暴風雨がくるかと思えばこなかった。
ブログに毎日とりくむ、という自分に課した義務をやめて、
家の片づけを中心に暮らしたら、
3時間ぐらい余裕ができて、ぼんやりと暮らした。
私って、すこし前から三浦雄一郎さんの本の提案にしたがって、
午前中は、ぼんやりしている。
ぼんやりプラス、追加ぼんやり。
本を3冊ぐらい、かわりばんこに読むのである。
ぼーんやりと、炎熱の夏に、くたびれていた。
だれだって、そうだろう。
もともと、糖尿病を薬で抑えていたけど、クスリだけでは治らないわけで、
夏になって、急に決心して、歩くことを始めた。
あっちの理屈とこっちの理屈を自分なりに整理すると、
歩くのは、どうしても午後になる。
炎天下、樹木の影を、まあ5000歩。
4時には買い物をすませて、それで晩ご飯の支度。
歩くのはよかった。歩く習慣がどうやら身について。
でもやっぱり、歩いて疲れた、ということもある。
気がついたけど、どうやらムキになる性質、加減ができない。
炎熱ねえ・・・。
呼吸をするように、自分はブログいのち、と思っているけれど、
それは客観的には、いい話じゃないのだ。
たぶん、私の生活って、
バランスを欠いているのだろう。
団地は大規模修繕。順番がくれば家の中が、無作為に人目にさらされる。
それで、この際だから家の整理をして。
だけど、糖尿病なんだから、炎天でも、歩く。
ぼんやりは義務、ギムと家事と5000歩とブログが
押し合いへしあい。
えーい、しょうがない、ブログをあきらめよう、なんとか頑張って。
たぶん、それがよかったのだろう、
突然、さむくなったけれど、風邪もひかない。
家の中も、多少は、きちんとした。
コロナにも、かからなかった。
電車にも乗ったし、映画も見て、ヒトにも自然に会っていた。
オリンピックの選手じゃあるまいし、
克己心じゃなくて、融通無碍(ゆうずうむげ)が、老人の誉れなんじゃないの。
77才にもなって、習慣がかえられず案配ができないなんて、
たぶん、私は、ただのおもしろくもない頑張り屋なんだ。
今まで、考えるヒマというものが、
きっと、私にはなかったんじゃないの。
という半生の、もとい反省の仕方からして、
なんとなく、久保つぎこさんは、もとのもくあみ、なのでありました。