My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2020年7月12日日曜日
輝く1日
朗読の日だった。
みんな、ちがう顔の、ちがう性質の人たち。
ちがう書物をちがう感受性とちがう生活の声で朗読する。
注意深い姿勢と敏感な視線が、のびのびと変化する。
そういうことが、笑いながら出来るようになったのだ。
なんておもしろい、陽気な仲間になったんだろうか。
私は、12時開始のまえに、掃除洗濯朝ごはん団地の草取り、
幾らなんでも、疲れすぎてヘンなことになるかも、と思った、
でも、眺めがよくって、面白く4時間が過ぎた。
お天気も雨降りじゃなくってよかった。
洗濯を、洗濯機に5回分。
4回分は風でかわいちゃった。
5回目はついにコインランドリーのお世話になって乾かし、
ネパール料理の店が並びにあったので、ネパール人がつくる夕飯となった。
はじめての小さなネパール料理店!
子どもがごちゃごちゃ。タイみたいな雰囲気だと健が言ってた。
子どもは彫りが深く美しくて可愛い。
ネパールって、ヒマラヤの、エヴェレスト山がある国?
なんで多摩市にきたの?
ネパール料理はおいしかった。
輝く1日。
雨季で憂き世で浮かない日々の。
2020年7月11日土曜日
美空ひばりとカフカ
温泉に行くことにして、息子と私は読む本を取り換えた。
私は息子から「絶望名人 カフカの人生論」を借り、
息子は私から「美空ひばり恋し お嬢さんと私」を借りて、読むことにした。
両方とも、図書館の本である。
温泉には安楽椅子がばらまかれていて、そこで何時間でも本が読める。
息子が美空ひばりの話を読む気になったのは、
私がこのお手伝いさんが書いた本を3回も読んじゃって、つい好意をもっちゃって、
べらべら、べらべら、しゃべるので、じゃ風呂屋でそれ読む、となったのである。
カフカのほうはその逆で、自閉の塊みたいな話らしいけれど、
「おもしろいよ、カフカって、いまの日本のおれたちとそっくりなんだね」
おとといから幾分暗い顔して息子が話すから、
面白いとくりかえすから、それじゃ私はカフカにするか。
「その本、勉強みたいな本?」ときいたら「ちがうよ、読みやすい本だよ 」
お風呂はガラ空き、食堂もぱらぱら。「美空ひばり」と「カフカ」だけど、
両方とも、活字ぱらぱらだから、早く読めてしまい、
こうなると美空ひばり記念館に行ってみたいな、という話だ。
この本を書いたお手伝いさんを見てみたい。
カフカ記念館だってあれば行ってみたいけれど、ドイツは遠いし。
カフカの話は、よくわかるけど暗いし。
今日1日が、温かく終わってしまいました。
かなしいニュース
選挙は小池さんが圧勝した。
いま権力を手にしている側を、大勢の都民が支持したということである。
その結果、加速してゆくであろう「これから」が、
もうさっそく今日の朝刊に反映して載っている。
哀しいとか、悲しいとか、そんなかんじじゃない。
なんといったらよいのか、根太(ねだ)を欠くかなしいニュースである。
低能、幼稚、迎合、鉄面皮。
あの検事総長になるところだった賭け麻雀おとこが、起訴猶予になった。
たいした罪じゃないからと起訴しなかったのは東京地検である。
地検って、なんの略か。信じられなくって広辞苑で調べちゃった。
地検って、東京地方検察庁なんだって。
じゃ、検事総長って?
私の広辞苑はこう語る。 最高検察庁の長である。
最高検察庁の庁務を掌理し、かつすべての検察庁の職員を指揮監督 する。
常習化していたらしい賭け麻雀のお相手は、朝日とサンケイの記者で、
彼ら3人も、日ごろ書くものはとにかく、
陰では仲良しだったのだろう。
今日の東京新聞は東京地検に対し「身内に甘い」と三段ぬきの大見出し。
あかちゃんを放置した母親については四段ぬきだったのに。
ちなみに産経新聞社は賭け麻雀のお相手2人を4週間の出動停止。
朝日新聞社は停職1か月の懲戒処分。
新聞社の考え方も、政府そっくり、起訴猶予なのね。
なんかこう、ぶよぶよ。かなしい。
おなじ今朝の朝刊、5ページ。
46才の主婦、金 未来さんの文章が「発言」に取り上げられている。
小池都政に向けて書かれた短文である。
虐殺の歴史に向き合え
今回の東京都知事選では争点にならなかったが、都民に知ってほしいこと
がある。再選した小池百合子知事にかかわる問題だ。
1923年の関東大震災、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などのデマ
が乱れ飛び、軍隊や警察、自警団が中心となり、多くの無実の朝鮮人を虐
殺した。
墨田区の横網町公園では毎年、朝鮮人虐殺犠牲者の追悼式典が営まれてい
る。歴代の都知事は追悼文を送ってきたが、小池都知事は2017年に
送付をやめた。 「毎年の大法要で全ての方々への哀悼の意を示している」
というのが理由という。だが、天災で亡くなったことと、差別を背景にした
朝鮮人虐殺を同列に語ることは許されない。
今年は新たな問題が持ち上がった。都が突然、横網町公園の巣用条件を決め
たのだ。 「公園管理上支障となる行為は行わない」との誓約書を出さなけ
れば、使わせないという。都は「公園利用者の安全確保のため」と言うが、
今まではそんな条件はなかった。追悼式典の実行委員会も要求された。
公園では17年から追悼式典とおなじ日時に、デマによる朝鮮人虐殺を否定
する団体が集会を開いてきた。 「不逞朝鮮人」などとヘイトスピーチを行い
拡声器で大音量も出す。実行委は「そのような団体と、静かで厳粛な式典を
行ってきた実行委を同列視するのはおかしい」と抗議している。
一律に誓約書を出させようとするとの姿勢は、追悼式典の歴史と意義を理解し
ているかどうかを疑わせる。忌まわしき史実が忘れられているのだろうか。
これからも小池都政への監視の目を緩めてはいけない。
「電通とディスタンスとれ経産省」
時事川柳にはぷらりとこうあった・・・。
2020年7月9日木曜日
痛ましいニュース 7/9
3歳児放置され死亡 容疑の母逮捕 8日間外出
若い母親の写真が朝刊に載っている。まだ24才でしかない。
数年前に離婚。死なせてしまったノアちゃんと二人暮らしなのに、
彼女は、ただもう、飲食店で働いていた。保育園を利用することもなかった。
赤ちゃんが生まれた時つけた名前は「稀華」、まれな華と書いてノア。
ノアの箱舟のノアである。
たとえ束の間の結婚であっても、 若すぎて親となった男女の気持ちの在りかを、
一生懸命を感じさせる名前だった。
6月、コロナ禍の8日間、彼女は鹿児島の交際相手に会いに行ってしまう。
帰宅して、稀華ちゃんが死んでいたので119番。自殺して死ねず。
病院に運ばれ、回復を待っていた警察に逮捕されたのである。
こんなに孤独で可哀想な話があるだろうか。
マンション仕様のアパートの住人はだれも、隣人さえも、
あかちゃんの泣き声ひとつ、きかなかったと報道されている。
この集合住宅では、 24歳の母親と同様、昼間はみんな働きに出て、
だれもいない場所になっていたのかもしれない。
この20才前後で母親になった人には、だれもいなかった。
相談できる人間が皆無だった。今朝の新聞記事には、
東京という大都会なのに区役所の影もなく、保健所の影もない。
*ベーシックインカム、ということばが頭にうかんでしょうがない。
税金の一部を生活費として全国民に再配布しては、ということらしく、
異論があってなかなか実現しないのだと聞いた。
*幼稚園で働いていたころ、
自分のこどもが抱っこできない、イヤだと言う母親が案外多いと知った。
「NO抱っこママの会」をつくったらというぐらい、悩む人は多かった。
わたし達はだれもが、出産と同時に母親らしい母親になれるわけではない。
母親仲間のなかで、学びながら、話しながら、人知れず苦しみながら、
なんとか一人前の親に育つのである。
いまさらながら、自分が子どもの親になって、どれだけご近所さんや親たちに、
友人に手を貸してもらっていたかを、思い出す。私は30代で母親になったけれど、
おそろしく未熟な、覚悟の出来ていない人間だった。それに貧乏だった。
夫は文楽の人形遣いで、1年の半分以上留守である。
アパート6畳一間の家賃が払えず、11か月分もためてしまった。
野生の動物とちがって育児期間のながい私たち人間は、
孤立させられたら、とてもじゃないけど優しい母親になりにくい。
新聞の見出しって男性がつくるのだろうか。
3歳女児放置され死亡、という4段組みのデカデカとみっともない大活字。
放置されたのは「母と子」なのに。
育児は手元に置いたやつの責任といわんばかりの、無考えと無情に腹が立つ。
2020年7月6日月曜日
開票
病院に行くと、大勢の年老いたひとが、順番をじーっと待っている。
私の受けている治療が痛いので、ここにいるみんなも同じように痛いのかしらと
待つ間ついつい、考える。
痛くない病気ってあるのかしら。病気って痛いものだ。
だから痛いんだろうなと、私よりもっと痛かった友達の顔を思い浮かべる。
手術のあとのお見舞いに行った時、TさんもKさんも痛かったはずだし、
Yさんはすごく痛かったろうし、OさんもNさんだって、Aさんだって、
と私はだまって思っている。みんなから愚痴をきいたことがないなーと。
私なんか思ってることをすぐ言っちゃうから愚痴ばっかりだ。
とそこまでくると、しかたがなくて、私はいま読んでる本にひとりで戻るのだ。
本といえば、待合室で辛抱強く待つ病気の人々をながめて、
古典的でホコリがでそうな文章のかけらが、頭をかけめぐる。
ここにも本を読む人っているけれど、あの人はどんなことを思っているのかしら。
いっとき新劇にいたせいか、私は「どん底」の暗い舞台装置と俳優を連想する。
若いころ読みふけったソビエト革命文学選なんかだと、
やまいを得てここに集まっている見知らぬ静かな白いマスクの人々を、
勇敢な人々、という括り(くくり)にするのかなと思う。
運命に英雄的な忍耐力で耐え忍ぶけなげな人間的資質・・・とかなんとか。
ゴーリキーもファジェーエフも、ショーロホフも、
もう一度読んだら、やっぱり、いやいや、しかし、
昨日今日の自分は、いったいどんなことを考えるのだろうか。
それからフンガイし始める。
痛くても、わかんなくても、要らないクスリを山ほどもらっても、
納得がいかなくても、こんなのまちがってると思っても、
みんな、夫婦揃って(夫唱婦随が最近多い)も個人でも、がまんばっかりだ。
病院の待合室は、
がまん、がまん、がまんばっかり。
東京都。我慢の票田。
2020年7月5日日曜日
投票
投票券(多摩市役所)が見つからない。
これは失くしちゃいけないと、1番目につくところに置いたのに、
その場所がどこだかわからない。
市役所の窓口できくと、身分証明書があれば投票所ですぐ手続きができるという。
あー、もうやんなっちゃう!
7時開始だと言うので、7時に家を出て、歩きだした。
並木の緑と雨で湿った街路が薄荷みたいな香りをはなって、静かな朝だ。
歩きだしたら足がツルかもしれないというかんじ、
隣を歩いている息子に知られたくなくて、用心深くなった。
足の付け根をぎゅーっと掴んで、
「朝のみどりってきれいだね 」というのに
「うん、ほんとうにそうね」と私はいう。
投票は未来を作る行為だ。
このあいだ、長男が私に言ったっけ。
誕生日のプレゼントを買いに行ったけど、いいのが無くてさ。
考えたけど、ぼくと母さんと2人で 、3回いっしょに映画を観ようって。
そうすれば会えるし話もできるし、いいよね。
「ねえ、あれって・・・」
もしかしたら私がもうじき死んじゃうとあの人、おもったのかな。
帰りのクルマのなかで、息子にきいたら、
うーんと、こまってあやふやな表情。
そうかあ、むりもないね。
77才にもなった老人にとって、未来を作る行為って、いったいなにか。
投票。
期待はいつも裏切られる、ここは現実の地点、おれの椅子
ぎらりとだんびらの痛みを引きぬいて・・・。
選挙って。
でもね。
生きてゐるって。まどさんの詩じゃない?
うさぎにうまれて うれしいうさぎ はねてもはねてもはねてもはねても
うさぎで なくなりゃしない
うさぎにうまれて うれしいうさぎ とんでもとんでもとんでもとんでも
くさはら なくなりゃしない
わたしたちがねがう世界ってこうよね。
選挙とはとんでもなくちがっちゃって、いてもね。
2020年7月4日土曜日
かたわらにおきたいことば
THE ABSENCE OF TWO
という写真集の装丁は印象的だった。
写真の中に浮かび上がる、ふたりの、ばあちゃんと孫。
カメラマンも、ばあちゃんの孫だから、
このカメラマンは、被写体になった孫の、大輝の従兄弟 なのだ。
彼が書いた文章は、彼のカメラが写し撮った写真のように、
事実をそのままに、あるがままに、
哀しく、弱く、のんびりと語って、
なぜか光りかがやくので、
私たちを悲しませる。
何気なく過ぎていく二人の時間は、かけがえのない美しい時間となって
静かに流れ続けていた。〈吉田亮人〉
このごろ年をとって、いつも思うことだが、こんなふうに思っていようと。
生きていればみんなが病気をかかえ、放射能や疫病で不幸にもなり、
しかし、みんなが、何げないふうに時間をかけがえのないものにしている、
その辛抱強さを学んで、笑ってくらしたい。
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