大決心と言うわけでもないけれど、古いサッカーボールをもって、
とてもきれいな夕方、公園の池のかたわらで蹴る練習をした。
ボールけりだ。
私の叔父さんはヒットラーが生きていた時代のベルリン・オリンピックにおける
サッカーの日本代表、戦後、早稲田のサッカー部でながく監督をつとめた人だ。
けっこう有名、文武両道、経済学の教授だったし。
だからかどうか、古い話だけれど、家では小さい子どものころはよく、
蹴球(しゅうきゅう)という言葉を耳にしたものだ、サッカーのことだ。
なにしろ私の親たちは明治・大正の人達・・・。
今日、公園の池のほとりで、息子に配球してもらってやったのがそれで、
ボールを蹴るのよね。うまいね、とかテキトーに言ってもらって、
ちょっと血が身体中をまわりはじめ、気持ちも晴れた。
なんのことか、べつに無事にくらして、昨日はすごく楽しい一日だったのに、
今日は老人性鬱状態、むくんだようになって横になると眠くてたまらない。
のんびり休むのがかえって悪い、そうである。
20年以上も前のことだけれど、多摩川の広い河川敷で、
私ときたら、その時も今のように、引っ越しのあれこれでノイローゼみたい、
心配した息子が、むりやり私をつれだして、ボールけり(蹴球)の初歩を教えた。
高校生の子に「母さんサッカーをやるといいよ」と急にいわれて、
ヘンなこと言わないでよともうがっくり、てんで気がのらなかった。
・・・けっきょく、せっかく言ってくれてるのにと断れなくて、
河川敷の草ッ原で今日みたいにサッカー?を、やったのだ。
今より苦しくて大変だった。
その時だってもう、50代の半ばだった。
今日は30分ぐらい、ポカーン、ポカーンとボールを蹴って、
もうやめたほうがいいかも、となり、面白かったんだけれどやめた。
梅が満開、白い花と桃色の花と。
池には非友好的な蛙が一匹。
おばあさん(わたし)は、足が引っかかって転ぶととんでもないからね、と言われ
前のめりにボールを蹴れ、と指示されてそうしたのでありました。