My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2020年4月8日水曜日
夜中の奮闘努力
真夜中。台所の向こうの小部屋が、ゴミ箱まがいになって、ホコリとゴミと、
何がなんだかわからない資料の積み重ねのやま崩れで、もうがまんができなくなった。
なぜってそこが私の眠る部屋だからだ。すぐ頭の上に電気スタンドと本棚。
ずっと、そのいまいましい場所で強引に寝ていたけど、いくらなんでも限界で。
よせばいいのに、出先からもどって、夜の9時から片づけ始める。
そうすると元気になるからおかしいが、お掃除は私の園芸?みたいなもの、
夜中だから掃除機はかけられないけれど、ホコリと泥?とゴミと戦い、本を移動し。
・・・どんどん夜が更けて、・・朝食の支度が向こうから、近づいてくる。
ひるま大橋杖代さんに電話したら、ご夫婦で外を歩いているところだった。
途中、Mr.が受話器を彼女から渡されて、これから帰って本の整理をとおっしゃる。
杖代さんも必ずそうだけれど、明るくて楽しそうな・高度親切安定音。
笑顔が見えるようだし、365日もう絶対にうたがいもなく好意的な声音だから、
大橋家に電話する人は、たぶんみんなうれしくて安心だ。
それはとにかく、帰ってから本を整理する、というMr.の声が引き金になって、
いまの私の夜中がある。
じょうだんじゃないわよー、どうしようまったく。
2020年4月6日月曜日
一億総コロナ
一億総コロナはどうかと思う。
昨夜やけくそみたいにそう考えたけれど、なぜそう思うかを、
分解して考えてみたい。
童話みたいに、私たちの人生をわかりやすく分解して考えると、
いま、人はどういう不幸を抱えているんだろうか。
私たち日本人は、どういうことで死のうとしているんだろうか?
正体のわからないウィルスが世界中をおびやかしている。
これについては世界の国々がさまざまに反応し対応している。
ニュースを観れば、間に合わないことばっかりだ。
だから死は、国境を無視して、蔓延する。
しかし、私たちはいま風邪の蔓延だけで、死んでいるんだろうか。
私たちはなんで死ぬのだろう?
先日のニュースは、コロナの蔓延にも関わらず夜間出歩いた男が、
警備兵に射殺されたと伝えた。それはその国の対策だった。
これも、ひとつの「死体」であるのに、出歩いた男の死は、
私なら私の頭の中では、軽い死である。どうしてそうなる。
「死」というものには、うっかり軽い死と重大で重い死があるんだろうか?
死はだれにとっても人生の終わりだ。
少なくとも、絵本や童話の世界ではそうだ。
子どもは、誰に頼まれなくても、はじめからそう思っている。
私たちはそういうところから、人類を始めるのである。
でも、早く死ぬ人も、いつまでたっても大丈夫みたいな人もいる。
そうすると、死というものが、ぶよぶよに変形していく。
器用なおとなの頭のなかで。工夫でなんとか長生きしようみたいな。
料理、病院、クスリ、心療内科、なにより経済力、それには学歴。
子ども相手の理屈では、悪いことをしたり考えたりすると、
閻魔大王が舌を引っこ抜くし、あんたは地獄に落っこちるよ、
で終わるけど、コロナ蔓延の全世界ではびこっているのは、
べつの、暴力的な暴論、なにがなんだかわからない「結論」なのだ。
最近の出来事で、酷い死に方をした人は、だれだろう。
3月26日号「完売御礼」の週刊文春、見出しを引用すれば、
「森友自殺(財務省)職員遺書全文公開」 赤木俊夫さんの自殺がある。
奥さんが佐川・理財局長と国家を訴えたという記事を、私も読んだ。
不正に手を貸すことを強いられ、鬱病になり、検事に電話で何を云われたのか、
首吊り自殺した54才の彼。
鬱病の経験がある人なら、自分のことのようによく判る自殺だと思った。
ひところの死に至る病に、エイズがあった。
人はエイズでも死んでしまう。これだって死である。
ジョルジュ・ドンは20世紀バレエ団の花形ダンサーで、まさに天才だった。
1982年の秋と夏、2度日本で「ボレロ」を踊った。
私はフランス映画「愛と哀しみのボレロ」を何回、見たことだろう。
モーリス・ベジャールは1997年のドンの死を、こう書いている。
「ドンは舞台の上で死にたがっていた。だが、彼は病院で死んだ。」
そんな死とこんな死は365日あるだろう。
そのほかに、日本では子どもが親の手で殺される。母親の連れあいに殺され、
母親にも殺される。同居のおじいさんやおばあさんにも殺される。
子どもは、子どもたちの手でも、殺されている。すさまじい拷問つきで。
死は毎日のように小さな子どもや弱者に襲いかかるのだ。
子どもたちは、どんな気持ちで死ぬのだろう。
コロナで死ぬのとどっちがこわくて、どっちが無惨な処刑なのだろう。
コロナウィルスがもたらす死は、これから成人した弱者を襲うだろう。
そう思うと、気持ちが悪くなって、じっとしていられない。
私はほかにチャンスがなかったので、息子たちにたのんで、ライブハウス通いを、
20年もした。若い人たちの中に遠慮しながらすこしいたわけである。
それで、まずライブハウスに集まっていた彼らのことを考えてしまう。
働きながら、自分たちの生きる中心に音楽を置いて支えるという清貧。
大会社の庇護を受けられない、あの彼この彼女の姿が浮かんでしまう。
1億総コロナって、片手落ちじゃないだろうか。
これでいいんだろうか。
そそくさと窓を閉め、戸をしめて、手をあらい、うがいをして。
自分の命のことだけつい考えて。
2020年4月5日日曜日
日曜日なのだった
買い物に出かけたら、
向こうから「親類ぜんぶ集合」みたいな人たちがやってきた。
すごく珍しいと、なんだか思った。
先頭には3才ぐらいの幼女が元気にあちこちして、
面倒をみているのはやせぎすのパパだ。地味なメガネの疲れた30代。
そのうしろに、親戚のおじさんとおばさんみたいな2人、それからパパの奥さん、
奥さんのお姉さん夫婦、みたいな人たち。
お姉さんはモノ悲しげなおばあちゃんの肩を抱いている。
みんなで歩いていく。・・・ゆっくりと、ぞろぞろと。
20センチぐらいしか離れずに、みんなでなんだか歩いて過ぎていく。
全然楽しそうじゃないので、こんにちわと言うことができず、
残念な気がしてならなかった。今どき偉いなあと思って。
コロナ厳戒粛々従うばっかり都市の、この午後なのだ。
こんなにかたまって歩いていくなんて、不思議というか個性的というか。
それからまた、私はスーパーマーケットの方へと歩いた。
すると行く手に、初老のご夫婦が、二人とも立ち止まって袋の荷物を整理中、
旦那さんは病身らしく、不機嫌だし硬直気味だけれど、
頭上の桜の花はどの枝もどの枝も華やかに満開、あの雪のあとなのに。
「まあ、なんてきれいなんでしょうね!」
私がおどろいてしまったら、白髪の身ぎれいな奥さんが優しい顔でにっこり。
「ほんとうに見事ですよねえ」
私達たちのいるこちらの並木では、桜はすべて満開、
向かい側では、すべてがもはや葉桜。
それも不思議、「親類ぜんぶ集合」の人たちもすごく不思議。
ああ、さっきの人たちはお花見をした帰りだったのか、
そうは思わなかったとあとでびっくり。今日は日曜日だったんだと。
お花見ってこうなるとやっぱりすごく大事よね。
次から私もみんなとグズグズしないでお花見をしよう。
もう「よいトシ」なんだから、にこにこして勇敢に人格をたて直そう。
1億総コロナ、はどうかと思う。
2020年4月4日土曜日
絵本「いつもだれかが」
という絵本がある。
「おじいちゃんは、よく、お話をしてくれる」 で始まる。
聖書を読まない代わりにこれをパソコンのなんと言うんだっけマウスだ、
これって鼠という意味なの? それはともかく、マウスの下敷きにしている。
いわば私のお守りである。
絵本によれば、
ふつうのおじいちゃんなんだけど、このおじいちゃんのふつうの不運は、
見えない天使がぜんぶストップさせてくれている、
それが絵でわかる。おじいちゃんはそれ知らないのよね。
挿し絵のほうに、ひらがなで、まずこう書いてある。
ぼうや、わしはなにをしても、うまくいったんだぞ、、、。
それが物語のはじまりだ。
いまになって、私もこのおじいちゃんぐらいのトシになって、
急にそんな気になってきたから、変である。
おじいちゃんは小学校に行った。
事故。地面に穴ぼこ 。ならずものの待ち伏せ。ガチョウの襲撃。
ぜんぶ天使がストップさせている絵!
私は電車で経堂駅の小学校にいったけど、
よその家の玄関ベルを鳴らしては逃げた。流行りの遊びだったのだ。
いじめっ子だった。猫でもクラスの子でもいじめた。
秋なんか高い塀の上に腰かけて、
向こうから、よく行く小児科の先生が来たから、手をふって
きゅうに塀から仰向けまっさかさまに落っこちてみせたことだってある。
サービスのつもりだったんだけど、
先生は赤いひとで、太っちょで頭もハゲだったけど、まっさおになって、
私が落っこちたお屋敷の裏にすっ飛んできた。
私はいつもやるから知ってたんだけど、
先生は、秋だといつも落ち葉がびっしり塀の後ろにヤマのように
穿き寄せてあるなんて ぜんぜん知らなかった。
なんでそんなに心臓麻痺みたいに先生がビックリしたのか、
小さいから全然わからなかった思い出だ。
ユッタ・バウワー作・絵 ドイツのハンブルグ生まれ。
私は不幸にしてふつうの悪い子だったけれど、
このおじいちゃんは、なんだかよい子、災難のほうがワルイ。
だから天使が守るのかしら。
いやいや、いまでも生きているっていうことは、私にも
なんのかんのと理屈をつけて、助けてくれる天使がいたのよね。
と思いたい。
コロナ・ウィルス・あれこれ
ブログのための時間を、どうしても取り損ねてしまう。
こんな時こそ、ブログって私にはだいじだけれど。
掃除、洗濯、買い物、電話、メール。なにしろ病気の人が多いし、
救急車が三度も通るし。
見に行くと鶴三会の(ひとり暮らしの)人じゃなかったみたい、ホッとした。
夜空を眺めながら、すぐそばに心配な人が住んでいることの幸せを思う。
みんなで年をとっていくって、私の感覚では幸せだ。
この10年来の、人数のふえない老人会仲間が好きだなんて、神様のお恵みだ。
私なんかに好きな人が増えたっていうのが、ミラクルみたいな。
私に閉塞感がないのは、住居が多摩市にあって、しかも多摩センター駅から
歩くと15分もかかるからだとわかって来た。
スーパーマーケットだってガラガラ。
車返上の70才や80才は買い貯め不能だから、商品がちゃーんと並んでいる。
経営者の立場にたたずに考えるなら、こういう時はこうあるべきなのだ。
3・11の経験から近くの三徳というスーパーマーケットは、
「一軒につきトイレットペーパー1包み(6個入り)限定」の貼り札をした。
それで、不安と焦燥感が静まったしおさまったのである。
今は人間ぜんぶが不幸なのだから、落ち着けばいいのだ。
落ち着くことは努力で、できる。経験豊かで考える人なら、できる。
バカだとできない。なんとかして落ち着きたいと思う。
きのうは駅に近いマーケットに出かけた。ここは会社帰りの人が駆け込むからか、
値段設定が高い。商売なんだなーとびっくりした。
むかし三越いまココリアの地下のほうが、いろいろ品数があって、
値段設定もまちまち。 ここが買いやすいのはどういう工夫だろうか。
私は歩いて買い物に行き、歩いて図書館に行くようになった。
歩くとたぶん、血液が生き返るはずだし、地球とカンケイができる。
コンクリートばっかりだけれど、土ってやっぱりいたるところにあるじゃないの。
図書館は厳戒態勢だが、予約本の手渡しはOKである。
多摩市のこの方針はリベラル派の市長なればこそと思う。
書物は自由や、健康保全や、現実逃避や、ユーモアや、生活上の工夫の宝庫である。
読書の習慣をまったくもたず、
日本語をカタカナまみれの英語?だらけにし、
あげくの果てが「アベノマスク」、
50億円かけてマスク2枚国民全員に配るとか言って、
世界の笑いものになった独裁者を首相にしたんだけど、
その結果を導いた選挙民の責任はホントにどうなる。
いったいどうしたら、「アベノマスク」を生む無知蒙昧や極端な主観主義から、
私たちはぬけだせるのだろうか?
子どもたちに、自由な判断で選んだ大量の読書を。
学校は義務ではなく権利でもって行くところなんですから、もともと。
どんなに長くかかっても、こういうすがすがしい基本にかえることが、
どん底であればあるだけ、日本人にはだいじなんじゃないでしょうか。
2020年4月2日木曜日
どうして悪いの!?
週刊文春4・2号「池上彰のそこからですか」って不思議な書き方、
「池上彰のどっちつかず」みたいな。
すごく面白いことが書いてあるのに、いや面白いのかやっぱり。
今回の話題はトランプ大統領の言動について。
(プラス自民党政府についつい言っちゃう池上グチ愚痴)
抜き書きするとこうだ。
トランプ曰く。
❶「ウィルスはまもなく消えてなくなる。」
ところがご承知のように、これがとんだ見込みちがい。
するとトランプ意見を変える。 変えたほうがいいでしょ。
まちがってたんだから。
➋3月13日 国家非常事態宣言。
(感染対策として連邦政府が
資金支援・最大約5兆3500億円用意するよと。)
❸ウィルス検査500万件体制を徹底する。
(民間業者と提携、グーグル全面協力、検査無料なり。
保険なし2000万人、検査料30万円がアメリカの現状)
➍学費ローンの金利をすべて免除。
❺備蓄用石油・大量購入(石油産業救済)
➏3月17日 追加対策案発表。
国民ひとりあたりに約10万7千円の小切手を支給。
(池上ビックリ。これって国民全員買収案じゃないかと!)
なにしろ選挙前ですからね。
サンダースやウォーレンの政策からのイタダキだと、
池上さんは呆れてみせるのですが。そのくせ➋でこう言う。
秀逸である。
池上➋「国家非常事態宣言」という用語を聞きますと、
国民の自由を束縛するなどの恐慌な手段 に道を開くイメージ
があるけど、全然そうじゃないんですよ。
池上グチ❸いざとなったら徹底的にやる、さすがアメリカ。
事態の悪化には、思い切った対策をとらなければならない。
だのに日本ときたら太平洋戦争なみにまた小出し。
池上➍「バーニーの主張いただき」が、池上コラムの小見出し。
まねっこ乞食はよしとくれ。子どもってそういうこと言うけど、
主義主張は専売特許じゃない、そうしない方がいいと思う。
とりわけコロナウィルス撲滅に関しては。
2020年4月1日水曜日
ゆっくり考える
みなさん、お元気ですか?
昨日は、図書館に電話して、本の名前を言い、口頭で予約。
本館が近いので、そこへ、歩いて取りに行きました。
そんな簡単な手続きで、すぐにも本を渡してくれるというのがとても安心です。
歩道に人影なし。のんびり ぽくぽく歩いていくと、黄色い花が咲いていました。
音もなく小雨がふりはじめ、鮮やかな葉っぱと一重の小花がきれいです。
ところが名まえを思い出せません。
おぼえているのは、この花に自分がいつも薄情だったことばかり。
昔から、どこにだって、春になれば咲いていたのに。
こんな今しか、穏やかな気持ちが自分にはできなかったんだなあと思いました。
図書館で本を受け取ったあと、買い物に行きました。
モヤシと小ネギ、片栗粉。買い足しです。それから蓬のお団子なんか。
すると黄色い小花の残像が、なぜか、とんとんノックしてくれたような。
スィーッと「ああ、山吹」! 漢字で思いだしました。
やれやれ、最近なんでもかんでも、こんな調子です。
夜になったら、また良いことが。
団地向こう三軒目の方が、銀・六餅という優雅なお菓子をもって、私の家に!
同い年だけど、30年以上もまえ私の子どもの学校の先生だった人です。
いつもお互いに、あの人は忙しくって留守らしい、と思っているのですが、
こんな時は、やっぱりトシなのだし、そうでもない。
私はこの方のおかげで、
ノーベル賞を受けたスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの3部作をよみました。
「ボタン穴から見た戦争」[戦争は女の顔をしていない」「チェルノブイリの祈り」
すばらしいルポルタージュでした。
このあいだ鶴三会の席上、彼女が私に誘われて鶴三会に参加したと言いました。
友達いないでしょこの団地に、と言われたって。
そんなこと言わなかったと思うのですが。でもやっぱり、なんだかうれしい。
きらわれなくてよかったなーと思います。
すばらしい、といえば、ここ2,3日、物凄い映画をDVDで観ました。
息子が選んで私も観たんですけれど、
「ジョーカー」はアメリカ映画。
「スラムドックミリオネア」はイギリス人が監督したインド映画。
両方とも、監督がすごい。
ジョーカーでは、ホアキン・フェニックスがすばらしいと
びっくりしてしまいました。
病気の人が多いし無事をたしかめたり、歩いたり、本を読んだり、映画を観たり。
おばあさんの一日は、あっというまに、日も暮れるし、鐘が鳴ってしまう。
月日が流れてしまう。こまったことです。
今日から、またブログ再開。
私のモットーは、戦いつつ家郷へ還れ、ですもんね。
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