北林谷栄さんとどんなに印象的な時間を過ごそうと、
当時の私はケーハクで、言われたことなど全然わからなかった。
わかっていないことがわからない、というレヴェルだった。
それが「人格」に関係する話だったらしいと理解したのは30年もあとである。
千橿(ちがし)が生まれて、
産後4週間、ムギちゃんの代わりに私がパン屋の店番をした時のことだった。
パン屋の店番というと、なにからなにまで、
菓子パンにしろ食パンにしろ、クッキーにだって名まえと値段がある。
みんな、コマコマしてるくせに、生意気に値段がちがっている。
一応知ってるというのは誤解で錯覚、私なんか呆然自失、パニック状態だ。
なんておっかないことになったんだろう?!
第一、小さい店だから入って来たお客さんがジャマで、値段なんか全然みえない。
どうすればここから逃げられるんだろう、私って!
でも「帰る」とも「出来ない」とも言えない、息子が厨房でパンをつくってる。
お客さんが入ってくる。
トレーになんだかんだといっぱい乗っけて、私がそれを袋に入れて、
合計いくらですとスラスラ言うのを待ってる!
怖い思いは散々してきたけれど、あんなに怖かった昼間はなかった。
「えーとどだい食パンって、いったい全体いくらでしたっけ」の世界。
そうしたら夕方になって、息子が、
がっくりきている私をなぐさめて、こう言った。
「かあさんはすごいよ。ふつうの人と全然ちがうんだね。
ふつうだとね、アルバイトで雇われてさ、
みんな一人残らずシロウトだからねー今日のかあさんみたいにさ。
僕のところにききにくるよ。このパンいくらですかとか、ドーナッツがとか。
でもそれなら、僕が自分で売ればいいわけさ。
売ってる時間が僕に無いから人を雇うわけだからさ。」
・・・なにがちがうの? 私だってまるでわかってないわよ、と私・・・。
「かあさんは絶対にぼくに聞きにこない、そこがちがう。
かあさんは、わかんないとにこにこ笑ったりムギの代わりですと自己紹介したり、
値段を自分で見に行ったり、それでもわかんないと、
お客さんにこのパンって幾らなんですかってきいたりする。
しまいにはお客さんに見に行ってもらったりするんだ。
とにかくヘンでもなんでも、ぜったいに、自分でやるんだ。
そこが人とかあさんのちがいだよ」
まるで魔法のように、ぶーんとアラジンが絨毯にのってやって来たような。
北林さんの批評?というか冗談が、あの時はまだ生まれていなかった息子によって、
もう一回、配達されたような具合、なんだなあと私は思った。
で、次の日からスムーズにことが進んだかというと、何日たってもダメだった。