My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2017年9月23日土曜日
また雨だ
午前9時になったらへたばってしまった。
5時頃から、カレーライスの用意をした。簡単なスープも作る。
朝食の用意をしながら洗濯物を乾かしにコインランドリーにいく気だ。
毛布その他をこの際乾かしてしまいたい。
朝刊を手にもって、師岡カリーマさんの小コラムだけ、ちょっと読む。
世の中には賢い人がいるものだとホントうらやましい。
東京新聞の「本音のコラム」が好きである。
記者が書く記事だと、げっそりするしうんざりするのは、なぜだろう。
報道の根本を本音ばかりに変えたら、新聞読むのがこんなにイヤにならないかも。
風呂桶を洗い、顔も洗い、カレーがほぼ出来て、コインランドリーへ。
痩せほそった、黒縁メガネの、苦虫を噛み潰したような少年が、ベンチにいる。
中学3年生ぐらいだろうか。朝の7時半から、手にスマホだけ持って。
きれいな男の子だと思う。目が合うと彼は私をスゴイ眼で睨む。
見知らぬ私のことまで、こんなに憎むなんて。
夏休みが終わると子どもの自殺が増える、と9月始めの新聞で読んだ。
学校はどうして恥ずかしくないのだろう?
いい大人が、暮らせるだけの給料を受け取りながら、学校をそんな場所にするなんて?
2017年9月22日金曜日
サトクリフより
「おれは」オウェインが口をひらいた。「おれにもなにか創れたらな、と思っていたんです。
道具のことじゃありません。おれは手先が器用だから、農場の道具なら作ったり直したり
できます。そうではなくって、なにか命を持つもののことです。もしそういうものができるなら、
おれの首にはまった、この奴隷の首輪も、それほどきつく感じなくてすむかもしれない。」
ローズマリー・サトクリフ
2017年9月20日水曜日
多摩市役所で
市民税と都民税をどうするかという手紙がきて、
市役所に助けてもらいに行く。
少額だからと確定申告もしなかった。
苦手だし、憂鬱だし、放ってあったのである。
怠惰を克服、弱気を圧殺、関係書類と自分をひきずって、
私は、やっと二階22番受付の椅子に腰かける。
今日こそ義務をはたしたい。
すこし話のメハナがついてきた時、右を見た。
さっき老夫婦がいた場所に、いまは小さいおばあさんがいる。
おばあさんは、私を見て、いたいたしく微笑んだ。
おばあさんも困っているし、私というおばあさんもこまっている。
ねえ? と彼女は、侘しい小声で、椅子ごしにいう。
こういうところに来ると、わからないからこわくて。
心配でどきどきするんですよ、もうね・・・・。
薄い長袖のブラウス。急に寒くなった日だけれど薄着なのだ。
さむそう。
華奢な喉に白い包帯が見える。
心臓の手術をしたので、と包帯にそっとさわって、
やっと今日は来たんですけど。ほら、どきどきすると手が冷たくなっちゃうんですよ。
こわいのは私もおなじ。手が冷たいのも。
手は、本当にひえびえと冷たい。
少しのあいだ、私のやっぱり冷えた手で、おばあさんの手をにぎる。
彼女よりもっと書類というものがわからない自分がいまいましい。
手伝えないし、自分こそ、まだごたごたしている。
この人は利口そうだから、今まで各種手続きも、ひとりで出来ていたのだろう。
それなのに、こういう日がきた、悲しくなって涙ぐんでいる。
「なんでこんなに難しいんでしょう、・・・もう、・・・長くかかって」
このせっぱつまった非難のささやきが、公務員にとどくことはない。
涙ぐんでいるおばあさんをしりめに、お昼だからお弁当を食べているのだ。、
それでもやっとおばあさんの担当の人が戻ってきてくれる、手続きを再開する。
おばあさんは、影のように立ちあがり、その人についてどこかへ行ってしまった。
喉に包帯。疲労と苦しさでいっぱい。・・・耳はきこえるのにあんな大声の説明。
私は、戻ってきた自分の担当者に、謝った。
あなたのお昼ご飯の時間にくいこんでしまって、本当にごめんなさい。
もう私ときたらマイナンバーの手続きでおそくなり、市民票の発行で手間取り、
市民課にきてからだって、手持ちの書類はごたごた、ごく簡単な名称がとっさに出てこない。
あーあ、もう。
私みたいな者は、こういう大変な場所に、のこのこ出掛けて来てはいけないのだ。
土台が失礼なんだから私は謝って当然だ。
けれど、瀕死のおばあさんには、注意ぶかくしてもらいたい。
酒場
むかしのクラスメイトに逢う。
新宿駅。
昼間から酒場をさがす。飲み助で、悠然としている。
昼間からやっている酒場ってないものだと思うけれど、ビルの上のほうにあるんだと言う。
見上げれば、なるほどたくさんありそう。
何年ぶりかしら。
狭いようなところはもうイヤで、ちょっとおいしくて、安い所がいいと、笑顔である。
決定はみんな飲み助がする、ゆずらない。考えなくていいからラクだ。
酒場、酒場、ひるまの。
あっちへゆっくり、向こうへのんびり歩いた。
なぜって、まさかやっぱり、12時ごろから開いている酒場なんて少ないわけで。
せっかちで、むかし走っているほうが多かった私は、
そうだ、あらためて新宿の街を見てたのしめばいいじゃないのと、
「せっかち」を胸郭からひそかにはずし、
ぽか、ぽかと、ばからしく、、ゆっくりと、歩く。
ふうん、トシをとって、私はいま、こういう人なんだ。
2017年9月18日月曜日
電話
橋本さんと電話でお話をした。
今から40年ぐらい前に、書く仕事を与えて下さった編集者である。
私はその時、幼年童話を生まれて初めてひとつ書いたばかりだった。
400字×45枚。
ルポルタージュって、おとなの本ですよね?と確かめた。
そうです、と橋本さんは言った。
大人の本って何枚書くものなんですか? と聞くと、
まあ、400字だと450枚ぐらい、ですか。
400字で?! そんなあ!
私は度胆をぬかれて、できませんと言った。
私、45枚しか書いたことがない人間ですから。
それだってマグレだし。
いやいやいや、と橋本さんはおだやかに笑うばかりで、
書ける人かどうかは、短いものを読んでも判断がつくものです、と言った。
小さい時から知っている人である。
父の知り合い。目上なのに、子どものころからでついタメ口。
たぶん有名な編集者。中央公論から移って、現代史出版会の編集長だって。
げんだいしってなんだか、読むだけでも大変そう。
私はがんばって書いたけど、3年もかかってしまった。
出版から35年の時間が流れて、橋本さんは90才になられた。
私だって75才になりそうだ。
今でも、私、質問する人、橋本さん、答える人。
向こうは大インテリなんだし、だから、その関係は変化しない。
つい、質問してしまう。
「私の友人が、たとえ自分の国が崩壊しても戦争はしない、と考えないと、
戦争は世界からなくならない、と云いましたけど、
橋本さんも、同じお考えですか」
電話の向こうから、重みのある究極の返答がもどってくる。
質問の意味を受け止める少しだけの間があって、橋本さんは私にこう答えた。
「ええ、そうです、ね。」
2017年9月17日日曜日
台風だから
夏から持ち越したままの憂鬱のタネを、スッキリ清算したい。
努力の甲斐なく、持ちこして今日に至った自分の数々の欠点が、
毎日ことさら、うっとおしい。鬱病みたいだ。
だからクヨクヨ、くよくよ、なんでもかんでも先送りにする。
本のなかに逃げ込み、一日を浪費し、ふとわれらが現実の世界にもどれば、
後悔と悩みが、ふたたび私の首根っこをつかまえる。
これはダメだ。あんたは(私のことだけど)なんとかしなきゃいけない。
年をとればなおさらだ、 自尊心や誇りや希望や意志の影がうすいと、
生きてても影になっちゃう。。
2017年9月13日水曜日
ブログ再開
ブログをばったり辞めてしまって、病気なのか死んだのか、心配したと言われる。
短文でもと思ったけれど、昨年は余裕がなく、書くどころではなかった。
ブログ撤退のあいだに、体重が13キロも減ってしまって、いまや私は貧困飢餓同盟の
会員みたいだ。趣味がない人間なので、文章を書かなくなったら人格も干からびて、
面白くもないオバーサンが電車に乗っているという感じかしら。
自分は不機嫌に見えても、ヒトのことはキレイに見えて、なんていいんだろうと見知らぬ
乗客に私はすごく好意的。不思議である。あんまりそういう傾向なので、
もうじき死ぬから人間がキレイに見えるのかしら、などと不安に思ったことだった。
13キロも体重を失うと、体が軽くなる。
風が吹くと、コタえるから愉快。
そんなことは、今まで全然なかった。
おかしい。おかしいような存在を、楽しみたいと思う。
痩せた、ということに慣れたのだ。
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