My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2020年8月2日日曜日
相模原障害者殺傷事件メモ
「相模原障害者殺傷事件」(朝日文庫)を読んでいる。
居心地のわるい本だ。杜撰な、読みやすいけれど、きみょうなルポ。
雨宮処凛氏が週刊金曜日7/24 「らんきりゅう」に書いた文章だと、
こういうこともある。
「最近の若いものは」などと言い出したら「雨宮処凛も老けたな」と言われ
ることを承知で書きたい。
この10年ほど、私は下の世代に対して、謎に思っていることがある。それ
は、「なぜ、彼ら彼女らの多くには、”経営者マインド”が搭載されているの
かという疑問だ。
例えば「最低賃金を1500円に」という運動がある。時給が上がれば働く
者にはいいことづくめだ。しかし、これに対し「中小企業が潰れる」「バイ
トがそれだけの働きをするのか」と口にする若い世代は多い。 自らが時給
1000円程度でバイトしているのに、である。
彼ら彼女らは決して「労働者目線」では語らない。経営者の視点で物事を見、
また統治者の視点で社会を語る。そのようなマインドの背景にあるのは「常
に上を目指していない奴はクズ」というようなメッセージを浴びるように受
けてきたことがあるのだろう。「一生自分が労働者だと思っているような人間
はダメ」という刷り込みは、いつか成功して経営者になるのだから、自給千円
でバイトしているのは仮の姿なのだ、という言い分を若者たちに与える。
だから非正規労働者やフリーターの運動は、なかなか主流にはならない。なぜ
なら多くが「自分は非正規なんてすぐやめる」と思っているからだ。
(前文略)相模原の障害者施設で19人を殺害した植松聖の裁判。法廷で植松は
「日本は借金だらけ」と強調し「障碍者はお金と時間を奪っている」と事件を
正当化し続けた。
財政難を看過できないと憂い、なんとかしなければと焦る気持ちはわかるには
わかる。一方で、なぜ、総理大臣でも官僚でもないのに、これほど財政問題に
こだわり、苦悩するのかという疑問が湧く。福祉職の彼は、そもそも財政問題
など考えなくてもいいのだ。
1975年生まれの私には搭載されていない「経営者マインド」は、90年生
まれの彼には自然に搭載されている。植松聖は、奥田知志氏がいうように「時
代の子」だ。
*相模原事件裁判傍聴記
「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだを出版したそうである。