる。
その炎の色あいで、しばらくは人間らしく生きられる。

今夜の献立。
野菜カレー。
やまくらげのあわせ酢.
牛蒡の、なんというか・とにかくブッキラごぼう。
蒲鉾。
なんかもう疲れて原酒を氷で割って飲む。
それでぜんぶがおいしいということに。

2016年2月7日日曜日

北風が吹く日のライブ


密葬のあとでもう一度葬儀がおこなわれた。
そんなこともあるのか、Э家に行くと葬儀社の職員が迎えてくれて、
祭壇にお骨と、去年、今年の故人の写真が飾られてあった。
お香典が大変な数で、孤独死だったのにと不思議な気がする。

お焼香に訪れる、中学、高校の、それから家のある通りの近所の少年だった人、
「この家に毎日来てましたから」とすらっと言う人がいた。
あのころのツケを払って苦労してきたのだろう、どの顔色もさえない。
同期で死んだ人が最近4人もいて、そこに学くんが亡くなったという知らせだったと言って。
母親が働きづめでほとんど不在だったむかし、
この家は2階の学くんの部屋が、かっこうのたまり場になっていたのだ。

国領駅まで歩く。すごく寒い日。
電車に乗って、新宿で降りるはずが眠ってしまい、気がついたら九段下。
こまるこまる、引き返さなくちゃ!
みっちゃんと待ち合わせて、阿佐ヶ谷のライブハウスに行く約束なのに。
やっと約束のレストランのまえまで行くと、
「時間があったから買い物をしちゃって」と上等なハンドタオルを何枚も渡される。
いまやハンドタオル長者・・・こんなでいいのかなー、私ってもう。

阿佐ヶ谷でライブハウスをさがしさがし歩いていると、
「えっ、みっちゃん、みっちゃんの声がきこえるー」と礼美ちゃんが見つけてくれて助かる。
ライブハウスに入ると、みっちゃんはそこにいる誰か若い人とサッサと話しだす。
どうしてかというと、前に会って覚えているから。
私なんかあさっての方向をポカンと見てるのに。
丸山さんにも会えて心の暖まる夜だった。学くんの弟の顕くんもいたらよかったのに。
・・・でもすべての後始末と仕事と。
ひとしきりイロイロのことをしなくちゃならないのが今のところの彼の運命で。

今日のライブの主賓は中田さんという美人。もとアイドルだとか。
宮部みゆきの傑作「ソロモンの偽証」の主人公・藤野涼子がもし歌い手になったら、
こうもあろうかという・・・クレバーで程よくてすごく素敵な歌手である。
takeshiくんは中田さんの前に歌った。


2016年2月6日土曜日

ガゼルのダンスの写真展


昨夜は森さんの写真展の初日。
7時到着をめざして、甲州街道を車で走る。
お祝いに歌をうたおうと、健がギターとアンプを積み込んだ。
私はピューリッツア賞受賞全写真という重たい本を森さんにプレゼントするつもり。

森さんは今日も働いているから、7時じゃないとガゼルのダンス店に来られない。
彼は健がまえの職場でかくとくした?年上の親友ともいうべき人である。
金曜日なんて4人ぐらいしか集まらないんじゃないかという予想が外れて、
誰かしらが来てくれている。大きな花籠のお祝いも飾られていてうれしい。
さすがお人柄である。

よくこれだけ撮ったものだと思う。
森さんはどんな日も、路上で木の枝を払い、掃除し、草を刈り、
炎熱の夏も、凍る雪の日も、福島で原発が爆発したあとも、いつも誠心誠意働いている。
クルマで道路を走れば、作業着のそういう労働者に必ずでくわすが、
寡黙で、ひかえめで、やさしくて静かという、このどこか頑固な青年にあわなかったら、
いくら窓外の人々をこの眼で見たとしても、
作業着の内側の個々の人の考えや暮らしを考えることなど、できたはずがなかった。
はじめての個展だから、
そしてそういう森さんなのだから、
森さんがなにを語っているかということをひとまず置いて、
私たちの人生の時間をすこしばかり彼にわたし、彼がおぼれる手で掴んだ断片を見てみよう。
彼が1000枚撮った中から選んだ断片を。
なぜなら、ガゼルのダンスにいるのは友達ばかり。
友達が見ているということにこそ、
この浮世、このクソ日本の冷たさから私たちが離れて別れていく保証がある。
この森さんの多くの断片は、かすれた出発進行の声なのだ。

だけれども・・・今日はみんながへとへと。ばててしまって意気が上がらない。
負けが込んでるというか、そんな運命の日だ。
顔色が壁紙みたいに白くて。冗談を言ってもなんだかおかしくないし。
歯茎が膿んでるとか、過度に煙草を喫ったり・・・。
ああなんでだろう、なんだろう。二月はこんなに暗くてこんなに疲れるのだ。
長時間の無理な労働、職場で受ける軍隊型のいじめ。
契約期間が切れるたびに職を探す不安、面接で傷つけられる屈辱。

私はオランダにもどって行った娘のことを考える。昔のまんまで笑っていたなーと。
2007年度のユニセフの調査によれば、世界一子どもが幸福な国はオランダである。
私の娘はもう子どもじゃないけれど、もう大人で苦労して働いているのだが、
それでも子どもが幸せな国にいる遥は、独立と自尊心をまだしも保持しているのだ、
ここにいるアーティストたちよりずっと。
 
うちに帰ったら12時を過ぎていた。


今日は、わが団地のブロック委員が集められて、次期理事会の役職を決めた。
私は広報担当理事になった。植栽担当になりたかったんだけど希望者が多く、
立候補しても無理みたいだから、早々にあきらめる。
「広報をやります」と言ってしまう。あのねー。広報って書記と高齢者対策をかねるのよ!
昨夜3時に寝たせいか頭がふわふわしちゃってる。
前任者の関口さんはパソコンの先生だそうで、どうりでよくできた広報だったと思う。
むりにも教えていただいてですよ、わかりやすくて愉快な?広報を私だって作ろう。
緊張することも努力することも、いいに決まっているんだから、
ぐちゃぐちゃ言わずにセッセと新聞をつくりたい。

2016年2月5日金曜日

木守柿という冬の季語


木守り。木守柿。
冬の季語である。
来年もよく実がつくように。
小鳥たちの餌としてひとつは残しておこうという家の人の気持ち。

木守り(きまもり)という言葉は、幸魂の信仰による次の新生を祈り促す形をいう。

木守柿ってつまりは
何もかも地上に落ちてしまった柿の木の枝に、
ポツンとひとつばかり残っている、孤児みたいな風情の柿の実だ。
北風ひゅうひゅう。
時々そんな夕暮れなんかに電車の窓から冬を眺めて、寂しくも懐かしい。

孤独死の ゆめ語るらく 木守柿
学くんの 夢と思いたし 木守柿



昨日は朗読の会の日だったけれど、事情が重なり人数が少なくて流れた。
それで、朗読を中止してお茶会にする。
よもやま話を盛大に。主として老人介護のさまざまが話題。
50代後半ともなれば、父母、舅、姑、独居老人のお世話をする人ばかり。
考えてみれば、知らん顔を決め込む情が薄くてさむいような人は、いないんだ?
自分をふくめて人間というものを深く考えることが、朗読の大事さ面白さだから、
結果、迫りくる運命をはっしと迎えてすごす気持ちの優しい人が多いということになるのだろう。
生来いきいき、のびのび、それでいて理知的で、ちょうどよく抜けてるというか。
ーそういう3人。
私は若い時、この人たちみたいじゃなくて残念だった。

ええと。
気がつけばこのワタシは老女だ、ええと、だからもうすぐ介護される側になるの?!
「いやだ、私まもなく機能不全状態になって、今の話の人みたいにスグなっちゃうの?」
思いついて急にそう質問すると、みんなびっくり。
まさかニッコリ腰かけてる私が、介護される側に限りなく近くなっているなんて。
「えー? ああ? ああそうなんだー?!」
冗談じゃないわよー、どうしたらいいのかしら。
眼のまえの賢そうな3人に、対策ってないのかと聞くんだけど、こまって眼をしろくろ。
・・・・・。・・・・。
・・・・。

けっきょく、みんなが言うにはあなたはなんとか大丈夫だろうと。
そのわけは、毎日、掃除、洗濯、ご飯の支度をこまこまとやってる。
いろいろな人が周囲にいる。刺激もある。映画は見てるしいつも本を読んでる。
ブログも公開してるじゃないですか?庭に花なんか植えてるし。園芸はいいんですよ!
毎日おんなじことはしてないっ。それをやめなきゃいいんですよ。
こういう人は90才なってもご飯つくって食べさせてますよ。

ははは。そうだといいけど。どーかなー。それホントなのー。
笑ってる今が幸福だ。

2016年2月4日木曜日

訪問異聞、いぬねこ


デボラさんの家に行く。

想像していた通りの借家で、親日家のアメリカ人にふさわしい日本家屋が素敵である。
家具調度の重厚さ趣味のよさはもちろんだけど、犬と猫が物語り的。
犬は二匹いて、ふたり?とも病気である。一匹は玄関脇の部屋のベッドから出られないし、
クスリが体中に入ってるもう一匹は居間にオシッコしてしまい、
哀愁をおびた眼で、デボラさんが始末したあとを眺めて、憂鬱がはれないという表情だ。
彼それとも彼女?は、こわばった小さな体をそっと運んできて私のそばに横たわり、
椅子からすべり降りて床に座った私の片足に頭をのせて寝てしまった。
「うちの犬と猫、人がすきよ、人なつこーいよ」とデボラさんがいう。
そう言ってるところに、騒ぎをききつけたのだろう、
大きな入江たか子みたいな古典的な猫が部屋にするするするっと入ってきて、
私の膝に重い手を掛け、くんくんとしきりに私のにおいを嗅ぐのである、?!
「この猫、自分のこと犬と思ってるから。だからワタシ犬だからと思ってにおい嗅ぐよ 」
デボラさんが私のためにテーブルを整えながら、
たしか「イスズーッ」とか英語でどなって、あれやっちゃだめ、これやっちゃだめ
と英語で注意すると、なんとも毛並みのよい堂々たるイスズは、
あっちの方のソファの背もたれに飛びのり、美貌切れ長の眼で不満顔だ。
「仔猫のとき、オカアサンが死んだから、これは犬が育てましたから、
じぶんは犬だと思ってますから、犬とおなじことするんですよ。わかりますかぁ?」
デボラさんはよく、話の終わりに「わかりますかぁ」をつける。
難解な話じゃなくて、わかりきった話に「わかりますかあ」というのだ。

はい、わかります。
私はごきげんだ。
炭酸水を飲んで、皮つき林檎を食べる。
チーズとなにかを食べて、ああこれはチーズにあうと食べて、話、話。はなすのが楽しい。
出てくる食べ物が気に入る。
コーヒーが、大ぶりのまこと手のひらによく馴染む昔の日本陶器に入れて出される。
犬と猫になつかれる歓迎とは、なんとも豪華版じゃないですかね、ね。
わっかりますぅ?!



2016年2月3日水曜日

今日の献立


健が夜勤なので、5時に夕食を食べてしまう。
彼はそれから11時まで眠って、出かけて行く。
外仕事。すごく寒そう。

ウナギのひつまぶし。鰻を食べるなんて贅沢だけど、
歯医者さんに行った帰り、安いから下高井戸の市場で一枚買い、
それを細かくしてそおっとフライパンで熱くして
ご飯にまぶすのである。
上からタレと山椒を一人前ぶっかける。
最初「ひつまぶし」を 、ひまつぶしと読んでしまい、
ひまつぶしってなんなの?とデパートの地下食品売り場で質問してしまい、
思い出すと自分のバカさ加減にそのたびくすくす笑っちゃう。

きんぴらごぼう。もちろん、人参と牛蒡の。それを胡麻油でよくいため、
出汁と醤油と酒、味醂なんかで煮て、ゴマをたっぷりかける。
5時にまにあうか、おお慌てで買いたての牛蒡と人参を切って灰汁をとって、肩がこる。

キャベツと胡瓜と生姜とシソの塩もみ。だし汁を少し。ポン酢を加える。
健が小皿にできるだけ少なく、一口ぶんだけ取って食べる。そんなのってありか。
どんぶり一杯つくった私としてはカッとしてるんだわよ、黙ってるけど。

なめこ汁。ふつうの味噌を二種類あわせる。今日はうまくできた。
私がつくるなめこ汁は、いつもはなんとなくまずい。


「不思議な国のアリス」を読む。
最近、神の手に助けられているかのように、読みたい本を手にする。
驚くべきはちくま文庫の「自分のなかに歴史を読む」阿部謹也著だ。
さんざん迷ったあげくめくらめっぽう買った本の書き出しが、上原専禄先生について!
父が敬愛してやまなかった方である。
「わたくしは巷(ちまた)の本読みにすぎませんから」
上原先生の断固たる謙遜について、
父は子どもの私に、なんど笑って語りきかせたことだろう。
以来、ちまたのほんよみ、という言葉は少女期の私にとって、
本格的に学問を修めた老学者の不思議な桃源郷というイメージとなる。
図書館でふとわきを見ると、台の上にオリアナ・ファラーチの新刊本が乗ってる。
イタリア人ジャーナリストのファラ—チの本がここにあるなんて。
遥が日本に帰ってくる直前、蔦屋でぶらぶらして何の気なしに買った本が、
「ぼくには数字が風景に見える」講談社。
読み終わったので遥にわたすと、乗り気じゃなかったのにたちまち読んでしまった。

「不思議な国のアリス」だけど、こんなにおもしろいなんて知らなかった。
読みながらころころ笑ってしまってびっくり。なんで小さい時はつまらなかったんだろう?
うちに少年文庫があるのに、図書館で本棚にあったのを借りて読んだ。
翻訳が素晴らしく、名高い挿し絵も今更ながらすばらしい。




2016年2月2日火曜日

ブログ再開・謹賀新年


2015年11月、私はもうムリヤリに断捨離というべき、書類整理をはじめた。
断行、捨行、離行はヨガのことばだそうで、紙くずを45リットルの袋に入れて14袋
捨てたんだけれども、ほかにゴミらしいゴミも随分捨てたけれども、

断行は過去の自分の歴史を断つ、
捨行はこうあるはずだったという自分の未練を捨てる、
離行は去る人から自分も離れる 、
そんな決心をいうのかしらと、時々考えたりもした。

11月にはじめた片付けが終わったのが12月5日。
12月6日が小集会だった。

ご飯と盛大な一品持ち寄り。日本の行方を考えるミーテイングのための。
司会を桃塚怪鳥という変人奇人の貴人にお願いしたので、
そして集まってくれた人がみな個性的かつ悠々とした人ばかりだったので、
討論が実にテーマに沿っていきいきと行われた。
怪鳥さんの愉しく見事な司会がすごくって、私なんかはもうとてもかなわないのだ。
エリナ―・ファージョンの物語のオルガンひきのように、
「ああ引退する時がきたな」と言って、森の中に消えて行くのがよさそう、と思う。
・・・そうして、断捨離敢行の直後だったせいなのだろう、
小集会の終了後ふいに、あゝ自分は懐かしい父の理想を追って生きてきたのだと知る。
息子がふたりとも参加してくれたので、父から私、私から父の孫にまで、
思想のリレーをとにかくやりとげたのだという、感慨が胸をよぎったのである。

断捨離、小集会。
2015年は幸せのうちに過ぎたけれど、くたびれ果てて本を読むだけの年末。

元日に長男一家が来た。
おだやかな一日。

1月。遥がオランダから帰国。3週間いっしょに暮らすことができた。


Эさんは私の恩人だけれど、Эさんの長男が一月のなかば過ぎに亡くなった。
自宅での孤独死。50才になっていたのかいなかったのか。
彼がグレ始めた中学のころの姿が目に浮かぶ。
どこか気弱な笑顔が私の記憶に張り付いている。
髪型はリーゼントで、なんでそんなと言ったら、これでいいんだと、
金ぴか紫色の櫛を取り出して髪を梳いた。
30年以上も前、うちに遊びに来てくれた時のことである。
遊びに来てよと言ったら本当に来たので、ちょっとこわかったっけ。
少年だった彼のうえに歳月がふりつもり、亡くなる半年前に電話で偶然の長話をした。
おばさん、なんて言って昔のまんまで、
原発の作業員なら雇ってもらえるかもしれない、申し込んで通知を待っているんだと言った。

せつない、という言葉はすきじゃないけど、
せつないというほかに、なんと言えばいいのか本当にわからない。
Эさんのご家族のことを思いながら1月が終わった。