My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2013年12月31日火曜日
大晦日のくくり ⑵
ひとつ手紙がとどき、ひとつ電話がかかる。
とどけられた達筆のメモ書き。凝った用箋で、川上澄生の絵がこういっている。
大勢の顔は塵芥の如く流れ あなたの顔のみ
花の如く ああ花の如く 夕暮れの街に明るい
川上澄生展の帰り、会場でこの地味な用箋を買い求めた彼女のすがたを想像する。
・・・ねえ、あなただって私だって、だれかのことをそう思っているのだと、
知っている大勢のだれかさんに伝えられたら幸せね。
でもメモ書きの達筆はこう語る。
今年もあと一日。結果的にひどい一年でしたね。
‘靖国’のおまけまでついちゃって。
30日のテレヴィジョンは、安倍首相の大はしゃぎを大々的に映しだした。
東京証券取引所納会でのあられもない喜びように呑み込まれて、
TVの画面に違和感しか持てないやつなんか、
極貧ひねくれ少数派、生まれついての「負け組」だぞとそういう感じ。
そんなことを見ているひとりひとりの人間に思わせるなんて、
テレビって毒をはらんだ蛾なんじゃないの。
一年で株価56%上昇。41年ぶりの高水準。
なにをどう売り買いし、だれをどう働かせて、年間上昇率が五割を超えたのか。
それを今ここで問題にするのは無粋でしょうがという、あの人この人の顔が浮かんじゃう。
日本って、ものすごい雰囲気。
さて。
別れた夫の同窓生だった人から電話。夫の誕生日をたずねられた。
知るもんかというわけにいかない。天皇誕生日と同じ日なんだから。
ああそうか、4月29日ね、と応答されたのがおかしいでしょ。
ちがうわよ、それは昭和天皇でしょ、皇太子さんとおなじなのよ、とついタメグチになって、
笑ってしまった。ははははと、電話の向こうもおかしそうな声になった。
明治は遠くなりにけりではなく、昭和がかくも遠いものになってきてしまったのだ。
彼と友人夫妻と3人で、所沢の欅ハウスを訪ねてくださったそう。
移転後のもと夫の状態は、まあ微妙。
そんなにものごとってうまくいくはずもないものねー。
11月。私は別れた人の遥かむかしの学校友達ふたりと関内駅で待ち合わせ、
徹底的にギロン?をした。
忙しいのにわるいと思ったけど、相手になっていただいたのである。
誰でもそうだと思うけど、人間・生活・歳月が、よくわからなくなっちゃったからである。
その時の質問(私)に対する回答(彼ら)が引っかかりながらも胸に落ちて、
以後、精神的な舵取りを落ち着いてするようになった。
夫の友人であって私の友達じゃないのだろうけど、文字どおり有難くって。
ひとりは芸術が専門、ひとりは政治が専門で、ながいあいだの友人同士。
人間としては、感覚的と論理的、それで各々率直。凄みがあるけど怖くはない。
もうなにもかもイヤになったと喰ってかかりたい気分の私にとって、
絶好の直接解答者という感じ。教育的なのだ。
結局、これからは好きにしろと言われたけど、
「人間は哀しいものなのだ」と芸術専門じゃない人のほうが引導を渡してくれた。
ビックリもしたが、自分としての整理もついた。
ひどい一年のなかにも、幸運は数えればたくさんあるものだ。
花の如く ああ花の如く 夕暮れの街に明るい
そういう顔に折にふれて会うことができ、与えられたものが大量な一年だったと総括したい。
みなさんに感謝して。