私は離婚して、物書きであることをやめた。
大正育ちの職業婦人というのが、私たちの親世代だと思うけれど、
どっちを向いても、母親が独力で金持ちになると子どもが身をあやまる。
私はそういう親子をたくさん見ておとなになった。
演劇も文学も、その道で大成功なんかすると子どもが生き迷う。
どだい・・・この世代だと職業婦人ならば独身でいる人がとても多い。
優秀であればあるほど、
というよりは仕事が成功すればするほど、
うっかり本気になると母子でジゴクに落ちてしまう、そういう感じ。
私の4冊めの本は、「小説・となりのトトロ」なんだけど、
私はそれを最後の仕事にして、物書き業をから足をあらった。
小説家とか、文芸評論家とか、童話作家だとか、
なかば本気でなかば浮わついた、
子ども時代からの見果てぬユメなど捨てることにしたのだ。
私はひとりっ子で、親が6人もいたけれど、
自分の3人の子どもには、・・・私という女親ひとりしかいないわけだから。
こどもにはお金より時間を渡さなければいけないと、
それだけは経験上よく知っているような気がして、
それからは朗読の先生だとか、塾の国語の教師だとか、会社の社員教育だとか
いいのか悪いのかさっぱり判らない方角に転向した。
ふつうに働くのならバチはあたらないのではないかというヤマカンである。
子どもの学校の役員も仕事だと思ってとにかく(仕事みたいに)引き受けた。
新聞部のときできた友だちとはよかったことに一生のつきあいになったんだし、
いま思えばけっこうな時間だったけれど、
なにしろ、ボロ車を無理して15万円ぐらいで買って、
へこんだ場所はステッカーなんか貼り付けてかくし、目もくらむほど苦しんだ。
ジブリからの印税というものが入るまで、私は学校の月謝が払えず、
家賃を滞納し、学費を滞納し、
ーそれなのに月謝のかかる私立学校に子どもを入学させ、
ほかにそういうヒトがいるとも知らず(いたのに)、身も世もなかった。
それまでに書いた私の単行本は借金の支払いで即日消えてしまった。
即日消えるおかねに、なんの値打ちがあるだろう?
自分には物書きとしての才能がないとしか思えない。
だからもう「となりのトトロ」を小説に、という仕事をあたえられた時も、
宮崎駿さんのお情けにちがいないという受けとりかただった。
私が頼んだんじゃないわよ、知らないわよと思って、
やみくもに、おかねおかねと思って・・・。