とにかく、毎日が、ただもう努力ばっかりですぎる。
そのほとんどが、睡眠の確保であって、
眠れているのだか、全然体力回復にならない仮寝の5,6時間なのか、
もうさっぱり自分じゃわからない。
まーいいか。
これが運命なのだとあきらめて。
今日は一大決心をして、5時間眠ればいいと、わりきることにした。
いいじゃないの。
77才の不幸な人生の(!)平均睡眠時間は、5時間なんでしょうよ。
午前中に、掃除と洗濯と雀くんにエサをまくのと、
庭にゆったり居座ろうとするどこぞのふとった猫とのにらみ合いをすませる。
ネコはこまる。私の都合じゃなくて雀くんの都合で。
朝ごはんも食べたくないけど、食べる。
これだって私の都合じゃない、できれば飲みたくないクスリの都合だ。
さてそれで。運動だからと、
悲壮な決心をして、図書館まで予約の本を受け取りに歩きだし、
また歩いて元三越でパンを買い、元三越の丸善に本を注文したかったのに忘れ、
こんどは郵便局(本局)までヘトヘトになって歩き、そこで郵便物を発送、
天をのろいながら、もうくたびれちゃって、坂をずーっとのぼって、
やっとのこと家にもどった・・・。
ああもう、私の家は、遠くに、あって、ほんと冗談じゃなかった。
きょうはヘンな具合に、歩けない。
たぶん6月でもないのに、紫陽花が咲いたり、薔薇の花が散ったりするせいだろう、
とか、思う。
むりにもこんなに努力したのは、植木やさんに庭の柿の木を、
本日正午すぎに、なんとか見られるように伐ってもらう約束だったからだった。
植木やさんは2代目の若い大将で、すごくいい人だ。
彼はもうバサバサと、バサバサとバサバサと枝を、親切な説明つきで伐った。
ポカーンと向こうの空が見えて、
涼しくなったのか・・・影がなくなって今年の夏が熱くなったのか、
私はきめかねたけど、それはシロウトの無知のなせる判断だとよくわかる。
なるほど樹木には樹木の側のきっぱりとした都合があるんだわよね。
彼は私の息子たちと同世代、ずっとロックバンドをやっていて(!?)
親父のことがもう俺は大きらい、気が合わないんで、と言う。
えーそうなの。とても考え深そうな人だったのに。
しかしである。
職人の世界にはガンコな人間関係のガンコな人間味があって、
今、彼は吹く風の中、親子仲は変わらず悪かろうとも、ちゃんと植木屋だ。
(あなたがよく見るとハンサムなのは、親父さんゆずりだからよ)
でも、
「いま、親父は眼がみえなくて仕事を休んでいるから」
柿の木をバンバンとドサドサと伐りながら、息子は憎ったらしそうに言った。
「手術を受けて、仕事ができるようにしないと。
仕事しかない人だから、クルマの運転ができないと。」
・・・・・・・「人間・歳月・生活」とは、イリヤ・エレンブルグの本の題名だ。
コロナ騒動と地球温暖化の中にいると、すこし幸せなら幸せで、私は思い出す。
アントン・p・チェーホフを描いた芝居のタイトル・・・
・・・「嘲るようなわが幸せ」