2020年7月21日火曜日

道志から山中湖へ


オランダにいる遥の誕生日が近づいている。
どうしてもそこで、と息子がいう店が、
道志から山中湖に抜ける道路の途中にあるので、
日曜日に、オンボロ車で出かけた。
まず道志の店では「今日は作業中」といわれたけれど、
珈琲とか食事はいらなくて買い物だけというと、
どうぞどうぞと店内に入れてもらえた。
遥はものすごく狭いアパートに住んでいるから、
本の一冊もだめ。
それで普通じゃないイヤリング、というわけである。
お店の主人が申し訳ながって、飲み物をサーヴィスします と、
メニューを渡してくれた。それも和紙に手書きの芸術。
で、大失敗をした。
一番おいしそうな飲み物を頼んじゃったのだ。
すごくおいしかったけれど、一番高かったと息子が言った。
山中湖に向かって走り出してから、言うなんて。
値段なんかぜんぜん見なかった。
イヤリングは高い、ジュースは安い、という不用心。
・・・あーあ。

山中湖 は遠くて遠くて。
でもそこで、息子がもうひとつ、遥のイヤリングを買った。
兎の耳飾り。
いいね。ウサギに生まれてうれしいウサギ はねてもはねても。
遥のかわりにちょっとうれしかった。
店内はものすごい混雑。目がよく見えてないから、
みどりいろだと思って藍色のワンピース?みたいな服を買った。
食料以外の買い物。断崖絶壁から飛びおりるような。
ま、いいか。 スリル満点で。

帰りに、むかし鄙びて(ひなびて)今コンクリ―ト仕様になった
道志温泉へ。評判が落ちてるから空いているかもしれないと思ったら、
日曜日なのに本当に空いていた。はじめは地元の人ばかり。
道志で暮らす人にしてみれば、こういう方がいいだろうなと思う。
東京都内の銭湯みたい。小ぶりではあるが。
それでいてホントの、混ぜものじゃない山の温泉ですもんね。



2020年7月18日土曜日

エッセイを読むたのしみ


公民館ですごく面白い本を手に入れた。100円。
「日本エッセイストクラブ編 / 96年版ベスト・エッセイ集」
それを手にコインランドリイへ。雨続きなので満員だった。
1996年版なので、神戸の大震災について書いている作家が多く、
当時どうしても他人ごとだったものが、コロナ禍真っ最中の今は、
思い当ることも多い。

トップバッターは司馬遼太郎の「本の話」。
こんなに文章がうまい人の後に並ぶなんて、さぞかし恐ろしいだろうと、
ヒトの事でもぞっとした。

それなのに二番手は杉浦昭義という耳鼻咽喉科の先生である。
「世界一の叔母」。叔母さんの?話。しかもきいたこともない人のエッセイだ。
ところが、読めばその叔母は「前畑ガンバレ!」の前畑なのでであって、
日本初の金メダリスト、昔はみんなが教科書で読んだぶっちぎりの歴史的人物。
しかもその叔母の、オリンピック後の話。
話術の天才みたいな文章力にもびっくり、日本一の次だって平気である。

そうだとすると三番手はと、つりこまれてページを繰る。
「震度7の記憶」。書いた人は流行作家藤本義一。
たたみこむような筆致がすごい迫力。
引き込まれるように読んでいたら、こんな記述があった。
コロナ禍にある現在なので、なおいっそうの親近感をもった。
   ー前略ー
   長女の家から戻った午前六時四十分に、わが家の庭に無数の鳥ガ飛来した。
   カラス、スズメ、ヒワ、メジロ、ムクドリ、野バト、ウグイスの番(つがい)
   までやってきた。-中略ー
   鳥ガ飛んできた時、もう此処は安全だと思った。ガス洩れがない 証拠である。
   この知識は五十年前の大阪大空襲の時、親父から教えられたものだ。十二歳の
   頭に入った知識が五十年間生きているのが不思議だった。
 
藤本家のように無数とはゆかないけれど、うちの小さな庭にも鳥は集まってくる。
最近は坂を下って歩き始めると、ウグイスがどこかの木の梢でにぎやかに囀って、
うれしいことである。
 


2020年7月16日木曜日

「北朝鮮で兄は死んだ」など


どうやら身体の具合は普通なのに睡眠時間のコントロールができない。
1時間おきとか、2時間おきに目がさめて、本を読み始めてしまう。
 夜中に、2冊とか3冊、かわるがわる読んでいると、朝がくる。
どこかで気の早い親分みたいな小鳥さんが、号令口調?で、
いつまでも鳴く朝だ。今朝はそれがカラスだった。
うるさくはないんだけれど、ちょっとなぐってみたいなと。
説教がましい訓示みたいなカーアカーア声で、鳥たちだってイヤがってるわよ
と、そう思う。

そういえば、幼稚園の門の外で、お母さんと子どもを待っていると、
お向かいは小学校の校庭で、毎朝、朝礼が行われていた。
人にもよると思うけれど、小学生にああしろこうしろと号令を掛ける先生は、
なんと冷淡で、思いあがった声音の人だったろうか。
部外者で、あんたをちょっとなぐってみたいなと思う人が、この世にはいるんだと
チャンスがあったらわからせたいと思ったものだ、と思い出す。

と、人のことをあれこれ言うのはやさしいが、
今朝、読了した小さな本は、私が恵まれていたためにしでかした昔のまちがいを
手遅れだけれどほんとうに思い出させるものだった。

「北朝鮮で兄(オッパ)は死んだ」  七つ森書館
 ヤン・ヨンセ   聴き手は 佐高信
複雑な在日の事情を、対談の形式が、
読み手に、わからないとはいわせないような、効果をうんでいる。
だれだってヒトは複雑な事情を抱えているものだけれど、
本書で語られる悲劇と比べられるものがあるだろうか。
映画という形式を駆使する女性が話しているせいか、
隠された戦後の歴史がほんとうによく判る。
彼女の告発や非難や批判に、あいまいさは一切ない。
それでいて、過去の日本の歴史が私にも無関係ではないと、
わからせてしまう。
家族を、ドキュメンタリーという手法で描くせいかしら。

こんなふうに柔軟でなければ、しかも率直でなければ、映画も書物も、
人々の眼にふれず 終わってしまうのだろう、これからは。

ヤン・ヨンセは、ドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン 」の監督で、
この映画を私は、何年もまえに、東中野ポレポレで観たのだと思う。
2005年のこの映画は
ベルリン国際映画祭アジア最優秀映画賞、サンダンス映画祭審査員特別賞、
山形国際ドキュメンタリー映画祭特別賞など、多くの賞を獲得した。
最新作は、「ソナ、もう一人の私」

東中野ポレポレに行けば、まだ、観られるんだろうか?



2020年7月15日水曜日

それはともかく


それはともかく、
昨今の私は、童話の断片で、絶望をしのいでいる。
トラヴァースは子どもの時からお気に入りの作家だが、
なんという作品だったか、短い短編。

「星と石、鳥と人では陛下、どこがちがいましょうか?」
「どこもちがいはせん、教授どの。石は輝きなき星で、人は翼なき鳥ではないか」

王様はこんな唄を教授に歌ってきかせた。
     おお、勉強するなら
     とことんまでもやりましょう
     だけどそれではいそがしくって
     よく考えるひまがない
それとも教授殿、おおかたこのほうが気に入ろう。
     世界をぐるりとまわるのは
     わたしはあまりしたくない
     だってそしたらただまっすぐに
     家にもどってくるばかり

大教授は手をたたきました。
「もひとつあるが」と王様が言いました。「聞いてみたいと思うならば」
「なにとぞお歌い下さい、陛下!」
すると王様は、道化のほうへ首をかしげて、いじわるい笑いをうかべて
歌いました。
     大教授はみんな
     ずっと小さい子どもの時に
     水におぼれて
     死ぬがよい!
歌がおわると大教授は大声で笑って、王様の足もとにひれふしました。
「おお、王様よ」と言いました。
「永遠にましませ! わたくしめがお役に立つどころではございませぬ!」

 前川喜平さんは、現代教育行政研究会の代表であり、高級官僚だった人だが、
子どものとき、メアリーポピンズなんか、読んでたかも。
講演をきいたり、コラムを読んだりすると、ちょっとそんな感じ。
子ども時代にただ好きだったにすぎない詩句や童話は、
根強い教育論にすがたをかえ、
わけなく時空をこえて、彼方から読み手の心に飛んでくる。
そういうのを教養というんじゃなかろうか。
たとえ東大を出て、官庁に就職し、ヤクザな出世の階段をのぼってもね。




2020年7月14日火曜日

ミーちゃんからハーちゃんへ


ミーちゃんからハーちゃんへ
というメールを受けとった。
ハーちゃんはこの私、久保つぎこである。
77才としては、けっこう至極な宛名じゃないの。

私があんまり大演説したものだから、朗読の会の老いたる知的読書家2人が、
「美空ひばり恋し お嬢さんと私」をつられて読んだというメールである。
はははは。この本の破天荒な題名に、またおかしくなっちゃって、
くすくす思いだし笑い。年の割にド派手な本よね。

もしも電車の中で読むことになったら、あのインテリふたりは、
本にカヴァーをかけるだろう。なにしろ「美空ひばり恋し お嬢さんと私」
だもんね。いまは一億総マスク。だったらどう思われてもいいか。
ミーちゃんからの送信で私が1番うれしかったのは、
なぜこの本が好きか、スッキリわかってもらえたことだった。


ばんごはん


今日の晩御飯は、
生協で買った焼き鳥(冷凍)と、なにかの葉っぱのベーコンいためと、
厚揚げと、オクラだった。
焼き鳥はすごく見てくれがよかったので、私は楽しみにしていたけど、
息子は冷凍の焼き鳥に対して、のっけから悪意をもち悪口しか言わない。
厚揚げと菜っ葉だけでいいと、図々しい態度だ。
おいしいかもしれないじゃないの、と言うと、
いや絶対に不味いから! 口のうまい奴のいうことなんで信じたのかな!
怒りながら、フライパンで冷凍の焼き鳥を温めている。
どういうわけか、私が宣伝につられて買いこんだと思って、ガミガミガミガミ。
せっかく買ったのにと私はげんなり、厚揚げをサカナに一杯のんじゃって、
「うるさいよ、おじさん!」

できたから食べたらホントに不味かった。
なんとか覚えていられたら、二度と買わないわ。
ものの本を読むと、
老人って、何度もおなじ物をそれでも買っちゃうらしいけど。


2020年7月13日月曜日

手紙が届いた


むかし、私がよく知っていた少女から手紙が届いた。
ながい、かわいそうな手紙だった。
彼女がなんで不意にみんなの前から消えちゃったのか、
手紙を読むまで、なんにも知らなかったので、
きっと幸せを手にいれたから消えたのだろうと、ずっと思っていた。
・・・ひとは幸せならば消えたりしないものなのにね。

私は、その手紙のおしまいに書かれていたことを、
「町田子ども劇場」の谷田久美子さんに、電話してはなした。 
何年ぶりかで手紙をくれた少女が、
つぎこさんのブログで谷田さんの勇気に感激して、また泣けてきちゃいました、
と書いているから。縫物をしている女の子と猫の絵のヨコに。

  「パンフレットに書いてあるという文章、何度も読み返しました。
  こんな時でも確固たる信念を持って動いている人がいる というの
  が本当に嬉しいです。ただわたしに何ができるか、どうしたらいい
  か、という問いに対しては答えがみつかりません。
  でも自分の気持ち、感じることに嘘はないし、それに向き合うことを
  疎かにするのはもうやめようと思っています。
  ソーシャルディスタンスって本当に必要なんでしょうか。いきすぎた
  個人主義をもっと加速させて、これまであった地域のネットワークだ
  とか、助け合いの心とか、どんどん人間同士の係わりが希薄になって
  いきそうで、社会がどこへ向かっていくんだろうかと不安です。」

  「わたし、実はつぎこさんに本を一冊お借りしたままなんです。ごめん
  なさい。これと一緒に包んで送ることもできるけれど、会ってお返しし
  たいので、まだ持っています。朗読の会のみなさんともお話したいなあ。
  また書きます。」

彼女の手紙には、私たちがつねにさがしている、努力する理由についての
答えがある・・・。
記録映画「氷上の王 ジョン・カリー」を観たあと、
書きとめたジョン・カリーの言葉の、こだまのような、かすかな響き。

ある時(費用のかかる彼のカンパニーの公演宣伝のためだろう)
アメリカの華やか有名なTVショー出演したジョン・カリーが、
世にも意地悪で無礼な司会者にこう答えている場面。
質問はこうだった。
「あなたはなにか社会的に貢献したわけでもないし、なにか功績があったわけでも
ないですが、ご自分としてはそれについてどうお考えですか?」
弱々しく、神話のような美青年は、抵抗もせずにこう答えた。
歴史に残る天才なのに。

「スケートをふくめてあらゆる芸術は、人の人生に喜びを与える。
生きていてよかったと思わせる。人生はただ生きるだけではつまらないもので、
人はなにかを見て、喜んだり、悲しんだり、心を動かされたりする・・・
僕らのいったいなにが社会に貢献しているかときかれれば、
僕は人の心を動かすことができた。それが僕の幸福だ。」

自分がなにゆえに努力するのか、私たちはいつも、さがしている。
答えは、邪悪な者に問われて、心の中の思わぬ場所から溢れでる。
そして、そうであるのに、すぐにまた思いは行方不明になってしまうのだ。
1984年の「BURN」は彼のダンサーとして最後の作品だけれど、
そういう人間ならではの苦悩を描いて余すところがない。