むかし、私が本当に子どもだったころ、
考えたことがある。
ことばをそんなにしらず、よく操ることができないころのことだった。
それは、しかしきちんと形になった感情であって、
いまでもまざまざと、何度でも正確に再現できる、
ちいさな私のこめかみから幼い頭を通りぬけた、考えだった。
自分は捕虜なんだという理解。
2才か3才のころだから、むろん言葉として考えたのではない。
いつものように悪い子だった罰に、ぶたれて大泣きをして、
これから押し入れの暗闇に入れられる、そういう瞬間に、
自分は、灰色の針金でできた四角い「鼠取り」の中の、
あの殺されてあたりまえのネズミなんだという、
そういう焼けつくような認識が、予言みたいに私に貼り付いたのだ。
だからといって、どうなったわけでもないが、
いつもいつも、幼稚園でも、学校でも、おとなになっても、
この理解が、自分から離れることはなかった。
みっちゃんと私は、小学校1年生の時からの友だちで、
お母さんの「友達になって仲良くして」という入学式の日の頼みが、
一生ものになったわけだが、みっちゃんと私はたぶんソックリで、
みっちゃんは脊椎カリエスで身体がぐちゃぐちゃ、私は母親にすてられ、
継母の虐待にあい、鼠取りのネズミまがいの捕虜になったこども。
子どもだったころ、私はみっちゃんをうらやんでばかりいた。
いいなあ、きれいなおうちに住んで、やさしいお母さんとお父さんがいて、
いいなあ、みっちゃんは。
ある時、おとなになってからだけど、みっちゃんは人にいわれて、
こうなりたい自分というのをむりやり文字にした。
みっちゃんが描いた理想の自分は、びっくりしたことに私によく似ていた。
みっちゃんのお母さんからたのまれ、「うん」とこたえて手をつないだ時、
たぶんみっちゃんは、私がぐちゃぐちゃな子どもだということを、
どうしてか理解したのだろうと、このあいだある作家にいわれた。
それがそうだったのか違ったのか、今ではまるでわからない。
けれど、子どもはどんな子も神さまのような、あるがままのものだから、
1950年のみっちゃんと私は、それぞれが受けた虐待をまんなかに、
わけもわからず運命の捕虜として、ながいながい道をあるきはじめたのだろう。
そう思う。