2018年7月11日水曜日

小鳥は何時に起きるのだろう


小鳥は何時に起きるのだろう
どうも夜明けの3時半みたい
そのころきちんとおきれば、私もひと仕事できるのに

東の空に太陽の赤色が千差万別に混ざる、暗黒をおしのける

小さい団地を見つけて住んでいるので
点々と、知っているご近所さんのことを思い浮かべる、
作為もなく、わけもなく
いや、おそらくなにか、わけはあるわけでも
イメージは不意にやってきて、あてもなく消えてしまう

こんなに何年もかたまって住んでいるのに、
知らない人のほうがずっとずっと多いって、
へんだしふしぎだし、
快適でも不自然よね




2018年7月10日火曜日

ナイン・パーティーに行く


やっとのことでナイン・パーティーに参加。
憲法9条改悪に反対するロックバンドのライブ。
毎月9日、19時半ごろ。下北沢「スリー」で開催。
ゴロゴロのユウくんの企画。私にとっては少ない希望のひとつである。
少ないギムのひとつである。良心に照らしての義務というもの。
現政権下での憲法改悪に反対する有効なプロテスト。 
私は家が遠くて、終わりまでいると帰れなくなる。

23時11分の小田急電鉄にやっとこさ間に合って、家にもどって来た。
ホッとして、もう。

この1年、
疲れがひどいからと、電車が新百合ヶ丘駅に着いたというのに引き返し、
ノロノロ帰宅したことが2度ぐらい。忘れたことも何度か、ある。
下北沢のライブハウスに着いたとして、それから3時間轟音と向き合うなんて。
1日に家事+用事+ライブはもう無理で、電車に乗ってからできない相談と思い知る。
トシだからと人にも自分にもそう説明するが、そんなことでもないのかしら。

昨夜こそは素晴らしく楽しくて、優秀なパーティーだった。


2018年7月9日月曜日

スリー・ビルボード・メモ書き。


最初、このアメリカ映画がきらいだった。
身近な、凄まじいパワーハラスメントを行った会社員そっくりの下級警官。
娘をレイプされ焼き殺された母親が、なんとこの差別暴力サイコ野郎に共感、
ふたりして、軍が隠ぺいした真犯人を、ぶっ殺すかもしれないけど、
もしかしたらそれはやめるかもしれない。
とそういう結末に我慢ができなくて。不愉快で。

次の日、もう一度みる。・・・するとそんな映画じゃなかった。
世界は現在、結末もなにもふくめて、この脚本の通りではないか。
「スリー・ビルボード」は現代を寓話化、この映画は鳥獣戯画なんだ。
マキシム・ゴーリキイの「どん底」を下敷きにした理詰めの脚本。
母親による大看板(ビルボード)三つ。
「事実」と「責任者の名指し」と「告発」。
憤怒と暴力と偽善を代表する主役三人。俳優は超一流。
気がつけば現代アメリカ全体を完膚なきまでに分析、批判して秀逸。
脚本、監督、俳優にまったくスキがないから、惹き込まれてしまう。
どんなにイヤでも。
スキがないとはどういうことか。
情緒など問題外といわんばかりの人物造形がみものだ。
つまり、
徹底した憤怒は反省抜き。
警官は単純バカで人種差別暴力OK南部型マザコン。
そして警察署長の永遠なる偽善。ダブルスタンダード。
結果右も左も、世界中が偽善にホント好意的。
そういうわれらが世界 ではないかと、この映画はいう。

・・・「あの日のオルガン」の対局にある映画。

宮沢りえ主演の「お湯を沸かすほどの熱い愛」はクロサワの「生きる」が下敷き。
名優志村喬の市役所役人が、宮沢りえの場合お風呂やに変わっていた。


2018年7月8日日曜日

映画館にいく!

 
どうして「!」をつけたかというと、ひとつもマトモに進行しなかったので。
まず本を読んじゃって東中野で降りなかった。
まさか、新宿の、次の次の駅が東中野だなんて。
気がついて降りると、中野駅って、
どうも東中野に止まる電車のプラットフォームが一つじゃないらしい。
普通には電車はこない、でもそのうち来る、というプラットフォームがあるのだ。
階段を降りて昇って、そのばかばかしいプラットフォームに着いてしまった。
一つ隣の各駅停車の駅なのに、東中野は。
電車が来ないから行けない。映画の開始時刻に間に合わない。

新宿にもどってお昼ご飯を食べてから映画、と考える。
時間がありすぎるので、新宿の地下道をずーっと中村屋まで歩く。
食べるのに時間がかかりそうなセット・ランチを注文。
「コールマン・カレーってどういうものですか?」
ボーイさんが、ヨーグルトとクルミのスープでなんとかと言う。
鶏肉がいやだったので、お肉はと質問すると、
「牛肉でございます」
忙しい時でイライラしたのだろう、ボーイの目の色が冷たくなって、
失礼だし不愉快だった。私をばかだと思っている、それが私に伝わらないと
なぜ思うのか、不思議だ。
しばらく待つと注文のセットが別のボーイによって運ばれてきた。
どう見てもカレーに浮かんでいるのは、ジャガイモと鶏肉の塊なので、
これはコールマンカレーですか、ときくと
「さようでございます」
客とは気の弱いもので、鶏肉みたいな牛肉なのかもしれないと、思う。

コールマンカレーは殆ど残した。腹が立ってきて、
ウェイトレスにきてもらい、説明がまちがっていたと申告する。
気の毒そうに平謝りしただけで、彼女は向こうに消えてしまう。
中村屋ってなんなのだ。
そう思いながら食べていると、しばらくして、
私にこれはコールマンカレーだと答えたほうの人が来た。
少し年配だから、ボーイ長なのだろう。
謝ってこれからきちんと教育をいたしますので、という。
悪気もなんにも彼にはないが、それだけである。

こういう場合は料金を取るべきではない。
それが老舗の立場である。高価な設定はいい加減をゆるさない。
料金を支払うかどうかは、間違えられた客が決めることだ。
もちろん些細なことだから、客は当然、料金は支払うのである。
払いたくなければ、料理が運ばれた時点で、抗議しなければならなかった。

私の扱いにこまって、お飲み物をサービスいたしますと、
衆人環視のなかで彼は言ったが、私はサービスを追加しろと言ったのではない。
なにもかもセットしてあるランチを注文したのだから、
お飲み物はもういらないのだ。

また東中野に行く。
映画館のカフェで、まーだ時間があるので「お飲み物」を注文。
腹が立つけど、そういう日なのだ、きっと。なんかかんかが掛け違う。
ちょっと、可笑しいというか。
前の回なら講演つきだったのに、それだってダメになった。
ロクなことがないけど、そういう日もあって、それでなんとか、日常の均衡が
保てているのかもしれないのですよね。

映画は、ドキュメンタリーではなく、劇映画だった。
「返還交渉人」である。こういう企画。俳優たちの努力。
「あの日のオルガン」も、こんなふうによかったと思ってもらえたらと願う。


2018年7月6日金曜日

朝から晩まで右往左往


早朝から、もうずーっといそがしい。
ハナウタまじりにやればいいかもしれないけど。
お弁当を作り、朝ごはんを作り、ついでにメールに「スリー・ビルボード」という
コーエン兄弟系統の映画の感想文を入れたら、
朝だというのに終末間隔、もとい感覚。
7時が8時になり9時になり、
朗読の自主サークルたんぽぽの人たちが11時に到着するのに、
朝ごはんが半分のこって、テーブルの上にある。
洗濯だって半分しかできていない。曇りだし、雨だし。
台所がすごい。

なんとか頑張る。お湯を沸かしておこうと思ったところで、7人が到着。
1年に1回のサークルの5回目、いつのまにか5年・・・。
こういうのを定点観測というのかしら。

今回は「ないた赤鬼」の、青鬼さんと赤鬼さんの物語り、輪読である。

練習が終わると、中西さんが打ってきてくれたお蕎麦をみんなで食べる。
不思議にも中西さんはこのサークルの、たった一人の男性だ。
いつもお蕎麦にいろいろ乗せるように準備してくれる。
かつお節、おろし大根、ワカメ、ジャコ、鶏肉、紅ショウガ、
だれかが運んでくれた青い小茄子の浅漬けまで、お蕎麦にのせて、
私たちは中西さん特製のだし汁をぶっかけて食べ始める。
自分じゃできないことだし、すごくおいしい。
お茶も飲むし、お菓子も食べるし、果物もあって。

老境の5年は、過ごし様によっては、豊かな内面をはぐくむものらしい。
府中の多摩市民塾から派生した小さな独立小グループ。
時がたてばたつほど、こだわりが姿を消し、
不器用だったり、難しかったり、神経質な人もいるはずなのに、
どんな心遣いでこの人たちは5年をもちこたえたのだろう、
一人一人がいかにものお人柄そのまま、にこにこと落ち着いて、
めずらしいことだと会うたびに思う。
うれしいし、こうなると見たり聞いたりもラクチン。
朗読の練習も私は気がねなく、くったくもなく、ぽんすかぽんすか。
まー、まぁ、さいわい私はコーチで、上から目線。
みんなの方はドッキリしちゃって、1年に1度の「教師」相手の朗読だし、
おもしろくもおかしくもないのかもね、私ほどには。

夕方、洗濯を乾かしにコインランドリーに。
乾かすあいだに、生協で食材を買う、お米とか、お醤油とか、ゴボウとか。
雨が降って、クルマもびしょぬれ。
乾いた洗濯物を 袋詰めにし、ジャンジャン雨がふる中を
帰宅。

よせばいいのに、「やかまし村の春夏秋冬」をDVDで見る。
あんまり自然で、子どもらしいので、笑いながら泣きながら見て、
映画の中の子どもが笑うと笑ってしまい、あんまり幸福そうだから泣いたりして。

今日はいくらなんでも一冊も本を読まなかった。


2018年6月25日月曜日

温泉場の一日


温泉場にふつうの日に行った。
くたびれちゃったからだし、息子が休みの日だった。
ほとんど人がいない。
受付で手続きをしたら、このごろ来ないねと話してました、と言われたとか。
はははと笑ってしまった。
いつもグリーンの毛布をもって入館し、私と息子は一日中、大広間のどっかで、ご飯だとかウドンだとか、地場野菜のいろいろを食べては、持ってきた本を読む、お風呂に入って、眠くなると寝てしまう、それからまた本を読んで、それぞれ勝手に食べて・・・を繰り返す。夜おそくまでいる。
存在としては地味だと思うけれど、なにしろワンパターンだし、バカのひとつ覚えみたいに春も夏も秋も、1時間40分ぐらいかけてなんとなく通うから、受付の人だって覚えてしまうだろう。ほら、あの毛布もってくる人、とか。

すごく空いている日だったが、うるさい日で、大広間のこっちの隅から、あっちの隅に
引っ越したりした。大声で会話する3人組がうしろにいて、1人がえらそうに指図している、その指図の内容がまったくほんと気に入らない、・・・こういうのは困る。
それから小さい子どもが、たびたび金切り声をあげる。自分の子どもだったら外に連れ出して、ほかの人たちに悪いと、どんなに小さくても説教する。外に連れ出すのは子どもの面目をつぶしてはいけないからである。

温泉に入ろうかと思う。のんびりしに来たので。
息子は本を読んでいる。しばらくして戻ったら、ボーゼンとした表情だ。
どうしたのかきいたら、壮絶な親子喧嘩があったという、
ものすごい怒鳴り合いで。初めおばあさんが息子を怒鳴りつけ、息子も暴力団みたいに怒鳴り返し、それから外に飛び出していき、そのあとお嫁さんもけっこう大声でハッキリ、おばあさんにこういう事はやめろと、それでまた、、。
受付の人も厨房のおばさんたちも、みんな、強烈、壮絶な怒鳴り合いにただ呆然とするばっかりだったとか。
最初にキレたのはおばあさんで、聞いたこともないほどの罵り声だったそう。
なんて言ったのと聞くと、この穀つぶし、厄介者、出来損ない、もっと凄かったけどよく思い出せない、凄すぎてあんまりで。
「この穀つぶし? ずいぶんクラシックな人だね。民話みたいじゃない?」
それでも、そのおばあさんは私なんかよりずっと、ずっと若かったそうだった。
見たかったなあと思うけれど、見ないですんでよかった。
なんだか、不愉快をもらって、のんびりした一日がやっぱり壊れたろうと 。

みんないなくなって、夕方がきて、そして夜になった。




2018年6月20日水曜日

仕事が一段落


なにがあろうと、ブログを続けて文章の鍛錬をと思っていたのに、病気になったり仕事の〆切をまもれそうもなかったり。やっと「君たちは忘れない」復刻版の作業が終わり、前書きと後書きを編集者に渡してしまったので、このページにもどれる。前書きも後書きもすらすらとは書けず、考えてはウロウロするうちに、自分は文章の書き方に気をとられているけれど、ほんとうは新しくご縁ができた人々をどう考えたり思ったりするのか、それが書ければいいのではないか、と思うようになった。

大阪の地震がすごく心配。大学時代のクラスメートがいる・・・。
彼はずっと、私にとってはだいじな友だちのひとりで、ふるさとは遠きにありて思ふものとでもいうような。私たちは一年に一回、数人で再会しては、むかしのままの変わらぬ風情をそのままだと確認して、分かれていく。各自同窓の枠組みの外で、自分なりに努力して生きたにもかかわらず。今日だけはと素朴に昔にかえり、束の間の平安を得て。

震災の土地にいるなんて。・・・無事だろうか?