My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2015年1月3日土曜日
中国人のたまり場 1/1
自由になったら人はどこかさびしい。
船にのって横浜港から川崎が見えるあたりを巡航する。
むこうのテーブルにたったひとりで豪華な食事をしている老女がいる。
1時間半の、元旦海の夕暮れ。
なんて横浜と川崎は風景がちがうのだろう。
陽が落ちてしまってさえも横浜は西洋みたい、川崎はアジア的とでもいおうか。
私の背後のテーブルはレズビアンの二人連れだったそうだ。
どうしてわかるの、ときくと
「ひとりが完全に男の格好で、ヒゲをはやしていた」
にせヒゲで遊んでいるのね。ふだんは女の人を演じて有能なんでしょうね。
4時が5時になってゆく。外国船が暗い海に幾隻も碇泊して、
強烈なライトが周囲を睥睨している。海がどんなに油断がならない世界か教えてくれる。
夕食は船を降りてから関内馬車道の中国飯店へ。
初めて入る店であるが、びっくりしたことに中国人がもうじゃんじゃん集まってくる。
若い人ばっかりがじゃんじゃん、飛び交う中国語の喧騒が温かい。
日本人は冷えこんでいるなーと思う。気質が穏やかっていうこともあるのだろうけれど。
へべれけのお爺さんがなんとか入店しようとする。常連らしいけど、お金を見せてもダメ、
筋肉を強調するためかТシャツの若者が、寡黙な笑顔ですっと連れ出してしまうのである。
オランダではこういう店も、もう少し国際的な気安さがあって、らくだった。
オランダ人やドイツ人の友人同士、私たち日本人。中国人も大勢いたと懐かしい。
馬車道のここは、見慣れぬ中華鍋がとてもおいしそうだ。しかしあれも、隣のテーブルで、
日本人のマッチョな彼が、赤唐辛子のスープに手をやいて、ふーふー言ってる。
馬車道の夜が深けててゆく。帰り道にはベンチに腰かけたホームレスのわきを通った。
「寒いからひとりでもずーっと喋っているんだね」