My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2018年7月16日月曜日
泊り客
勉が5年生を二人つれて泊まりに来た。
チガシとタカだ。
まー大変だった。
少年というのはなんと、すがすがしいのだろう。
子どもなんだけど、あらゆる人間らしさが、すでに備わっていて。
黙っていても、笑っていても、おじさんとゲームをしていても、
外へ行って、暑くてすぐ引き返してきちゃっても、
かたっぽうは眠く、かたっぽうはまだまだ起きてゐたくても、
きゃあきゃあと、すみきったかん高い声で笑う声が耳に残る。
自分が親だったころ、私はなんでまた、
「うるさいばっかりだっ」と思っていたのだろう。
私は怒ってばかりいて、勉などは
こんなに恐ろしい人はこの世にはいないと思ったという。
登校拒否、などと思うにつけても、その前に母さんの屍(しかばね)を
乗り越えてと思うだけで、もう恐ろしくって思考停止状態になったと、
冗談半分にしても、それほど私って怖かった。
自分の子どもほどかけがえのない者は、私にはない。
私は、だから本気だった。
孫のうちにいま私が見るものは、勉とムギの懸命の子育てが生んだ個性が、
未来に輝く萌芽のようなものとして、不意に姿を見せるときだ。
どんなに賢い子か知らないし、どんなに強い子なのかもわからないが、
おかしくて、可笑しいことが嬉しくて、そのおかしさを油断せずに測りながら
いま笑いこけているこの子に、私は自分の父親からの伝言をみる。
理解力の出発って、そんな姿かたちのものではないかと思って。
しかしまあ、男の子ふたりというのは無限の体力、
つぎこおばーさんとたけしおじさんは、どうにかボロをださずに、
5年生二人が勉に連れられて帰るまで、生き延びてまことに幸いである。