My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2013年2月9日土曜日
春がきてしまった
オランダから1月10日に帰国、つぎの日から仕事がはじまって、
1月は、オランダでノートに書いたことをブログに移しているうちに、終わってしまった。
ノート・パソコンなのに荷が重くて持ち歩けない。
いまハヤリのスマート・フォンの奴隷になるのも好ましくない。
けっきょく、布張り縦書きの古風な帳面をもって行き、メモ書きに終始した。
オランダの汽車みたいなものに何時間か乗る場合、私は、窓の外をながめる。
羊がぼーっと雨にうたれてるとか、牛はいないのかとか、いいな、あの農家はとか、
なんてまあこの国の落書き軍団はしつっこいんだろうとか。
ところが、遥と健は「スマホ」にかかりっきりである。
むかしの私が四六時中かるく読める本に取り付いていたのとおなじだ。
これはうちの家系かなあと思ったりする。
目前の現実に耐えられないという・・・。
たとえば、絵画を落ち着いて眺める、なんてできないのだ。
すくなくとも私は、モナリザだろうと、ピカソのゲルニカだろうと、じっと観ていられない。
大学生のころだったと思うけど、そういうことを父に言ったら、
原稿書きの父は笑って、お前さんもそうかい、まったく以ってわしもそうだよ、と言った。
どうもわしらは、そういう傾向だな、論文なんかにはいいんだがね、と。
今の今という時間のなかに自分を置いておくということが、どうにも苦手だった。
汽車の中でぼーっとして、過ぎて行く時間を見送るなんて、
それができるようになったのは、父や母や、私を育ててくれた誰彼が、
みんな遠くに逝ってしまったあとになってから。
われにもあらず、というやりかたで生きちゃって。
しょうがないもんだなあ、と思う。