北林谷栄さんは、私のセンセイだった新劇の女優さんで、
名優のほまれ高い人だったけれど、
思い出をどういう抽斗からとりだしたらよいのか、私にはさっぱりわからない。
演技というものは、人々の記憶から、あっけなく消えてしまうものだと思う。
舞台俳優の宿命で、北林谷栄なんていっても、たいがいの人は、
ああ、宮崎駿さんの「となりのトトロ」のおばあちゃんの声をやった人ね、
と言うだろう。
北林さんがきいたらどんなに怒るだろうともう当時から私はお手上げだった。
したがって、
私の個人的な思い出は、なんとなく偏って私自身に関するものである。
「オカーサン」の友だちっていうと誰なの?と、私がきくと、
友だちというにはいささか物足りないが、まあ無理にも言えばアンタかな、
と考えてから彼女は答えた。
私は25才ぐらいだったけれど、ひっくり返って笑ってしまった。
北林さんってまったく、ホントにそうなんだろうなと思わせる人だったのだ。
おっかなそう。友だちなんかいなさそう。
ほかの時にはこう言った。
アンタは父さま(私の父)と本当にそっくりな人ね、
父さまから脳みそをまるごと引っこ抜くと、アンタになるんだわな。
私は、おかしくておかしくて、またもひっくり返って笑った。
云い得て妙というか、当り!だと思って。
北林さんっていう人は、なにを言っても見たこともないほどユーモラスだった。
スリル満点、魔物みたいにおっかないのに、ユーモラスなのだ。
ほめてくれたことだって、あったけどそれだって。
いつのことか思い出せないが、
もしかしたら私の初めて書いた童話の出版記念会で、だったのかもしれない。
このひとは、あらゆる方法でたたかう、と彼女は言った。
北林さんらしい表現がおかしかったらしくクスクスとみんなが笑ったけれど、
それはこういうことだった。
この子は手錠を嵌められれば口で、口が猿ぐつわで使えなくなれば足で、
足に鉄の玉みたいな重たくてゴロゴロいう足枷をつけられれば、
のこった眼玉だけでもつかって、とにかくなんとかかんとか工夫して、
さいごまで自分で戦う、そういう人間なんだと思うと。
そうやって思い出してみると、常に北林さんの批評は客観的感想であって、
「教育的」ではまったくなかったと思う。
北林さんは、どんな人に対しても人格を変えろなんて言わなかったのではないか。
芝居となると、話はまったく違うけれども。
したがって、影響は受けたけれど、私は私のまんまだった。
人格を否定されたなんて思わなかったし、バカにされたらされたで、
洒落てるからおかしいばっかり、笑っちゃってぜんぜんこまらなかった。
だからバカのまんまだった、ということも言える。
一生、何をやっても低空飛行だったし。
まあ、よかったんじゃないか、自力で苦難と戦えて。
あんまり賢いと孤独だろうし。