2015年1月1日木曜日

子どもにとっての世界


風邪をひいて顔いっぱいマスクで隠して、リュックをしょって千橿が車に乗りこんできた。

助手席に腰かける姿が、行儀がいいというより悄然として見える。
師走のパン屋は忙しい。学校も学童クラブもない、共働きの親をもった子どもは寂しい。
よくまあ、おとなしくマスクをしてるねーと私はビックリ。
「 うん・・・かぜがうつるから・・・」
私自身も私の子どもたちも、マスクがイヤだとむしり取るタイプのチビだった。その時の
キャンキャン騒々しい泣き声をいまでも思い出すことができる。
あのころ、予防注射必須のインフルエンザって、あったっけ?
おぼえてない。のどかな時代だったと思う。

さすが小学一年生。
家について荷物を開く。こうして、ああしてと言うと、まあその通りにする。
どこか悪いのかしら、そうそう、風邪をひいているのだ。
夕食を、気色わるそうに食べて、それでもちゃんと飲み込むからえらい。
気持ちがわるいらしいから、もう食べなくてもいいわよと私が言うと、
ありがたそうに、はかない顔でうなづく!
クスリだって、表情もかえず、いわれるまま、ちゃんちゃんと飲む。
遅く到着したので、歯をみがいて、パジャマに着替えて、
布団を床に敷きつめて、熱がでてきたから、暖かくして用意したDVDを見せる。
納得してるらしいけど無表情・・・ふざけることも笑うこともない。
久しぶりにきたせいなのか、それにしても以前とはちがう。
ほとんど目があわない。
疲れているらしく早々に眠ってしまい、夜中に暑がって何度も起きるので布団を変えた。

あんなに輝くようなワルだったのになー。
ふざけてごはんを食べ散らかして、おこられても怒られても笑いこけて、
おんなじことばかりくりかえす手がつけられない幼さは、どこにある?
風邪と、それから日常無関係にちかいこの家に来たということが原因かしら。
そうだったらうれしい。
私が幼稚園で働いていたころの園児の様子を思いだす。
・・・・みんなにも、ちょっとこういうところはあったかなーと。
親ほどいいものはない。親がそばにいるって本当にたいしたことだと思う。

うちの子が小さかったころ、私がお手本にしていた中野さんのアドヴァイス。
「あなたが働くならよく選んで私立に入学させれば。学校が一応育ててくれるから。
それが無理なら、家にいて、学校から戻る子を自分で待ってるのがいいんじゃないの」
石にかじりついてもビンボーするのよ、と笑って話してくれなかったっけ?
見れば中野さんはそうしている。 言ってることは単純だけどきっと「真理」なんだろう。
しかし、いわれた通りにできなかったなあ、ちっとも。
なんとか真似しようとしたけど、できないから達成感も全然ない。
私はダメ親で五里霧中。なにを言わているのか当時は見当もつかなかった。
ただもうなにかカンみたいなものが、中野さんについていけ、と私に教えたのである。
子どもを相手の暮らしは誰にとっても「道遠し」である。
子育て中に中野さんに出会って、「こう考える」と幾度も話してもらえたのが、
私の子どもたちの幸運だったと思う。親子関係の基礎をとにかくも知ったということで。

考えてみると、記録映画「ドストエフスキーと愛に生きて」の主人公、
翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーが語ったお話の中の、言葉を話す魚は、
私にとって中野さんだったのかも。