2020年10月23日金曜日

「砂の器」

「砂の器」は、日本映画の傑作で、何度もTSUTAYAから借りて、
見よう見ようとした映画だ。
病気になって、読書だけの毎日。
そのうち、なにを読んでも気持ちが悪くなってきた。
童話だって受け付けられない。
伝記もだめだし、もう、なにもかもが面倒になって、
「砂の器」をまた借りた。
借りたとき、見ないまま返却するかもしれないと思ったけれど、
映画がはじまると、はじまった瞬間から、
これは日本映画の最高傑作だとわかるような作品だった・・・。

人間の宿命を、
世界が資本主義一辺倒になるまえに、
日本が金儲けしか考えなくなるまえに、
日本列島が企業の広告で汚されつくす寸前に、
人と自然を、いかにもこうあってほしいような美質をみせて、
私たちの目前に描いて見せてくれる。
かつての私たちが、
宿命的不幸と運命を抱えながら、
私たちの国、日本の国土を、せいいっぱいに横切っていく・・・。

脚本、製作、橋本忍。
監督、野村芳太郎。
カメラマン、川又昴。
俳優がすばらしかった。どの人もよかった。
丹波哲郎、佐分利信、渥美清、
脇役の、名も知らぬ日本人がまた、名だたるひともよく、無名の脇役だって、
通りすがりの風景をこわさず、山河や海辺、紅葉や雪景色のかたわらで、
なんとも懐かしい。

なんとかして、観てほしい映画だった・・・。


 

2020年10月22日木曜日

病後

10月が終わろうとしている。
9月からずっと病気で、それがめずらしい。
毎年のことだけれど、古典的な「神経痛」になって、なおらない。
ピリピリと痛みが胸から下を走り回るのは、何年にもわたって経験してきたが、
痛くてがまんができず、今回はバッファリンをまるヒト箱、一週間で服用。
そうしたら、神経痛は痛くなくても、食欲がゼロ状態に。
舌が、味覚もなにもなくなり、お手上げになった。
たぶん41キロになったんじゃないの。
むかし57キロあったこともある私なのに。

こうなると、だんだん気持ちがオーバーになってお手上げだ。
死ぬかも、と思った。77才なんだし41キロだし。

ところが、こうなって気がつくと、私の周りは病人だらけの高齢者だらけ。
医者通いだってみんなが来る日も来る日も、という感じである。
身体だけじゃなくて、精神科にクスリをもらいに行く人だってけっこう多い。

つまり神経痛で死んだという話はきいたことないと、けっこうみんなが
言わないけど思っている。みんなのほうが、よっぽど大変なのだ。
こういう環境といいますか、多摩市の私たちみんなの現状が、
どういうわけか、気がつけば、温かくきっぱり私をかこんでくれていて、
雨ばっかり降って天気最悪、コロナコロナと世界中が騒いでいるというのに、
やっぱりコロナにもならず神経痛からも回復した。
うれしいじゃないですか。

毎日、痛い痛いと思って、バッファリンづけ、食べられないし、
ヨコになって眠ってばかりだというのに、団地が13年ごとの大行事に突入。
13年目の大規模修繕工事だとかいって、順番に住居が黒網をかぶる。
問答無用の約束だから、
家屋の周りにびっしり置き放題にした、13年分の花やら植木鉢やらを、
期日までにどけなきゃならない。
仕方がないからかたづけたけど、
まあ、すごい1か月だった。

2020年9月30日水曜日

朝6時

 
めずらしい、
北側の窓の前に、ちいさなちいさな鳥がきている。
とまれば揺れる雑木の枝にとまり、しきりになにかをついばんでいる。
時々、チイチィとかジュクチ~とか。
ほどなくすると、もう一羽がやってきて二羽になった。
秋楡(あきにれ)の樹の葉陰に続けて移動し、姿はすっかり隠れてしまう。。
スズメじゃない・・・、ジョウビタキさんかしら?

こういう小鳥をみると、むかしみた映画の文部省唱歌みたいな、
音羽合唱団?のこども達の合唱を思い出す。
歌詞をほとんど忘れてしまって残念。
映画は、木下恵介監督の「二十四の瞳」だったような。
     あけてみたれば 月の夜に 山がやけそる こわくそる
クサチヒメドリとか、ちょっとスズメに似て小さな・・・。

午後も5時になり、東公園をさっさとよこぎっているとき、
空が淡い空色をやめて、夕焼けにかわりはじめた。
すると急に忘れた歌を、ほんの少しだけ、思い出した。
      山のカラスがもってきた、赤いちいさな状袋、
どうしてだろう、なんだろう?
      あけてみたれば月の夜に 山が焼けそる こわくそる
こんな、わけのわからない詩を、がたぴしの古いオルガンで歌った子ども達は、
きっと、自分の国の日本語が好きになったろう。
状袋ってどんなものか、私って昔も今もわからないのがヘンだ。

手紙を差し込んでおく布地の袋なのかしら?
そういえば、そろばんをもっていて、布袋に入れいたっけ。



2020年9月29日火曜日

多摩丘陵病院へいく

だんだん視力がおちてきて、白内障の治療をはじめないとまずい。
多摩丘陵病院に、病院のバスで行く。

あそこはすごく待たされる、という評判。
1時間以上待つ、ときいたけど、
予約が1時間遅れになるのは、信濃町の慶応病院もそうだし、
永山の日医大病院だってどこだって、そんなものでしょ。
多摩丘陵病院はせまいせいか、午前10時ごろになるとすごい。
よく考えると、付き添いさんで人数がふくれあがってもいる。

到着して書類をあれこれ、それから眼科のまえに腰かけて1時間。
治療が終わると、診断後の書類を受け取るまでにかれこれ30分、
会計となると、1時間以上、待つ。
私の隣りで一心不乱に待つリュックの人なんか、立ちっぱなし、
あとから来た私が呼ばれても、なに科なのか、まだ待たされる気配だった。

でも、私は多摩丘陵病院がいい。
待つあいだに聞こえてくるスタッフ(看護婦さんたち)の声がいい、と思う。

家族的な響き。
私は自分が患者としてお世話になるのは初めてだけど、
看護婦さん達みんなの基調になっている親切な音声が、
混雑の最中みごとに保たれていることに、とても感心するものだ。
やさしい、というのともちがう。
事務的な伝達が、はっきりして親切、
この病院の医療の基本が親切にあるんだろうと思わせる声なのである。
点眼薬のせいで、本も読めないから、声でのやり取りをきいているしかないけど、
多摩丘陵病院っていいなと、気持ちが落ち着く。

コロナ禍の渦(うず)に巻き込まれて、日本人が即座に捨てたものは親切だ。
日本人って、親切な人が多いはずだったのに。

患者は年寄ばっかり。
それが、本人はもちろん付き添いの人まで、身もふたも無いものの言いようで、
少しまえに「必死すぎる猫」という1200円の写真集を買ったけど、
病院の待合室にいる私たちは、顔つきまで必死すぎる猫そっくりだ。
気をつけなきゃいけないんじゃないの、年寄りや大人は。
その必死すぎる、自分の心配ばっかりの大集団にむかって、
多摩地域病院は、なんかこうきちんと家族的。
いつ行っても、看護婦の応対がしっかり安定している。

すごく待つからって、そんなことなんだろう。

ここには私たちが失った家族の、
家族主義的なマナーの原型が、医療の技術のまえに、まず保たれている。
だいじなことだと思う。すがすがしくて安心である。

 

2020年9月27日日曜日

ゴーヤ料理


夜の8時もすぎて、冷蔵庫をなんとなく、見てみたら、
3日まえに千切りにしておいた2本分の苦瓜があって、
いくらなんでも、もうなんとかしなくちゃならない。
見れば、鶏の笹身も、そろそろ限界である。
よし、と思って、笹身を細かくうすく包丁で切った。
胡麻油でそれを炒める、フライパンで鶏肉を。
・・・そこにゴーヤつまり苦瓜をどさっと加える。
よく炒めて、あてもないけど、おいしいかまずいかわかんないけど、
塩コショウを少し、思いついて日本酒をパラパラと。
最後に遠慮がちにお醤油をサーッとかけた。

こんなにおいしくゴーヤを調理できたのは初めて。
なんでなんだろう?ぜんぜんわからない。
日本酒がよかったのか、ゴーヤの苦みがテキトウになっていたのか。
なんかこう、いつか誰かが、こうしろと話してくれていたんでしょうね。

けっこうなおそい晩ご飯でありました。


 

2020年9月26日土曜日

内田るんという人の話


あと少しで、明日になっちゃう。
図書館で、また
本を借りた。
そう言えば昨日は、内田親子の書簡本?を読んだ。
樹・お父さんと、娘・るんちゃんのお手紙のやりとりである。
尊敬するっきゃない父親をもった一人娘が、るんちゃんで。

私はこの、内田るん、さんを見たことがある。
下北沢で。息子たちがライブ、それもナイン・パーティーと言う名の、
ライブに参加した夜だった。
内田るんさんは、主催者のゆう君(私は、彼の本名がわからない)の
政治的主張に心から賛同して、演奏参加したのだった。

内田樹さんの著書も名も知っていたけど、
その時は、なんだかふんわり、そうなの?と思っただけだった。
本を読んだら、なんだかあの日のふんわりが、すっ飛んでしまった。
お父さんを尊敬するっきゃない女の子の、本だった。
父親がそんなことは望んでいないのに、父親の捕虜。
そういう、運命!
へんな本だったと思うけれど、
印象的だった・・・。

 

2020年9月25日金曜日

時間の案配


暴風雨がくるかと思えばこなかった。

ブログに毎日とりくむ、という自分に課した義務をやめて、
家の片づけを中心に暮らしたら、
3時間ぐらい余裕ができて、ぼんやりと暮らした。
私って、すこし前から三浦雄一郎さんの本の提案にしたがって、
午前中は、ぼんやりしている。
ぼんやりプラス、追加ぼんやり。
本を3冊ぐらい、かわりばんこに読むのである。

ぼーんやりと、炎熱の夏に、くたびれていた。
だれだって、そうだろう。

もともと、糖尿病を薬で抑えていたけど、クスリだけでは治らないわけで、
夏になって、急に決心して、歩くことを始めた。
あっちの理屈とこっちの理屈を自分なりに整理すると、
歩くのは、どうしても午後になる。
炎天下、樹木の影を、まあ5000歩。
4時には買い物をすませて、それで晩ご飯の支度。

歩くのはよかった。歩く習慣がどうやら身について。
でもやっぱり、歩いて疲れた、ということもある。
気がついたけど、どうやらムキになる性質、加減ができない。

炎熱ねえ・・・。

呼吸をするように、自分はブログいのち、と思っているけれど、
それは客観的には、いい話じゃないのだ。
たぶん、私の生活って、
バランスを欠いているのだろう。
団地は大規模修繕。順番がくれば家の中が、無作為に人目にさらされる。
それで、この際だから家の整理をして。
だけど、糖尿病なんだから、炎天でも、歩く。
ぼんやりは義務、ギムと家事と5000歩とブログが
押し合いへしあい。
えーい、しょうがない、ブログをあきらめよう、なんとか頑張って。

たぶん、それがよかったのだろう、
突然、さむくなったけれど、風邪もひかない。
家の中も、多少は、きちんとした。
コロナにも、かからなかった。
電車にも乗ったし、映画も見て、ヒトにも自然に会っていた。

オリンピックの選手じゃあるまいし、
克己心じゃなくて、融通無碍(ゆうずうむげ)が、老人の誉れなんじゃないの。
77才にもなって、習慣がかえられず案配ができないなんて、
たぶん、私は、ただのおもしろくもない頑張り屋なんだ。
今まで、考えるヒマというものが、
きっと、私にはなかったんじゃないの。

という半生の、もとい反省の仕方からして、
なんとなく、久保つぎこさんは、もとのもくあみ、なのでありました。