地震が始まった時、大橋さんのお宅で、私は豆茶を飲んでいた。
いかにも健康を守ってくれそうなおいしいお茶の3杯目。
杖代さんとMr.は立派で大きな天井までの戸棚を背に並んでいて、
戸棚の中は本とかお孫ちゃんたちの写真とかいろいろとそれからスキマ。
私のに比べればなんの地震手当もしてしていない本箱だ。
あ、でも言われて気がついたら手当はしてあった。
戸棚のふたつの取っ手に蒲鉾の板が(四隅を美しく削られて)挟んであった。
これなら地震になっても、ガラス扉は絶対開かない・・・。
そこに地震である。おんなじようなコンクリートなので、
うちが地震の時揺れるように、大橋家もグニャグニャと揺れた。
長い地震だったし、この家は間取りが複雑だから曲がりくねって揺れている。
私はMr.の泰然自若ぶりにすごく気を惹かれた!
いかにコンクリートの家屋がグニャグニャしようと、Mr.はそこに、
ご自分の居場所にただ、ふんわりと浮かんでいた。
そうとしか見えない。こんなおかしなことってあるかしら。
動じないという言葉には考えてみると突っ張り感がある。
大橋Mr.ってそういう感じがまるでないお方で。
笑顔は笑顔のまま、おだやかな声音もおだやかなまんま・・・
話すスピードも、テーマも、姿勢も、カップを持つ手も、どこもなにも、
ひとつも変化しないので、これってどういう生き物なのかなあと。
大橋Mr.って幻燈?
まさかですよね。
よく考えてみると、このヒトはアメリカに移住すること3代目の日本人。
それで、ローラ・インガルスの「大草原の小さな家」の父ちゃんみたいな、
おそらくそういう気構えの人なのだろうと、想像する。
あの地震の日、考えたことは、私が感じたことは、
家の構造とか可能性とかまたは限界について、
この人は「正確に見当がついている」「こんなもんだろう」とわかっている、
「できる手当はすんでいる」という認識なのだということだった。
大橋Mr.とは、
自分の個体としての運命を自分で選ぶ人。
運命の結果としての大きさを引き受けて四の五のいわない人なんだろう。
でもさぁ。
そういう人ってですよ、長生きした場合、あんなふうに浮かぶの?