My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2015年9月23日水曜日
「闘うバレエ」という本に
「闘うバレエ」(佐々木忠次著)にウラジーミル・マラーホフのことが書かれている。
わくわくするような本なので、読むものが見当たらないと私はこの文庫本をさがす。
マラーホフについて書いた個所がすきで、そこをよく読む。
短いエピソード。
シルヴィ・ギエムは二十世紀後半を代表するバレリーナだが、彼女に匹敵する男性はといえば
ダンスノーブルのウラジーミル・マラーホフだろうと書いてある。
シルヴィ・ギエムはたしかにものすごい。
*
「一九九七年、第八回世界バレエフェスのガラの最後に、恒例の余興で、マラーホフがギエムの
『グラン・パ・クラシック』の真似をしてみせた。トウの立ち方から、脚の上げ方、運び方までまった
くそっくりで、見事だった。場内は沸きに沸いた。』
「真似ることは難しい。マラーホフは天才だと思う。ほかの男性ダンサーには絶対にできないだろう。あれだけ難しいことをユーモアたっぷりにできるというのは、テクニックだけではない、プラス・
アルファの資質が必要なのだ。 しかも、マラーホフはノーブルだ。」
*
今日、丸善の本棚でマラーホフの伝記をみつける。
天才ソリスト。4才からバレエを始めて、10才のときボリショイ・バレエ学校に入学。
それ以来ずっと家庭ではない世界で生きて、それからロシアを離れ西側でくらす。
マラーホフの舞台をみたことがないのは本当に残念だった。
彼は少年のころから日本にきて、踊るたびに観客をうならせていたのである。
佐々木さんが書いたマラーホフのエピソードになぜだか惹かれるのは、
小さいころ、おなじようなバレエの余興を劇場で見たおぼえがあるからで、
私のユーモア好みは、そういう印象的な機会にめぐりあっていたせいかもしれない。
日ソ友好条約がむすばれてまもなくのあの頃、ガリーナ・ウラノワが〈春〉を踊るのを見た。
子ども心にも、ほかのダンサーとは格がちがうと、感銘をうけたものである。
当時、世界一のバレリーナだと父にきかされたあのウラノワが、
東京バレエ団の先生になって教えた、と佐々木さんの本にあったからおどろいた。
バレエの天才というのは、妖精にちかい。
時々、記録映画を観たりするけれど、人間とも思えないソリストがいる・・・。
などなどと思って、つい本を買ってしまった。