My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2020年7月9日木曜日
痛ましいニュース 7/9
3歳児放置され死亡 容疑の母逮捕 8日間外出
若い母親の写真が朝刊に載っている。まだ24才でしかない。
数年前に離婚。死なせてしまったノアちゃんと二人暮らしなのに、
彼女は、ただもう、飲食店で働いていた。保育園を利用することもなかった。
赤ちゃんが生まれた時つけた名前は「稀華」、まれな華と書いてノア。
ノアの箱舟のノアである。
たとえ束の間の結婚であっても、 若すぎて親となった男女の気持ちの在りかを、
一生懸命を感じさせる名前だった。
6月、コロナ禍の8日間、彼女は鹿児島の交際相手に会いに行ってしまう。
帰宅して、稀華ちゃんが死んでいたので119番。自殺して死ねず。
病院に運ばれ、回復を待っていた警察に逮捕されたのである。
こんなに孤独で可哀想な話があるだろうか。
マンション仕様のアパートの住人はだれも、隣人さえも、
あかちゃんの泣き声ひとつ、きかなかったと報道されている。
この集合住宅では、 24歳の母親と同様、昼間はみんな働きに出て、
だれもいない場所になっていたのかもしれない。
この20才前後で母親になった人には、だれもいなかった。
相談できる人間が皆無だった。今朝の新聞記事には、
東京という大都会なのに区役所の影もなく、保健所の影もない。
*ベーシックインカム、ということばが頭にうかんでしょうがない。
税金の一部を生活費として全国民に再配布しては、ということらしく、
異論があってなかなか実現しないのだと聞いた。
*幼稚園で働いていたころ、
自分のこどもが抱っこできない、イヤだと言う母親が案外多いと知った。
「NO抱っこママの会」をつくったらというぐらい、悩む人は多かった。
わたし達はだれもが、出産と同時に母親らしい母親になれるわけではない。
母親仲間のなかで、学びながら、話しながら、人知れず苦しみながら、
なんとか一人前の親に育つのである。
いまさらながら、自分が子どもの親になって、どれだけご近所さんや親たちに、
友人に手を貸してもらっていたかを、思い出す。私は30代で母親になったけれど、
おそろしく未熟な、覚悟の出来ていない人間だった。それに貧乏だった。
夫は文楽の人形遣いで、1年の半分以上留守である。
アパート6畳一間の家賃が払えず、11か月分もためてしまった。
野生の動物とちがって育児期間のながい私たち人間は、
孤立させられたら、とてもじゃないけど優しい母親になりにくい。
新聞の見出しって男性がつくるのだろうか。
3歳女児放置され死亡、という4段組みのデカデカとみっともない大活字。
放置されたのは「母と子」なのに。
育児は手元に置いたやつの責任といわんばかりの、無考えと無情に腹が立つ。