だんだん視力がおちてきて、白内障の治療をはじめないとまずい。
多摩丘陵病院に、病院のバスで行く。
あそこはすごく待たされる、という評判。
1時間以上待つ、ときいたけど、
予約が1時間遅れになるのは、信濃町の慶応病院もそうだし、
永山の日医大病院だってどこだって、そんなものでしょ。
多摩丘陵病院はせまいせいか、午前10時ごろになるとすごい。
よく考えると、付き添いさんで人数がふくれあがってもいる。
到着して書類をあれこれ、それから眼科のまえに腰かけて1時間。
治療が終わると、診断後の書類を受け取るまでにかれこれ30分、
会計となると、1時間以上、待つ。
私の隣りで一心不乱に待つリュックの人なんか、立ちっぱなし、
あとから来た私が呼ばれても、なに科なのか、まだ待たされる気配だった。
でも、私は多摩丘陵病院がいい。
待つあいだに聞こえてくるスタッフ(看護婦さんたち)の声がいい、と思う。
家族的な響き。
私は自分が患者としてお世話になるのは初めてだけど、
看護婦さん達みんなの基調になっている親切な音声が、
混雑の最中みごとに保たれていることに、とても感心するものだ。
やさしい、というのともちがう。
事務的な伝達が、はっきりして親切、
この病院の医療の基本が親切にあるんだろうと思わせる声なのである。
点眼薬のせいで、本も読めないから、声でのやり取りをきいているしかないけど、
多摩丘陵病院っていいなと、気持ちが落ち着く。
コロナ禍の渦(うず)に巻き込まれて、日本人が即座に捨てたものは親切だ。
日本人って、親切な人が多いはずだったのに。
患者は年寄ばっかり。
それが、本人はもちろん付き添いの人まで、身もふたも無いものの言いようで、
少しまえに「必死すぎる猫」という1200円の写真集を買ったけど、
病院の待合室にいる私たちは、顔つきまで必死すぎる猫そっくりだ。
気をつけなきゃいけないんじゃないの、年寄りや大人は。
その必死すぎる、自分の心配ばっかりの大集団にむかって、
多摩地域病院は、なんかこうきちんと家族的。
いつ行っても、看護婦の応対がしっかり安定している。
すごく待つからって、そんなことなんだろう。
ここには私たちが失った家族の、
家族主義的なマナーの原型が、医療の技術のまえに、まず保たれている。
だいじなことだと思う。すがすがしくて安心である。