My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2018年1月7日日曜日
いいお顔
去年の暮れに彼が手術をして、本人はもちろんみっちゃんも
看病で大変だったろうに、ふたりとも私よりは元気そう、
みっちゃんが逢いに来てくれて、彼までが家に来てくれた。
3人ですごく沢山の話をした。
なんでも話して、なんでも気持ちを分け合える。
それは年月が計らってくれたことだ。
よくみっちゃんが私を家族同然と言ってくれるけれど、本当にそんなかんじ。
ふたりの顔をながめると、「いいお顔」と赤ちゃんの笑顔をみてみんなが喜んだ時を
私なんかは思う。みんなトシなんだからヘンだけど。
2018年1月6日土曜日
新年五日目
午前中、電話があり、李 鳳宇さんからだった。
最近、思いがけなくご縁を得た映画のプロデューサー である。
去年は天地が割けて、そこから新しい運命がはじまったような年だった。
東北シネマ新社の鳥居明夫氏から連絡があり、
むかし私が書いたルポルタージュを読んだ李さんが、映画化を引き受けたとか。
ふたりプロデューサー で35年も前に書いた本が映画になる。
ビックリだ。
映画関係の本には、案外、李 鳳宇という人の名が登場する。
大物とか有名人とか、李さんはそういう人なのかもしれない。
私はこの人に時々会うようになった。・・・映画の原作者なので。
李さんは初めて会った時、私をみると自分の母親を思い出すと言った。
鳥居さんとか李さんは多忙のあまりに、
原作者なんてものは相談の圏外に奉って無視して、という映画人だと思うが、
それでも二人は、映画の進行状況を時々、私に会っては説明してくれた。
そういう関係が成立するにはもちろんある種の経緯があるが、
一年が終わったころ、私に感銘を与えたのは、李さんの場合だと
長幼の序ということだった。
李さんは映画の人だから、最初から イメージがあって、
原作は原作、映画は映画という、キッパリとした区分をもち、
確固たる見通しのもとに、膨大な仕事をこなしていたにちがいない。
ものすごい経歴は一筋縄ではいかぬ仕事内容をつくる・・・。
しかし、李さんは多忙にもかかわらず頼めば会ってくれ、
私の意見をきいてくれ、時間を惜しまず疑問に答えてくれた。
どういうわけか、李さんは、いつもウソがなく自然で好意的なのであった。
なぜかというと、
それは彼のお母さんを私が思い出させるからという、
最初からの印象に、李 鳳宇さんが忠実だったからではないか。
どことなく素朴な優しさが彼から私のほうに伝わってくる。
韓国人のお正月というと、親族集合が絶対的なものとして大変だときくが、
そういう縛りというか、韓国人の精神風土が、
李さんの私への親切になっているのかもしれない。
子どもの私が、父や母の向こうにみた日本人の心がまえというか心情が、
おかげさまで懐かしく思い出される一年だったと思う。
2018年1月5日金曜日
大きな食堂で
ふと見ると、向こうのテーブルでおかっぱ頭の茶髪がゆれた。
茶髪に白髪がまぎれこんでいる老いた顔がニコッとする。
かわいらしい、冗談めいた表情だった。
大きな夫がそばにいて、テーブルの上を片づける手伝いをしながら、
妻の半外套をもって立ち上がり、着せかけてやった。
べつに外国風というわけでもない、きっと長いあいだ仲がよかったのだ。
私は見ているだけで幸福になった。
「ねえみてごらん、私たちのとなり」
ちがうちがう、すぐ隣りよと私は言う。
息子が横目で、すぐ隣りのテーブルを見る。
そこに、老いた母親と途方に暮れたような息子が腰かけているのだ。
「私たちみたい、あの息子もきっと三番目の子だね、あっはっは」
ホントだ、うりふたつだ、と息子もあきれて笑った。
その老母だけどけっこう淡々としている、ちっとも不幸そうじゃなかった。
2018年1月4日木曜日
不幸
友人の家にいて、携帯電話が鳴る。
長いあいだの友人からだった。帰宅して夜遅かったけれど電話。
娘さんが会社の旅行でセクハラを受け、拒絶すると、
あいつは3万円で寝ると言っている、と言いふらされ、
彼女は会社に帰ってから、社長に抗議。
社長は善処すると約束、即座にセクハラ社員を呼んで彼女に謝罪させたという。
(数日後、セクハラ社員の奥さんが彼女を訪問して謝罪)
ところが謝罪したその足で、セクハラ男は彼女があらぬデマを振りまいていると
社内に言いふらし、他の上司からお前が悪いと言わんばかりの注意(あてこすり)を
彼女は受け、善処は空約束でなんの進展もなかった。
娘さんが母親に話すまでに約二ヶ月かかっている。
セクハラ社員に社内でいき会うと精神に不調をきたし、心療内科に通い・・・。
よく知っているけれど、
苦労して大きくなった胆力のある強い娘である。
結婚して鎌倉に小さな家を建て、夫婦でローンを返しながら働いている。
夫は優しい、大島の人だから彼女を大事にしている。
彼女が法的解決をしたいと言うと、賛成したそうである。
弁護士についての相談だった。
ひるま私がうかがっていた友人のお宅は、豊かでとてもスマート、
なにからなにまで理に適っているという素敵さであった。
早くから日本のシステムに見切りをつけ、ハーバード大学で研究を続け、
アメリカ国籍を取得、子ども3人はみんなアメリカで成長しアメリカで結婚生活、
数々の写真で私がまことに胸をうたれたのは、
いかにもの家族という感じ、みんなが健康で幸せそうだということだった。
家族というあの感じ、ささやか?な理想が、立派に実現していることだった。
夜中にセクハラの話をきく前から、私はみんなのことを思い、
みっちゃんを思い、自分や子供たちを思い、朗読の仲間を思った。
日本の、我が国のシステムは、どうしてこうも不安と不幸を呼ぶのだろう。
2018年1月3日水曜日
アメリカの「人の在り方」をきく
就職活動の自由について。
日本とはまるで違う。
現在の日本では就職のための面接は、屈辱的で、
辱められることの繰り返しではないかと私は想像している。
それはなぜか。
アメリカでは部門別に求人を行う。
日本では人事部が求人を行う。
2018年1月2日火曜日
やっぱり晴れた
晴れた日の朝は、行く先になにが待っているかわかりませんが、
温かい光線が、おとなしくて笑顔のいい少女のようです。
朝日をあびて、みんながじーっとしています。大きな樹も小さな木も。
私の部屋のガラス戸のむこうにみえるのはメタセコイヤの大木で、
小さな庭では柿の木が、しょうこりもなく小枝をつんつん空にむかって伸ばしています。
2018年1月1日月曜日
お正月の夕空
あけましておめでとうございます。
きょうはずーっと忙しくって、夕方、やっと外にでました。
見上げると、おどろくほどまるくて黄色い月が紺色の空にくっきりと輝いています。
今日に続いて明日もお天気。晴れる、まっ、いいか、とりあえず晴れるなら。
どういうわけか、どんどん楽天的になって、私は6月になれば75才ですが、
いまのところ兎に角のーんびりしたおばあさんになりたい。
今年の抱負はそれです。
ブログをどんなに短いものでも毎日書きたい。
宮沢賢治の童話にざしきぼっこのはなしというのがあって、
あっちやこっちに、べつべつのざしきぼっこが、・・・・出る。
いただいたお年賀状を読んで不思議になることですが、
ぜったいに会えないような気のする方からいただく賀状がいくつかあって、
そうだ、私の過去にも、ざしきぼっこがいたんだなあと。
数えてもかぞえても、やっぱりいたのだかいなかったのだか。
でもそのヒトは私の貧しい人生をきっぱりと、
一度は柔らかな足取りで横切ってくださったのでしょうね。
年の初めにあたり、みなさまのご多幸をお祈り申し上げます。
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