2020年5月20日水曜日

青春


むかしのノートを見つけた。
たぶん「チボー家の人々」からの抜粋。
マルタン・デュ・ガール 。

・・・・・
写真といっては一枚もない。昔の思い出は何もないのだ。
自由で一人ぼっちで思い出なんか、よせつけていない!

そして突然地平に向かってひらかれた一つの路、大きな抜け穴。
即ちできもしないような生活から足を抜き、これを投げ捨て、
行きあたりばったりに踏み出し、生きて行くこと!

なにからなにまでやり直す! 
やり直すためには、なにからなにまで忘れてしまう、
そして人にも忘れさせる!


青春のただ中にいる時には、「チボー家の人々」というフランスの大河小説が
青春の書だといわれるわけが私にはよく判らなかった。
今ごろになって、不意に本当にそうだったと思いあたるなんて。

長男が本を読みたいけど見当がつかない、ぼくは遥とちがって10本の指だと
余りが出るぐらいしか本を読んでないから。
そう言って、なにから読み始めたらよいかと相談してくれたことがあった。
高校生だったろうか。パン職人になろうかと考え始めたころだ。

・・・「チボー家の人々」がいいんじゃないの、と考えて言ってみた。
読むのは大変だけどね、すごく長いよ。
買うのはもったいないからと、私の大学時代からの黄色い表紙の古本で、
読書を開始。 彼は2年ぐらいかけて、働きながら学校に行きながら、
主人公のジャックやアントワーヌといっしょに生きた。
うわさ話をするのがおかしかった。ジャックがとか、いまアントワーヌが、
とか話すのだ。ずーっと読んでいた。
ビックリだった。
そういう読み方をするヒトがいるのかと、物語を観ているみたいだった。

読み終わったとき、お祝いしてあげればよかったのに。
仕事、別居、離婚に病気、私の継母の介護。
おしまいまで読むなんてすごいと、ただもう喜んだことしかおぼえていない。



2020年5月17日日曜日

この子たちのアフガン


可愛い子どもの写真集があったので手にとりました。
オーロラ自由アトリエの発行。
カメラマンは川崎けい子さん、
「この子たちのアフガン」というのです。
開いてみたら、息子にあてた川崎さんのサインがあり、
5月18日と日付がしるされていました。
いったい何年の5月18日に、
息子はこういう写真展に行ったのでしょうか。
2001年に発行され、1500円だったこの本。
作者はさいしょにこう書いています。

「アフガニスタンでは20年以上も戦争が続いている。
国内のグループが、自分たちは正しいのだと言って、でも実は
自分たちだけが甘い汁を吸うために、
お互いに殺しあっているのだ。」
・・・この小さな写真集は、
戦火のなかで生きる大勢の小さな子ども達を、
だいじにだいじに写しているんですよね。

それからも内戦はずっと続いて、
中村哲医師が去年12月に殺されました。
この子たちのアフガ二スタンは今だって、
もう30年も戦争を続けているのですよね。
一生難民という子ども。
世界には戦争がいくつあるのかしら。
私は最近、考えてしまうのです。
いったい世界中で、どのくらい人が殺されているのだろうか。
戦争で殺される人類の数って、
コロナで死ぬ人より少ないんだろうか、今では?
・・・なぜコロナのことばかり
こうもわたし達は考えてしまうんだろう。




2020年5月16日土曜日

美人だったのかぁ


茶封筒に入って、遠くから少し哀しい手紙がとどいた。

むかし
家族といっしょに引っ越していく彼女の送別会を私の家でしたとき、
色紙にあんまり、美人だ美人だビジンだとみんなが書いているので、
「この色紙があれば、あなたもしばらく頑張れちゃうわよ」
私はあはははーっと笑っちゃったっけ。
「あなたって美人だったのかぁ、これだけの人が書いてるんだもん!」
なにいってるんですかーと大合唱がおこったからおかしい。
「すごく美人じゃないですかぁ!?」

苦労の多い人で、いつも努力。苦悩を抱えながらしっかり働いて、
愚痴とは無縁、個性的なのに控えめだ。
幼稚園で働いている時も、小さい子を追いかけて走る姿がきれいにきまって、
それでも私には、大きな瞳の下の目の隈ばかりが見えちゃって・・・。
笑うとキラキラおかしそうになるけど、
ああ、このひと遠くに行ってどうなるんだろうか。 
卒園児の母親だった。臨時職員になってもらって私にはありがたい人だった。
幼稚園の中でなにかといざこざの多かった私を、きちんと応援してくれた。
彼女は、職員室でも園庭でも、不思議なほど安定していた。穏やかだった。
考え深いのかしら、小さい時から苦労したのかしら。

そして、遠くへいってしまった。

遠くへ行って、家族を支えて、資格をもっているからまた働いて、
男の子ふたりを育て、去年あったら、やっぱり苦しそうな表情だった。
そこにコロナ国家体制だし、はたらく場所は医療の現場だろうし。

また会いにきてほしい、むかしの朗読なかまに会って笑ってほしいなと思う。


2020年5月15日金曜日

貝殻を4枚ひろった


思いついて海へ行く。
ふつうの日なので、いまはもうだれもいない海、にちがいない。
海は蒼く淡く輝く緑色で、水平線まで何色にも色を変えていた。
輝くような一日で、だれもいない。
森戸海岸で駐車場に車を入れ、すこし歩いて、海岸へ。
子どものころ、自転車ごと落っこちて大怪我をした川が、今も海に流れ込んでいて
なつかしい。海岸にはすこし遊ぶ人もいて、
泳いでいる人、キャッチボールをしている親子。赤ちゃんもいる。
テトラポットで造成されたコンクリートの先で、水平線を遠くながめる外人たち。
・・・砂浜は足の裏にビロードのような感触だった。
東京は、歩く道路がすべて舗装されて、
ふだんはそれに慣れているけれど、自然は本当に懐かしいものだ。
波も、空も、風も、小舟も、すべてが動いて一瞬もとまらない。

私は砂浜で貝殻を4枚だけひろった。
白いのと、灰色のと、淡いピンクと、それからもうひとつも白い貝だった。



2020年5月12日火曜日

CD「いつかはれたひに」PR


「いつかはれたひに」
コロナの騒動が始まって1か月たったころ、5月初旬に完成したCD。
ライフ・イズ、ウォーターバンドの製作、演奏、発売である。
ネットに流れているPR用のビデオ(PV)がすごくいい。
茫然自失、一億総自粛の日々に、予定通り集まって創ってしまったこのCDは、
若い人の複雑な心理や努力が見える聞こえる、そんな感じのものである。
あとになるとニュース映画の音響を映画館の暗闇できくような、
そういう臨場感が貴重だし懐かしいだろう、たぶん。

紹介用の短文を書いた。いつかはれたひについて(下記に記す)である。
これには、勉も応援文を書き、遥は歌詞やカットで関わっている。
うちって家族営業的。
だれかがなにかをする時、手伝えと声がかかればちょっと嬉しいけれど、
家族、とくに母親の場合、もう厄介だ。
図々しいとヒトは思うだろうし、ウソはかけない、ほめたらバカみたい。
さいしょ、長男のCDのために短文を書いたときは、偽名にしたが、
そのうちヤケクソになって、母親だと思われてもしょうがないやと。


「いつかはれたひに」2020/  5・12

信州の信濃追分で受験勉強をしていたとき17ページばかりの詩集をもらった。
・・・・・遠くからとどけられる信りはいつも軽い ここは現実の地点 
鈍重なおれの椅子 ぎらりとだんびらの痛みを引きぬいて・・・
1963年だった。手渡してくれた人はそのまま詩人になったろうか。
以来このフレーズをいつも私はもって生きた。
音楽も詩も、魂に刻みこまれ一生ものになるのは、こういう時があるからだ。
今回このCDをつくったヒトたちは、思いもよらぬ自粛の強制や都市封鎖の中で、
「ぎらりとだんびらの痛みを」引き抜いただろう。
それが現実の地点であり、否応なしのおれの椅子なんだから。
この「いつかはれたひに」は、不幸のただ中で幸福を手探りするものになった。
それは詩や音楽を手放さない人間の自然であり不自然であって、芸術の強靭性の
証明だと思わずにはいられない。
驚くばかりにタイムリーな録音であり完成と発売であったと思う。
おめでとう。よい作品ができたよね。

いつかはれたひについて

Life Is Water Band『希望』PV


べつの息子の友人


外に出ると、とても暑い。
もう5月も半ばになろうとしている。
今日は、市役所に行ったけれど、樹木がほんとに美しい。
空も青いし、風もびゅんびゅん、たえずそよそよ。

昨日は息子の友人が来てくれて、
久しぶりにゆっくり彼の顔をみた。
すがすがしいむかしの絵本にありそうな童顔が 、
次の日の今ごろになってもスカッと眼に浮かぶ。
自分は働いているし、結婚はしてないし、と彼はいった。
子どもがいたらそんなわけにいかないと思うけど、
もし10万円の給付金をもらったら、
ホントだれかのために役立てたいと思いますよ。
俺は今とりあえずカネにこまってないすから。

戸外で肉体労働をする人をみて、
そこにそんな思いや考えが存在するなんて、だれが想像するだろう。
そういう労働の姿かたちが、私は心底うらやましい。
息子が職業を転々としたころ、お世話になった青年で、
ライブハウスにきて、居心地わるそうにしていた人だ。
若いのに、俺はもうトシなんで、とこまった顔だった。
いまは自然の成り行きなのかどうなのか、
労働のかたわら、彼って街の写真の展覧会をひらくのだ!



2020年5月10日日曜日

メグちゃん⑴⑵⑶ その⑶


とはいえメグちゃんは会長さんなので、しょっちゅう幼稚園に来る。
私を見つけると、「園長先生、こんにちはっ」と暖かい声だ。
彼女は、ふたりの男の子の母親で、いかなる場合もわが子の味方という感じ。
それが母親として適切なのか不適切なのか、私にはサッパリわからなかった。
いろいろな意見が耳に入ってくるけど、だいたい幼い子どものありのままが、
噂なんかでパッとわかるわけもない。

私にすごくよく判ったのは、個人としてのメグちゃんの意見だった。
彼女は私を見つけるとそばにやってきて、幼稚園と自分の考え方のちがいを、
憤懣やるかたないとでもいうか、
マヤコフスキー流に、それからでるわそれからでるわ悪口雑言!とでもいうか、
暖かい声音ながら、散々に言いつのり、
「ああ、悪口しかでてこない、疲れちゃった、先生と話してもしょうがないから、
 もう時間だしクラス会に行くわ」
おじゃましましたとか言って、子どもの担任がいる父母会の方に行っちゃう。
漫画ならば、プンプンッと吹き出しがつくところだろう。
こわくはないし、もっともだと思うけど、そうそう納得もできないし。
こんな母親にむかって、園長だからって私になにができよう!?

今になって、私がメグちゃんを懐かしく思い出すのは、
存在の落差というものを彼女が、実際に見せてくれたことだと思う。
私という個人には、個人としての本音を教える。
父母会や学級会では、ヒトの都合を優先する。だから本音は殆どかくす。
そのころは、なにがどうなっているのか、理解できなかったけれど、
今になるといい人だったなと、メグちゃんがなつかしい。

このあいだ会った時、
「友だちなんか、あとでつくれる、幼稚園で友だちができなくても大丈夫よ」
と私が言ってたとメグちゃんが話してくれた。
「友だちなんか100人もいらないのよって言ってましたよ」
    小学校に入ったら友だち100人できるかな。
そういう歌が、あのころは幼稚園の定番大流行。まど・みちお作詞だし。
そうなると、友だちがデキるデキないがわが子の運命の分かれ目と、
母親がみんな、まるでその歌詞の捕虜になったみたいに、悩むのである。

若いママたちに、父母会で演説(園長の職務のひとつは演説だから)、
ただの歌を真に受けちゃだめよと、私はみんなに話した。
よく考えてごらんなさいよ。100人お友達がいるなんて、
八方美人てことじゃないの。そんな人になってもらいたいの?

ひとりひとりで、よく考えなきゃ。私が母親たちに言いたかったことだ。

ちゃんと考えて、それから自分なりに意見をまとめて。
そして子どもの親としての運命はどうなっていくのだろう?
それぞれなのだ、おんなじじゃおもしろくないし、
子どもたちの伸びしろが、気をつけないと制限されてしまう。
たぶん、そんなことも、メグちゃんという会長さんがいたから、
ああ、こういう悩みがじつは大変なんだ、と私は理解したのだろうと思う。
私はすぐ言い返すタイプだけれど、メグちゃんが私の意見に従ってくれた記憶はない。
当然である。人はゆっくり考えるものだ。

幼稚園にいる時は、幼稚園の風土にあわせて。
そこで考えたことは、次の、小学校のシステムに合わせて。
そうやって、自分に出来る限りの未来を、考えながらおちついて創りだす。

それがメグちゃんだった。