「父は詩人だった」という本が家にある。
ちかくのスーパーマーケットのそのまた近くで買った古本で100円だった。
ぜんぶはなかなか読めない。詩人って奇行が多くて面倒くさくなっちゃう。
読み切れない。よい本だと思うのに。
私のお父さんは学者だった。
だから、いつも書斎にいて原稿を書いていた。
小学校から子どもが帰ってくると家にいるのは父とお手伝いさんである。
ランドセルをしょって私が(電車に乗って)和光学園から家にたどり着くと、
父は嬉しそうな顔をして、私の顔を見に来る。
よく「つん公、散歩にいこうぜ」といった。
〆切が迫っている時はそうは言わないから、
よく知らないけど、〆切に追われている日のどれかだったのだろう。
ネコのひたいほどの小さな芝生の上で、私は逆立ちの練習をしていた。
白樺の木の前で。汗をかいていたから夏だった。
スカートをパンツのゴムにとめて、一生懸命だった。
逆立ちをしながら、なんで突然そんなことを考えたのだろう?
子どもっておかしなものだ。
私は運動靴を脱いで、書斎に行った。
「ねえ、父さん父さん。人間はなんで生きるの?」
父は万年筆を持ったまま、私の方に向き直った。
私をながめて、そうさなと言い、すこし考えていた。
仕事の邪魔をするなと言われたことは一度もない、私は平気で待っていた。
父は、こう言った。
「生まれちゃったから、だな」
「一つめはそれでもいいけど。」「二つめの理由はなーに?」
生まれちゃったからなんてと、失礼かもしれないけど不満だった。
父は考えながら、空間に目をやって、
「やっぱり、魂の必然から自由の王国へ、ということなんだろうなぁ」
「ヒツゼンってなーに?」
父はまたそうだなと言い、あまりに小さい私をながめ、
必然とは、かならずそうなるという意味だと教えた。
魂のことは知っていて、王国も知っていて、自由も知っていて、
と岩波少年文庫型の私はいそがしく考え、
足し算と引き算をするように、父の解答をのみこんだ。
「うん、わかった」と私が言うと「そうか」と父は笑ってまた原稿にもどった。
どうわかったのか、ときかれることもなかった。
問いは問、答えは答えの場所にちゃんとあって、自由だった。
まったくなにをどうわかったのやら、私は逆立ちをしに芝生にもどった。
しかしこれは私の一生に、
くりかえしくりかえし戻ってくる問であり答えであった。
「魂の必然から自由の王国へ」とは、びっくりしたことに、
フリードリヒ・エンゲルスの「空想から科学への社会主義的発展」からの
引用だったのである。
私のお父さんはよく考えて答えたのである。
どうしても、私の「魂」なるものが求めるという「自由」ってなんだろう?
私は勉強が苦手で学校嫌い、子ども3人の母親なのに離婚はするし、
あんなに大好きだった父親の全集も選集も読んだことがない。
私の人生はぐちゃぐちゃのゴタゴタ続き、ひとりっこ特有のわがままなものだった。
でも私は、魂がないと思うわけにもゆかず、とりあえず自分だけの方法で、
幼い時の問とその時与えられた解答に、一生こだわったのである。
父は、子どもにとってなんだか詩みたいな人だったな、と思う。